勇者の血を継ぐ者

エコマスク

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【211話】 リリアとクサビとシルキーと牛と

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「… …ア …リア…リリア」
闇の中から呼ぶ声がする。リリアがゆっくりと目を開けるとシルキーの心配する顔があった。
「…シ、シルキー? もう朝ごはん?…」リリアが呆然と呟く。
記憶が薄い、全てが霧の中に浮かんでいるかのような感覚…
「リリア、目を覚まして!しっかり!」
シルキーが呼びかけながら回復魔法をかけると突然記憶が蘇ってきた。
“そうだ、あたしミノタウロスにやられたんだ”
魔力の宿る銀のクサビを手に牛に挑んだリリアだったが、フォークの一振りで薙ぎ払われてぶっ飛んだリリア。
ここで記憶が途切れている。
クサビを手に主人公補正がかかり猛牛の心臓を仕留められる気がしていたが、主人公補正など微塵もなかった。現実は実に厳しい…

「痛っ!」
リリアが起きようとしたら全身が痛い。
「まだ動いてはダメよ。今急速に回復するから」
シルキーが時々牛の攻撃をやり過ごしながら治癒魔法をかけてくれる。シルキーもだいぶ辛そうだ。
「ミ、ミノタウロスは?…」リリアが聞いた。唸り声からしてもまだ生きているらしい。
「まだ暴れているわ。たいぶ弱ってはきているのだけど… リリアにとどめを刺そうとしたところを私と周りで何とか防いで、今は冒険者達が皆でなんとか気を引き付けている」シルキーが説明する。
リリアが見ると、牛がまだ暴れているのが見えた。だいぶ弱っては来ているようだ。

「あの牛メッチャ強いよ… リリアには無理…やっぱりあたしには勇者無理かも…」
動きもパワーも圧倒的な差、リリアには全くもって歯が立たない。
「リリア、聞いて… このクサビで私の心臓を貫けばミノタウロスを確実に消滅させる事ができるわ… あいつが私に直接攻撃できないように私もあいつには攻撃できない、もちろん自分で自分の心臓を刺すこともできないけど…」
シルキーはここまで言うと気を失いかけた… もう時間が無い…
「シルキー、もう治癒はいいから、リリアは動けるから大丈夫」
リリアが慌てて起き上がってシルキーの体を支え急いで気力回復のポーションを飲ませる。
「おぉ!牛が!」「やったか?」「とどめだ!」
見ると牛もがっくりと膝を落とし苦しそうだ。何とか倒せるのかも…
ポーションがすぐ聞き始めたのかシルキーは再び顔色が良くなってきた。
「わぁ!気を付けろ!」「クソ!まだ力があるのか!」
牛も立ち上がりあがいている。

「シルキー… これって… あなたとあの牛の精神力は共存されてるの?」リリアが聞いた。
「そ、そう、正確には私の精神力を元にミノタウロスは存在を保っているの。だから私の命が尽きればあいつは完全に倒せるの… 召喚主の私が死ぬ時、あいつも…」シルキーが小さく頷く。
リリアはクサビを受け取りながら抱えたシルキーを見る。陶器で出来た芸術品のように美しい容姿をしている。やつれた蒼い瞳がリリアを見つめ返している。
「無理だよ… 他の人に頼んでよ… リリアにはシルキーを刺せないよ」リリアが涙ぐむ。
しかし、こうしている間にも怪我人が増えている。冒険者達も上手に立ち回っているが怪我人が増え始めた。
犠牲者が複数出てしまった。恐らく謝って済む問題ではなくなるだろう。牛を何とかしたとして、シルキーは罪に問われるだろう。法律の事はよくわからないけど、シルキーが召喚主として罪に問われて極刑になる確率は非常に高い。噂では女性魔法使いの罪人は宮仕えの魔導士達に魔法を封じられオモチャのように扱われる事もあるようだ。
リリアは考える。
“どの道シルキーは今の生活を取り戻せないかも…”
狂牛は路上で猛威を振るい荒れ狂ったように暴れている。逃げ惑いながらなんとかしようと攻撃に立ち回る冒険者達…

「シルキー… あの牛強いよ…さすがシルキーの召喚獣ね…あたしには倒せないよ… 犠牲者も出てしまって… もうこれ以上犠牲者も出せない。シルキー少し痛いだろうけど… ごめんね…」
リリアはクサビをゆっくりシルキーの胸に狙いをつける。
「リリア、ごめんなさい。私の不注意で…過信で… でもいいの、魔族でも人間でもない、悪魔にも聖者にもなれなかった私の最後のわがままを許して… 両親に… 父に会ってみたかった… 覚悟は出来ているわ」
リリアの腕の中でシルキーの肌が火事に照らされオレンジに染まっている。
壊してしまうには惜しいほど美しい瞳をしている。
「シルキーが何故普段人前にでないか、突然パーティーを開くか、収穫祭の夜に父親を呼び出そうと思ったのかリリアにはわかった気がするよ… リリアがもっとズケズケとシルキーの屋敷に朝ごはんを食べに押しかけていればよかったね… ごめんね、あたしこう見えてもお行儀良い方だから…」
リリアはブシブシと泣いている。
「リリア… さぁ、私を川辺まで届けて…」
シルキーは微笑むとリリアの頬を撫でた。
「シルキー、ごめん!」
リリアはシルキーの心臓に銀のクサビを押し込んだ…


「おおぉ!牛が弱ったぞ」「チャンスだ!」「待て!様子を見ろ、慎重に」
冒険者達が声を上げる。
ミノタウロスは突然苦し気に胸を押えて膝から崩れ落ちた。
みるみると白目を剥いて涎を垂らし弱っていく。
今までとは様子が違う。
「よ、よし、皆、あいつにとどめだ!」
誰かがそう声をかけた時だった。黒い影が走り出て来た。
「皆、余計な事しないで!この牛はリリアが始末よ!この牛肉野郎―!」
黒い影は勢いよく走り込むと何かを牛の心臓に向けて突き立てた…


「ユイナ、ユイナ、ちょっと起きてよ!」
ユイナはゆっくりと目を覚ました。
「はぇ?… リ、リリア? あぁ…私寝てたのか… 酔っぱらって… 頭痛い」
収穫祭で派手に騒ぎ過ぎ路上で寝込んでいたようだ。ユイナはリリアに起こされた。
「ユイナ、あなた魔法のホウキで飛べたよね、家にあるの?これから夜間飛行よ」リリアが言う。
「ホウキ?リリアが持っているじゃない」ユイナはまだ寝ぼけている。
「これはあたしのホウキよ、飛べないホウキ、ただのホウキよ… え?… だって本当に飛べないじゃない… 口だけは魔法のホウキだよね」リリアがマイホウキとお話ししている。
ユイナが見るとリリアはホウキのダカットを手に誰かを肩に担いでいる。
「シルキー?… リリアが担いでいるのシルキー?」
ユイナは少し驚いた。リリアとシルキーの仲が良いなんて知らなかった…
いや、シルキーが外に出てきているのが珍しい…
「ちょ、よく見たらリリアもシルキーもボロボロじゃないの?いったいどうしたの?」
ユイナも少しは目が覚めてきたようだ。
「事情は後まわし、シルキーはポーションをがぶ飲みさせて回復中よ。一命は取り留めた形。今からユイナと誰かで城壁外まで飛んで欲しいの!緊急よ!善は急げよ!」
リリアはそういうとユイナも肩に担いで歩き始めた
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