勇者の血を継ぐ者

エコマスク

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【110話】 グレートキャプテン・グリアノック

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差し出された矢筒の蓋を跳ね上げて、矢を一本抜きとると“シュパ”っと心地よい音を立てて矢先にオレンジの火が灯った。
“エンチャントの矢なのね、綺麗!”
しかし感心している場合でも眺めている場合でもない。
船体は沈み傾き、歪み始めた木材がギュウギュウと不気味に音を立てる。
セーラーは全員デッキに上がってきた。防水対策は諦めたようだ。
「どこに飛ばすの?」リリアは矢を弓につがえる。
「とにかく、高く!マダム」
リリアが空に向かって弓を引くとセーラーが大声で報告する。
「射撃、救難信号」
リリアが矢を放つと矢は虹色の尾を長く引きながら午後の日差しの中を飛び去っていく。
絶望と混乱の船上から見る輝かしい希望の虹。美しい!
「射撃、救難信号」
二矢目が飛び去る。
「父さん、母さん、虹の矢見える?リリアの弓よ、皆を救って!大勢の人の命がかかってるの!」リリアは願いを込めて飛び去る矢を見つめる。
甲板上は妙に静かだった、恐らくその場の全員がこの混乱に似つかわしくない小さな虹を言葉もなく眺めていたのだろう。

「………………… わ!わわわ!」
突然、船が一気に傾斜し始めた。左に傾きながら頭を垂れ、お尻を突き上げる。リリアは矢筒を抱え必死に近くのロープにつかまった。
「ディル、ピエン!つかまって!」リリアが必死に呼びかける。備品がデッキを滑り始めた。
「総員退船!」キャプテンの声がデッキに響くと再び騒ぎが船上に広がった。
「総員退船!カッターの降下は中止しろ!このまま浮かべる!」
「浮くものを海に投げ込め!」
「マダム・リリア、ゲストの皆様、早くカッターへ。キャプテンが優先的に退船してもらえとのご命令です」
ものすごい冷静さだ、リリアが船尾楼を見ると相変わらず沈着冷静に立っているキャプテンが見えた。
リリア達がつかまりながらデッキを移動する。
「リリア、鎧は脱いだほうが」ピエンとディルが心配する。
「脱げるなら脱いでるよ、胸とお尻がつかえて時間かかるのよ!」
「せめて盾とマントは…」
言いかけた時だった。破壊音が響き、急激に船首が沈み、みるみる船体が海中に引き込まれ始めた。
船員が海面に落ち騒ぎになっている。
「わあぁぁ!」
つかまり損ねたオーガがディルとピエンを巻き込んでデッキを滑るのが見えた。ちょうど水に浮き始めたカッターまで滑り落ちる。カッターには人だかりがしているが何とか助かりそうだ。
「よし、あたしもあそこに」
リリアもデッキを滑ってカッターの側に行けそうだ。鎧が気になるが少しくらい重くても拾ってもらえるだろう。
「父さん、母さん、リリアを助けて」
ペンダントに手をやる。弓を背負い、矢筒を肩にかける。盾くらい捨てたいが勇者と王国の紋章が入っている、なるべく捨てないほうが良いだろう。
「…… せぇのぉ… えい!   ………え!!ああぁぁ!」
滑ろうとしたリリアはデッキ上でぶら下がってしまった。見るとマントがビレイピンのサポートと滑った荷物に巻き込まれている。
「え!え!嘘!やだ!マントが!」
勢いで鎧がリリアの顎にひっかかり、マントを外そうともがくが、力がかかっているせいか、無駄に丈夫に装着されているせいか全然マントが外れない。
「やだ!マント切っちゃえ!ダガー!」
顎にひっかかった鎧で少々万歳気味のリリアは腰に手が届かない!
「助けて!助けてぇぇぇ!!」
必死にもがくリリア。このままでは船と一緒に海峡の底にまっしぐら。
「いやぁ!いやぁぁぁ!まだ死にたくないの!死ぬならウッソ村で家族と眠りたいのぉ!」
リリアは大パニック!
「マントが!顎が!おっぱい痛い!ダガー!」
リリアが必死にもがいていたら頭上から声がした。
「勇者殿、鎧を脱いだほうが良いと言っただろ。今、助けるから、水に入ったら板につかまり、ボートに拾ってもらいなさい」
声がするので顔を上げたら、いつの間にかキャプテンが頭上まで来ていた。とても冷静。
「キャプテン!まだいたんですか?一緒にカッターへ!」宙ぶらりんリリアが叫ぶ。
「… うむ、私の仕事は船と船員と荷物の安全確保だ。船員全員の退船を見届けなければならない、勇者殿、先にカッターに行きなさい… これを家族へ…よろしく…」
そう言うとリリアに階級章を投げ渡した。
「家族?家族って?…」
リリアが聞き返そうと声を出した時にはリリアはデッキを滑って海中に落ちていた。
「ぶぐぐ… 鎧が!盾が!!」
重い!リリアは溺れかけながら全力で海面を目指して泳ぐ!
船体がリリアの横を海の底に向かっていく。
“駄目だ!とても海面までいけない!せめて盾だけでも捨てないと”
盾に手をかけるが、弓と矢筒を背負いなおしてしまった。矢はともかく弓は捨てられない!ローゼンさんからの弓は命!
“もうダメ… 父さん、母さん、ごめんなさい、村に帰れない…一緒にお墓に入れない…”
その時だった…
樽が暗い海の底から凄い勢いで浮いてくるのが見えた。
“あれだ!あれにつかまるのがラストチャンス!!”
リリアは必死に樽に向かって手を伸ばす…


「ぐえへ!ぅえげ!」
海面に浮上したリリア、必死に樽にしがみつく。鼻から、口から海水リバース。目の前がくらくらする…
周りにたくさん船員が浮いている。近くで溺れるオークをリリアは樽に引き寄せる。
「すまねぇ… 助かった…」オーク。
「みんな慌てるな!何かにつかまれ!助けるぞ!」カッターがウロウロしている。どうやら何とか助かりそうだ。
「船が!ケープルーダが沈むぞ!」誰かが叫んでいる。
リリアが振り返ると、まさにリリアの乗っていた船が沈むところ。大きな船尾が海中に滑っていく。
「キャプテン!キャプテン!退船してください!早く!海へ!カッターへ!」船員達が口々に叫ぶのが聞こえた。
「え!キャプテンまだ逃げてなかったの!」
リリアが慌てて目を泳がすと、操舵輪につかまり、帽子を振るキャプテンの姿…
「キャプテン!逃れられる者は逃れました!キャプテン・グリアノック、ご退船を!」カッターから必死に呼ぶ声。
「ありがとう、海で死んでいった者達と共に!さようなら!さようなら!」ゆっくり帽子を振りながら退船することなくグリアノックはケープルーダと運命を共にする。
「ケープルーダ号、犠牲者とグレートキャプテン・グリアノックに敬礼!!」カッターから声がする。
リリアは階級章を握りしめながら樽につかまっていた。


リリアがルーダリア号とハンプトン号を見ると、カッターを降下させて救助準備をしていた。
周りの漁船も集まってきた。
リリアもオークも先ほどまで船の船尾が浮いていた海面あたりを呆然と眺めていた。
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