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107 あなたしか目に入らない

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 何か変な声が聞こえた気がした。

「……モフ?」
「……モフる?」

 モフるってなんだろう。
 思わず顔を見合わせてしまったことから、どうやら空耳ではなかったらしいことは理解した。けれど意味がよくわからない。
 頭の中で盛大に「?」を浮かべながらも、地面をわしゃわしゃする手は休まることがなく、というか無意識だろうが何かを理解していたのかもしれない。

 ふっと、手元に影が落ちた。
 それに気付いた聖は頭上を見あげて、固まった。

「……」
「……聖? ……」

 そしてつられるようにして視線を移した春樹も同じように、ぴきりと固まる。

『ふむ、何かと思えばこれはまた珍しい。か』
「こっちでは落ち人だ。混乱するからこっちで呼んでやれ」
『……そうか、しかしこれまた珍しい、小さきものよ』
「いや、俺様よりそっちの方がたぶん珍しいだろ、こいつら的には」

 なにやらよくわからないことを、ぴょこんと飛び出してきたロティスが喋っている気がするが、そんなことは右から左に綺麗に通り抜ける。それよりも気にしなければならないものがある。というか、いた。

 目の前にある、大きな目。
 金色に、黒曜石のように黒くて細い縦長の線。
 そう、どこからどう見てもそれは……。

「……ね、ねこ」
「……猫目っ」
『ふむ、まあ間違ってはいないな』

 肯定された。
 唖然として見上げる2人の前で、その大きな瞳はらんらんと輝いており、よく見ると鼻の横がぷくっと膨らんでいる。
 それがどういう状態かというと。

「え、ちょ、なんで獲物を狙う感じになってるの……?」

 つまりはそういう状態である。
 近所の猫に懐かれていた聖にはよくわかる。明らかに何かを期待した、というか今にも飛びかかってきそうというか、じゃれついてきそうな雰囲気。流石にそれはちょっと……と、思わず後ずさりしてしまうのも仕方がない。
 だが、それとは反対に春樹は身を乗り出した。

「こんな至近距離で見れるとはっ!」
「いや、ちょっと春樹。感激するのはわかるけど、この大きさはちょっとない!」

 猫が好きなのにいつも逃げられている春樹の気持ちもわからなくはない。
 こんな、逃げないどころか、春樹に興味を示す猫というのは本当に珍しいのだ。この状況でなければ聖とて微笑ましく思っただろう。だが、状況は複雑、ではないが単純でもない。

「というか、そもそもこれ猫かどうかもわかんないからっ!」

 猫目だけど! 確かに猫目だけれども! と心の底から叫ぶ聖だが、春樹はゆるりと首を振ったかと思うと、こちらもまた心の底から言い切った。

「いや、このさい猫じゃなくても俺は構わない。異世界だからな!」
「なんてこった、異世界って単語が便利すぎる! じゃなくて、大きさが問題だから大きさが!」
「……大きさ?」

 そこでふと、我に返ったように春樹がこちらを見た。
 そして、首を傾げる。

「何か問題があるのか?」

 あ、だめだこれ。
 聖は瞬時に落ち着いた。落ち着いたので、地面に埋もれるようにしてそこにいたロティスを手に載せ、問いかける。

「ロティス、これって何?」
「ん? 猫で間違いないぞ、前に聖なるってつくけどな!」
「……魔物じゃないならいいけど。ついでに聞くけど僕らって何処にいるの?」

 何処、というか何の上に、というのが正しいだろうか。
 聞くまでもなく答えは出ている気がするのだが、念のための確認である。
 すると正解はロティスからではなく、本人から来た。

『それは我の上だな』
「ですよねー」
「どうりでモフモフっ!」

 春樹がきらっきらの瞳で猫目を見上げるのを横目に、聖は何処までも冷静に、というか諦めの境地でそれを受け止める。
 巨大な樹木に巨大なだんごの虫がいたのだ、それに輪をかけて巨大な聖なる猫とやらがいてもおかしくはないのだろう。……異世界なのだから。
 わかっていても微妙な気持ちになるのは、なんでそんな珍しいだろうと思われる生き物に遭遇しちゃうかな、ということである。

「それは主人公属性の宿命だからだな!」
「うん、心の声を読まないでね春樹。ていうかたぶんそれ関係ない」
「何を言ってるんだ? 落ち人だからだろ」

 ロティスが呆れたように呟いた。それに同意するように『そういう生きものだからな』と重々しい頷きが続く。
 あ、それって本当にこの世界すべての生きものの認識なんですね、と聖は本当に心の底から実感してしまった。
 さすがは聖なるとついてしまう生き物の言葉である。とても悲しいことだが、なんか重みが違った。

『ところで落ち着いたようだから聞くが』
「はい、なんですか?」

 聖はともかく春樹が落ち着いているかと問われれば、それはないと即座に否定できるのだがあえて告げることはしない。
 それよりも聞きたいこととはなんだろうかと訝しる聖の前で、先ほどと変わらない表情と、実に落ち着いた重々しい声音でそれは告げた。

『モフるのか?』

「……は?」
「モフるともっ!」

 まあ、モフるのかモフらないのかと問われれば、モフるの一択だった。春樹の場合ではあるが。

 その返答に、うむ、と重々しく頷いたかと思うと2人の体に何かが巻き付きそのまま下へと降ろされた。そして離れていくそれを見て、それがどうやら尻尾だったらしいことに気付き、目に見えてテンションが上がる春樹。そしてそんな春樹を、生ぬるく見てしまう聖。
 だが、そんなことなど知らんとばかりに巨大な猫は徐々に縮んでいく。
 そうして大人が3人くらい乗れる大きさと言えばいいのだろうか。元の大きさとは天と地ほどの差があるが、それでも大きいことには変わりない姿になった猫は、徐にごろんと寝転がり腹を見せたかと思うと、実に重々しい声音と上から目線で言った。

『さあ、モフるがいい』
「おうともよ!」
「……。……」

 何この態度と言葉のミスマッチ。
 だが、そんなの関係ないと言わんばかりに突進していくのが春樹である。
 なんとも言えず、さらに生ぬるさを増していく視線を自覚して、聖はいまだ手のひらにいるロティスを見下ろす。
 そして、いつの間にかマスクというか布が外れていることに気付いた。

「……大丈夫なの?」
「おう、周りに結界が張られてるみたいだからな! 俺様、超快適!」
「そっか、結界ってことは魔物も寄ってこないってことかな……」
「魔物どころか、許可のないものは入れない仕様だな。これほど安全な場所もないと俺様は思う」
「なるほど」

 よくわからないが安全ならいいかと頷いて、ちらりと、比喩ではなく全身全霊でモフモフしている春樹と、それを何処か恍惚とした表情で受けているらしい猫を見る。
 聞きたいことも、確認したいこともいろいろ、本当にいろいろあるのだが。

「ああ、モフモフっ!」
『……ふむ、これはなかなかのモフり手……』

 うん、これはしばらく放置かな。
 どう考えても数十分どころか数時間戻ってこないだろうな、と聖はすべてを後回しにすることを決めるのだった。


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