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16 胸の奥から、それはじわじわと
しおりを挟む『苦しくても本能に抗うのが、』
「人、か…。」
斗真は風呂に浸かりながら、先程の庄田の言葉を思い出していた。
アルファとオメガにとっては、身も蓋もない言葉だ。
それを言ったのがベータの誰かなら、そんなには心に響かなかっただろう。
本能で選ぶ事を容認されている、他ならぬアルファの庄田の口から出たから、響いた。
それは過去の恋人達に、斗真が言って欲しかった言葉だ。物わかりの良い顔をしながら、理解のあるフリをしながら、心の奥は何時も違った。
どうして、かなしい、なぜ。
社会ではそういうものだ。だから自分もそうしなければ。でも、飲み込めない。気持ちが離れた訳ではないと言われながら別れを告げられるのは。
いっそ、もう嫌いになったとか、関心が無くなったとか、そう言って突き放してくれる方がどれだけラクだろう、と毎回思った。
別れ話をしながらも、刺さってくる未練に満ちた視線。
それを振り切るように立ち去る時に、背後から聞こえて来る泣き声。
泣きたいのは此方の方だと、何時も思っていた。斗真が去る事に嘆いても、選ぶ事は無いくせにと。
でも庄田は、強烈に惹かれた相手よりも、愛していたオメガを選んだと言っていた。そして番になったと。貫いたのだ、愛を。本能よりも、恋人への愛を。
本能に逆らうのはとても辛いと聞くのに、すごい精神力だ。だからこそ最愛の番を失っても、立ち直る事ができたのかもしれない、と感心した。
尤も、立ち直れてしまう事が彼らにとって幸せであるのかはわからないが…。
深く考えると滅入ってしまいそうな思考を打ち消すように両手で湯を掬って顔を洗う。
やっと週の折り返し。早く寝て疲れを取って、あと2日頑張らなければ。
斗真はざばりと水音を立てながら浴槽から立ち上がった。
風呂から上がって部屋に戻ると、庄田からのメッセージが届いていた。
『今日はありがとう。会えて良かった。また食事に付き合ってくれたら嬉しいな。』
ふ、と口元が綻んだ。
食事中も庄田は、一人で食べている時の何倍も美味しく感じるよと笑っていた。その表情には微塵の邪気も感じられなくて、斗真もつられて食事を楽しんだ。
穏やかな、和やかな時間だった。また一緒にこんな風に食事をしても良いなと思うくらいには。
だから斗真の返信は決まっている。
『こちらこそ、美味しい食事をご馳走になり、ありがとうございました。是非また誘ってください。』
社交辞令ではなく、誘ってくれたら嬉しいと思う。
実をいえば少しだけ警戒していた帰り際も、もう1軒行かないか、という酒の誘いもなかった。
一度夜を共にしたからと気安く誘われてしまったらどう断ろうかと思っていたのに、庄田はタクシーに乗せた斗真を、マンション前に降ろして帰って行った。
出会いはあんな風だったけれど、庄田は本来こういうスマートな気遣いの出来る紳士的な男性なのだろう、と思う。
ピロン、とまた庄田から返信が来た。
『嬉しいな。また連絡するね、おやすみ。』
長々と遣り取りをする事もなく、引き際があっさりとしてキレイだ。
斗真は考えた。やはりあの夜彼に酔わされたと思ったのは自分の思い過ごしだったのだろう。落ち込んでいた斗真は辛さを紛らわせようと自分からアレコレ飲んだのだ。その証拠に、庄田は吐きそうになった斗真をトイレまで連れて行き、介抱してくれたではないか。
……まあ、キスはされたけれど…うろ覚えだが、別の場所で、みたいな事を言った記憶があるような気もする。それは結果的に斗真も合意したという事だから、庄田が悪かったという訳ではないのだ。
ただ、あの日はきっとお互いに人肌恋しかった。
それだけなのだと、思う事にしよう―――。斗真はそう決めた。
―――――
「やっぱり可愛かったなあ…。」
住んでいるという、こじんまりしたマンション前で斗真を降ろし、笑顔で別れた。
今日は様子見、はなから食事だけのつもりで会いに行った。庄田にしても、あの日酔っていた斗真の姿しか知らない。素面ではどんな性格なのか、自分が持ったイメージとはどれほどギャップがあるのか知りたかった。
仕事を調整して早目に切り上げられたのが直近で今日だったから、斗真の終業時間を狙って会社の近くのカフェで張った。だが、斗真が建物から出てきたのは、庄田が待ち始めて一時間ほど待ってからだ。真面目そうだとは思っていたが、本当に残業していたらしい。庄田は急いでカフェを出て斗真を追った。
声を掛け、振り向いた斗真は、あの日とは違う表情をしていた。少し疲れたような目元がそそる。
最初から酔って赤みを帯びていたあの夜とは違い、今日の斗真の肌は不健康にも見えるほどに白く見えた。それにも喉を鳴らしてしまったが、何食わぬ顔で近づいた。
普通、だ。
どこから見ても、普通の男。ベータなのは確認済みだから、そりゃ普通で当然だ。
でも、何故だろう。それなりの身長、清潔感のある身なり、意外に抱き心地の良い、程良く付いた筋肉。十人並みだが、人の良さげな優しい顔立ち。
オメガで、美しかった羽純とは明らかに似ていない。似ていない筈なのに、何故こんなにも惹かれるのだろうか。
あの日、初めて会った斗真に羽純を重ねたのは、飲んでいた缶チューハイのせいだけではなかった。
昔、羽純を初めて見た瞬間に胸の奥から湧き上がった何か。それと同じ何かを、斗真にも感じたからだった。
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