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13 その声色

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天災は忘れた頃にやってくるとは、かの物理学者が残した災害警句だが、それが忘れたい記憶を呼び起こす人間だった場合は、どう表したら良いのだろうか。

雅紀の告白から数日経った中弛みの水曜日。やっとキレの良いところまで業務を片付けて会社を出た斗真を、後ろから呼び止める声があった。

「菱田さん。」

聞き覚えのあるような、そうでもないような。それでも人は、名を呼ばれたら反射的に反応してしまうもの。
呼び方からすると仕事関連の相手だろうかと、少しの微笑みを浮かべながら振り向いた斗真は、一瞬で凍りついた。

「金曜ぶり。」

忘れもしない。
行き交う人々の視線を惹き付けながら、此方に向かって来る背の高い男。唇の片方をつり上げて、目を細めながら笑顔で手を振っていたのは、あの夜斗真を抱き潰したアルファだった。

失恋して泥酔した斗真を介抱して、ついでのようにセックスまで。
翌日我に返った直後は、親切な男だと思ったけれど、素面になって思い返してみると、色々と引っかかる事があった。
斗真はそれほど酒に強くはない。だから外で飲む日は加減して飲むようにしている。あの日は…三村との事で辛かった。だから少しばかりそれを緩和できたらと、コンビニでライムのチューハイを買った。ほんの1本だけだ。
だが、空きっ腹にアルコールを入れたのが良くなかったのか、ちびちびと半分ほど飲んだ時には、体がぽかぽかとして、冷えた手で触った頬がとても温かく感じるくらい、暑くなっていた。
コンビニから少し離れた歩道沿いの所々錆びたガードレールに尻を凭せ掛けて、晩秋の夜空見上げていた時に声を掛けてきたのがこの男だった。

『今から知り合いの店に飲みに行くんだ。こんな所で1人でいないで、一緒に飲まない?』

かなりの美形で、独特のオーラがある。アルファの恋人を持った事がある斗真には、男がアルファである事がすぐにわかった。

(…悪いけど、あまり関わらないようにしよう。)

見知らぬ人間にこんなにフレンドリーに声をかけてくるなんて、何だかちょっと怪しい。それに、さっき誓ったばかりだ。アルファとオメガには関わらないと。仕事関係や友人関係は別にして、それ以外では新たな関係を増やしたくはない。
だから、斗真は男の誘いを断り、もう帰るからと言って立ち去る為にガードレールから腰を上げようとした。
立った途端にふらついて、男に支えられた。ふらついているのが危なっかしいからと、帰るのなら家まで送ると言われて困った。男は思いの外強引だ。何となくこういうタイプの人間には家を知られたくない。
だから、少しだけ男について飲みに行く事にしたのだ。
それが、良くなかった。

気づいた時にはあの店に居て、何だか良い気分になっていた。酔った自分が男にどんな話をしたのかは覚えていないが、楽しかったような気がする。だから勧められるままに、飲んだ事の無いカクテルなども飲んだ。今思えば、意図的に酔わされたのではと疑わしい。
酔いが酷くなって吐き気を催して、トイレで介抱された。吐くだけ吐くと酔いが覚めてきて、すすぎもしていない口にキスをされた時、何だかやけっぱちな気分になった。三村のマンションを出た時、自分は世界中の誰にも必要とされていない人間に思えていた。けれど目の前の男は、例え一時的な性欲の捌け口としてであろうと、欲してくれている。なら、くれてやっても良いか、なんて。

そして、あの寂れた連れ込み宿で抱かれた。

涙が出るほど気持ちよかった。情熱的だった過去の恋人達を思い出させるようでいて、それを遥かに凌駕する快楽だった。
認める。斗真は行きずりの男とのセックスを愉しめた。名も知らぬアルファの巨大なペニスに穿たれて、震えながら歓喜して、中に射精されて達した。
そして、愛がなくても快感を得られる自分を嘲笑った。
本能に逆らえなかった元恋人達も、こんな気分だったのだろうかと思った。

でも、男に優しくも激しく抱かれた事で、三村の事を吹っ切れそうだと思ったのは意外な効果だったから、少しの感謝もしたくらいだ。

それでも、結局は酒の上での一夜の過ち。
忘れようと決めたのに、何故この男がここに現れたのか。




「な、んで……アンタ、」

驚愕を隠せず後退った斗真に近づきながら、男は笑みを深める。

「やだな、菱田さん…。いや、とまくん。」

「何で、名前…。」

動揺を隠せない斗真の問いに、目の前に立った男はクスッと笑いながら答える。

「だって、あの夜名刺くれたじゃない、上機嫌でニコニコしながら。可愛かったなぁ。」

「…名刺…俺が?」

飲んでいた時の記憶は断片的で曖昧だ。その間何をしていたのか、喋ったのかも覚えていない。本当に自分が渡したのだろうか。
まさか男が勝手に荷物を漁って…と考えかけて、やめた。プライドが高いアルファが、たかがベータの身元を探る為にそんな事はするまい。きっと自分が話の流れか何かで渡したのだろう。
だからと言って、来るだろうか、普通。もしや宿に忘れ物でもしただろうか、と考えてみるが、思い当たらない。スマホも財布もキーケースも鞄の中に入っていた。

「…あの日は、お世話になりました。」

何か目的があるのかはわからないが、取り敢えずは礼を言ってみた。得体の知れなさに少しの恐怖で舌が縺れそうになる。こんなに人の行き交う場所で、何をされる筈も無いのに。
斗真の言葉に、男は笑顔のまま首を振る。

「そんな。俺は何も。」

それから、周囲を見渡して言った。

「少し、話があるんだ。ちょっとだけ時間くれないかな。」

それは、相手に選択の余地を与えているようでいて有無を言わさぬ、アルファ特有の圧を持った声色だった。













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