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12 戸惑い

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こんなにも震えている手を拒絶するのは酷に思えて、斗真は言葉を迷った。
今更勝手な事を、という気持ちがあるのは否めない。あの頃の斗真の覚悟や、立ち直るまで要した月日を思い出せば。自戒していた筈なのにまんまと好きになってしまっていたから、本当に辛かった。それでも何とか忘れられた。
再会してから新たに友人としての関係を築けると思ったのは、斗真が努力してあの頃の事をきちんと過去に出来たからだ。
だから正直、こんな風に好きだなんて言われても、戸惑うばかりだった。けれど、過去の事を悔いている雅紀がこの告白を口にするのにどれだけの勇気が必要だったのかと思えば、無下にも出来なかった。
散々傷ついてきた雅紀に追い討ちをかけたくない。だからといって、もう安易に人の気持ちを受け入れるのは…。

「…ごめん、少し…混乱してて…何と言えば良いのか…。」

結局、斗真はそんな事しか言えなかった。けれど雅紀は、思いの外心穏やかにその言葉を受け止めた。

「良いんだ。今は、知っててくれるだけで。ありがとう。」

雅紀は本当に、斗真に自分のあんな話を聞かせる気はなかった。只の友人としてでも、近くに居られるならそれで幸せな筈だった。なのに斗真の『アルファやオメガとは関わらない。』との言葉で心を揺さぶられ、『次は同じベータと結婚を考えるのも良いか』なんて聞いてしまって動揺した。もう感情を抑えられなくて話してしまった。だがそうしてしまったからには、いっそそれを利用したいと思っている。卑怯と思われてもあざといと罵られても、もしそれで斗真が絆されてくれるのなら、何だって構わない。雅紀はそれほどに斗真が欲しい。

だから今は、無理に押さずに殊勝に引いておく。

「斗真に振られたとしてもずっとひとりで想い続けるだけ。…それくらいなら、構わないでしょ?」

また泣き出してしまいそうな顔で儚げにそう言った雅紀に、苦しそうな表情で唇を噛む斗真。
そんな反応に期待してしまうのは、虫が良過ぎるだろうか。

それでも、誰に何と思われても。
斗真の中で、不幸で健気で放っておけない存在に位置付ける為に、雅紀は切ない画策をすると決めたのだ。





『今日は帰るよ。またね。』

告白の後、雅紀はそう言ってあっさりと帰っていった。
それに拍子抜けしたような気持ちになるのは、付き合っていた頃の雅紀を思い出してしまったからだ。

雅紀には、我儘とまではいかないけれど、意地っ張りで、こうと決めたら絶対に引かないところがあった。
家庭環境のせいもあり、自力で頑張らなければどうにもならない事が少なくなかったかららしい。
何度も好きだ好きだと猛アタックして来て、いざ付き合い始めてみたら、意外と真面目で努力家で。高校からバイトをして貯めた金で専門学校に通っているのだと聞いた時には、親の金で学費を払ってもらっている斗真は自分が恥ずかしくなったくらいだった。
家は貧しく、オメガの判定を突きつけられ、それでも腐らずに夢に向かって頑張っている雅紀の姿は眩しかった。オメガなんて、きっと何時までも自分の元には留まってはいないとわかっていても、好きにならずにはいられなかった…。

斗真は雅紀の座っていた場所と、コーヒーが飲み干されたマグカップをぼんやりと眺めた。
嫌いではない、友人としては…いや、雅紀の気持ちを知ってしまった今は、微妙に揺れている気持ちもある。かといって、昔と同じ感情が戻っているかと言われれば、それには程遠い。 人の気持ちは簡単ではない。

「…ずっと好き、か。」

そんな事を、言われても…。

斗真は窓の外の空に目をやった。何時の間にやらすっかり日暮れている。
立ち上がって窓を開ける。サンダルに足を通してベランダに降り、ひんやりと冷えた空気に身を震わせながら下を見下ろした。マンション前の歩道には、既に雅紀の姿は見えない。
ずっと、番の待つ家に帰って行くのだとばかり思っていた。まさか独りの部屋に帰っていたなんて想像もしていなかった。
ここ2年は、恋人だった三村の手前、部屋に招く事もできなくて、雅紀の勤める店に髪を切りに行く時か、ごくたまにカフェで会って話をするくらいだったから余計にプライベートは見えてはこなかった。
雅紀に再会してから、斗真は2人の恋人と付き合った。斗真をずっと想い続けていたという彼は、どんな気持ちでそれを見ていたのだろうか。

「…馬鹿だな、雅紀…。」

器用そうでいて不器用な雅紀の事を突き放せる自信が無い。でも、受け入れてやれるかも、不信感に囚われている今の斗真にはわからない。

「俺の事なんか、とっとと忘れちゃったと思ってたのに。」

そう呟いた声は、吹いてきた風にかき消された。

そして散々心乱された斗真の中から先日の酒の上での失態がすっかり消し飛んでしまったその数日後、それはやってきた。







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