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16 どこかで100万回見たやつ
しおりを挟む実優が羽黒に初めて会ったのは、入店3日目の事だ。
『新人にはほぼ漏れなく場内指名を付けてくれるが、本指名は持っていないという上客』と聞いて、その時も実優は俄然張り切った。実優は自分の容姿に絶対的な自信を持っている、言わばナルシスト腹黒チワワタイプの男子である(つまりチビ)。
『nobilis』に応募した段階で既に採用は決定事項だと思っていたし、予定通り合格して勤務を始め、他のキャスト達と顔を合わせてからも、自分が1番優れていると思い内心鼻高々だった。そして実際、ヘルプに着いた先々の卓でも愛想良くニッコリ笑うだけで場内指名がもらえたので、実優の鼻はますます高くなるばかりだった。
羽黒の席に呼ばれたのは、そんな風に最高に調子に乗っている時だったのだ。
(こんな店に来る客なんて、お金は持っててもどうせオッサンばっかでしょ。本指が居ないのだって、単にタイプの子に出会ってないからじゃん?でも僕を見ればきっと…)
黒服スタッフから羽黒についての前情報を聞いても、実優はそう考えて高を括っていた。まあ、舐めてたんである。
そんな訳で実優は、1日違いで入った同期キャストと共にVIPルームに向かった。顧客の中でもほんの数人しか利用出来ないというVIP専用接待ルームのドアは高級感のある内装の店内の中でも一際重厚な存在感を放っていて、流石の実優も緊張。足を踏み入れると同時に頭を下げて挨拶をし、柔らかい声に顔を上げた先に居た男性に、実優の視線は釘付けになった。
凛々しくも端正な気品ある顔立ちに、長身で逞しい体躯。座っていてもわかる長い手足。全身から醸し出されているアッパークラス感。極めつけは、人柄が滲み出るような優しい笑顔と、低く穏やかなイケボ。
羽黒は、これまで実優が生きて来て出会った全ての人間達の中で、間違いなく最高の人間だった。まあ、羽黒は世の中のほぼほぼの人間から見ても最高種のアルファである訳だが…。
まあつまり、その時点で実優は羽黒に一目惚れしてしまったのである。そして思った。この男を客にするだけではなく、恋人にもしてやると。
実優は羽黒の傍に密着して座り、もう1人のキャストなど無視して熱烈なアピールを仕掛けた。しかし羽黒は、初対面にも関わらず自分の左手に両腕を絡ませて媚びた瞳を向ける実優にも、邪魔者とばかりにテーブルを挟んだ向こうのオットマンに追いやられてしまったキャストにも、平等に優しい笑顔と穏やかな物言いで対応した。
結果として、時間内に実優は指名の延長を取れなかった。そして、見送りの時に口にした、「今度いらした時はまた呼んでくださいね」という言葉も、「機会があればね」と爽やかな笑顔で流されてしまった。社交辞令の口約束さえも貰えないというのは、つまり全く実優に気が無いと言う事だ。それでも実優は希望を捨てずにいたのだが、それから数日後、来店て羽黒VIPルームに案内された羽黒が場内指名で呼んだのは、以前から居る古参のキャストだった。別に特別お気に入りというのではなく、顔馴染みで気楽だという理由らしい。しかしそんな事を聞いても実優の気は晴れる訳も無い。しかも、何故か初めての時以来、ヘルプですら羽黒の席に行けない。
普通に考えればその時点で、自分がその客のところで何かしてしまってクレームの付いた可能性を考えるものだが、実優はそんな事を考える性格ではない。彼の思考回路としては、
(きっと羽黒様に付けないのは偶然。もう一度チャンスがあれば今度こそ、僕の魅力に気づいてくれるはず…)
これである。
そして、その後も誰を本指名にしない羽黒を見て溜飲を下げつつ、再びのチャンスを狙っていた。
そんな実優にとって、突然入店した新人が羽黒に気に入られ、本指名を確約されたという出来事は認めたくない事実だった。何かの間違い、羽黒の気紛れだと自分に言い聞かせるも、腹立たしくて仕方ない。しかもその2日後、件の新人キャスト・ほたるが本当に羽黒からの本指名を受けて待機席から抜けるところを目の当たりにしてしまい、実優は腸が煮えくり返る思いだった。そんな顔はそれなりでも他は貧相な新人なんかのどこが良いのかと、プライドがズタズタだ。
しかもしかも、見ていればほたるの入ったVIPルームには、やたらとウーバーやら出前やらで食べ物が運ばれて行く。聞けば、それらは殆どあの新人のリクエストによるものだとか。それにも実優は、すこぶる不満を抱いた。
(何であんなのを特別扱いなんだよ!)
そりゃ本指のお気に入りだからだよ!という正論は、嫉妬羨望に狂った人間には通用しない。そうして数回、羽黒に呼ばれる蛍を横目に苛ついていたある日。やにわに店が忙しくなり、指名の重なった蛍も別の卓に呼ばれた。そして、その時待機席には、たまたま客を帰したばかりの実優だけが居た。そんな訳で実優が羽黒のVIPルームにヘルプに付く羽目になったのだが、これは完全に店側のミスである。その時実優を差配したスタッフは、系列店からの応援で来ていた者だった。伝達が行き渡っていなかったゆえに起きた事故である。
これが『nobilis』のスタッフだったなら、羽黒に理由を説明しに行ってヘルプ無しの了解を取っただろう。羽黒は別に、10分程度の時間を1人にされたからと機嫌を損ねるような客ではない。
しかし、実優は蛍のヘルプとして羽黒に付いてしまった。
2度目の邂逅に、チャンスを得たとばかりにイキイキと羽黒にしなだれかかり、ホテルに誘い、際どいボディタッチを繰り返す実優。羽黒も大人なので、途中までは顔には出さず流していた。しかしそれを好感触と勘違いした実優に膝乗りでキスされそうになり、とうとう無理だとスタッフを喚んだ。
で、そこからはさっき説明した通り。実優は店長室でしこたま叱られ、羽黒にも脈無しとわかった事で大恥をかいたのである。しかし、実優が一番酷かっただけで、実は似たような事をしたキャストも数人居たのだが、実優はそれを知らない。
そして彼の心の中に溜まりに溜まったフラストレーションは、店でも羽黒でもなく、羽黒の寵愛(?)を受けている蛍に向かった。男が浮気をすると、女の怒りは男より浮気相手の女に向かう事があるというのと似ている。
羽黒にはもうちょっかいを出せない、けれどこの腹立ちは消そうにない。ならばあの新人に一言言ってやらなきゃ気が済まない。
完全に逆恨みなのだが、しかし正論は、嫉妬羨望に狂った人間には(以下略)。
という訳で。
美優が今、営業前の身支度を終えてトイレに来ていた蛍に声を掛けたのは、実優的には当然の流れなのだった。
「ねえ、ちょっと。顔貸しなよ」
そう言った姿は、まるで全寮制ものBL小説に出てくる、人気のある生徒に近づくモブを制裁の為に校舎裏に呼び出す親衛隊チワワ(獰猛)の姿に酷似していた。
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