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15 蛍の知らない水面下での戦い

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『nobilis』に入店して10日。長年の栄養不足が急速に解消された所為か、蛍の血色はすっかり良くなっていた。羽黒王子は、蛍の出勤日には毎回指名で来店し、手土産を持って来てくれるし、好きなものをたべさせてくれる。まさに羽黒王子様々だ。
 そして今日も、蛍はうきうきしながら『nobilis』に出勤した。

(今日はどれを着よっかな~)

 衣装室のポールに吊り下げられたたくさんの衣装に目移りしてしまう。環境ゆえに無頓着になっていたとはいえ、蛍もお年頃の男子。お洒落に目覚めたのだろうかと思いきや、単にタダで色んな服が着られるお得感にときめいていただけだった。
 悩んだ末、今日はスーツではなくゆるっとしたお洒落な黒地に青の花柄シャツと黒い細身パンツに決定。そういった着こなしをしている先輩キャストと同席した時、(オシャレだなあ)と感心したのを覚えていて、真似したくなったのだ。因みに店ではシューズの貸し出しもあるのだが、そちらの方は何故か希望者が少ないので、これもサイズさえ合えば選り取りみどりである。蛍はいつも無難な黒の本革ローファーを借りているが、他の先輩キャスト達の足元に比べると、やはり地味だった。まあ、新人なのにあまり華美になり過ぎても初々しさが損なわれてしまうので、地味なくらいがちょうど良い。
 更衣室で着替え終わった辺りで、店のお抱えヘアメイク・豪太さんが登場。平日は豪太さん1人だが、キャストの出勤人数が多い週末なので、南という若いアシスタントの男性を連れていた。

「おはようございます!」

「あらぁ~、ほたるちゃん、おっはよ。今日も一番乗りなのね、感心感心」

 今日も今日とて元気に挨拶をする蛍に、柔らかくも野太いイケボで挨拶を返してくれる豪太&少し後ろで「おはようございます」と会釈をする南。 筋骨隆々の豪太と、身長こそ高いがひょろっと細身の南は、並んでいるとなかなかに面白い対比だ。2人はいつものようにテキパキと仕事の準備を整えて、蛍のヘアセットを始めてくれた。

「…で、殴り合いの大喧嘩よお。ひっどいと思わない?良いじゃないねえ?アルファがオネェなくらい」

「良いと思います!豪太さんは素敵なオネェさんです!言葉遣いだってその辺歩いてる女子高生より断然綺麗だし!」

「ありがと、さっすがほたるちゃんは違いのわかるオメガだわぁ」

「ブフッ」

「…ハヨーゴザイマース」

豪太と蛍の会話に耐えられなくなった南が密かに吹いている間に、他のキャスト達が出勤して来た。しかし蛍の姿を見るとムッとした表情になり、挨拶の声も小さくなった。次に入って来たキャストも概ね似たような反応で、何なら蛍を睨み付ける者も居る。蛍を取り巻くキャスト達の様子は明らかに悪化の一途を辿っている。それにはこんな理由があった。

 蛍が羽黒の本指名で呼ばれるようになってからの数回。あの羽黒の初指名キャストという事で他の客にも興味を持たれた蛍は、他の席に場内指名で呼ばれる事が増えた。すると、羽黒のVIPルームには他のキャスト達がヘルプに入る事になり、彼に対し様々な誘惑を仕掛けた。蛍のようなタイプが好みなのかとあざとい天然を装ったり、逆に小悪魔っぽく迫ったり。しかし、どれも惨敗。 すると、生半可なやり方では落とせないと張り切ってしまった一部のキャストが色仕掛けに出るという暴挙に出たが、羽黒本人のハッキリとした拒絶によりやはり惨敗。いい加減辟易していた羽黒がスタッフに申告した事により事が露見。結果、数人のキャスト達が厳重注意を受けた。
『nobilis』では、指名替えは不可ではない。一旦ルックスなどで指名しても、話や性格が合わない事はあるし、そう思っているところにしっくり来るキャストが現れたら、そちらを呼びたくなるのは普通だからだ。だがそれはあくまで客側が決める事であって、キャストの方からそれを口にしたり仕掛けたりして、客側が不快と感じた場合は、スタッフによる聞き取り調査の末、厳重注意や罰金などの罰則が課せられる。
 従って今回も通例通りの措置が取られた訳なのだが、注意されたキャストの中にはまだまだ不満タラタラの者も居る。さっき出勤早々に蛍を見て苦い顔をしたキャスト・実優(みひろ)もそんな1人だった。
 羽黒の居るVIPルームにヘルプに行くように言われ、チャンスだと思った。お久しぶりですねと乾杯をして、好感触だと思ったからアフターでホテルを匂わせたのに、羽黒には苦笑いで流された。でも明確な拒否ではないと取って、膝に乗り上げてキスをしようとしたら、素早く席を立たれてワイヤレスコールを押された。それで、飛んで来たスタッフに店長室に強制連行。普段ののんびりした林店長とは思えないようなとんでもない勢いで怒られたのだ。あんな屈辱、後にも先に初めてだった。羽黒のヘルプには金輪際付けないと言われたし、今後同じような報告が上がれば退店してもらうとも言われてしまった。羽黒のヘルプに付かなくて良いのは、寧ろ付けられる方が気不味いので構わないが、クビは困る。普通の店ならこちらから辞めてやるところなのだが、『nobilis』は別だ。そもそもルックスが良い若い男、というだけでこれだけの高待遇で雇う店は他に無い。この店は、とにかくキャストを大切にしてくれるのだ。時給だって破格だし、客層だって良い。酒が弱ければ飲まなくて良いから体に負担が無く、新人はトイレ掃除やタコ部屋からスタートしてヘルプで飲みまくって肝臓をやる、なんて聞くホストクラブなんて、てんで話にならない。唯一のネックは26歳を迎えると卒業、というのが入店時の条件に明記されているが、それでもそのギリギリまではこの条件で働ける。あと数年、在籍させてもらうには大人しくしているしかないのは理解したが、それでも蛍の顔を見ると、実優の胸には苦々しい思いが込み上げてしまう。
 
 いったい、自分の何処がこのすっとぼけた新人なんかに劣っているのかと。

 実優は、1年前に新人で入店して場内指名を付けてもらった日から、羽黒に好意を抱いていた。





 


 
 
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