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17 蛍VS実優
しおりを挟む「お前さぁ、大人しそうな顔しといてどんな手使ってあの羽黒様に取り入ったわけ?羽黒様は僕が狙ってたお客様なんだからね!!このっ、ド〇ボー猫!!」
「は、はあ…」
トイレの1番奥の個室に追いやられ、閉まった便座の上に尻もちをつく勢いで座った蛍を見下ろしながら捲し立てる実優。その様子は、さながら散歩中にすれ違った後の大型犬に向かってキャンキャン吠える小型犬の如し。
一方蛍の方は逆にポカンとした表情で実優を見上げていた。だってだ。用を足して手を洗っていたら、後から来た小さい先輩?に声をかけられて腕を引っ張られて個室に押し込まれたかと思えば、いきなり泥〇猫呼ばわり。いや本当に、ポッカーンとするしかない。というか、泥〇猫って言葉は知ってたけど、リアルで言う人本当に居るんだぁ…という気持ち。もしかして今自分は、超貴重な体験をしているのでは…と神妙な気持ちになる蛍。気持ちにつられ、表情も無駄に引き締まる。
いや、神妙になるポイントはもっと他にあるだろう、蛍。お客様の名前を必死こいて覚えるとか。
しかし、自分の言葉が順調に刺さっていると思った実優は、真面目に聞いている(ように見える)蛍に、やや溜飲を下げた。一気に捲し立てて息切れして来たタイミングだった事もあり、はぁはぁ言いながら言葉を止める。そして蛍は、実優の顔を見ながら、見覚えがあるのに名前を思い出せないというもどかしさを感じていた。それ、もっと早く感じるべき事…。
何度か卓のヘルプにも付いたし、一緒に違うキャストの指名卓にもヘルプについた事もある。ただ、いくら脳内検索をかけても名前が出て来ない。困った。日頃全く人の名を気にせず生きて来た事がここに来て仇に。しかし、気を取り直して実優に対し口を開いた。
「あの…ちっちゃい先輩」
「ちっちゃい先輩?!」
絶望的にダイレクト過ぎる蛍。それにすかさず瞬間湯沸かし器並みの反応を見せた実優が吼えた。
「何それ?お前、失礼過ぎない?!そもそも2、3センチくらいしか変わんないだろ!」
「すみません、ちょっとお名前が思い出せなくて…。これかなって名前はいくつか候補があるんですけど、間違うくらいならはっきりわかる特徴で呼ぶ方が良いかなって」
「どんな気の使い方?!逆に失礼だよ!!」
申し訳なさそうに謝る蛍に、尤もな突っ込みを入れる実優。しかも実優、よせば良いのに、"いくつか候補がある"という、どうでも良さそうなところに引っかかってしまった。
「…まあ良いよ。その、これかなっていくつかの候補、言ってみなよ」
「え…じゃあ、はい…。みんと」
「…みんと…」
悪くないなと思う実優。しかし不正解なので次を促すと、蛍は続けた。
「まひろ」
「惜しい」
「ひろし!」
「何でそっち拾って遠ざかるのさ。候補だと思ってた名前を言いなよ」
「あ、はい。さとる」
「1文字も掠ってないじゃん」
いつかの林店長と同じ事を思う実優。これは永遠に辿り着けないやつだと悟り、腹は立つが名前を教えてやる事にした。
「実優だよ。みひろ。先輩の名前くらい覚えておきなよね。…そんな調子じゃお客様の名前だって覚えてないんじゃないの?」
実優が、自己紹介がてらさりげなく嫌味を織り交ぜてやったと鼻で嗤うと、聴き終わった蛍の表情は途端にどんよりと曇った。
「なんでわかったんですか?そうなんですよね…俺、なかなか人の名前覚えられなくて。店長にも覚えなきゃダメだよってよく注意されるんです。席に居る時間中は覚えてるんですよ?でも、別の席に行って話してる間に忘れちゃうんですよ…」
蛍は深刻な表情で溜息を吐きながら言い、
「みひろ先輩はお客様とかキャストさんやスタッフさん達の名前、全部覚えられてます?どうやったら覚えられますかね?」
と、それは徐々に相談の様相を呈していく。
そして実優は、みひろ先輩と呼ばれた事に何となく気を良くしてしまっていた。
「スマホのメモにでも入れときゃ良いだろ。日付けと時間と卓番と担当キャストとお客様の名前とか特徴を。話した内容とか少し書いたりしてさ。最初は名前と顔が一致しなくても、名前さえ覚えてたら何度か会えば覚えるだろうし」
「なるほど…!」
へえ~、と感心したように実優の顔を見つめる蛍。
「すごい、流石は先輩!」
「えっ、いや…これくらい普通だから」
「みひろ先輩はこのお仕事長いんですか?」
「別に…此処は2軒目で1年くらい。前のとこも1年くらいだよ」
「この業界のプロなんですね!!」
実優を見つめる蛍の瞳は、尊敬にキラキラときらめいていた。毒気を抜かれる実優。何だかこの新人やり辛い、というのがジワジワ来ている。
「みひろ先輩は、俺が初めて名前を覚えた先輩です!!」
「へ、へえ~…そう。ふうん…」
「色々教えて下さい!!」
「ま、まあ、そんなに言うなら教えてやらなくもないけど…」
「じゃ、連絡先を!教えてください!!是非!!!」
「あ、うん」
満更でもない気分で答えながら、何か忘れているような気がする実優。
…なんだっけ?
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