『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
上 下
251 / 503
第3章

7.恋愛(8)

しおりを挟む
「あ、やっぱりここですか」
 ふいにその場にそぐわないのんびりした声が響いて、美並は顔を上げた。
「あちこち探しましたよ、真崎さん……って、あれ? 弟さんも? 大石さんも?」
 上から下まで白づくめの高校生ぐらいの少年と、上から下まで黒づくめの男が美並達に近付いてくる。
 あれは確か『きたがわ』で会ったことがある源内と言う男、少年の方はハル、と呼ばれていたはずだ。
 何ということなくハルの濡れたような真っ黒な目を見返すと、相手がにこりと嬉しそうに笑った。
「?」
 何だろう、妙に親しげだけど。あれより前に会ったことがあっただろうか。 
 潤んだ視界を慌てて瞬きして、覚えがない、と美並が一所懸命記憶を探っていると、
「なんでこんなところに皆さん一緒におられるんですか。真崎さんは重要な打ち合わせのためにこちらに来られてると協議会事務所でお聞きしましたが」
 源内が訝しそうに眉を上げた。
 今どき珍しい黒髪はオールバック、さりげなく着ているシャツもスラックスもよく見ればあまり見かけないデザイン、皮靴に至っては細かな切り替えがいっぱいある特殊なもので、オーダーメイドなのかと思うぐらいだ。
 気まずい雰囲気が広がるが、誰も応じない。源内は戸惑った顔で誰に話しかけたものかと迷ったようだが、
「すみません、真崎さん」
「はい?」
「いや、お兄さんの方」
「なんだ」
「『ニット・キャンパス』、最終締め切り駆け込みのニ企業、参加させてもらうことになりそうです」
 不愉快そうな大輔も、真崎も大石もそれぞれが一気に固まった。
「えーと、つまり、桜木通販と『Brechen』、ですね」
「どういうことだ…っ」
 大輔が苛立った声を上げて立ち上がる。
 と、そちらは源内の仕事と言わんばかりに、ハルが細い手足を泳がせるように美並に近寄ってきた。
「?」
「マフラー」
「え?」
 マフラー?
「飽きた?」
 にっこり笑ったその顔の背後に、赤い夕焼けの空が広がって美並は瞬きする。
「まさ、か」
 この少年は。
「こいつが真崎さんの企画と『Brechen』を見てみたいってきかなくて。あの、前に話してたでしょう、この『ニット・キャンパス』の企画、一つはこいつのオープン・イベントが目玉なんですが、お二方の企画にひどく興味を持ったようなんです。で、桜木通販、『Brechen』の参加を通さないならやりたくない、とかごねだしちゃって」
「芸術家」
 源内が説明するのに、ハルは生真面目に付け加えた。ちろんと横目で美並を見遣り、同意を求めるように微笑む。
「はいはい。つまり、芸術家はわがままなんだ、そういうことだろ?」
「よろしく」
 ひょっとしたら、この子は。
 『ハル』ではない、もう一つの名前が浮かびかけた矢先、
「伊吹、さん」
 露骨にうろたえた声を上げて真崎が近寄ってきた。ハルに冷淡に見遣られて立ち止まり、不安そうに美並を見る。
「しかも、今回のオープン・イベント、海外からこいつの作品を見に来るって人も居るから、止めるわけにはいかないんです、そう話しましたよね、真崎さん」
「ああ、そうだな……つまり、何か、俺が一番馬鹿馬鹿しい役割りってことか」
「は?」
「不愉快だ、部屋に引き上げる。お前達も帰れ」
 大輔が唸って立ち上がったのは、自分の不利を十分自覚してのことだろう。さっきの老人のことも気になったのかもしれない。美並達を押し退けるように急ぎ足で奥のエレベーターの方へ去っていく。
 それを見送った真崎がわずかに肩から力を抜き、そっと美並を振り返った。
 終わったよ?
 疲れているけれど、どこか誇らしげな顔に、切ないような愛しいような気持ちになって頷きかけたとたん、
「みなみ」
 ハルが再び優しい声で首を傾げながら呼び掛けてきて、その笑顔に今度こそはっきり、汗に濡れた髪の匂いと、鮮やかな紅の空、繰り返し呼んだ名前を思い出した。
 そうだ、とらくん。
「…じゃあ、ほんとうに『とらくん』なんだ?」
「うん、とらくん」
 ハルは嬉しくてたまらないと言う顔で笑い返してきた。
「大きくなったねえ」
 そう、あのころは美並との間で『とらくん』で通っていた。本名は風巻、だったと思うが、本人が自分を『とらくん』としか呼ばないし応じなかった。実の両親の名前より、祖父を慕ってその名字を自分で勝手に名乗っている、そう聞いただけだ。
 とら・はる。
 そんな妙な名前もないだろうと思っていたが、オープン・イベントのスタッフで数百枚のタイルで即興の作品を造るというアーティストの本名は確か。
 『ニット・キャンパス』のチラシと記憶を頭の中で照合していって、ようやく美並は『渡来 晴』の綴りを思い出し、目の前のよく四肢の伸びた体とにこやかな笑顔に改めて驚く。
 あんな小さな男の子、髪を汗に濡らして泣き疲れて眠ってしまっていた子供が、こんなに成長しているなんて。
 しかも、『ニット・キャンパス』のメイン・イベントの一つになるような才能を発揮しているなんて。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18】こんな産婦人科のお医者さんがいたら♡妄想エロシチュエーション短編作品♡

雪村 里帆
恋愛
ある日、産婦人科に訪れるとそこには顔を見たら赤面してしまう程のイケメン先生がいて…!?何故か看護師もいないし2人きり…エコー検査なのに触診されてしまい…?雪村里帆の妄想エロシチュエーション短編。完全フィクションでお送り致します!

彼女の母は蜜の味

緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

私を犯してください♡ 爽やかイケメンに狂う人妻

花野りら
恋愛
人妻がじわじわと乱れていくのは必読です♡

【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎ ——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。 ※連載当時のものです。

処理中です...