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第3章
6.コール(2)
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「ふぅ」
「ふぅ?」
ふいに、伊吹が、退屈したようなうんざりした吐息を漏らして屈み込み、ココアのカップを取り上げた。
「まだ熱いですね」
一口呑んで、伊吹がぼそりと低い声で呟き、そのまま持ち上げる。
「何?」
大輔が戸惑った。
「そんなの、簡単です」
「は?」
「いぶ…」
「京介は私のことが好きですから」
冷やかな声。
「いくらでも声を聞かせてくれますけど?」
そんな無茶しなくても。
「あ…っ」
淡々と続けられたことばに、大輔が凍りつき、京介は一気に身体が熱くなった。堪え切れない強さで蘇った夕べの指先の記憶に、大輔の手の下で京介のものがはっきりと力を宿して押し上げる。
ぎくりとしたように大輔が手元を見下ろした次の瞬間、
「京介」
静かな声はロビーのざわめきを通してもよく聞こえた。
「スーツはおあいこにしましょうね」
「……え…?」
「逃げなさい」
逃げなさい。
逃げて、いい。
いきなり視界の後ろを光が過ったような気がした。
抵抗できない。
けど、逃げていい。
どこへ、そう問うた視線をまっすぐ受け止めて、伊吹が聞こえない声で命じる。
ここへ、来なさい。
「…っ」
体が、動く。
指先がぴくりと震えた次の一瞬、肘掛けを後ろへ押し出しながら一気に前に体を倒す。
「そんなこと、で、う、あっっ!」
逃がすまい、と覆い被さってきた大輔が次の瞬間、喚きながら飛び退った。
あ、つっ。
ぱたぱたと数滴降り落ちてきた雫、そこからも逃れるように、伊吹の方へテーブルに倒れ込みながら背後を振り返った視界に映ったのは、まるでバケツの水よろしく手にしたカップの中身を大輔にぶちまけた伊吹の姿。
「何を、このっ」
「すみません」
まともに顔から浴びたのだろう、茶色の雫を前髪からも滴らせた大輔が慌ただしく顔を手で擦っている。
「あんまり驚いたので、手がすべりました」
淡々と響く伊吹の声。大輔の悲鳴で静まり返ったロビーに、あっけらかんとした丁寧さでことばが続く。
「今まるで、大輔さんが弟さんに襲いかかったように見えたもので」
「う」
「お怪我なかったですか。お部屋を取っておられるようですから、着替えてこられますか」
「…」
「お待ちしています、本当に申し訳ありません」
「てめ…」
周囲が訝りながらもざわめきを取り戻しかけたのに、大輔がぐい、と伊吹に詰め寄る。
「このままで済むと」
「思わないで下さいね、大輔さん」
引きもせずに伊吹も体を乗り出して応じた。
「何をっ」
「真崎、大輔さん」
「ふん、今頃俺の名前を繰り返しても、もう誰も聞いちゃ……」
「大輔…っ」
このままでは伊吹が危ない。
震える脚を必死に立て直して、二人の間に割って入ろうとした京介は、伊吹が黒いスーツの胸元から取り出したものに呆気に取られた。
「伊吹…さん………それ…」
「ボイスレコーダー……最近のは性能がいいらしいです」
大輔が目を見開く。
「それは…いつから…」
「……ここへ入ってきた時からとっくに」
あなたのロクでもないことばの数々も綺麗に録音できてるみたいですけど。
大輔の顔がじんわりと白くなる。
「………そんなものが……証拠に……」
「今は虐待に関する法律も整備されつつあります。それに」
法律があなたを裁けなくても、いくらでも方法はありますよ。
伊吹が静かに笑う。
「あなたには立派な地位があるんでしょう? それこそ、青少年育成に対する責任ある地位が、あるんですよね」
ついでに今はネット社会です。
伊吹の声は穏やかで落ち着いている。
「どんな情報も瞬時に世界中に流せますよ。ただの中傷から、隠され続けた真実まで。……たとえば、あなたがおつき合いのある立派な方々にも。あなたが大切にしておられるものは、社会の評価に支えられていますよね」
この中身と、あなたが今まで築き上げてきた人生全てを引き換えにして下さるなら、それはそれで本望ですが。
ボイスレコーダーを奪おうとするように指を動かした大輔に伊吹が冷やかに続ける。
「実は携帯も通話状態になってて、今のやりとりも録音してくれているんです」
ちらっと伊吹が視線を動かした先は、さっきの団体が到着してにぎわっているフロント、どうやらスーツ姿の集団が待っていたのはその筋の女性だったらしく、一人二人と紛れ込むようにやってきた華やかな服装の女性を伴って散っていく、そのばらけていく人込みの向こうから、スーツ姿の明が携帯を耳に当てながらにやりと笑って片手をゆっくりと振ってみせた。
「ふぅ?」
ふいに、伊吹が、退屈したようなうんざりした吐息を漏らして屈み込み、ココアのカップを取り上げた。
「まだ熱いですね」
一口呑んで、伊吹がぼそりと低い声で呟き、そのまま持ち上げる。
「何?」
大輔が戸惑った。
「そんなの、簡単です」
「は?」
「いぶ…」
「京介は私のことが好きですから」
冷やかな声。
「いくらでも声を聞かせてくれますけど?」
そんな無茶しなくても。
「あ…っ」
淡々と続けられたことばに、大輔が凍りつき、京介は一気に身体が熱くなった。堪え切れない強さで蘇った夕べの指先の記憶に、大輔の手の下で京介のものがはっきりと力を宿して押し上げる。
ぎくりとしたように大輔が手元を見下ろした次の瞬間、
「京介」
静かな声はロビーのざわめきを通してもよく聞こえた。
「スーツはおあいこにしましょうね」
「……え…?」
「逃げなさい」
逃げなさい。
逃げて、いい。
いきなり視界の後ろを光が過ったような気がした。
抵抗できない。
けど、逃げていい。
どこへ、そう問うた視線をまっすぐ受け止めて、伊吹が聞こえない声で命じる。
ここへ、来なさい。
「…っ」
体が、動く。
指先がぴくりと震えた次の一瞬、肘掛けを後ろへ押し出しながら一気に前に体を倒す。
「そんなこと、で、う、あっっ!」
逃がすまい、と覆い被さってきた大輔が次の瞬間、喚きながら飛び退った。
あ、つっ。
ぱたぱたと数滴降り落ちてきた雫、そこからも逃れるように、伊吹の方へテーブルに倒れ込みながら背後を振り返った視界に映ったのは、まるでバケツの水よろしく手にしたカップの中身を大輔にぶちまけた伊吹の姿。
「何を、このっ」
「すみません」
まともに顔から浴びたのだろう、茶色の雫を前髪からも滴らせた大輔が慌ただしく顔を手で擦っている。
「あんまり驚いたので、手がすべりました」
淡々と響く伊吹の声。大輔の悲鳴で静まり返ったロビーに、あっけらかんとした丁寧さでことばが続く。
「今まるで、大輔さんが弟さんに襲いかかったように見えたもので」
「う」
「お怪我なかったですか。お部屋を取っておられるようですから、着替えてこられますか」
「…」
「お待ちしています、本当に申し訳ありません」
「てめ…」
周囲が訝りながらもざわめきを取り戻しかけたのに、大輔がぐい、と伊吹に詰め寄る。
「このままで済むと」
「思わないで下さいね、大輔さん」
引きもせずに伊吹も体を乗り出して応じた。
「何をっ」
「真崎、大輔さん」
「ふん、今頃俺の名前を繰り返しても、もう誰も聞いちゃ……」
「大輔…っ」
このままでは伊吹が危ない。
震える脚を必死に立て直して、二人の間に割って入ろうとした京介は、伊吹が黒いスーツの胸元から取り出したものに呆気に取られた。
「伊吹…さん………それ…」
「ボイスレコーダー……最近のは性能がいいらしいです」
大輔が目を見開く。
「それは…いつから…」
「……ここへ入ってきた時からとっくに」
あなたのロクでもないことばの数々も綺麗に録音できてるみたいですけど。
大輔の顔がじんわりと白くなる。
「………そんなものが……証拠に……」
「今は虐待に関する法律も整備されつつあります。それに」
法律があなたを裁けなくても、いくらでも方法はありますよ。
伊吹が静かに笑う。
「あなたには立派な地位があるんでしょう? それこそ、青少年育成に対する責任ある地位が、あるんですよね」
ついでに今はネット社会です。
伊吹の声は穏やかで落ち着いている。
「どんな情報も瞬時に世界中に流せますよ。ただの中傷から、隠され続けた真実まで。……たとえば、あなたがおつき合いのある立派な方々にも。あなたが大切にしておられるものは、社会の評価に支えられていますよね」
この中身と、あなたが今まで築き上げてきた人生全てを引き換えにして下さるなら、それはそれで本望ですが。
ボイスレコーダーを奪おうとするように指を動かした大輔に伊吹が冷やかに続ける。
「実は携帯も通話状態になってて、今のやりとりも録音してくれているんです」
ちらっと伊吹が視線を動かした先は、さっきの団体が到着してにぎわっているフロント、どうやらスーツ姿の集団が待っていたのはその筋の女性だったらしく、一人二人と紛れ込むようにやってきた華やかな服装の女性を伴って散っていく、そのばらけていく人込みの向こうから、スーツ姿の明が携帯を耳に当てながらにやりと笑って片手をゆっくりと振ってみせた。
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