『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

6.コール(3)

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 なぜ、いつの間に、明が。
 大輔だけではなく、驚いた京介の脳裏に過ったのは、昼休みに姿を消していた伊吹のこと。珍しいこと、外食ね、と石塚が呟いたのに少し不安になったけれど、ひょっとしたらあの時に明に連絡をつけていたのか。
 時間ぎりぎりで戻ってきた伊吹はいつも通りで安堵した、それでも今日は一緒に居たかったのに、そう微かに不満に思った自分が恥ずかしくなる。
「写メも性能よくなってますよね。デジカメも?」
 伊吹が微かに笑った。
 凄みのある殺気立った笑みだった。
「あなたが今何をしていたか、遠くからでも写せますよね?」
「く」
 伊吹にほのめかされて大輔がこぶしを握る。焦った視線で慌ただしく周囲を見渡す。きっと、どこに居る誰も怪しく見えているに違いない。
「画像と会話を揃えて公開されると、いつかはお子さんの眼にも触れてしまうかもしれませんね」
 憂いを帯びた声で伊吹が続けた。
「お子さんの人生も一緒に引き換えにされますか」
「脅迫するのか」
「警告です。あるいは交換条件」
 伊吹はじっと大輔を見つめている。
「あなたが京介に強いたような」
 再び同じようなことをされるなら、今の情報はただちに発信されると考えて頂けますか?
 伊吹はちらっと明に視線を投げた。
 明が頷き、そのままホテルを出て行き、夜の闇に紛れていく。似たような姿の男はたくさん居る。すぐに追っても探せないだろう。大輔が今ここから手を打とうとしても、携帯を取り出したとたんに伊吹が明に情報開示を指示することは予想できる。
 たとえここで騒ぎを起こしたとしても、揃っているのは圧倒的に大輔に不利な証拠ばかり、『ニット・キャンパス』のことにしても、最低でも実の弟だからと便宜をはかろうとした、そのために締め切りを早めて他の企業を締め出した、そう思われる可能性が高い。公になれば、大輔が身内に甘い汁を吸わせようとしたと仲間から攻撃されるだろう。
 それこそ京介の狙ったポイントだったのから、そうするわけにはいかないはずだ。
 だが、それならここで、大輔と京介の間に本当は何があったのか、そう問われた時、大輔のために真実を立証しようと言う人間、『ハイウィンド・リール』にこの時間居たと証言したい人間は、場所が場所だけ事が事だけにまた少ないだろう。彼らにも守りたい家庭や地位はあるのだから。
 ホテルマン達も大輔一人のためにホテルの体面を傷つけるような証言はしない。
 大輔の陥った苦境は、これほど多くの眼に晒されたにも関わらず、あったことにはならない。
 それは自分の状況と同じだ、と京介は気付いた。
 隠されているからこそ成り立つ脅迫。
 自分を晒す覚悟なしには暴けない罠。
 それこそ、京介が伊吹に話せずに大輔に追い詰められた理由そのもの。
 晒せるぐらいなら、始めからこんな罠には飛び込まない、罠そのものが存在しないから。
 酷い目に合っている、京介がそう周囲に、少なくとも伊吹に打ち明けられていたら。
 今伊吹に促されて動けたように、みっともなくてもはた迷惑でも、悲鳴を上げて逃げ回れたなら。
 誰かがきっと信じてくれる。
 誰かがきっと、もっとちゃんと愛してくれる。
 自分にはそれだけの価値がある。
 そう、思えさえしていたら。
「伊吹さん……僕は…」
 もっと君を信じればよかったってこと?
 僕を好きだって言ってくれる君のこと。
 君が好きだって言う自分のこと。
 それこそ、僕の切り札だって、もっと早く気づけばよかった?
「やけどしなかった?」
 震えながら側に寄り添っていくと、伊吹がハンカチでそっと首に滴ったココアを拭ってくれる。触れた指が大輔の唇が這ったところも丁寧に拭ってくれて、思わず息を吐いて伊吹の肩に額を落とした。
「うん…」
 愛して、くれてる。
「美並…」
 目の前で、見ても。
 視界が歪む。
 喉が熱くなる。
 胸が詰まる。
「みなみ…っ」
 京介を、愛おしんで、くれている。
「…そ…か」
 なぜ大輔の脅迫に応じたのか、わかった。
 なぜ繰り返し、自分からも大輔に近寄ったのか。
 一番情けない京介、みっともなくて汚くて、脆くて弱い京介も見てもらって。
 それでも、こうして受け入れて欲しかった。
 あの山の中で、貪られて吐きそうで、なのに気持ちよくなってしまった京介もろとも、伊吹に愛して欲しかった。
 見られたかっただけじゃない。愛撫されたかっただけじゃない。
 京介の全部を、愛して欲しかったのだ。
 きらり、と体の中に、何か光る、綺麗なものが見えた。
「…く…そっ」
 唸りながら大輔がどさりとソファに腰を落とす。顔を上げて振り返ると、引っ張り出したハンカチで不様に汚れた顔と首を拭い、離れたところを通り抜けようとしたウェイトレスにお絞りをいいつけて、改めてそれで顔を擦りながら唸った。
「これで…勝ったつもりか」
 馬鹿だな、お前達は。
「いくら俺を叩いたつもりでも『ニット・キャンパス』には参加できん」
 嘲笑うように唇を歪める大輔に、伊吹が京介を振仰いで微笑んだ。
「京介?」
「…は、い」
「ここから先は、京介の仕事です」
 僕の、仕事。
 揺らがない声に自分への信頼を感じ取って、京介は目を見開いた。
 今目の前で京介は大輔に押さえつけられようとしたのに、それでも伊吹は京介を信じてくれている。
 どうして?
 自分にそう尋ねたときに、さっき見えた綺麗なものが胸の奥深くで、光を増しながら固まるのを感じた。
 それは一本の刃。
 そうか。
 これ、が伊吹には見えてるんだ。
 目を閉じて、京介もそれを確認する。
 これが僕だって、伊吹は信じている。
 研ぎすまされて滑らかで、曇りがなくてしなやかで、突くべき時には寸分違わず急所を突く。
 自分はまだまだそうじゃない、そう京介にはわかっている。
 でも。
 伊吹が、そう信じるなら。
 そういう男に、僕はなりたい。
 美並が信じる男になりたい。
 体の震えが吸い込まれるように消えた。
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