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第2章
7.彼女と彼(5)
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軽い振動が伝わって8階につく。
休みの夕方のせいか人けのない廊下を揺らめきながら歩いて部屋に入る。
朝出たときは伊吹が一緒だったせいか、温かくて柔らかな空気で満ちていたのに、今は冷えてじゃりじゃりとした気配、どこに触れても怪我をしそうで体が竦む。
「薬………飲んどかないと…」
明日はまた出社しなくてはならない。
「…つ…」
テーブルに出したままの薬をミネラルウォーターで呑み下すと、ほとんど何も入っていない胃がきゅっと締まり、京介は顔をしかめて腹を押さえた。じくじくした痛みが水の冷たさでより広がった気がする。
「……おにぎり…」
食べた、かったな。
でも、あのまま伊吹を傷つけるよりはよっぽどよかったはずだ。
無理矢理自分を納得させながら、持ち帰った資料と明日必要なデータを打ち出し、まとめて鞄に入れる。主なところはノートパソコンに入っているし、それこそ高崎にはそれで十分だろうが、細田には書類形式でないとよくわからないだろう。
汗に湿った服が気持ち悪くて、脱ぎ捨てながら寝室に向かう。シャツと下着も変えたかったが、どうせすぐに濡れるだろうとそのままベッドに潜り込んでどきりとした。
伊吹の、匂い。
京介が起きて出るまで伊吹一人で眠っていたのだから、シーツにも枕にも微かな温もりと日なたのような柔らかな匂いがこもっている。
「ん…」
くんくんと枕に鼻を押しつけて匂いを吸い込むと、競り上がってくるように痛くなっていた鳩尾がゆっくり緩むのがわかった。
「…は…」
息をつく。その熱が触媒になったように香りが甘くなる。
「伊吹…さん」
突き放してしまった。遠ざけてしまった。電車に乗せて帰してしまった。
ここには居ない。もう来ない。会えるのは会社だけ。
「会社、なら」
襲いたくなっても我慢できる。抱き締めたくなっても机がある。唇を味わいたくなっても人目がある。何より、二人きりじゃないから、いくらでも歯止めがきく。
「石塚さんも…居るし」
彼女が経理とかに出てしまったときが問題だけど、メール関係は大抵伊吹が行くから大丈夫だよね、二人っきりになったりしない。
でも、もし石塚が休みをとったりしたら?
「二人…だ」
困ったな、と思った瞬間に、掠めた映像は流通管理課の扉。
「鍵…かかるんだよね」
京介も急に出ることがある。重要な個人情報や資料の類もあるから、一応無人になるときには鍵をかけることになっているし、石塚と京介の二人は鍵を持っている。
石塚が休みで、伊吹と京介二人で、データを打ち込む伊吹の横顔が秋の日射しの強さに少し紅潮したりして。ほつれた髪の毛が耳に絡んでたりして。
「……ん、ふ」
重くなってくる腰に京介は身をよじる。
想像は勝手に先に進んだ。
鍵をかける、そっと、伊吹が気付かない間に。
『伊吹さん』
背中から呼び掛けて、振り返る前に耳元にキスして。
伊吹は怒るだろう。びくり、と体を震わせて。
『職場ですよ、課長』
『わかってるよ?』
でも、伊吹さんが悪いんでしょう、そんな唇してるから。
街の中で尖らせていた濃い紅の中央に濡れたピンク色の窪み。指先をあてると深くまで銜えてくれそうだと思ってしまう自分が危ない。それこそ、指だけじゃなくて。
「……っん」
思わず腰を浮かせて窮屈になってきた状態を緩和する。下着一枚で押さえつけたものがどんどん一杯一杯になってきて、しかもぼんやり開いた視界に入ったのは枕元に畳まれて置かれていた伊吹の着ていたジャージ。
ごくり、と唾を呑み込み、布団の中に引き入れて、ためらう前に抱き締める。
「伊吹………」
中身はない。
遠くに行った。
あるのは幻、香りだけが残った、虚ろな抜け殻。
「っは…」
揺れる身体がまだるっこしくて、ジャージに噛みつく。一瞬、顔を覆った匂いに、幻よりも強い存在を感じて、それがあっという間に過ぎ去るのにうろたえて下半身に手を伸ばす。
休みの夕方のせいか人けのない廊下を揺らめきながら歩いて部屋に入る。
朝出たときは伊吹が一緒だったせいか、温かくて柔らかな空気で満ちていたのに、今は冷えてじゃりじゃりとした気配、どこに触れても怪我をしそうで体が竦む。
「薬………飲んどかないと…」
明日はまた出社しなくてはならない。
「…つ…」
テーブルに出したままの薬をミネラルウォーターで呑み下すと、ほとんど何も入っていない胃がきゅっと締まり、京介は顔をしかめて腹を押さえた。じくじくした痛みが水の冷たさでより広がった気がする。
「……おにぎり…」
食べた、かったな。
でも、あのまま伊吹を傷つけるよりはよっぽどよかったはずだ。
無理矢理自分を納得させながら、持ち帰った資料と明日必要なデータを打ち出し、まとめて鞄に入れる。主なところはノートパソコンに入っているし、それこそ高崎にはそれで十分だろうが、細田には書類形式でないとよくわからないだろう。
汗に湿った服が気持ち悪くて、脱ぎ捨てながら寝室に向かう。シャツと下着も変えたかったが、どうせすぐに濡れるだろうとそのままベッドに潜り込んでどきりとした。
伊吹の、匂い。
京介が起きて出るまで伊吹一人で眠っていたのだから、シーツにも枕にも微かな温もりと日なたのような柔らかな匂いがこもっている。
「ん…」
くんくんと枕に鼻を押しつけて匂いを吸い込むと、競り上がってくるように痛くなっていた鳩尾がゆっくり緩むのがわかった。
「…は…」
息をつく。その熱が触媒になったように香りが甘くなる。
「伊吹…さん」
突き放してしまった。遠ざけてしまった。電車に乗せて帰してしまった。
ここには居ない。もう来ない。会えるのは会社だけ。
「会社、なら」
襲いたくなっても我慢できる。抱き締めたくなっても机がある。唇を味わいたくなっても人目がある。何より、二人きりじゃないから、いくらでも歯止めがきく。
「石塚さんも…居るし」
彼女が経理とかに出てしまったときが問題だけど、メール関係は大抵伊吹が行くから大丈夫だよね、二人っきりになったりしない。
でも、もし石塚が休みをとったりしたら?
「二人…だ」
困ったな、と思った瞬間に、掠めた映像は流通管理課の扉。
「鍵…かかるんだよね」
京介も急に出ることがある。重要な個人情報や資料の類もあるから、一応無人になるときには鍵をかけることになっているし、石塚と京介の二人は鍵を持っている。
石塚が休みで、伊吹と京介二人で、データを打ち込む伊吹の横顔が秋の日射しの強さに少し紅潮したりして。ほつれた髪の毛が耳に絡んでたりして。
「……ん、ふ」
重くなってくる腰に京介は身をよじる。
想像は勝手に先に進んだ。
鍵をかける、そっと、伊吹が気付かない間に。
『伊吹さん』
背中から呼び掛けて、振り返る前に耳元にキスして。
伊吹は怒るだろう。びくり、と体を震わせて。
『職場ですよ、課長』
『わかってるよ?』
でも、伊吹さんが悪いんでしょう、そんな唇してるから。
街の中で尖らせていた濃い紅の中央に濡れたピンク色の窪み。指先をあてると深くまで銜えてくれそうだと思ってしまう自分が危ない。それこそ、指だけじゃなくて。
「……っん」
思わず腰を浮かせて窮屈になってきた状態を緩和する。下着一枚で押さえつけたものがどんどん一杯一杯になってきて、しかもぼんやり開いた視界に入ったのは枕元に畳まれて置かれていた伊吹の着ていたジャージ。
ごくり、と唾を呑み込み、布団の中に引き入れて、ためらう前に抱き締める。
「伊吹………」
中身はない。
遠くに行った。
あるのは幻、香りだけが残った、虚ろな抜け殻。
「っは…」
揺れる身体がまだるっこしくて、ジャージに噛みつく。一瞬、顔を覆った匂いに、幻よりも強い存在を感じて、それがあっという間に過ぎ去るのにうろたえて下半身に手を伸ばす。
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