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第2章
1.美並(3)
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「じゃあ、そういうことで」
「ありがとうございました」
京介は立ち上がり、相手が握手を求めてくるのに微笑みながら握り返した。と、相手がその手を握ったまま、一瞬ぼんやりした顔になって京介を凝視する。
なんだ?
改装の済んだ喫茶店『オリジン』、以前は木製の壁やテーブル、椅子で囲まれた、知る人ぞ知る落ち着いた雰囲気の店だったのが、開発が進んで賑やかになってきつつある駅前に合わせたのだろう、ステンドグラス風の枠組みに足下だけスモークにした全面ガラスの中央から入ると、片側は4~5人用テーブル、もう片側はカップル用のテーブルに分かれて配置された明るい造りになった。マスターの白いシャツに黒ベスト姿はここの売りでもあるから変わっていないが、カウンターを減らしてあるのは、求められる客にきちんとした応対をしたいというこだわりからと聞く。
その、冬場でも豊かな日射しをふんだんに取り入れるようになった席、まだまばらとは言え、半分ぐらいの席は埋まっている中で、いい歳をした男二人がじっと手を握ったままというのは、どうにもおかしい。
「あの?」
「あ、ど、どうも」
京介の声にはっとした相手は微かに赤くなって、慌てて手を離した。繕うように、はは、と照れ笑いをした相手が俯きながら、
「いや、真崎さんはハンサムですねえ」
「はい?」
「それだけかっこよかったら、女の子がほっておかないでしょう」
まるで自分がその「女の子」になったように、うろたえた顔でばたばたと鞄を持ち、失礼しました、と足早に去っていく相手に、またか、と思った。
「なに、一体」
とりあえず、ここのところ数回、似たような状況になって、いいかげんうんざりしている。商談をしているつもりだったのに、次回の話と言われて出向けば個人的な付き合いを望まれたり、こちらが準備していった書類をしつこく確認されたあげく、場所を変えないかと誘われたり、それが女相手だけじゃないところが、しみじみ微妙だ。
どさりと椅子にもう一度腰を落とし、追加のコーヒーを頼んで、眉を寄せて目を閉じる。
早く会社に戻って伊吹に甘えたい。
確かに週末は必ず一緒に過ごしてくれるようになったけれど、ニ回に一回しか泊まっていってくれないし、しかも京介のジャージを使うのはいいけれど、できればシャツ一枚とか、パジャマとか、そういう格好もそろそろ見たい。
もちろん、シャツは京介のを提供するとして、だけど。
「う」
想像してずきりとした場所にますます眉を寄せた。
ずっと御無沙汰だったせいかなあ。
伊吹と逢って、一緒に居られるようになって、そっちが一気に暴走しそうになってかなり怖い。
思わず腕で自分の身体を抱え込んで抱き締める。
早く戻りたい。
早く戻って、伊吹の顔を見て、声を聞いて、課長、と呼ばれたい。
「課長じゃないほうがいいんだけど」
京介って。
「っ」
ぎゅうっと身体を抱き締める腕に力を込めた。犯罪者にならないようにしなくちゃ、と真面目に考えるあたりがもう、かなりまずい。
「……そういうのが……漏れてるのかなあ……」
そう言えば、伊吹と週末を過ごすようになってからだ、やたらと誘われ出したのは。
「でも…」
気持ちがそっちへ走ってしまう。同じ部屋に伊吹が居るだけで、時々石塚の存在を忘れそうになる。
この前だって、伊吹が京介を見つめている、そう思っただけで何だか身体が熱くなって、その視線の先が自分の唇を探るのがわかったとたん頭も熱くなって、気がついたら舐められたのに応えるような気分でカップに舌を這わせていた。咎めるように睨みつけられるのも、気付いてくれたんだとひたすら嬉しくて、もっと見てくれるならネクタイ解くとか、シャツのボタン外してもいいとか、そういう煮詰まった思考に煽られて。
石塚が制さなければ、どこまでやったんだろうと思うと怖い。
まさかベルト外すまでは……やらなかった、だろうけど。
ふぅ、とついた溜め息は我ながら甘くて、本当にこの後もう一つ商談がなければ、とにかく一度社に戻って、どこかの部屋で伊吹に抱き締めてもらって落ち着くしかないかもしれない、そんなことを考えたとたん、
「ここ、いいですか」
硬い声が降ってきて京介は目を開けた。
目の前に一人の男が立っている。
オフホワイトのトレーナー、濃紺のスラックスに黒と灰色のリュック、片手にカップとソーサーを載せて、京介を見下ろしてくる顔は二十二、三、大学生にしては鋭くてきつい視線だ。短い黒髪もカラーリングしている世代には珍しい。
「ここ、ですか?」
京介は自分を抱いていた腕を解いて、モードを切り替えた。微笑みながら相手を見上げる。
「他にも席が空いてるようですけど」
「誰か来ますか」
「……いえ、まだ」
「来られたらどきます」
男はあっさり言い放って、京介の前にカップを置き、リュックを降ろしてすとんと座った。
「あの」
「御迷惑をおかけします」
京介のことばを相手はきっぱり遮って、ぺこりと頭を下げた。
「後ろの男が出ていったら、ぼくも立ちますから」
「後ろ…?」
「見ないで」
短く静かな制止に動きを止めると、相手は京介の肩越しに何かを眺め、小さく息をついた。
「すみません」
もう一度頭を下げて、京介に目を向け、ちょっと驚いた顔になる。
「…何?」
「いや……」
複雑な顔で俯いて、ここって綺麗なやつもいるじゃん、とぼそぼそ呟くのが聞こえる。
「姉ちゃん、一体どんな奴に引っ掛かったんだ」
「は?」
「いえ、こっちの話です」
「……もし何なら」
京介は笑みを深めた。
「僕が席を立ちましょうか。ここでなくてもいいんだし」
「いえ、居てもらったほうがいいです」
ちら、と相手は京介の背後に視線を走らせ、首を振った。
「ああ……盾、がわりね」
「すみません」
謝りはするけど、悪いとは思ってないよね、と苦笑しつつ、さっきから感じている奇妙な感覚に意識を戻す。
「男二人で黙ってるのもおかしいから」
「え?」
「何か話してましょう。……僕、君と会ったことがあるかな?」
「は?」
きょとんとこちらを見てくる視線に、どきん、と胸が微かに打つ。
そうだ、この視線に覚えがある。このまっすぐに人の心を貫くように見つめてくる目。
「俺……あなたを知らないと思います」
相手は眩そうに目を細めた。
「忘れられるような顔じゃないし」
「……それはありがとう」
何だか急に恥ずかしくなって顔が熱くなった。京介が口ごもるのに、相手が不思議そうな顔になる。しばらくためらった後、おそるおそる尋ねてきた。
「あの」
「はい」
「あなた、男、ですよね?」
「は?」
「や、だって」
口癖、にも覚えがある。
「そんなに赤くなっちゃうと、何だか、女みたいで………美形っていうより、可愛い感じするから」
蘇ったのは、物怖じせずにこちらの中身を指摘してくる容赦なくて愛おしい人のことだ。
たぶん、間違いないんじゃないだろうか。
それを確かめようとした瞬間、
「圭吾」
「っ!」
背後から響いた声に京介は固まった。
「ありがとうございました」
京介は立ち上がり、相手が握手を求めてくるのに微笑みながら握り返した。と、相手がその手を握ったまま、一瞬ぼんやりした顔になって京介を凝視する。
なんだ?
改装の済んだ喫茶店『オリジン』、以前は木製の壁やテーブル、椅子で囲まれた、知る人ぞ知る落ち着いた雰囲気の店だったのが、開発が進んで賑やかになってきつつある駅前に合わせたのだろう、ステンドグラス風の枠組みに足下だけスモークにした全面ガラスの中央から入ると、片側は4~5人用テーブル、もう片側はカップル用のテーブルに分かれて配置された明るい造りになった。マスターの白いシャツに黒ベスト姿はここの売りでもあるから変わっていないが、カウンターを減らしてあるのは、求められる客にきちんとした応対をしたいというこだわりからと聞く。
その、冬場でも豊かな日射しをふんだんに取り入れるようになった席、まだまばらとは言え、半分ぐらいの席は埋まっている中で、いい歳をした男二人がじっと手を握ったままというのは、どうにもおかしい。
「あの?」
「あ、ど、どうも」
京介の声にはっとした相手は微かに赤くなって、慌てて手を離した。繕うように、はは、と照れ笑いをした相手が俯きながら、
「いや、真崎さんはハンサムですねえ」
「はい?」
「それだけかっこよかったら、女の子がほっておかないでしょう」
まるで自分がその「女の子」になったように、うろたえた顔でばたばたと鞄を持ち、失礼しました、と足早に去っていく相手に、またか、と思った。
「なに、一体」
とりあえず、ここのところ数回、似たような状況になって、いいかげんうんざりしている。商談をしているつもりだったのに、次回の話と言われて出向けば個人的な付き合いを望まれたり、こちらが準備していった書類をしつこく確認されたあげく、場所を変えないかと誘われたり、それが女相手だけじゃないところが、しみじみ微妙だ。
どさりと椅子にもう一度腰を落とし、追加のコーヒーを頼んで、眉を寄せて目を閉じる。
早く会社に戻って伊吹に甘えたい。
確かに週末は必ず一緒に過ごしてくれるようになったけれど、ニ回に一回しか泊まっていってくれないし、しかも京介のジャージを使うのはいいけれど、できればシャツ一枚とか、パジャマとか、そういう格好もそろそろ見たい。
もちろん、シャツは京介のを提供するとして、だけど。
「う」
想像してずきりとした場所にますます眉を寄せた。
ずっと御無沙汰だったせいかなあ。
伊吹と逢って、一緒に居られるようになって、そっちが一気に暴走しそうになってかなり怖い。
思わず腕で自分の身体を抱え込んで抱き締める。
早く戻りたい。
早く戻って、伊吹の顔を見て、声を聞いて、課長、と呼ばれたい。
「課長じゃないほうがいいんだけど」
京介って。
「っ」
ぎゅうっと身体を抱き締める腕に力を込めた。犯罪者にならないようにしなくちゃ、と真面目に考えるあたりがもう、かなりまずい。
「……そういうのが……漏れてるのかなあ……」
そう言えば、伊吹と週末を過ごすようになってからだ、やたらと誘われ出したのは。
「でも…」
気持ちがそっちへ走ってしまう。同じ部屋に伊吹が居るだけで、時々石塚の存在を忘れそうになる。
この前だって、伊吹が京介を見つめている、そう思っただけで何だか身体が熱くなって、その視線の先が自分の唇を探るのがわかったとたん頭も熱くなって、気がついたら舐められたのに応えるような気分でカップに舌を這わせていた。咎めるように睨みつけられるのも、気付いてくれたんだとひたすら嬉しくて、もっと見てくれるならネクタイ解くとか、シャツのボタン外してもいいとか、そういう煮詰まった思考に煽られて。
石塚が制さなければ、どこまでやったんだろうと思うと怖い。
まさかベルト外すまでは……やらなかった、だろうけど。
ふぅ、とついた溜め息は我ながら甘くて、本当にこの後もう一つ商談がなければ、とにかく一度社に戻って、どこかの部屋で伊吹に抱き締めてもらって落ち着くしかないかもしれない、そんなことを考えたとたん、
「ここ、いいですか」
硬い声が降ってきて京介は目を開けた。
目の前に一人の男が立っている。
オフホワイトのトレーナー、濃紺のスラックスに黒と灰色のリュック、片手にカップとソーサーを載せて、京介を見下ろしてくる顔は二十二、三、大学生にしては鋭くてきつい視線だ。短い黒髪もカラーリングしている世代には珍しい。
「ここ、ですか?」
京介は自分を抱いていた腕を解いて、モードを切り替えた。微笑みながら相手を見上げる。
「他にも席が空いてるようですけど」
「誰か来ますか」
「……いえ、まだ」
「来られたらどきます」
男はあっさり言い放って、京介の前にカップを置き、リュックを降ろしてすとんと座った。
「あの」
「御迷惑をおかけします」
京介のことばを相手はきっぱり遮って、ぺこりと頭を下げた。
「後ろの男が出ていったら、ぼくも立ちますから」
「後ろ…?」
「見ないで」
短く静かな制止に動きを止めると、相手は京介の肩越しに何かを眺め、小さく息をついた。
「すみません」
もう一度頭を下げて、京介に目を向け、ちょっと驚いた顔になる。
「…何?」
「いや……」
複雑な顔で俯いて、ここって綺麗なやつもいるじゃん、とぼそぼそ呟くのが聞こえる。
「姉ちゃん、一体どんな奴に引っ掛かったんだ」
「は?」
「いえ、こっちの話です」
「……もし何なら」
京介は笑みを深めた。
「僕が席を立ちましょうか。ここでなくてもいいんだし」
「いえ、居てもらったほうがいいです」
ちら、と相手は京介の背後に視線を走らせ、首を振った。
「ああ……盾、がわりね」
「すみません」
謝りはするけど、悪いとは思ってないよね、と苦笑しつつ、さっきから感じている奇妙な感覚に意識を戻す。
「男二人で黙ってるのもおかしいから」
「え?」
「何か話してましょう。……僕、君と会ったことがあるかな?」
「は?」
きょとんとこちらを見てくる視線に、どきん、と胸が微かに打つ。
そうだ、この視線に覚えがある。このまっすぐに人の心を貫くように見つめてくる目。
「俺……あなたを知らないと思います」
相手は眩そうに目を細めた。
「忘れられるような顔じゃないし」
「……それはありがとう」
何だか急に恥ずかしくなって顔が熱くなった。京介が口ごもるのに、相手が不思議そうな顔になる。しばらくためらった後、おそるおそる尋ねてきた。
「あの」
「はい」
「あなた、男、ですよね?」
「は?」
「や、だって」
口癖、にも覚えがある。
「そんなに赤くなっちゃうと、何だか、女みたいで………美形っていうより、可愛い感じするから」
蘇ったのは、物怖じせずにこちらの中身を指摘してくる容赦なくて愛おしい人のことだ。
たぶん、間違いないんじゃないだろうか。
それを確かめようとした瞬間、
「圭吾」
「っ!」
背後から響いた声に京介は固まった。
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