『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

9.オープン・ザ・ゲイト(3)

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 大石と別れていささか落ち込みながら部屋に戻った京介は、データ入力に勤しんでるはずの伊吹が、何度もぼうっと手を止めるのに気付いた。
 さりげなく近寄って、見つけた名前に顔が強ばるのがわかる。
 圭吾。
 パソコン画面に打ち込まれた最終の文字はそうなっていて、そこでポインターが点滅している。
 なんでこういうのを見つけちゃうかな。
 出るときに微妙なキスを残したから、それを気にしてくれていないかと、本当は少し期待したのだけど。
 違うやつ、を思い出した…?
 思わず唇を噛んだ。
 大石も伊吹の綺麗な耳を愛したんだろうか。首へ伝い落ちる雫の軌跡みたいに滑らかなそこを、指でなぞったり、唇で触れたり、舌で。
「…」
 舌打ちしそうになって慌てて気配を殺した。
 イヤリングでも贈ろうか。ピアス一つ開けてないから、大粒の派手なやつをつけてもらって、そこにもう所有者がいることを示そうか。それとも細かなのを幾つも飾って、誰にも直接触れさせないようにしてしまおうか。
 それでもそんな京介の憤慨を嘲笑うように、逢ってもいない二人は片方は伊吹の癖を語り、片方は大石の名前に見愡れている。
 そこには京介の入る隙間など、これっぽっちもないように思えて、じり、と胸の底が灼けついた。
 また迷う。
 抱いてしまえばよかったんじゃないのか。
 このまま他の男に攫われて指を銜えて見送るぐらいなら、嫌われてもいいから奪ってしまえばよかったんじゃないのか。
 思った瞬間に、背中を大輔の影が掠めた。
 そんなことは簡単だ。簡単だけど、そうしたら最後、どれだけ激しい敵意と怒りを伊吹が抱えるか、どれほど苦しい傷みを生涯引きずって歩くのか、京介はよく知っている。嫌われて殺されるならまだしも、軽蔑されて虫けらを見るような眼で見捨てられる、その冷やかさを想像すると身震いする。
 嫌だ。
 伊吹に嫌われたくない。
 ふと気付くと、しばらく固まっていた伊吹が険しく眉をひそめながら、うっすらとまた赤くなった。瞬きして手元の資料を覗き込む、その眼も潤んでいるように見える。
 何だ?
 それはひどくきわどい顔で、吸い寄せられるように足音を殺して、京介も資料を覗いた。
『藍 100%』
「?」
 藍100%に、何か大石との思い出でもあるのかな、たとえば大石のパジャマがそういう色だったとか、と間抜けたことを考えてしまい、何考えてるの、僕は、と一人で突っ込んだ後に気付く。
 あい、100%。
 あい……愛。
 ぶつっと我慢が切れた。
「伊吹、さん」
 真後ろから耳元へ唇を近付けて囁く。しっかり危ない気配を加えて。
「うわっ!」
 伊吹が跳ね上がって、軽く背中をぶつけてきた。真後ろに京介が居たことにも驚いたようで、椅子ごと逃げて仰け反りながらごしごしと耳を擦る。じろっと見遣ってきた石塚に、とっさに京介もびっくりした風を装った。
「何…っ」
「す、すみません」
 だがさすが石塚、京介の動きを見ていたらしく、
「課長、おかしなことしないでくださいよ」
 あっさり指摘されて睨まれた。
「おかしなことなんかしていないよ、僕は伊吹さんを呼んだだけ」
 肩を竦めて軽く流したが、石塚は眼を緩めない。がっちりした眼鏡の奥から見つめ返す視線が痛い。不安そうな伊吹も気になって、指を廊下へ振って呼び出した。
「私のミスですか?」
「いいから」
 慌てて立ち上がってくる気配を後ろに、先に部屋を出ていく。
 何をしようって言うのかな、僕は。
 少しぼんやりしてくる頭でそう思った。
 伊吹が思い出していたのは、たぶん圭吾との甘い思い出で、それはきっと優しくて楽しいもので、京介との出来事のように怖かったり苦しかったり痛かったり、つまりは不愉快でしかない出来事ではないはずで。
 誰だって、気持ちいい方がいい。
 誰だって、安心できる相手がいい。
 伊吹が過去に自分の能力で辛い経験を抱えているのなら、それを癒せる男の方がいい。
 わかってはいる。
 十分よく理解している。
 けれど脳裏に蘇ってくるのは、温かく抱き締められて眠った夜で。
 腕の中に抱え込めたとくとく波打つ柔らかい身体で。
 いいこいいこと囁いてくれた静かで穏やかな声で。
 それでも、それはきっと京介のものではない。
 近付いてくる伊吹を見つめる自分の顔を鏡で見たくないと思った。
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