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第1章
3.オーバーラップ(3)
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「……………悔しいんだって」
真崎は虚ろな目で笑った。
「何にも努力しないで、僕にうんと愛されるのがむかつくんだって言ってたよ。………殺すつもりじゃなくて、ただ料理していたら、手に包丁があって。あっちへ行きなさい、ってやったら首にあたったんだって。血で汚れたログマットごと、部屋をそれ以上汚さないようにって『イブキ』をくるんで隠しておいて。けど、部屋には置いておけないからゴミ袋に入れてゴミ置き場に持っていったんだってさ」
「……じゃあ玄関にあったっていうのは」
「ここの管理人さんはうるさい人でね。ゴミの日以外にゴミを出すと、ちゃんと見てて戻してくるの。僕が戻ってきたら、家の前に見たことのないゴミ袋があって。中を見たら」
真崎は目を閉じた。
「追い掛けて、問いつめて、けれど、僕を好きだからだって言うんだ。それが『好き』だって言う気持ちなら、僕は金輪際そんなものは要らない…っ」
「………」
美並はこくり、とコーヒーを飲んだ。
ゆっくり瞬きして、真崎が眼を開く。暗く沈んで表情のない、山奥にある沼のような澱んだ瞳。
それが今見ているのはきっと『この世界』ではなくて、ゴミ袋を開けた瞬間なのだろう。見たくなかった、見なければよかった、なぜ今ここに自分は来てしまったのか、と真崎は繰り返し考えただろう。食べ物を分け合うように大事にしていた猫を、それを十分に知っているだろうに、いや知っているからこそやったのだ、自分の失態を隠すために生ゴミのように捨てたのだ、と言うような相手を選んで家に入れてしまった自分を酷く責めただろう。
くだらない。
人を好きになる気持ちなんてくだらない。
大切なものをこれほど容易く消してしまう、牟田も自分もくだらない。
だからどんな揉め事の中でもするりと入って冷静に判断できる、さらりとあたり柔らかくうまく捌いていける。
真崎は誰にも共感しないし同情しない、その根っこは完全中立、難攻不落の要塞みたいなものだ。そして、その表面に植えつけられているのは。
「……ねえ」
「はい」
「………僕は今、どう見えてるの」
掠れた声で真崎は尋ねた。幼い口調はずいぶん深くまで降りたことを感じさせる。だから、そっと引かなくちゃならない。これ以上踏み込める場所じゃないし、踏み込めるような関係でもない。
「………割れたガラスです」
美並は瞬きして、もう一口、コーヒーを飲んだ。
引き戻す、ゆっくりと、現実に。美並自身も。
「………なんかちょっと、わかりました」
「え?」
「……結構課長、不思議がられてたんですよ、あんなにひょろっとした外見なのに、どうして難しい揉め事もうまくおさめてしまうのかって」
「それが?」
「割れたガラスだからですね」
「割れたガラス、だから?」
「そんなものが突っ込まれたら、誰だって一瞬手を引いてしまう」
美並は真崎の困惑した顔に苦笑した。
「穏やかに言い包めるのがうまいと思ってたけど、そうじゃない、みんな、課長の奥にある割れたガラスに触って怪我をしないように無意識に攻撃を控えたんですよ」
だから、結果として真崎が乗り込んでいくと、揉め事はおさまっていく。無意識に感じるそのぎらぎらしたとげとげしさが、爆発させたら何をするかわからない、と囁いてくるから。
「……そっか…」
「武器、なくしちゃったかもしれないですね」
「え?」
「みんな安心して攻撃できるようになりますから」
「……どうかな」
真崎は苦笑いして眼鏡を外し、目元を掌で擦った。
「………まだまだ火種を持ってるかもしれないよ?」
「まあ、でも」
コーヒーを飲み終えて美並は立ち上がった。あれ、と言う顔で見上げてくる真崎ににっこり営業用微笑で応じる。
「コーヒー一杯分の仕事はしたみたいだし、私、帰りますね」
バッグを肩にかけ、ごちそうさまでした、と歩き出すと、眼鏡をかけ直した真崎がするりと目の前に立ち塞がる。
「黙って帰すと思ってる?」
低い声は微かな熱を孕んでいる。見上げた顔はどこか殺気立って、職場で見たことのない真剣さがある。
「はい」
はっきり頷いて、今度は本気で微笑んだ。
大丈夫、これだけの熱がまだあるのなら、きっとまた誰かを信じて愛せるだろう。
「……なんで?」
「だって、『イブキ』が見てますもん」
一瞬目を見開いて相手は息を呑んだ。
「じゃあ、失礼しまーす」
「……」
すたすたと玄関へ歩く美並とすれ違っても、真崎はそのまま身動き一つしなかった。
真崎は虚ろな目で笑った。
「何にも努力しないで、僕にうんと愛されるのがむかつくんだって言ってたよ。………殺すつもりじゃなくて、ただ料理していたら、手に包丁があって。あっちへ行きなさい、ってやったら首にあたったんだって。血で汚れたログマットごと、部屋をそれ以上汚さないようにって『イブキ』をくるんで隠しておいて。けど、部屋には置いておけないからゴミ袋に入れてゴミ置き場に持っていったんだってさ」
「……じゃあ玄関にあったっていうのは」
「ここの管理人さんはうるさい人でね。ゴミの日以外にゴミを出すと、ちゃんと見てて戻してくるの。僕が戻ってきたら、家の前に見たことのないゴミ袋があって。中を見たら」
真崎は目を閉じた。
「追い掛けて、問いつめて、けれど、僕を好きだからだって言うんだ。それが『好き』だって言う気持ちなら、僕は金輪際そんなものは要らない…っ」
「………」
美並はこくり、とコーヒーを飲んだ。
ゆっくり瞬きして、真崎が眼を開く。暗く沈んで表情のない、山奥にある沼のような澱んだ瞳。
それが今見ているのはきっと『この世界』ではなくて、ゴミ袋を開けた瞬間なのだろう。見たくなかった、見なければよかった、なぜ今ここに自分は来てしまったのか、と真崎は繰り返し考えただろう。食べ物を分け合うように大事にしていた猫を、それを十分に知っているだろうに、いや知っているからこそやったのだ、自分の失態を隠すために生ゴミのように捨てたのだ、と言うような相手を選んで家に入れてしまった自分を酷く責めただろう。
くだらない。
人を好きになる気持ちなんてくだらない。
大切なものをこれほど容易く消してしまう、牟田も自分もくだらない。
だからどんな揉め事の中でもするりと入って冷静に判断できる、さらりとあたり柔らかくうまく捌いていける。
真崎は誰にも共感しないし同情しない、その根っこは完全中立、難攻不落の要塞みたいなものだ。そして、その表面に植えつけられているのは。
「……ねえ」
「はい」
「………僕は今、どう見えてるの」
掠れた声で真崎は尋ねた。幼い口調はずいぶん深くまで降りたことを感じさせる。だから、そっと引かなくちゃならない。これ以上踏み込める場所じゃないし、踏み込めるような関係でもない。
「………割れたガラスです」
美並は瞬きして、もう一口、コーヒーを飲んだ。
引き戻す、ゆっくりと、現実に。美並自身も。
「………なんかちょっと、わかりました」
「え?」
「……結構課長、不思議がられてたんですよ、あんなにひょろっとした外見なのに、どうして難しい揉め事もうまくおさめてしまうのかって」
「それが?」
「割れたガラスだからですね」
「割れたガラス、だから?」
「そんなものが突っ込まれたら、誰だって一瞬手を引いてしまう」
美並は真崎の困惑した顔に苦笑した。
「穏やかに言い包めるのがうまいと思ってたけど、そうじゃない、みんな、課長の奥にある割れたガラスに触って怪我をしないように無意識に攻撃を控えたんですよ」
だから、結果として真崎が乗り込んでいくと、揉め事はおさまっていく。無意識に感じるそのぎらぎらしたとげとげしさが、爆発させたら何をするかわからない、と囁いてくるから。
「……そっか…」
「武器、なくしちゃったかもしれないですね」
「え?」
「みんな安心して攻撃できるようになりますから」
「……どうかな」
真崎は苦笑いして眼鏡を外し、目元を掌で擦った。
「………まだまだ火種を持ってるかもしれないよ?」
「まあ、でも」
コーヒーを飲み終えて美並は立ち上がった。あれ、と言う顔で見上げてくる真崎ににっこり営業用微笑で応じる。
「コーヒー一杯分の仕事はしたみたいだし、私、帰りますね」
バッグを肩にかけ、ごちそうさまでした、と歩き出すと、眼鏡をかけ直した真崎がするりと目の前に立ち塞がる。
「黙って帰すと思ってる?」
低い声は微かな熱を孕んでいる。見上げた顔はどこか殺気立って、職場で見たことのない真剣さがある。
「はい」
はっきり頷いて、今度は本気で微笑んだ。
大丈夫、これだけの熱がまだあるのなら、きっとまた誰かを信じて愛せるだろう。
「……なんで?」
「だって、『イブキ』が見てますもん」
一瞬目を見開いて相手は息を呑んだ。
「じゃあ、失礼しまーす」
「……」
すたすたと玄関へ歩く美並とすれ違っても、真崎はそのまま身動き一つしなかった。
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