14 / 512
第1章
3.オーバーラップ(3)
しおりを挟む
「……………悔しいんだって」
真崎は虚ろな目で笑った。
「何にも努力しないで、僕にうんと愛されるのがむかつくんだって言ってたよ。………殺すつもりじゃなくて、ただ料理していたら、手に包丁があって。あっちへ行きなさい、ってやったら首にあたったんだって。血で汚れたログマットごと、部屋をそれ以上汚さないようにって『イブキ』をくるんで隠しておいて。けど、部屋には置いておけないからゴミ袋に入れてゴミ置き場に持っていったんだってさ」
「……じゃあ玄関にあったっていうのは」
「ここの管理人さんはうるさい人でね。ゴミの日以外にゴミを出すと、ちゃんと見てて戻してくるの。僕が戻ってきたら、家の前に見たことのないゴミ袋があって。中を見たら」
真崎は目を閉じた。
「追い掛けて、問いつめて、けれど、僕を好きだからだって言うんだ。それが『好き』だって言う気持ちなら、僕は金輪際そんなものは要らない…っ」
「………」
美並はこくり、とコーヒーを飲んだ。
ゆっくり瞬きして、真崎が眼を開く。暗く沈んで表情のない、山奥にある沼のような澱んだ瞳。
それが今見ているのはきっと『この世界』ではなくて、ゴミ袋を開けた瞬間なのだろう。見たくなかった、見なければよかった、なぜ今ここに自分は来てしまったのか、と真崎は繰り返し考えただろう。食べ物を分け合うように大事にしていた猫を、それを十分に知っているだろうに、いや知っているからこそやったのだ、自分の失態を隠すために生ゴミのように捨てたのだ、と言うような相手を選んで家に入れてしまった自分を酷く責めただろう。
くだらない。
人を好きになる気持ちなんてくだらない。
大切なものをこれほど容易く消してしまう、牟田も自分もくだらない。
だからどんな揉め事の中でもするりと入って冷静に判断できる、さらりとあたり柔らかくうまく捌いていける。
真崎は誰にも共感しないし同情しない、その根っこは完全中立、難攻不落の要塞みたいなものだ。そして、その表面に植えつけられているのは。
「……ねえ」
「はい」
「………僕は今、どう見えてるの」
掠れた声で真崎は尋ねた。幼い口調はずいぶん深くまで降りたことを感じさせる。だから、そっと引かなくちゃならない。これ以上踏み込める場所じゃないし、踏み込めるような関係でもない。
「………割れたガラスです」
美並は瞬きして、もう一口、コーヒーを飲んだ。
引き戻す、ゆっくりと、現実に。美並自身も。
「………なんかちょっと、わかりました」
「え?」
「……結構課長、不思議がられてたんですよ、あんなにひょろっとした外見なのに、どうして難しい揉め事もうまくおさめてしまうのかって」
「それが?」
「割れたガラスだからですね」
「割れたガラス、だから?」
「そんなものが突っ込まれたら、誰だって一瞬手を引いてしまう」
美並は真崎の困惑した顔に苦笑した。
「穏やかに言い包めるのがうまいと思ってたけど、そうじゃない、みんな、課長の奥にある割れたガラスに触って怪我をしないように無意識に攻撃を控えたんですよ」
だから、結果として真崎が乗り込んでいくと、揉め事はおさまっていく。無意識に感じるそのぎらぎらしたとげとげしさが、爆発させたら何をするかわからない、と囁いてくるから。
「……そっか…」
「武器、なくしちゃったかもしれないですね」
「え?」
「みんな安心して攻撃できるようになりますから」
「……どうかな」
真崎は苦笑いして眼鏡を外し、目元を掌で擦った。
「………まだまだ火種を持ってるかもしれないよ?」
「まあ、でも」
コーヒーを飲み終えて美並は立ち上がった。あれ、と言う顔で見上げてくる真崎ににっこり営業用微笑で応じる。
「コーヒー一杯分の仕事はしたみたいだし、私、帰りますね」
バッグを肩にかけ、ごちそうさまでした、と歩き出すと、眼鏡をかけ直した真崎がするりと目の前に立ち塞がる。
「黙って帰すと思ってる?」
低い声は微かな熱を孕んでいる。見上げた顔はどこか殺気立って、職場で見たことのない真剣さがある。
「はい」
はっきり頷いて、今度は本気で微笑んだ。
大丈夫、これだけの熱がまだあるのなら、きっとまた誰かを信じて愛せるだろう。
「……なんで?」
「だって、『イブキ』が見てますもん」
一瞬目を見開いて相手は息を呑んだ。
「じゃあ、失礼しまーす」
「……」
すたすたと玄関へ歩く美並とすれ違っても、真崎はそのまま身動き一つしなかった。
真崎は虚ろな目で笑った。
「何にも努力しないで、僕にうんと愛されるのがむかつくんだって言ってたよ。………殺すつもりじゃなくて、ただ料理していたら、手に包丁があって。あっちへ行きなさい、ってやったら首にあたったんだって。血で汚れたログマットごと、部屋をそれ以上汚さないようにって『イブキ』をくるんで隠しておいて。けど、部屋には置いておけないからゴミ袋に入れてゴミ置き場に持っていったんだってさ」
「……じゃあ玄関にあったっていうのは」
「ここの管理人さんはうるさい人でね。ゴミの日以外にゴミを出すと、ちゃんと見てて戻してくるの。僕が戻ってきたら、家の前に見たことのないゴミ袋があって。中を見たら」
真崎は目を閉じた。
「追い掛けて、問いつめて、けれど、僕を好きだからだって言うんだ。それが『好き』だって言う気持ちなら、僕は金輪際そんなものは要らない…っ」
「………」
美並はこくり、とコーヒーを飲んだ。
ゆっくり瞬きして、真崎が眼を開く。暗く沈んで表情のない、山奥にある沼のような澱んだ瞳。
それが今見ているのはきっと『この世界』ではなくて、ゴミ袋を開けた瞬間なのだろう。見たくなかった、見なければよかった、なぜ今ここに自分は来てしまったのか、と真崎は繰り返し考えただろう。食べ物を分け合うように大事にしていた猫を、それを十分に知っているだろうに、いや知っているからこそやったのだ、自分の失態を隠すために生ゴミのように捨てたのだ、と言うような相手を選んで家に入れてしまった自分を酷く責めただろう。
くだらない。
人を好きになる気持ちなんてくだらない。
大切なものをこれほど容易く消してしまう、牟田も自分もくだらない。
だからどんな揉め事の中でもするりと入って冷静に判断できる、さらりとあたり柔らかくうまく捌いていける。
真崎は誰にも共感しないし同情しない、その根っこは完全中立、難攻不落の要塞みたいなものだ。そして、その表面に植えつけられているのは。
「……ねえ」
「はい」
「………僕は今、どう見えてるの」
掠れた声で真崎は尋ねた。幼い口調はずいぶん深くまで降りたことを感じさせる。だから、そっと引かなくちゃならない。これ以上踏み込める場所じゃないし、踏み込めるような関係でもない。
「………割れたガラスです」
美並は瞬きして、もう一口、コーヒーを飲んだ。
引き戻す、ゆっくりと、現実に。美並自身も。
「………なんかちょっと、わかりました」
「え?」
「……結構課長、不思議がられてたんですよ、あんなにひょろっとした外見なのに、どうして難しい揉め事もうまくおさめてしまうのかって」
「それが?」
「割れたガラスだからですね」
「割れたガラス、だから?」
「そんなものが突っ込まれたら、誰だって一瞬手を引いてしまう」
美並は真崎の困惑した顔に苦笑した。
「穏やかに言い包めるのがうまいと思ってたけど、そうじゃない、みんな、課長の奥にある割れたガラスに触って怪我をしないように無意識に攻撃を控えたんですよ」
だから、結果として真崎が乗り込んでいくと、揉め事はおさまっていく。無意識に感じるそのぎらぎらしたとげとげしさが、爆発させたら何をするかわからない、と囁いてくるから。
「……そっか…」
「武器、なくしちゃったかもしれないですね」
「え?」
「みんな安心して攻撃できるようになりますから」
「……どうかな」
真崎は苦笑いして眼鏡を外し、目元を掌で擦った。
「………まだまだ火種を持ってるかもしれないよ?」
「まあ、でも」
コーヒーを飲み終えて美並は立ち上がった。あれ、と言う顔で見上げてくる真崎ににっこり営業用微笑で応じる。
「コーヒー一杯分の仕事はしたみたいだし、私、帰りますね」
バッグを肩にかけ、ごちそうさまでした、と歩き出すと、眼鏡をかけ直した真崎がするりと目の前に立ち塞がる。
「黙って帰すと思ってる?」
低い声は微かな熱を孕んでいる。見上げた顔はどこか殺気立って、職場で見たことのない真剣さがある。
「はい」
はっきり頷いて、今度は本気で微笑んだ。
大丈夫、これだけの熱がまだあるのなら、きっとまた誰かを信じて愛せるだろう。
「……なんで?」
「だって、『イブキ』が見てますもん」
一瞬目を見開いて相手は息を呑んだ。
「じゃあ、失礼しまーす」
「……」
すたすたと玄関へ歩く美並とすれ違っても、真崎はそのまま身動き一つしなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
【ルーズに愛して】指輪を外したら、さようなら
深冬 芽以
恋愛
インテリアデザイナーの相川千尋《あいかわちひろ》は、よく似た名前の同僚で妻と別居中の有川比呂《ありかわひろ》と不倫関係にある。
ルールは一つ。
二人の関係は、比呂の離婚が成立するまで。
その意味を深く考えずに関係を始めた比呂だったが、今となっては本気で千尋を愛し始めていた。
だが、比呂の気持ちを知っても、頑なにルールを曲げようとしない千尋。
千尋と別れたくない比呂は、もう一つのルールを提案する。
比呂が離婚しない限り、絶対に別れない__。
【ルーズに愛して】シリーズ
~登場人物~
相川千尋《あいかわちひろ》……O大学ルーズサークルOG
トラスト不動産ホームデザイン部インテリアデザイン課主任
有川比呂《ありかわひろ》……トラスト不動産ホームデザイン部設計課主任
千尋の同僚
結婚四年、別居一年半の妻がいる
谷龍也《たにたつや》……O大学ルーズサークルOB
|Free Style Production《フリー スタイル プロダクション》営業二課主任
桑畠《くわはた》あきら……O大学ルーズサークルOG
市役所勤務、児童カウンセラー
小笠原陸《おがさわらりく》……O大学ルーズサークルOB
|Empire HOTEL《エンパイアホテル》支配人
小笠原春奈《おがさわらはるな》……陸の妻
|Empire HOTEL《エンパイアホテル》のパティシエ
新田大和《にったやまと》……O大学ルーズサークルOB
新田設計事務所副社長
五年前にさなえと結婚
新田《にった》さなえ……O大学ルーズサークルOG
新田大斗《にっただいと》……大和とさなえの息子
亀谷麻衣《かめやまい》……O大学ルーズサークルOG
楠行政書士事務所勤務
婚活中
鶴本駿介《つるもとしゅんすけ》……楠行政書士事務所勤務
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
嘘つき同士は真実の恋をする。
濘-NEI-
恋愛
都内郊外のリゾートホテルでソムリエとして働く瑞穂はワイン以上にゲームが大好き。
中でもオンラインゲーム〈グラズヘイム〉が大好きで、ロッソの名前でログインし、オフの時間と給料の全てを注ぎ込むほどのヘビーユーザー。
ある日ゲーム仲間とのオンライン飲み会で、親から結婚を急かされている話を愚痴ったところ、ギルマスのタラントの友人で、ゲームの中でもハイランカーのエルバに恋人役を頼めば良いと話が盛り上がり、話は急展開。
そしてエルバと直接会うことになった瑞穂だったが、エルバの意外な正体を知ることに⁉︎
Rシーンは※
ヒーロー視点は◇をつけてあります。
★この作品はエブリスタさんでも公開しています
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ズボラ上司の甘い罠
松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。
仕事はできる人なのに、あまりにももったいない!
かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。
やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか?
上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる