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第一章 再誕者の産声
暗黒の末裔ゲンゼディーフ
しおりを挟む心の奥にしまってあった黒い泥があふれてきた。
人間はよくできてると言ったが、あれは嘘だ。
一度、刻まれた傷は消える事なんてない。
こんな劣等感思い出したくなんかなかった。
「「「こいつやっちおうぜー!」」」
暴風が金色の稲穂をふきあげていく。
螺旋を描く大気が牙をもってうねり声をあげる。
3人の少年は悲鳴をあげて、視界をとざし恐怖から逃れようとする。
頭を抱える3つのゴミを風に巻いて空へ打ちあげた。
きたねえ花火だ。
数秒の浮遊を楽しんでくれただろうか。
3人は小麦畑のなかへ消えていった。
「いってえ、ぇ……痛いよぉ、ぉ……っ、ぐすん」
「あいつなんだよ、ォ。いきなり、でてきやがって……」
「う、うう、ぅ、うわあ、ぁ……っ」
子供らの俺を見る目には、ありありと恐れの色が浮かんでいた。
「やばい、殺される、ぅう! 」
「ごめんなさい、許じてくだじゃい、ぃ……!」
「うわああ、ママぁあ! もうわるいことしない゛……!」
あざだらけになって体を抱えて、脱兎のごとく逃げていった。
とんだ挨拶回りになってしまったな。
「す、すごい……あんなに自由に魔力をあやつって……」
「大丈夫ですか」
俺は水路の底へ声をかけた。
尻餅ついて、こちらをぽかんと見つめてくる瞳と目があった。
泥で顔も服も汚れている。
髪が長いので、たぶん女の子だろう。
外見には気になるところがあった。
耳である。頭から耳が生えている。
恐る恐る腰あたりをみやれば、濡れてしぼんだ尻尾もあった。
昔、アディの冒険者仲間に獣人がいたらしい。
聞いた時は、そんなものがいるわけがない、と思ったものだが……。
「ひとりで出てこれますか?」
俺という人間は、基本は誰にでも敬語である。年下でも。
こうすると相手へのリスペクトをたもてる。
「そこからひとりで上がってこれますか?」
「……あ、あの、え、えっと」
要領を得ない声がかえってくるばかりだ。
どうしたものか困った。
今年で実に41年ものの熟成ビンテージ童貞となった俺なわけなので、とても女性とうまく話せる気がしない。
自分と同い年くらいの少女でも難易度は高い。
言葉で語るのが苦手なので、とりあえず行動で示す。
俺は水路に降りた。ひざ丈ほどの浅い水深だった。
「立てないのなら手伝いますよ」
俺は少女に手をさしのべる。
「ごめんなさい。その……服を汚させてしまって」
「よかった。どこも怪我はないみたいですね」
「……」
「? どうかしました?」
泥だらけのちいさな顔はまじまじと俺を見つめている。
「驚いていました」
「さっきの魔術のことですか」
「それもですね。あれほどの広範囲魔術を操る人を初めて見たので……でも、それじゃないです。いや、魔術もすごいとは思うのですけど……わたしが驚いてるのは、その……わたしに親切にしてくれる人にはじめて会ったので」
ふむ。複雑な背景を察さざるを得ないな。
「僕は獣人に詳しくないのですが……失礼を承知で訊きますが、あなたは、なにか差別をされるような立場なんですか?」
アディたちから、獣人に関して悪い話は聞かなかったけどな。
「わたしの毛色を見ればわかると思いますよ」
「色?」
「あと耳とか、尻尾とかのカタチというか」
いまは泥で汚れていて、何がなんだかわからない。
「とりあえず、上にあがりますか」
彼女の手をとって、水路からひきあげた。
≪ウォーラ≫で水を生成してかけてあげる。
「冷たっ……あ、ごめんなさい、せっかく洗ってもらったのに、文句じゃないですよ、ちょっとヒヤッとしただけで」
「謝るのは僕のほうです。配慮がたりなかった。すみません」
俺は右手で≪ファイナ≫を、左手で≪ウォーラ≫を使う。
本当は≪ウォーラ≫の操作で水を集積したほうが魔力効率はいい。
が、彼女の目の前で泥水をくみあげるわけにいかない。
ので、水を生成して、それを≪ファイナ≫の生成で火の魔力をつくって温める。
ものの30秒ほどで20リットルのお湯をつくると、それを「今度のは温かいです」と勧告してから、かけてあげる。
少女はぎょっと身構えたが、すぐに極楽といった表情になった。
「す、凄い魔術ですね……っ!」
少女は感動してくれたようだった。
≪ファイナ≫を覚えていて本当によかった。
大変喜んでいるらしいところで、彼女をちらっと観察してみた。
まだほんの子供だが、綺麗な顔立ちをしている。
漆黒の髪は、夜を切り取ったようだ。艶めいていて綺麗である。今はホカホカしていて、なんだかいい匂いもする気がする。錯覚でしょうか。錯覚ですね。
瞳は夏の空に鮮やかな蒼穹《そうきゅう》のようだ。
目に宿るまっすぐな光は、誠実な意志が灯っている。
総評として、とても大人びた印象の美少女だ。
「こほん。あの」
「なんですか?」
「その……そんなに見られると恥ずかしいのですが……」
少女は顔をうつむかせて、頬を淡く染めていた。
一生の不覚。まさか、見とれるなんて。
「あっ、ご、ごめ、す、すみません……」
「ふふ、いえ、そんな畏まらないでください。獣人なので、そういう視線には慣れてるんですけどね。……それで、気がついてくれましたよね、私の種族」
そっか。耳と尻尾を見ろと言っていた。
「黒いですね」
「……それだけですか?」
「すみません、教養がなくて」
「こほん。仕方のない人ですね。いいですか、黒い毛並みのオオカミ獣人は、『暗黒の獣』の末裔と言われているんです」
暗黒の獣、聞いたことがある。
むかし、アディとエヴァが仮装して劇をやってくれたことがあった。
ずっと真顔のままで人生に退屈しているように見えた赤ちゃんの俺を、必死になって楽しませようと頑張ってくれたのだ。
その時の題材が『暗黒の獣』だった。
暗黒の獣は悪魔にたましいを売った悪い獣人だ。
伝説では太古の世界で暴虐のかぎりをつくした厄災《やくさい》とされている。
少年たちが彼女をいじめていた理由はこれか。
「それで、あなたが暗黒の獣の子孫だと」
「そのとおりです。これで恐ろしさがわかっていただけましたね?」
正直あんまりピンとこない。
日本に鬼の子孫の鬼塚さんがいたところで「だから何?」としか反応しようがないと俺は思うのだが。
「そんなに恐ろしいものですかね、子孫って」
「わからないんですか? 暗黒の獣はたくさんの人間を喰い殺してしまったのですよ!」
少女は両手をあげて、がおーっと口を開いた。
恐い顔のつもりだろうか。ただ可愛いだけです。
童貞はそういうことされると、すぐ相手を好きになっちゃうので気をつけてくださいね。ほんと。
「……あ、あの、恐くないですかね?」
「怖がった方がよかったですか?」
「うぅ……や、やめてください。同情されるのが、一番つらいので」
少女は恥ずかしそうに目元をふせ、顔を両手で覆った。
「まあ、その、今回はありがとうございました……お礼をしなくてはいけませんね。なにかわたしにできることはありますか?」
羞恥にそまった空気を仕切りなおすように少女は言った。
お礼だなんて律儀なことだ。
子供の相手は得意じゃないが、この子は理知的だ。とても接しやすい。
俺はなにを彼女にお願いするか考えて、ポンッと手を打った。
「それじゃあ、質問に答えてください」
「はい、答えられるものなら」
「あなたはクルクマに住んでるんですか?」
「そうですよ。この小麦畑のむこうです。3日前に引っ越して来たばかりなんです」
「それじゃあ、なにか困ったことがあったら、アルドレア家にお越しください。だれかがあなたに嫌がらせをしていると聞いたら、必ずなんとかしてみせます」
「服が良い物だと思っていましたが、あなたはこの村の騎士貴族なのですか?」
「ええ。そういえば、名乗ってませんでしたね。アーカム・アルドレアです」
差し出した俺の手を、握るかどうか少女は迷っているようだった。
この状況が、俺に古い記憶を呼び覚ました。
あれは中学2年生の夏の林間学校。
男女混合ファークダンスで俺の手汗が理由でペアの女子に泣かれた。
林間学校から帰った俺のあだ名は『手汗転生』だった。
俺は暗い気持ちになりながら、手をさげる。
微妙な空気が俺と少女のあいだに流れていく。
なにを舞い上がっていたんだろう。俺は。愚かな男だ。
しばらくの沈黙ののち、少女は口を開く。
「…………本当にいいんですか? わたしは暗黒の末裔です。迫害されて当然の存在なのに」
「……。ロジカルに考えて、迫害されて当然な事象なんて、この世にさほどないはずですよ」
論理と理性で紐解けば、この世のすべての差別に意味がないことは明白だ。
デブスは迫害されても仕方ないとは思うが、そこに論理的正当性なんか微塵もないことは俺がよく知っている。
いじめてきたやつら相手に「お前たちの持つ嫌悪感には正当性がない! 僕をこれ以上いじめるなら、自分たちの事を原始的・本能的にしか動けない猿と自覚したうえでかかってこい!」とブチぎれながら主張したことが一度だけある。
お察しの通り、この時、腹を延々と蹴られつづけ、あやうく殺されかけた。
理不尽な世の中で、正義を通すことは、まこと難しい。
間違っていても、声がデカいほうが勝ってしまうんだから。
「だから、僕は君が人間をパクパク食べていないのであれば、迫害なんか決してしません。約束しますよ」
「……あははっ」
少女は朗らかに笑みをつくった。
「わたしはゲンゼディーフです。差別しないとおっしゃていたので、ひとつお願いをしてもいいですか、アルドレア様」
「アーカムでいいですよ」
「それじゃアーカムで。わたしのことはゲンゼと呼んでくれますか?」
俺のような木っ端にニックネーム呼びをさせてくれるんですか?
「アーカム?」
「は、はい。……なんですか、ゲンゼ」
「こほん。もうひとつお願いがあるのです」
「……」
「アーカム、わたしとお友達になってくれますか?」
俺はごくりと生唾を飲みこむ。
決して噛まないように、慎重に答える。
「喜んで」
俺、ゲンゼ、好き。結婚してください。
俺は自分の単純さに呆れかえりながらも、なにかが始まる予感に胸の高鳴りをおさえられなかった。こんな気持ちになったのは、いったいいつぶりだろうか。
───こうして二度目の人生にて、ようやく俺に友達ができた
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