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第90話 庭園でのひととき
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分厚いカーテンの隙間から舞い込む朝風。秋特有の香りに誘われ、意識を覚醒させる。重い瞼を上げる。視界はまだ靄がかかっているかのように不鮮明だ。ようやく視界が慣れてきた頃、吊るされた時計が目に入る。それを見た彼女は、文字通り飛び起きた。
「うそっ……!」
ラダベルはベッドから急いで下りて、窓辺に向かう。ほんの少しだけ開いていた窓を全開に開け放った。風が吹き荒れる。衝撃で目を瞑った。宙で波を描く髪を押さえつけ、目を開く。軍施設がある方角を見遣ると、そこには行列を成して国境の壁へと向かう軍勢の姿があった。肉眼では見えないが、軍勢の先頭には恐らくジークルドがいるであろう。紫色の宝石の簪に彩られた癖のない白銀色の長髪が揺れる様を思い浮かべる。
「ジークルド様、どうか、ご無事で……」
ラダベルは、ジークルドの無事を天に祈ったのであった。
軍人たちが出発したためか、どこか城は閑散とした空気に包まれていた。ラダベルは秋の花々が咲き誇る庭園にいた。今日はガゼボではなく、白塗りのベンチに座っている。本を開いて、優雅なひとときを過ごす。ジークルドは戦場に無事到着しただろうか。まだ、だろうか。
ルシュ王国の残党、ヴォレン王国軍、それから老若男女関係なく戦争に参戦するアレシオン教国軍。その全てを、ジークルド率いる軍が相手にするのだ。無事であってほしい、怪我をしないでほしい。ラダベルは再度、神に願ったのであった。
ジークルドのことばかり考えてしまうため、なかなか本に集中できない。ラダベルは、そっと本を閉じる。
「集中、できませんか?」
傍に控えていたセリーヌに、声をかけられる。ラダベルは頷く。
「セリーヌ、隣に座ってくれる?」
「……で、ですが」
「いいから。少しお話をしましょう」
ラダベルが自身の隣に座るよう手で促すと、セリーヌは怖々としながら近づいてくる。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
セリーヌが着座する。ちょうど良い機会だ。セリーヌに「あのこと」を聞いてやろう。セリーヌの整った顔立ちを見つめて、ラダベルはニヤリと笑った。セリーヌは、冷や汗を流す。
「この前、私ね、目撃しちゃったの」
「目撃、ですか?」
「えぇ。セリーヌとウィルが仲良くお話しているところを」
セリーヌは瞠目する。明瞭に反応して見せる彼女に、ラダベルはビンゴ、とでも言いたげに、ほくそ笑む。
「水臭いわね。ウィルとお付き合いをしているんだったら言ってくれたっていいのに」
ラダベルはぷくっと頬を膨らませて、可愛らしく拗ねる仕草をする。セリーヌは彼女の嘆きに、大量の疑問符を浮かべる。セリーヌの頭上を覆い尽くすほどの、尋常ではない量だ。あまり意味を理解できていないらしい。そんなセリーヌに、ラダベルはもう一度分かりやすく言ってあげよう、と口を開きかけたその刹那、セリーヌの顔面からボンッと火が出る。ようやく分かったようだ。なぜそんなに顔を赤くする必要があるのか。ラダベルは、首を傾げる。
「まさか、付き合いたて? 初々しいカップル?」
ラダベルが怒涛に問いかける。セリーヌは顔をさらに紅潮させ、両手で顔を覆い尽くした。
「……だ……つき……って……せん…………」
今にも消え入りそうな声が聞こえてくる。ラダベルは眉間に皺を寄せる。
「なんて?」
照れているセリーヌに再度同じことを言わせるのは鬼畜の所業かもしれないが、聞こえないものは聞こえないのだから仕方がない。ラダベルが彼女の言葉を待つ。突如彼女は顔を上げて、ラダベルと向き合った。
「まだ、付き合っていません……! 私の片思いです!!!」
唐突に大声で叫ぶセリーヌ。いつもは聖母の如く見守ってくれる彼女がまさかこんな大声を出すことができるとは。ラダベルは度肝を抜かれた。
「……片思い?」
「はい……。私はこの城に侍女として仕え始めた時から、ウィル様のことが、好き、なんです……。一目惚れなのです」
「え~! ロマンチックだわ!」
「……ですが、ただの侍女の私と、旦那様の側近であらせられるウィル様とでは、不釣り合いで……なかなか話ができなかったのです。だから……」
セリーヌの心の内を聞いたラダベルは、納得した。
ウィルと対等とまではいかなくとも、少しでも彼に近づくために、誰もやりたがらなかったような悪女ラダベルの専属侍女を買って出たのか。セリーヌの思惑を瞬時に理解した。
「なら、今は話せてるわよね」
「それ、なりには……」
「よかったわね。あなたが勇気を出して私の侍女に立候補してくれたからよ」
ラダベルがセリーヌの肩に触れながら、微笑む。
「怒って、いないのですか?」
「……本音を言うと、少しだけ悲しいかもしれない。だけど私の噂を聞いていたならば当然のこと。誰もやりたがらなかった専属の侍女にあなたが立候補してくれた。それだけで、十分嬉しいわ」
セリーヌは今にも泣き出しそうになった。チェリーレッドの瞳が涙で潤む。ラダベルは彼女の目元に触れようと手を伸ばす。すると、ガサガサと何やら物音が聞こえた。そちらを見ると、大勢の側近と侍女を連れたカトリーナが立っていた。
「うそっ……!」
ラダベルはベッドから急いで下りて、窓辺に向かう。ほんの少しだけ開いていた窓を全開に開け放った。風が吹き荒れる。衝撃で目を瞑った。宙で波を描く髪を押さえつけ、目を開く。軍施設がある方角を見遣ると、そこには行列を成して国境の壁へと向かう軍勢の姿があった。肉眼では見えないが、軍勢の先頭には恐らくジークルドがいるであろう。紫色の宝石の簪に彩られた癖のない白銀色の長髪が揺れる様を思い浮かべる。
「ジークルド様、どうか、ご無事で……」
ラダベルは、ジークルドの無事を天に祈ったのであった。
軍人たちが出発したためか、どこか城は閑散とした空気に包まれていた。ラダベルは秋の花々が咲き誇る庭園にいた。今日はガゼボではなく、白塗りのベンチに座っている。本を開いて、優雅なひとときを過ごす。ジークルドは戦場に無事到着しただろうか。まだ、だろうか。
ルシュ王国の残党、ヴォレン王国軍、それから老若男女関係なく戦争に参戦するアレシオン教国軍。その全てを、ジークルド率いる軍が相手にするのだ。無事であってほしい、怪我をしないでほしい。ラダベルは再度、神に願ったのであった。
ジークルドのことばかり考えてしまうため、なかなか本に集中できない。ラダベルは、そっと本を閉じる。
「集中、できませんか?」
傍に控えていたセリーヌに、声をかけられる。ラダベルは頷く。
「セリーヌ、隣に座ってくれる?」
「……で、ですが」
「いいから。少しお話をしましょう」
ラダベルが自身の隣に座るよう手で促すと、セリーヌは怖々としながら近づいてくる。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
セリーヌが着座する。ちょうど良い機会だ。セリーヌに「あのこと」を聞いてやろう。セリーヌの整った顔立ちを見つめて、ラダベルはニヤリと笑った。セリーヌは、冷や汗を流す。
「この前、私ね、目撃しちゃったの」
「目撃、ですか?」
「えぇ。セリーヌとウィルが仲良くお話しているところを」
セリーヌは瞠目する。明瞭に反応して見せる彼女に、ラダベルはビンゴ、とでも言いたげに、ほくそ笑む。
「水臭いわね。ウィルとお付き合いをしているんだったら言ってくれたっていいのに」
ラダベルはぷくっと頬を膨らませて、可愛らしく拗ねる仕草をする。セリーヌは彼女の嘆きに、大量の疑問符を浮かべる。セリーヌの頭上を覆い尽くすほどの、尋常ではない量だ。あまり意味を理解できていないらしい。そんなセリーヌに、ラダベルはもう一度分かりやすく言ってあげよう、と口を開きかけたその刹那、セリーヌの顔面からボンッと火が出る。ようやく分かったようだ。なぜそんなに顔を赤くする必要があるのか。ラダベルは、首を傾げる。
「まさか、付き合いたて? 初々しいカップル?」
ラダベルが怒涛に問いかける。セリーヌは顔をさらに紅潮させ、両手で顔を覆い尽くした。
「……だ……つき……って……せん…………」
今にも消え入りそうな声が聞こえてくる。ラダベルは眉間に皺を寄せる。
「なんて?」
照れているセリーヌに再度同じことを言わせるのは鬼畜の所業かもしれないが、聞こえないものは聞こえないのだから仕方がない。ラダベルが彼女の言葉を待つ。突如彼女は顔を上げて、ラダベルと向き合った。
「まだ、付き合っていません……! 私の片思いです!!!」
唐突に大声で叫ぶセリーヌ。いつもは聖母の如く見守ってくれる彼女がまさかこんな大声を出すことができるとは。ラダベルは度肝を抜かれた。
「……片思い?」
「はい……。私はこの城に侍女として仕え始めた時から、ウィル様のことが、好き、なんです……。一目惚れなのです」
「え~! ロマンチックだわ!」
「……ですが、ただの侍女の私と、旦那様の側近であらせられるウィル様とでは、不釣り合いで……なかなか話ができなかったのです。だから……」
セリーヌの心の内を聞いたラダベルは、納得した。
ウィルと対等とまではいかなくとも、少しでも彼に近づくために、誰もやりたがらなかったような悪女ラダベルの専属侍女を買って出たのか。セリーヌの思惑を瞬時に理解した。
「なら、今は話せてるわよね」
「それ、なりには……」
「よかったわね。あなたが勇気を出して私の侍女に立候補してくれたからよ」
ラダベルがセリーヌの肩に触れながら、微笑む。
「怒って、いないのですか?」
「……本音を言うと、少しだけ悲しいかもしれない。だけど私の噂を聞いていたならば当然のこと。誰もやりたがらなかった専属の侍女にあなたが立候補してくれた。それだけで、十分嬉しいわ」
セリーヌは今にも泣き出しそうになった。チェリーレッドの瞳が涙で潤む。ラダベルは彼女の目元に触れようと手を伸ばす。すると、ガサガサと何やら物音が聞こえた。そちらを見ると、大勢の側近と侍女を連れたカトリーナが立っていた。
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