幻の国

紫草 友紀子

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第三章 王都奪還

第二十七話 王都奪還

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ククリは音のない暗闇の中、自分が在るのを確認していた。

 ここは異界である。未だかつて来たことはないが、サクヤが以前に話していたことを思い出していた。

 神との対話は通常、神を自分たちの暮らす場所へと降ろすものだが、神の力が強すぎたり気位の高い神の場合、こちらが「あちらの世界」に引き込まれることがあるのだという。大神こそが唯一の神であるとする豫国では、他の神霊と対話すること自体稀であるが、サクヤは以前、何度か異界に行ったことがあると言っていた。
 つまりこれは、神の呼ばれたのだとククリは解釈した。
 ククリは暗闇を恐れず、声と心で呼びかけた。

 するとうっすらとした細長い微弱な光が、目の前に現れた。まるで宙に浮かぶ小さな蛇のような姿である。

 その小さな光で気づいた事だが、足元はまるで水面のような場所であり、だが不思議とその水面には立つことが出来ているのだった。
 小さな蛇は水面に波紋を広げながら、やがて人の形を取ってククリ前に姿を現した。
 ククリが驚いたのは、その人物の姿である。
 自分だ。鏡や水面に映ったように自分の姿がそこにあった。顔かたち、背丈、真白な衣と耳飾り首飾りまで何から何まで同じである。ククリは最初もしやここに鏡があるのではと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。

(これは神が私を試しているのだ)

ククリはそう悟ると、続けて神に呼びかけた。

「私の名はククリと申します。あなたは誰ですか」

すると、目の前の自分を姿をした者はうっすらと笑った。

「私の名はない。万物に名をつけるという特権は、もはやお前たち人間にある故。だが、人々が私を阿蘇の神だと呼んでいるのは知っている。教えておくれ、人の子よ。阿蘇の神というのが私の名か」

 ククリはその場に跪き、恭しく応えた。

 「はい。それがあなた様の名でございます。けれども、わたくしはもっと相応しく麗しい名をあなた様に捧げる事が出来ます」 

「なるほど、その代わりに私の力を貸してくれと言うのだろう。人はそのようにして神の力を借りるのだったな。私は筑紫の神の王と言われている故、この地の小さな神々の声が聞こえるのだ。我らは根源で全て繋がっているゆえ」

「阿蘇の神よ。名を受け取って頂けますか」

 阿蘇の神は、ククリに近寄って優しく顎を上げさせ、しばらく黙って見つめた。神の瞳の奥が見える。気を抜けば吸い込まれてしまいそうなほど、深い瞳と視線である。

「人の子よ。何故私の、神の力を欲する」

「倭国の弥栄のために」

 その瞬間、ククリの前に閃光が走った。ククリは身体を弾かれ、漆黒の後方へと吹き飛ばされる。呆然としつつ激しい背中の痛みを堪えるククリに、阿蘇の神は厳しい声で言った。

「嘘をつけ。痴れ者め」

 未だかつて、そのような言葉を受けたことのないククリは、信じられないという気持ちで目の前の神を見た。

 姿は間違いなく自分であるが、その五体から溢れているのは人智を遙かに超えた怒気だった。

「う、嘘ではありません。私は倭国のためにこの地に・・・」

「笑わせる。お前が倭国を、この筑紫を案じているというのか」

 ククリは痛みを堪えてその通りだと叫ぶように訴えた。

「違う。お前は、自らの欲のためにここに来たのだ。自らが女王となるため、この地の統治者になるために来たのだ」

「それを我らの大神が望んだからです」

 再び閃光が走り、ククリは投げ飛ばされた。

「私を騙そうとしても無駄だ。お前は、本来ここに来るべき者ではなかった。だが、お前はつまらぬ小細工をしてここに来るという運命を奪ったのだ」

 ククリは顔を青くした。どうして、その事を豫国から遠く離れたこの阿蘇の神知っているのか。

「小さき神々を侮りおって。私は、見ている。聞いている。知っている。天地、万物全てに私の一部があるのだ。お前は巫女でありながら、そんな事も知らぬか」

 最後のあたりは、心底不思議がっているようだった。

「我らが一番許せぬもの。それは偽りだ。お前の人生と魂は、偽りにまみれている」

 その言葉は、さすがにククリの誇りを傷つけた。まるで自分の全てを否定されたような物言いである。一体、何を根拠にそのようなことを言われなければならないのか。
 もはやこの神と契約を交わすことは不可能である。だが、それでもここまでの暴言を言われる覚えはなかった。

「お前は、自らの運命を切り開くと嘯いていたな。その事に気持ちよさを感じていただろう。私は、人が運命を切り開くことは否定しない。かつては、人の運命は神が定めていたが、人の数が増えると人の運命と運命がぶつかりあい、神々の思いも寄らない事態を引き起こすことが多くなった。その為、人の意思の力が神の与えた運命に影響を与えることを認めざるを得なくなったのだ。だが、お前は運命という言葉を弄んでいる」

「そんな・・・」

「お前がここに来た理由は、なんだ。そう問われると、お前はいつも豫国の大神からの使命と言い、自分がこの地で女王になるのは定めなのだと言う。だが、違う。お前がこの地に来たのは、お前が選んだからだ。神からの使命や加護など関係ない。自分の選択を神授だと偽っているではないか。人はその言葉にお前を尊い者だと錯覚し、崇めるだろう。だが、神はだませぬ。

 何故、この地に来たのも、女王になるというのも自分の意思であり、欲と言うことを認めない。それを誇りとしない。お前は、自分の意思と、神の意思と、運命という言葉を都合の良いように利用している。そのような者は最も恥ずべき者である」
 ククリは身体の震えが止まらなかった。自分の弱いところ、醜いところが全て暴き出されたような屈辱と羞恥、そして喪失感が襲ってくる。身体がどんどん冷えていっているのが分かる。自分は、この場に飲み込まれていっているのだ。

 身体が凍えるようになる中、ククリは意を決して叫んだ。

「私は、この地の女王になりたい。誰が決めたのでもない。私の意思で」

 その言葉に阿蘇の神はにやりと笑った。しかしそれは祝福の笑顔でも歓喜の表情でもなかった。
 次の瞬間、ククリと寸分違わぬ姿だったはずの相手の顔が激変した。目が顔の半分ほども大きくなり、地のように赤い口が大きくなり、佳麗だった姿は異形の者へと変化していった。
 あれほど冷ややかだった周囲は急にむせかえるほどの暑さになり、冷たい暗闇は灼熱の朱へと変わっていた。
 静寂は轟々と響く地鳴りのような音に打ち破られ、まるでこの場所が何処かへと移動しているかのようである。

 そう、遙かなる地の底へ。

「どの口がそう言うのか! お前はこの地の何を知っている。お前がこの地に来て今日までの間、どれほどこの地の事を知った? お前は今日までの間、筑紫の野山をかけたことがあるか。広大な草原とそこに浮かぶ夕日に涙したことはあるか。この地の風習、人々の笑顔と苦しみ、それを見たのか。いやお前は知らない。お前はこの地でそのほとんどを籠もるように宮で過ごし、外部との接触を避けてきたではないか」

「それは穢れをさけるため」

「ふっ、宮に籠もってぎらぎらと野心をみなぎらせておきながら、穢れもくそもないわ。

 ここは筑紫である。豫国とは違うのだ。人々と交わり、そして愛すべきものこそ王に相応しい」
 その時、ククリの耳と首元の白玉が輝きだした。主の危険を感じて、守ろうとしているのだ。

「ふん、この地で採れた白玉か。健気な美しさよ。だが、どうして勾玉を身につけていない? あれはこの地では祭祀に欠かせぬものだというのは、お前も知っていように。お前はこの地の風習よりも、故郷の風習を優先したのだろう。この地の王になろうという者が、この地ではなく自国の考えを優先するとはなんたることか。その地の風習とは、その地の人々の生命の連なりぞ。お前はまだ豫国の、異国の女だ。この地の王になど、到底慣れぬ。私がさせぬわ」

 とたんに灼熱の熱さがククリを取り巻いていく。あれほどしずやかだった足元は激しく揺れだし、地鳴りも聞こえてくる。
 次第に妙な匂いもしてきて、それが自分の衣服や皮膚が焼かれている匂いだと分かると、ククリは悲鳴を上げた。
 だがそうしたところで何も変わらず、ククリの意識は遠くなっていった。

 その後ククリが見たのは、夢のように朧気であやふやな光景の数々であった。

 目を閉じているはずであるのに周囲には無数の星々があり、その一つ一つに異なった光景が映っている。

 その一つから見えるのは突如として動き出した火山、鳴動する大地、突然溢れ出す毒。巫女と熊襲の戦人たちは慌てふためいて逃げ出し、ある者は毒に倒れていく。
 誰もが必死で逃げ惑い駆け出す中、自分を背負って駆けているのはクマナ媛である。
 不思議な事に、クマナが自分を背負っている光景が見えるのだ。
 自分の魂は、あの身体には既に無いのかと思ったが、真実は分からない。
 クマナは全身から血を流し、火傷を負いながらも、ククリだけは守り抜いて南の熊襲の領域へと連れて帰っていた。一緒に阿蘇の山へと登った者は、巫女も戦人も誰一人として姿はない。

 そして彼女は父である族長の元へと辿り着くと、「自分のせいで儀式が失敗した。どうかこの方を頼む」と伝え、ひと言「ククリ様・・・愛していました」と言って果てたのだった。
 ククリは一気に血の気が引く思いがした。自分は、神との対話、契約に失敗したのである。そればかりか神は怒り、大地は震え、仲間たちは命を失ってしまった。その上、クマナはククリの名誉のために、その責任は自分にあるといってこの世を去ったのだ。ククリはクマナという女性が、どれほど自分を慕ってくれていたか、友と呼べる存在だったのか、そしてさらに別の感情を持っていたことを知り、心を震わせた。
 しばらくすると別の星が輝き出した。次に映るのは雨の中、武器を構え鎧を纏って争う大軍勢である。 

 これは、戦だ。王都を奪還するための戦いが今まさに行われているのだ。だとすれば、阿蘇に登った日からどれほど時間が経ったのか。
 戦況は倭国王の目論見通り、倭国側に有利に運んで行っている。雨と水田のために、出雲の「馬」の力が発揮出来ていない。そのうえ地の利は倭国にあり、倭国と熊襲は数の上でも出雲よりも勝っていた。

 兵を指揮する帥大と帥響が王都の城郭に入る頃には、大勢は決していた。

 しかしここで大きく映し出されたのは、死者を見たように驚く帥大の顔であった。
 向き合っているのは、一人の美しい女だった。
 服装は倭国とは違う、恐らく出雲風の格好をしているが、ククリにはそれが帥大の捕らえられた妻だという事が分かった。

 二人の表情から、お互いの強い愛情が手に取るように分かる。
 だが、女は化粧をして出雲の格好をしており、この地でどのようにして暮らしていたかは明白だった。
 帥大のどうしてという問いに、女は涙ながらに説明する。
 どうしようもなかったのだ。倭国の者はほとんど殺され、私たちの子を人質に取られ、こうして生きることでしか守れなかった。子どもと一緒に何度死のうとしたか分からない。けれど、いつかあなたが助けに来てくれると信じていたから生きてこられたのだと。

 怨嗟とも弁明とも区別のつかない嗚咽とともに、女の口からはこの長い歳月の事が語られた。
 ククリは、恐る恐る帥大の表情を見た。
 その顔には、涙とともに海のように深い愛があった。

 倭国勝利、王都奪還の勝ち鬨の中、二人は抱き合い、互いに涙する。この二人こそ、世界の中心だった。
 するとククリの周囲の星々は突然輝きを失い、暗闇だけが残ったその時。
 突然全身に激しい痛みが走った。まるで自分の身体を数匹の汚れた蛇が這い、身を喰らわれているような痛みと蠢きだった。
 痛みは熱いが、身体は凍えるように寒いのだ。ククリは自分が火傷をしていること、熱を出していることを悟った。

「ああっ、ああっ」

 皮肉なのがその痛みと熱のおかげで、ククリは自分の魂が今自分の肉体に戻っているのだと分かった。
 呼吸も荒くなっていることにも気づき、今、自分の手を誰かが握っていることにも頭が回るようになっていた。誰かが自分の世話をしてくれているのだ。
 一体誰だろう、熊襲の人間だろうか、とその人物の姿を見ようとしてククリは恐ろしい事に気がついた。 

 何も見えないのである。瞼を開けたはずであるのに、目の前には同じく闇が広がっている。

 その事実に、ククリは大きく動揺し、震え出した。するとそれを抑えるように、自分を握る誰かの手の力は、一層強くなった。

「落ち着け。命が助かったのが不思議なくらいの状況と傷だったのだから。儂が出来る限りのことはしてやるから、どうか頑張るがよい」

 その声は嗄れた老婆の声だった。
 しかしその老婆の存在など忘れて、ククリは心の中で自分を永久に守ると言った男の名前を叫び続けた。

(ツクヨミ様・・・ツクヨミ様、私の元には来て下さらないのですか。私はこれほどに、あなたの名を呼んでいますのに)

 痛みと熱が襲う中、ククリは自分が涙を流してるというのだけは、はっきりと分かった。
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