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第二話
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無職生活何日目だろう。本当に何も覚えていない。
未だに銀華の情報収集だけはぼんやりとしているが驚くほど何もきていない。ぼんやりと、というのは若しもネットや警視庁に情報を頼んで周囲に危害が加わったら自分ではどうすることもできないからだ。ただ、自分に危害を加えられてもいいと心の底から思っている。だってもう、集君には会えないから。
裏社会、か。考えても見なかったし、意識せずにここで生きてこれたからな。捜査一課となると殺人事件が主となり裏社会、反社会組織は捜査二課、公安、警察庁、内調が主となる。また、前述した四組織の後ろ三つはスパイや反日の危ない連中達を相手にしているので中々連絡など取れないし一般人と成り下がってしまった暖花(ハルミ)のことなど取り合ってくれないだろう。銀華について既に情報を持っている可能性は十分あるが、、。
残るは捜査二課だが、裏社会と言ってもヤクザや暴力団が対象となる。彼らの手筈や容貌などを見て、そっち系の荒い人間の集まりではないと思う。
それにあの時暖花に名前を教えたということは、、。捕まらない絶対的な自信があるのではないか。
どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする。
彼がいなくなって何時間が経った?何をした?何ができる?
近くの踏切の音がカンカンカンカン赤色ランプを点けたり消したり。今は何時?時計の感覚も無くなってくる。あれ?自分は生きてる?ここはどこにいる?私も死んだんじゃないの。あの時、あの場所で、一緒に最愛の人と、死んだ、死んだ、死んだ、、。
「おい馬鹿姉貴!しっかりしろ!」
甲高いキンキン声が脳に鋭く突き刺さる。聞きなれた声。自分が現世にいることを思い出してくれた。
「あれ、私ここで何を、、」
「何を、じゃねえ!調べ物なら自分の部屋でやってくんない。リビングで寝るな!」
木で出来た掛け時計に目をやると四時。オレンジ色の夕日が部屋に差し込みテーブルに置いてあったガラスコップに直射していた。
「ごめんね。円架(おんか)ちゃん。自分の部屋戻るね」
電源を起動して開いたママだったパソコンを急いで閉じ、自分の部屋に戻ろうとする。
呆れ半分のため息を円架は出して暖花を一瞥した。
「まだ茶屋町さんのこと囚われてんの。いい加減、忘れなよ。人生初の彼氏だからって。恋は盲目、痘痕も笑窪とはいうけど、度が過ぎれば破滅だよ」
「、、、、、、、ありがと。ごめんね」
南郷円架。南郷暖花の三つ下の妹。暖花とは真逆の性格でしっかり者、堅物、カタギ、ショートカット。安定志向で公務員になり暖花と同じ警視庁に所属している。部署は、、。
「やっぱり、おかしいよね、私。お人形だよね」
部屋のマイメロディーがあしらわれたベッドの上に倒れ込み独り言を呟く。
「集君がいないと何も出来ないお人形。お飾りだけのお人形。早いところ就職しないとオンちゃんにも迷惑かかっちゃうしなぁ」
ただ、そういうだけで行動を変えようと思わないのが暖花らしいが。
今日も一日中ネットで沢山の情報を片っ端から集めていた。どんな些細な情報でもいい。多分昔の仲間が助けてくれるはずだから。あの集君が没命した場所の廃ビル、それっぽい未解決事件、謎の組織に関して議論している掲示板。だが、何を見ても有力と直感できる情報はなく、ただでさえネットに書き込まれているものばかりなので信憑性に欠けた。
「ねーちゃん、いる?」
ドアを優しくノックされむくりと起き上がる。
「明日さ、向かいのビルでちょーっち悪いことが起こるらしいからその偵察とか含めてこの部屋使うんだよね。そんで出て行って欲しいんだけど、頼まれてくれる?」
「今からってこと?」
「ううん、明日。仲間達は既にこの部屋の上とか隣にいるんだけど、角度的にこの部屋が1番見やすいってわかったわけ」
「うん、お仕事なら仕方ないね。がんばってね」
ドア越しの姉妹の会話。円架は無理矢理明るい声色を演出して話していたが表情はきっと暗かっただろう。偵察、だけじゃないんだろうな。体を張って、最前線をいくんだろうな。
円架はいつだってそうだ。明るい笑顔の下にはいつだって不安と緊張を併せ持っている。だけどそれを決して人前には出さず自分を鼓舞し、難関をくぐり抜けてきた。
「おんちゃん、未だ部屋の外にいる?」
静寂が返事をする。
リビングに戻ると夕食を二人分作ってくれていた。
「おんちゃん」
「何?」
こちらを一眼もミラずまな板に真剣に包丁を叩きつけている。
きっと、大きな仕事なんだろうな。
「何も切ってないよ?」
暖花が指摘すると「あゝ、悪を切ってる」と意味不明な言葉が返ってきた。
「おんちゃん」
「何?」
「私、外行ってきていい?」
「危ないよ」
ガンガンガンガン。
「うん、そうだね」
「気をつけてね」
ガンガンガンガンガンガン。
これは昔からだった。警視庁に配属された頃の円架の目の輝きはもう、それはそれはもう、太陽のように光り輝いていた。しかし、刑事になってあるある、想像したのと全然違いすぎるが発動した。入庁二ヶ月目で精神を来すこととなった。
いつも行き詰まった時はするルーティンとして散歩をすることに決めている。おんちゃんには悪いけど、少しだけ外出させてもらうことにした。
「向かいのビルで、悪いこと、ね」
暖花は妹がどこに配属されているかは知っていたのでどのような類の『悪いこと』かは十分承知だった。だからあんな精神の壊れ方をしたことも。既に夕暮れ時は終わっていて肌寒く薄暗い季節になった。街灯がこんなにも明るかったなんて気づかなかった。
商店街も店仕舞いを終えたシャッター街へと化している。町中の方へ歩けば若者がたむろする華やいだ雰囲気になるはずだ。しかし暖花の今の気分はそんなのではない。静かに、兎に角暗闇に吸い込まれたい。
訳もわからず下だけを向いて、ただただ足を動かして前に進む。
「危ない!」
それが自分に向いてる声だとわからなかった。
昔は危険が近づくと集君が守ってくれたらから手も足も出なくても安心感があった。しかし、彼はもういないんだ。自分の身は自分で守らなければならないんだ。
無気力にだらっと垂らした手を、何者かが斬りつける。かなり鋭利な刃物のようだ。10センチほどの血の跡ができ、抉れた筋繊維が露出している。
ただ負傷は右腕だけに済んだようで大怪我をしなくてよかった。後ろから何人かの人間が自分を斬りつけた人間を追っているのが目の端で見てわかった。
「大丈夫ですか」
灰色のスーツに身を包んだ中年の坊主頭が優しく手を差し伸べてくれる。集君以外の人間に触れるのは多少抵抗があったが言葉に甘えることにした。
「大丈夫です。今のは、何?」
「、、、、、明日の朝刊を見ればわかりますが、、。一応あなたも被害者になりますので、署までご同行願えますか」
嗚呼、刑事か。そしてさっきの斬りつけてきた人間はそれらに追われる類なのだな。
「はい。勿論です」
多分ここから近いとなったらXX署だろう。となれば歩いて数分だ。方向を改め歩みを続けようとする。
「あれ?車に乗らないのかい。こっちはパトカーが近くにあるけど」
その言葉に対してうっすら笑顔を作った。
「はい、大丈夫です。命を狙われたとしても、諦めがついた人生ですから」
虚しく自分の足音が夜空に響く。
XX署は思った通りの時間で着いた。さっきの坊主頭の刑事の名前は岩美というらしく、受付で岩美に小会議室で待てと言われたと伝えると、人の良さそうな顔の中年女性が親切に案内してくれた。
「岩美の部下の房前です。岩美は未だ逃亡中の犯人の追尾をしているので私がこちらに。少しで終わるので、安心してくださいね」
房前と言った青年刑事は爽やかな笑顔でまるで幼女と接するように話しかけてくれた。私が怖がっているとでも思っているのだろう。私はそんな、ヤワではないのだが。
「先ず、襲われたのはこの辺りですよね?」
スマホをポケットから出し地図アプリで指を指す。
「はい、その通りです」
「傷を、見せていただけませんか。できれば写真も撮りたいのですが」
「はい、結構です」
カメラモードに変わったスマホは私の傷口を綺麗に写した。
「最後に、住所、職業、名前を教えていただけませんか。名刺でもあれば結構なのですが」
名刺は持っていない。正確に言えば偽名や職業を偽った探偵用の名刺は沢山ストックしてあるのだが。
名前、住所を書きおわり、職業を描く際にはとても迷った。
『探偵』なんて書いたら『嗚呼、まじっすかw』なんて嘲笑されそうで少し不快だった。
取り敢えず『無職』と書いておく。これに対して房前は何も言わず、微動だにせずにいてくれた。
「ありがとうございます。これで終わりです。もう帰ってもいいですよ」
え、これだけなのか。それならばあの場所でできたはずだが。
「、、、、、私を襲ったのは誰なんでしょうか。話を聞く限り、正体は既に掴めているような口ぶりですけど」
折角来たんだ、何か面白い話はないのか。
さっきから能面と化している私に対し、房前は一瞬きょとんとして、それから「嗚呼」と満足そうに頷いた。
「まあね、正体は掴めていますよ。しかし企業秘密です。未だ、簡単に口外出来る話ではない」
それならば仕方あるまいと小会議室を後にする。そう言えば岩美が明日の朝刊でわかると言ってあった。それならば明日の朝日を恋しく思うしかなかった。
『お姉ちゃん。どこに今いるの?心配はしていないよ、子供じゃあないんだから。新しい男の人と自分の欲求を満たしているのかな。それだと余計なお世話だね。でも結局明日はどこかに行ってほしいから、その新しい男と明日の夜まで一緒にいてくれた方が助かるんだけど。まあ取り敢えず帰ってくるなら連絡欲しいな。夕食、作ったから』
携帯電話を見ると、円架からメールが来ていた。署を出てすぐのことだった。
メールはいつも通り男の話。円架は可愛い小動物系として男女に人気があった学生時代を送っていたが中々彼氏という存在ができたことがなかった。本人曰く、「人気がありすぎたから私の隣の席に座るのを躊躇われた」。私は同級生でもないしそのような浮いた話を好む者ではなかったから真実はどうかわからない。
「りょーかい」
一応持ち合わせの金ではホテルに行けるだけのお金はギリギリあった。緊張が最大限まで昂っている円架と一緒の部屋にいるのはこちらの気が疲れるだけなので泊まることにした。
ネオン街のはでやかな雰囲気とマッチする大きなホテルに泊まることになった。天空露天風呂付きなのだが共同便所という欠点があり値段は安くなっている。勿論ビジネスホテル。
ベージュ色のフロントで鍵を預かり部屋へと歩く。
階段が無いのでエレベーターに乗り込むことになった。
無事エレベーターに入り込み、上の階へ行こうとボタンを押そうとすると、
「sorry,I want to ride this elevator.」
外人の声が聞こえたのでボタンを押す手を引っ込めたが、神様がいるなら、これは悪戯なんだろう。急速に指が冷え切っていくのを感じる。心拍数が上がる。目が乾燥で痛くなるくらい開く。
「お前、は、」
「あら、初めましてじゃなかったわね」
集君を死にやった張本人。
銀華。
「久しぶりね。いつ以来かしら?」
七ヶ月と30日ぶりだ。私ははっきり覚えている。
「今日も、人を殺しに?」
すると思いもよらぬ言葉が発せられた。
「ええ。勿論。でも私のブラッディ・リストに貴女の名前が載っているから。貴女でもいいのよ」
考えるより先に手が出た。利き手の右手を握りしめ思いっきり振る。しかし女は戦闘に慣れているのかすぐに迎撃体制を作ったあとしゃがみ攻撃を回避した。
「スキだらけね。これで元警察なのかしら」
ハイヒールパンプスを履いていた女は攻撃が空振りに終わった暖花が体勢を崩したスキをつき一発腹にぐーぱんを入れ、蹲った暖花の頭を地面にガンと打ち付けた。
「カタキ、カタキ、ツドイクンノカタキ。カタキ、カタキ、ツドイクンノカタキ。」
脳内は陽気なメロディーでさっきからこの文言が流れ続けている。
「あんたなんかに、、、あんたなんかに負けてたまるか、、、!」
またいつ出会えるかわからない宿敵だったんだ。このチャンスを逃すと、またどこで会えるかわからないんだ。
「大口は私に勝ってからにしてね」
そこで私の意識は消えた。多分、視界が真っ暗闇になる前に、一瞬ビリッと電流が体に通った気がする。
ここはどこ?今はいつ?もやがうっすら消えかかるようにゆっくり意識が戻っていく。
眼光にシャンデリアの煌びやかな斜光が入って来て耳には洋楽が入ってきた。ここはどこかの舞踏会場?いや。そんなはずはなく、、、。
事態をやっと察知した私はすぐに起きあがろうとするが手足が縛られソファに寝かされている状態だった。口には猿つぐつわをされ軟禁されていると理解した。頑張ってできる限り眼球を動かすが周囲には誰もいない模様。そしてここは私が泊まろとしたホテルの部屋と同じ内装であった。
そうか、やはりあそこから遠い場所まで私を持って行くのはかなりの手間だし難しいからこのホテルにしたのか。
「妹さん、随分有名な刑事さんじゃない」
この声は、、、。忘れようにも忘れられぬ声。
「最近はちゃんとスマホのロックしていないと駄目よ。いつどこで自分の情報が流れるか知ったもんじゃないからね」
ソファに肘を掛け自分のスマホをぶらぶらと掲げられる。そこには妹との交わしたメールが映し出されていた。
「まあ貴女がナンゴウオンカの姉だと言うことは調べればすぐわかったけど、あいつ、精神壊したのにまだ刑事やってたなんて。難儀よね、本当。お姉ちゃんが無職であの子が倒れちゃったら生活できないもの、ね」
何故??何故妹のことを知っている?そして何故精神崩壊の事案まで知っているのだ?頭の中が疑問符でもたげそうになる。もはや驚く気力も失せた。妹が公安ということが知られていたなんて。では、この状況はかなり不味くないか?本来公安警察等のはどのような事件を扱っているのかなど家族にさえ話してはいけない。そして家族もまた自分の家族が公安だということを言ってはならない。秘密に秘密を重ね誰にも何の情報も漏らしてはいけない。だから南郷円架が公安であるということは、絶対にバレたはならない秘密事案のうちの一つなのだ。
「妹さんが私達のビルを見張っているということは知っているの。でもいつ突撃されるか分からなかったから、このメールを読んでわかったわ。だから、このことを私は仲間に知らせる。貴女を今おうちに帰すとおんかちゃんにきっと伝えるでしょうから、今日は取り敢えず一晩ここで過ごしてね」
すると私の猿轡を強引に奪うように取り外し、私のほっぺたに口紅マークを口で付けられた。
拒否反応は不思議と出なかった。取り敢えず今日は生きれるということが分かったということからの安堵感なのだろうか。目の前には集君を殺した殺人鬼がいるのに、憎しみがこない。いや、絶望しているんだ。復讐に命を燃やすことよりも、私の早くあっち側に行きたいという羨望が胸の大部分を占めてしまっていて、諦観していたのだ。
「そういえば、私の名前言ってなかったわね。栗皮っていうの」
殺してくれ。お前は集君の命を奪ったこの世で唯一の特別な人間なんだ。だから、お前にだったら殺されていい。
「、、、お喋りは、嫌い?」
殺してくれ。さっき私は失態を犯してしまった。今時スマホにロックをかけないという、生において呼吸をし忘れる失態を犯したんだ。これで妹の仕事は無念に終わってしまう。
絶望を瞳に滲ませ天井をぼうっと眺めていたらさっきまで何処かに居た女、、、栗皮が自分の顔面に吸い込まれたかのように近づき猿轡を解き、私の口元に唇を重ね舌を強引に口内に滑り込ませてきた。
舌で舌を追い払おうとするが中々解けてくれない。いや、時間を重ねるにつれ栗皮の唾液が雪崩れ込んできてそれを飲まないようにするだけで精一杯だった。
するといきなり舌を引っ込め、耳元に顔を近づけそっと囁く。
「未だ、喋らないの?」
喋ることなど、無い。
「そっか、お喋り、嫌いなのね。私、言ってなかったけど、女の子が大好きなの。男なんて、臭くて醜くて自分勝手で、愛せないじゃない?でも、貴女みたいな静かだけど胸の内に情熱を秘めている不器用な女の子は大好物なの。どうせ最愛の彼氏が死んで生きれる気力がないから未だに無職で死にたいとしか思えないんでしょ?だったら私に抱かれなさいよ」
集君、、、。集君、、、。
だが、私がここで大声を出したり助けを求めてもこの状態だと誰も何もしてくれないし状況は良くならないだろう。下手すれば相手を逆上させ殺される以上の苦痛を強いられることになる。
沈黙を貫いていると楽しそうに口元に手を当て、高揚し頬を桃色に染め上げ、とろんと目を半熟にさせ私の服を脱がせようとしてきた。私は上がボタンのワンピースで、最も簡単に裸体が顕になる。今日は薔薇柄の所謂勝負下着のようなものを着ていたのでそれを見た瞬間栗皮は桜のような微笑みを浮かべた。
胸をゆっくり揉む栗皮。対して私は後ろ手で縛られているので側からみると束縛プレイのようだ。
「はるみちゃん、おんかちゃんと毎晩求め合ってるの、私は知ってるよ」
おんかは処女だ。しかしそれは前述した通り彼氏ができないからだ。正直このまま一生独身で終わってしまう。円架はいつも青ざめた顔で頭の中を混乱させていた。このままだと性欲を満たすのは一人だけで終わってしまう。そう言って円架は集君にえっちをしてくれと頼み込んでいたが流石に爽やかなスマイルで振り払われていた。集君が亡くなって居候としてあの家に住むようになってからは、居候で家賃も生活費も世話してあげる代わりにえっちをしてくれと真顔で頼まれたものだ。それからは毎晩円架が大丈夫な日だけ、私が夜這いをしなければならないことになった。
「ん、、」
胸を揉むのも終わり乳首に刺激を与え始めた。強くつねってきて初めから全身に程よい電流が流れたような気持ちよさが全神経へ伝わっていく。
ただ、おんかとやっても、栗皮とやっても、心の底からの解放的な気持ちよさが得られていない。どんなに体が反応しても、集君とのえっちとは似てもにつかない、遠く遠く離れた行為であった。
「集君のエッチの方がいいって思ってるでしょう」
下の口は濡れていない。おんかとやる時も私だけが濡れないでおんかがガッカリするのでローションでわざと濡らしていた。
何故私はこんなところで行為を行っているのだろうか。
何故このような状況でそんなことまで思い出すのだろうか。
真逆これが走馬灯ではないよな。段々意識が霞がかり鼻の奥が痛くなる。
すると場違いなテクノ系着メロが室内に木霊した。自分の携帯の着信音とは違うから、きっと栗皮だろう。若干苦虫を踏み潰したような表情で栗皮は乱暴に携帯電話を開いた。時代に遅れガラケーであった。
「何?こっちはいいところまで行ってたんだけど。そっちはどうなの?順調に行ってるんでしょ、逃亡するだけなんだから。・・・・・・・え?どう言うこと?その話、詳しく・・・・」
さっきの蒸気した桃色の頬は急に青ざめ何やら緊迫した空気が漂ってくる。焦っているのか、それとも私に話を聞かれないためか、いそいそと部屋中を歩き回り始めた。
「・・・・・・・・・・・・ok。私も今から応戦に行く」
舌打ちを小さく鳴らして電話をポケットに入れた。素早く下着姿に変わり、バッグに入ってあったと思われる栗皮色のライダースーツに身を包む。
「ごめんなさいね、ちょっとだけヘマしちゃったみたい。すぐに、戻ってくるから、待っててね」
はだけた姿の私に一瞥だけくれ、ツカツカとパンプスを鳴らして扉を出ていく。その姿はまるでこれから狩りを行う美しい狼のようであった。
扉が閉まり、実質部屋の中は一人になる。かなり硬質な縄のようだ。結び目もかなり工夫されていて、簡単には解けないだろう。残念ながらこう言う時に恐怖や喪失感、足がすくんで動かないと言う状況にならないのでかなり冷静に局面を見据えることができた。
特に荒らされていないベッド、持ち物は全てバッグの中に栗皮が持っていった、ただ自分のスマホだけは残していってくれた。風呂場やトイレにも他の人間の気配は無い。
この縄さえ解ければ、、、。この縄さえ解ければ!
こう言う時、客観的に自分を見る力が必要になる。いや、自分ではなくこの状況だった。もっと、もっと客観的に見つめなければならない。今の今までは状況整理に時間を使っていただけだ。もっと、もっと、もっと、もっと、もっともっともっともっと。
集君ならこう言う時、どう考える?
温かな響きを持つその名前を思い浮かべた瞬間、胸の内がふわっと血液も筋肉も無くなったように軽くなり、白い輝きを放つ明るい未来を指し示すような光が、部屋中全体、全てを照らしてくれるような、いや、実際に照らしたのかもしれない。
「はるみちゃん、もし、はるみちゃんが監禁された時用に、縄の解き方を教えてあげるよ」
いつかの会話。その時の服装も背景もどう言う状況だったのかも思い出せない。ただ、集君だけが笑ってる。
嗚呼、どうして今まで忘れてたんだ。前に、優しく教えてもらったじゃないか。
その時は丁度、前に腕を縛られてたんだ。彼は結局優しいから力任せに縄を解けそうなくらいグラグラな結び方だったけど。
あの時を応用して。
必死に脳が働き始め、体を上手くくねらせる。小さくできた空間に指を挟み込み、更に空間を作り少しずつ、少しずつ、脱出への道がひらけてくる。汗が一筋床へこぼれ落ちた時、やっとの思いで解放された。何分かかったなんて、わからない。だが、それだけ久しぶりに何かに熱中できた気がした。
さて。ここからどうするか。正直栗皮がどこへ向かったかは見当がついている。円架の方向、つまりアジトの場所だ。だが正直行ったところでどうすることもできないし、その原因を作ったのは私だったから戻ったところで顔を合わせるのが気まずいだけだ。
本当に困ったものだ。せめて警察の身分を未だに持っていれば、、、。
すると場違いな自分の着メロが陽気に鳴った。勿論今の自分にメールを送るのはあいつしかいないが、あいつは今相当の修羅場じゃなかったか?
メールの題字に恐る恐る目をやる。
『どこ行ってるの』
『どこ行ってるんですか。こっちは取り敢えず今日のうちにカタがつきそうなのでもう全然帰ってきてくれてもいいです。と言うか最近溜まってるんです。今日はとても頑張ったからお願いします、体貸して下さい』
全く本当に血が繋がった姉妹のようではないメールの内容だ。しかしカタがついたし致すことのお誘い迄来るとは無事に事件は解決したのだろうか。彼女が私を誘って切れいる時は大抵気分がいい時だ。慰めて欲しいから愛撫してなど今まで一度もない。
、、、、、、。帰るか。ここにいても何もすることはないし、むしろここに留まってまた栗皮が戻ってきたら面倒だ。ここから出る、そして妹の待つ部屋に帰る。
時計に目をやると午前3時。案外時は進んでいたようだ。足早にショッキングピンクの部屋を出て、何も思い残しはないように扉を閉めた。
時刻は数時間前。
木村主水。それが自分の本当の名前。帰る家もないし待つ人もいない。そんな俺を拾ってくれたのがこのお方達だった。正式名称はあるらしいが全く下っ端の方には教えてくれない。矢張り所詮自分はトカゲの尻尾。ただの駒要員としてしか見られていないんだろう。だがそれでいいんだ。ただ、自分は居場所が欲しかっただけなのだから。
そうだ、居場所だ。居場所が欲しかっただけなんだ。なのに、なのに、なのに、、、。
あんなことするからいけないんだ。
激怒という名の感情に身を任せ兎に角兎に角走り続けた。
だが、それが逆に幸運を呼び寄せた。矢張り警察の目は侮れない。小さい小さいギャングでも悪いレッテルが貼ららればすぐ様目をつけられるのだ。自分が出て行った後、アジトに数人の警官らしき強面の爺さんどもが張り込んでいるのが見えた。俺程度に見つかったんだ、きっと今から家宅捜索でも始めるんだろう。
しめた。あのままあそこにいたら自分も一緒に刑務所行きだった。
軽い足取りで地下室から登っていく。表はバー、裏はアジトの隠れ家。
だが、油断したのが更なる不幸を誘き寄せた。
つけられていたのだ。そりゃそうだ。あそこの階段に繋がっているのはあのバーしかない。そうなればその階段から出て来た俺は、営業時間が終了したのに従業員らしくもない格好で出て来た俺は尾行の対象になる。当たり前だ。
明るいネオン街に足を運ぶことは避けた。それは昔っからで、危険な仲間と再会した時どのような扱いを受けるかわからなかったから。ただ、尾行されていると気づいていたらこっちの道を選んでいたに違いない。
尾行に気づいたのはいつも通り暗いジメジメとした何もない小道。ここまでくれば後ろから複数の足跡が俺に迫って来ていることぐらい感じ取れる。背中に嫌な汗が流れ始める。直感的にアジトを張っていた刑事だとわかる。
護身用のナイフを片手に、本能的に走り出した。
無呼吸だった。無我夢中だった。ただ目の前の暗闇だけを裂いて行った。
目の前に女がいた。茶色いスーツを着た女が可愛がっていた対象だと察知した。
意味もわからず切り付けて、そのまま逃げ生き延びることだけを考えた。
未だに銀華の情報収集だけはぼんやりとしているが驚くほど何もきていない。ぼんやりと、というのは若しもネットや警視庁に情報を頼んで周囲に危害が加わったら自分ではどうすることもできないからだ。ただ、自分に危害を加えられてもいいと心の底から思っている。だってもう、集君には会えないから。
裏社会、か。考えても見なかったし、意識せずにここで生きてこれたからな。捜査一課となると殺人事件が主となり裏社会、反社会組織は捜査二課、公安、警察庁、内調が主となる。また、前述した四組織の後ろ三つはスパイや反日の危ない連中達を相手にしているので中々連絡など取れないし一般人と成り下がってしまった暖花(ハルミ)のことなど取り合ってくれないだろう。銀華について既に情報を持っている可能性は十分あるが、、。
残るは捜査二課だが、裏社会と言ってもヤクザや暴力団が対象となる。彼らの手筈や容貌などを見て、そっち系の荒い人間の集まりではないと思う。
それにあの時暖花に名前を教えたということは、、。捕まらない絶対的な自信があるのではないか。
どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする。
彼がいなくなって何時間が経った?何をした?何ができる?
近くの踏切の音がカンカンカンカン赤色ランプを点けたり消したり。今は何時?時計の感覚も無くなってくる。あれ?自分は生きてる?ここはどこにいる?私も死んだんじゃないの。あの時、あの場所で、一緒に最愛の人と、死んだ、死んだ、死んだ、、。
「おい馬鹿姉貴!しっかりしろ!」
甲高いキンキン声が脳に鋭く突き刺さる。聞きなれた声。自分が現世にいることを思い出してくれた。
「あれ、私ここで何を、、」
「何を、じゃねえ!調べ物なら自分の部屋でやってくんない。リビングで寝るな!」
木で出来た掛け時計に目をやると四時。オレンジ色の夕日が部屋に差し込みテーブルに置いてあったガラスコップに直射していた。
「ごめんね。円架(おんか)ちゃん。自分の部屋戻るね」
電源を起動して開いたママだったパソコンを急いで閉じ、自分の部屋に戻ろうとする。
呆れ半分のため息を円架は出して暖花を一瞥した。
「まだ茶屋町さんのこと囚われてんの。いい加減、忘れなよ。人生初の彼氏だからって。恋は盲目、痘痕も笑窪とはいうけど、度が過ぎれば破滅だよ」
「、、、、、、、ありがと。ごめんね」
南郷円架。南郷暖花の三つ下の妹。暖花とは真逆の性格でしっかり者、堅物、カタギ、ショートカット。安定志向で公務員になり暖花と同じ警視庁に所属している。部署は、、。
「やっぱり、おかしいよね、私。お人形だよね」
部屋のマイメロディーがあしらわれたベッドの上に倒れ込み独り言を呟く。
「集君がいないと何も出来ないお人形。お飾りだけのお人形。早いところ就職しないとオンちゃんにも迷惑かかっちゃうしなぁ」
ただ、そういうだけで行動を変えようと思わないのが暖花らしいが。
今日も一日中ネットで沢山の情報を片っ端から集めていた。どんな些細な情報でもいい。多分昔の仲間が助けてくれるはずだから。あの集君が没命した場所の廃ビル、それっぽい未解決事件、謎の組織に関して議論している掲示板。だが、何を見ても有力と直感できる情報はなく、ただでさえネットに書き込まれているものばかりなので信憑性に欠けた。
「ねーちゃん、いる?」
ドアを優しくノックされむくりと起き上がる。
「明日さ、向かいのビルでちょーっち悪いことが起こるらしいからその偵察とか含めてこの部屋使うんだよね。そんで出て行って欲しいんだけど、頼まれてくれる?」
「今からってこと?」
「ううん、明日。仲間達は既にこの部屋の上とか隣にいるんだけど、角度的にこの部屋が1番見やすいってわかったわけ」
「うん、お仕事なら仕方ないね。がんばってね」
ドア越しの姉妹の会話。円架は無理矢理明るい声色を演出して話していたが表情はきっと暗かっただろう。偵察、だけじゃないんだろうな。体を張って、最前線をいくんだろうな。
円架はいつだってそうだ。明るい笑顔の下にはいつだって不安と緊張を併せ持っている。だけどそれを決して人前には出さず自分を鼓舞し、難関をくぐり抜けてきた。
「おんちゃん、未だ部屋の外にいる?」
静寂が返事をする。
リビングに戻ると夕食を二人分作ってくれていた。
「おんちゃん」
「何?」
こちらを一眼もミラずまな板に真剣に包丁を叩きつけている。
きっと、大きな仕事なんだろうな。
「何も切ってないよ?」
暖花が指摘すると「あゝ、悪を切ってる」と意味不明な言葉が返ってきた。
「おんちゃん」
「何?」
「私、外行ってきていい?」
「危ないよ」
ガンガンガンガン。
「うん、そうだね」
「気をつけてね」
ガンガンガンガンガンガン。
これは昔からだった。警視庁に配属された頃の円架の目の輝きはもう、それはそれはもう、太陽のように光り輝いていた。しかし、刑事になってあるある、想像したのと全然違いすぎるが発動した。入庁二ヶ月目で精神を来すこととなった。
いつも行き詰まった時はするルーティンとして散歩をすることに決めている。おんちゃんには悪いけど、少しだけ外出させてもらうことにした。
「向かいのビルで、悪いこと、ね」
暖花は妹がどこに配属されているかは知っていたのでどのような類の『悪いこと』かは十分承知だった。だからあんな精神の壊れ方をしたことも。既に夕暮れ時は終わっていて肌寒く薄暗い季節になった。街灯がこんなにも明るかったなんて気づかなかった。
商店街も店仕舞いを終えたシャッター街へと化している。町中の方へ歩けば若者がたむろする華やいだ雰囲気になるはずだ。しかし暖花の今の気分はそんなのではない。静かに、兎に角暗闇に吸い込まれたい。
訳もわからず下だけを向いて、ただただ足を動かして前に進む。
「危ない!」
それが自分に向いてる声だとわからなかった。
昔は危険が近づくと集君が守ってくれたらから手も足も出なくても安心感があった。しかし、彼はもういないんだ。自分の身は自分で守らなければならないんだ。
無気力にだらっと垂らした手を、何者かが斬りつける。かなり鋭利な刃物のようだ。10センチほどの血の跡ができ、抉れた筋繊維が露出している。
ただ負傷は右腕だけに済んだようで大怪我をしなくてよかった。後ろから何人かの人間が自分を斬りつけた人間を追っているのが目の端で見てわかった。
「大丈夫ですか」
灰色のスーツに身を包んだ中年の坊主頭が優しく手を差し伸べてくれる。集君以外の人間に触れるのは多少抵抗があったが言葉に甘えることにした。
「大丈夫です。今のは、何?」
「、、、、、明日の朝刊を見ればわかりますが、、。一応あなたも被害者になりますので、署までご同行願えますか」
嗚呼、刑事か。そしてさっきの斬りつけてきた人間はそれらに追われる類なのだな。
「はい。勿論です」
多分ここから近いとなったらXX署だろう。となれば歩いて数分だ。方向を改め歩みを続けようとする。
「あれ?車に乗らないのかい。こっちはパトカーが近くにあるけど」
その言葉に対してうっすら笑顔を作った。
「はい、大丈夫です。命を狙われたとしても、諦めがついた人生ですから」
虚しく自分の足音が夜空に響く。
XX署は思った通りの時間で着いた。さっきの坊主頭の刑事の名前は岩美というらしく、受付で岩美に小会議室で待てと言われたと伝えると、人の良さそうな顔の中年女性が親切に案内してくれた。
「岩美の部下の房前です。岩美は未だ逃亡中の犯人の追尾をしているので私がこちらに。少しで終わるので、安心してくださいね」
房前と言った青年刑事は爽やかな笑顔でまるで幼女と接するように話しかけてくれた。私が怖がっているとでも思っているのだろう。私はそんな、ヤワではないのだが。
「先ず、襲われたのはこの辺りですよね?」
スマホをポケットから出し地図アプリで指を指す。
「はい、その通りです」
「傷を、見せていただけませんか。できれば写真も撮りたいのですが」
「はい、結構です」
カメラモードに変わったスマホは私の傷口を綺麗に写した。
「最後に、住所、職業、名前を教えていただけませんか。名刺でもあれば結構なのですが」
名刺は持っていない。正確に言えば偽名や職業を偽った探偵用の名刺は沢山ストックしてあるのだが。
名前、住所を書きおわり、職業を描く際にはとても迷った。
『探偵』なんて書いたら『嗚呼、まじっすかw』なんて嘲笑されそうで少し不快だった。
取り敢えず『無職』と書いておく。これに対して房前は何も言わず、微動だにせずにいてくれた。
「ありがとうございます。これで終わりです。もう帰ってもいいですよ」
え、これだけなのか。それならばあの場所でできたはずだが。
「、、、、、私を襲ったのは誰なんでしょうか。話を聞く限り、正体は既に掴めているような口ぶりですけど」
折角来たんだ、何か面白い話はないのか。
さっきから能面と化している私に対し、房前は一瞬きょとんとして、それから「嗚呼」と満足そうに頷いた。
「まあね、正体は掴めていますよ。しかし企業秘密です。未だ、簡単に口外出来る話ではない」
それならば仕方あるまいと小会議室を後にする。そう言えば岩美が明日の朝刊でわかると言ってあった。それならば明日の朝日を恋しく思うしかなかった。
『お姉ちゃん。どこに今いるの?心配はしていないよ、子供じゃあないんだから。新しい男の人と自分の欲求を満たしているのかな。それだと余計なお世話だね。でも結局明日はどこかに行ってほしいから、その新しい男と明日の夜まで一緒にいてくれた方が助かるんだけど。まあ取り敢えず帰ってくるなら連絡欲しいな。夕食、作ったから』
携帯電話を見ると、円架からメールが来ていた。署を出てすぐのことだった。
メールはいつも通り男の話。円架は可愛い小動物系として男女に人気があった学生時代を送っていたが中々彼氏という存在ができたことがなかった。本人曰く、「人気がありすぎたから私の隣の席に座るのを躊躇われた」。私は同級生でもないしそのような浮いた話を好む者ではなかったから真実はどうかわからない。
「りょーかい」
一応持ち合わせの金ではホテルに行けるだけのお金はギリギリあった。緊張が最大限まで昂っている円架と一緒の部屋にいるのはこちらの気が疲れるだけなので泊まることにした。
ネオン街のはでやかな雰囲気とマッチする大きなホテルに泊まることになった。天空露天風呂付きなのだが共同便所という欠点があり値段は安くなっている。勿論ビジネスホテル。
ベージュ色のフロントで鍵を預かり部屋へと歩く。
階段が無いのでエレベーターに乗り込むことになった。
無事エレベーターに入り込み、上の階へ行こうとボタンを押そうとすると、
「sorry,I want to ride this elevator.」
外人の声が聞こえたのでボタンを押す手を引っ込めたが、神様がいるなら、これは悪戯なんだろう。急速に指が冷え切っていくのを感じる。心拍数が上がる。目が乾燥で痛くなるくらい開く。
「お前、は、」
「あら、初めましてじゃなかったわね」
集君を死にやった張本人。
銀華。
「久しぶりね。いつ以来かしら?」
七ヶ月と30日ぶりだ。私ははっきり覚えている。
「今日も、人を殺しに?」
すると思いもよらぬ言葉が発せられた。
「ええ。勿論。でも私のブラッディ・リストに貴女の名前が載っているから。貴女でもいいのよ」
考えるより先に手が出た。利き手の右手を握りしめ思いっきり振る。しかし女は戦闘に慣れているのかすぐに迎撃体制を作ったあとしゃがみ攻撃を回避した。
「スキだらけね。これで元警察なのかしら」
ハイヒールパンプスを履いていた女は攻撃が空振りに終わった暖花が体勢を崩したスキをつき一発腹にぐーぱんを入れ、蹲った暖花の頭を地面にガンと打ち付けた。
「カタキ、カタキ、ツドイクンノカタキ。カタキ、カタキ、ツドイクンノカタキ。」
脳内は陽気なメロディーでさっきからこの文言が流れ続けている。
「あんたなんかに、、、あんたなんかに負けてたまるか、、、!」
またいつ出会えるかわからない宿敵だったんだ。このチャンスを逃すと、またどこで会えるかわからないんだ。
「大口は私に勝ってからにしてね」
そこで私の意識は消えた。多分、視界が真っ暗闇になる前に、一瞬ビリッと電流が体に通った気がする。
ここはどこ?今はいつ?もやがうっすら消えかかるようにゆっくり意識が戻っていく。
眼光にシャンデリアの煌びやかな斜光が入って来て耳には洋楽が入ってきた。ここはどこかの舞踏会場?いや。そんなはずはなく、、、。
事態をやっと察知した私はすぐに起きあがろうとするが手足が縛られソファに寝かされている状態だった。口には猿つぐつわをされ軟禁されていると理解した。頑張ってできる限り眼球を動かすが周囲には誰もいない模様。そしてここは私が泊まろとしたホテルの部屋と同じ内装であった。
そうか、やはりあそこから遠い場所まで私を持って行くのはかなりの手間だし難しいからこのホテルにしたのか。
「妹さん、随分有名な刑事さんじゃない」
この声は、、、。忘れようにも忘れられぬ声。
「最近はちゃんとスマホのロックしていないと駄目よ。いつどこで自分の情報が流れるか知ったもんじゃないからね」
ソファに肘を掛け自分のスマホをぶらぶらと掲げられる。そこには妹との交わしたメールが映し出されていた。
「まあ貴女がナンゴウオンカの姉だと言うことは調べればすぐわかったけど、あいつ、精神壊したのにまだ刑事やってたなんて。難儀よね、本当。お姉ちゃんが無職であの子が倒れちゃったら生活できないもの、ね」
何故??何故妹のことを知っている?そして何故精神崩壊の事案まで知っているのだ?頭の中が疑問符でもたげそうになる。もはや驚く気力も失せた。妹が公安ということが知られていたなんて。では、この状況はかなり不味くないか?本来公安警察等のはどのような事件を扱っているのかなど家族にさえ話してはいけない。そして家族もまた自分の家族が公安だということを言ってはならない。秘密に秘密を重ね誰にも何の情報も漏らしてはいけない。だから南郷円架が公安であるということは、絶対にバレたはならない秘密事案のうちの一つなのだ。
「妹さんが私達のビルを見張っているということは知っているの。でもいつ突撃されるか分からなかったから、このメールを読んでわかったわ。だから、このことを私は仲間に知らせる。貴女を今おうちに帰すとおんかちゃんにきっと伝えるでしょうから、今日は取り敢えず一晩ここで過ごしてね」
すると私の猿轡を強引に奪うように取り外し、私のほっぺたに口紅マークを口で付けられた。
拒否反応は不思議と出なかった。取り敢えず今日は生きれるということが分かったということからの安堵感なのだろうか。目の前には集君を殺した殺人鬼がいるのに、憎しみがこない。いや、絶望しているんだ。復讐に命を燃やすことよりも、私の早くあっち側に行きたいという羨望が胸の大部分を占めてしまっていて、諦観していたのだ。
「そういえば、私の名前言ってなかったわね。栗皮っていうの」
殺してくれ。お前は集君の命を奪ったこの世で唯一の特別な人間なんだ。だから、お前にだったら殺されていい。
「、、、お喋りは、嫌い?」
殺してくれ。さっき私は失態を犯してしまった。今時スマホにロックをかけないという、生において呼吸をし忘れる失態を犯したんだ。これで妹の仕事は無念に終わってしまう。
絶望を瞳に滲ませ天井をぼうっと眺めていたらさっきまで何処かに居た女、、、栗皮が自分の顔面に吸い込まれたかのように近づき猿轡を解き、私の口元に唇を重ね舌を強引に口内に滑り込ませてきた。
舌で舌を追い払おうとするが中々解けてくれない。いや、時間を重ねるにつれ栗皮の唾液が雪崩れ込んできてそれを飲まないようにするだけで精一杯だった。
するといきなり舌を引っ込め、耳元に顔を近づけそっと囁く。
「未だ、喋らないの?」
喋ることなど、無い。
「そっか、お喋り、嫌いなのね。私、言ってなかったけど、女の子が大好きなの。男なんて、臭くて醜くて自分勝手で、愛せないじゃない?でも、貴女みたいな静かだけど胸の内に情熱を秘めている不器用な女の子は大好物なの。どうせ最愛の彼氏が死んで生きれる気力がないから未だに無職で死にたいとしか思えないんでしょ?だったら私に抱かれなさいよ」
集君、、、。集君、、、。
だが、私がここで大声を出したり助けを求めてもこの状態だと誰も何もしてくれないし状況は良くならないだろう。下手すれば相手を逆上させ殺される以上の苦痛を強いられることになる。
沈黙を貫いていると楽しそうに口元に手を当て、高揚し頬を桃色に染め上げ、とろんと目を半熟にさせ私の服を脱がせようとしてきた。私は上がボタンのワンピースで、最も簡単に裸体が顕になる。今日は薔薇柄の所謂勝負下着のようなものを着ていたのでそれを見た瞬間栗皮は桜のような微笑みを浮かべた。
胸をゆっくり揉む栗皮。対して私は後ろ手で縛られているので側からみると束縛プレイのようだ。
「はるみちゃん、おんかちゃんと毎晩求め合ってるの、私は知ってるよ」
おんかは処女だ。しかしそれは前述した通り彼氏ができないからだ。正直このまま一生独身で終わってしまう。円架はいつも青ざめた顔で頭の中を混乱させていた。このままだと性欲を満たすのは一人だけで終わってしまう。そう言って円架は集君にえっちをしてくれと頼み込んでいたが流石に爽やかなスマイルで振り払われていた。集君が亡くなって居候としてあの家に住むようになってからは、居候で家賃も生活費も世話してあげる代わりにえっちをしてくれと真顔で頼まれたものだ。それからは毎晩円架が大丈夫な日だけ、私が夜這いをしなければならないことになった。
「ん、、」
胸を揉むのも終わり乳首に刺激を与え始めた。強くつねってきて初めから全身に程よい電流が流れたような気持ちよさが全神経へ伝わっていく。
ただ、おんかとやっても、栗皮とやっても、心の底からの解放的な気持ちよさが得られていない。どんなに体が反応しても、集君とのえっちとは似てもにつかない、遠く遠く離れた行為であった。
「集君のエッチの方がいいって思ってるでしょう」
下の口は濡れていない。おんかとやる時も私だけが濡れないでおんかがガッカリするのでローションでわざと濡らしていた。
何故私はこんなところで行為を行っているのだろうか。
何故このような状況でそんなことまで思い出すのだろうか。
真逆これが走馬灯ではないよな。段々意識が霞がかり鼻の奥が痛くなる。
すると場違いなテクノ系着メロが室内に木霊した。自分の携帯の着信音とは違うから、きっと栗皮だろう。若干苦虫を踏み潰したような表情で栗皮は乱暴に携帯電話を開いた。時代に遅れガラケーであった。
「何?こっちはいいところまで行ってたんだけど。そっちはどうなの?順調に行ってるんでしょ、逃亡するだけなんだから。・・・・・・・え?どう言うこと?その話、詳しく・・・・」
さっきの蒸気した桃色の頬は急に青ざめ何やら緊迫した空気が漂ってくる。焦っているのか、それとも私に話を聞かれないためか、いそいそと部屋中を歩き回り始めた。
「・・・・・・・・・・・・ok。私も今から応戦に行く」
舌打ちを小さく鳴らして電話をポケットに入れた。素早く下着姿に変わり、バッグに入ってあったと思われる栗皮色のライダースーツに身を包む。
「ごめんなさいね、ちょっとだけヘマしちゃったみたい。すぐに、戻ってくるから、待っててね」
はだけた姿の私に一瞥だけくれ、ツカツカとパンプスを鳴らして扉を出ていく。その姿はまるでこれから狩りを行う美しい狼のようであった。
扉が閉まり、実質部屋の中は一人になる。かなり硬質な縄のようだ。結び目もかなり工夫されていて、簡単には解けないだろう。残念ながらこう言う時に恐怖や喪失感、足がすくんで動かないと言う状況にならないのでかなり冷静に局面を見据えることができた。
特に荒らされていないベッド、持ち物は全てバッグの中に栗皮が持っていった、ただ自分のスマホだけは残していってくれた。風呂場やトイレにも他の人間の気配は無い。
この縄さえ解ければ、、、。この縄さえ解ければ!
こう言う時、客観的に自分を見る力が必要になる。いや、自分ではなくこの状況だった。もっと、もっと客観的に見つめなければならない。今の今までは状況整理に時間を使っていただけだ。もっと、もっと、もっと、もっと、もっともっともっともっと。
集君ならこう言う時、どう考える?
温かな響きを持つその名前を思い浮かべた瞬間、胸の内がふわっと血液も筋肉も無くなったように軽くなり、白い輝きを放つ明るい未来を指し示すような光が、部屋中全体、全てを照らしてくれるような、いや、実際に照らしたのかもしれない。
「はるみちゃん、もし、はるみちゃんが監禁された時用に、縄の解き方を教えてあげるよ」
いつかの会話。その時の服装も背景もどう言う状況だったのかも思い出せない。ただ、集君だけが笑ってる。
嗚呼、どうして今まで忘れてたんだ。前に、優しく教えてもらったじゃないか。
その時は丁度、前に腕を縛られてたんだ。彼は結局優しいから力任せに縄を解けそうなくらいグラグラな結び方だったけど。
あの時を応用して。
必死に脳が働き始め、体を上手くくねらせる。小さくできた空間に指を挟み込み、更に空間を作り少しずつ、少しずつ、脱出への道がひらけてくる。汗が一筋床へこぼれ落ちた時、やっとの思いで解放された。何分かかったなんて、わからない。だが、それだけ久しぶりに何かに熱中できた気がした。
さて。ここからどうするか。正直栗皮がどこへ向かったかは見当がついている。円架の方向、つまりアジトの場所だ。だが正直行ったところでどうすることもできないし、その原因を作ったのは私だったから戻ったところで顔を合わせるのが気まずいだけだ。
本当に困ったものだ。せめて警察の身分を未だに持っていれば、、、。
すると場違いな自分の着メロが陽気に鳴った。勿論今の自分にメールを送るのはあいつしかいないが、あいつは今相当の修羅場じゃなかったか?
メールの題字に恐る恐る目をやる。
『どこ行ってるの』
『どこ行ってるんですか。こっちは取り敢えず今日のうちにカタがつきそうなのでもう全然帰ってきてくれてもいいです。と言うか最近溜まってるんです。今日はとても頑張ったからお願いします、体貸して下さい』
全く本当に血が繋がった姉妹のようではないメールの内容だ。しかしカタがついたし致すことのお誘い迄来るとは無事に事件は解決したのだろうか。彼女が私を誘って切れいる時は大抵気分がいい時だ。慰めて欲しいから愛撫してなど今まで一度もない。
、、、、、、。帰るか。ここにいても何もすることはないし、むしろここに留まってまた栗皮が戻ってきたら面倒だ。ここから出る、そして妹の待つ部屋に帰る。
時計に目をやると午前3時。案外時は進んでいたようだ。足早にショッキングピンクの部屋を出て、何も思い残しはないように扉を閉めた。
時刻は数時間前。
木村主水。それが自分の本当の名前。帰る家もないし待つ人もいない。そんな俺を拾ってくれたのがこのお方達だった。正式名称はあるらしいが全く下っ端の方には教えてくれない。矢張り所詮自分はトカゲの尻尾。ただの駒要員としてしか見られていないんだろう。だがそれでいいんだ。ただ、自分は居場所が欲しかっただけなのだから。
そうだ、居場所だ。居場所が欲しかっただけなんだ。なのに、なのに、なのに、、、。
あんなことするからいけないんだ。
激怒という名の感情に身を任せ兎に角兎に角走り続けた。
だが、それが逆に幸運を呼び寄せた。矢張り警察の目は侮れない。小さい小さいギャングでも悪いレッテルが貼ららればすぐ様目をつけられるのだ。自分が出て行った後、アジトに数人の警官らしき強面の爺さんどもが張り込んでいるのが見えた。俺程度に見つかったんだ、きっと今から家宅捜索でも始めるんだろう。
しめた。あのままあそこにいたら自分も一緒に刑務所行きだった。
軽い足取りで地下室から登っていく。表はバー、裏はアジトの隠れ家。
だが、油断したのが更なる不幸を誘き寄せた。
つけられていたのだ。そりゃそうだ。あそこの階段に繋がっているのはあのバーしかない。そうなればその階段から出て来た俺は、営業時間が終了したのに従業員らしくもない格好で出て来た俺は尾行の対象になる。当たり前だ。
明るいネオン街に足を運ぶことは避けた。それは昔っからで、危険な仲間と再会した時どのような扱いを受けるかわからなかったから。ただ、尾行されていると気づいていたらこっちの道を選んでいたに違いない。
尾行に気づいたのはいつも通り暗いジメジメとした何もない小道。ここまでくれば後ろから複数の足跡が俺に迫って来ていることぐらい感じ取れる。背中に嫌な汗が流れ始める。直感的にアジトを張っていた刑事だとわかる。
護身用のナイフを片手に、本能的に走り出した。
無呼吸だった。無我夢中だった。ただ目の前の暗闇だけを裂いて行った。
目の前に女がいた。茶色いスーツを着た女が可愛がっていた対象だと察知した。
意味もわからず切り付けて、そのまま逃げ生き延びることだけを考えた。
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