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62. ごめんね
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一族内の問題だから、と蘇芳だけが大広間に残り、リュカ達は帰された。セキシとレヴォルークと並んで、蘇芳の屋敷へと戻る。そこまでの長期間空けたわけでもないのに、懐かしい。少年は改めて従者の青年に父親を紹介した。
「息子がとても世話になっているみたいだね。僕のことは、レヴォでもルークでも気軽に呼んでくれ」
「いえ、そんな…恐れ多いです」
にっこりと笑みを浮かべるレヴォルークに手を握られているセキシの目は、戸惑った様子でリュカに向けられていた。
「リュカ様が竜族だったなんて、今でも信じられません…」
「嘘じゃないよ~。リュカは紛れもなく僕の子さ」
「あ、いえ、疑っているわけではないのですが、竜なんて高貴な存在を目にしたことが無いのものですから…。想像ができなくて」
そうか、自分が竜に変化した時セキシはあの場にいなかったんだ。
少年は先程と同じように目を閉じた。しばらく待って目を開けると、視線の高さが低くなっていた。顔を上げると、セキシの驚いた顔が見える。次の瞬間、彼の表情は甘く蕩けた。
「リュカ様、なんて可愛らしい…!」
青年が床に膝をついて座り、顔を覗きこんでくる。リュカは辺りを見回し、近くの壁に姿見があるのに気がついた。二足で歩いて向かおうとしたのだが、うまく一歩を踏み出せない。何度か試したのだが、どうしてもバランスが取れずに両手を床についてしまう。リュカは諦めて四つん這いで向かった。壁に手を突いて立ち上がり、姿見の中の自分と対面する。
一番に目についたのは、銀色の目だった。人型の時よりも大きくぎょろぎょろしていて、まるで宝石のように強い輝きを放っている。レヴォルークの住処で水鏡を通して見てはいたが、水面が波立っていておぼろげだった。今初めてはっきりくっきりと目にして、何とも不思議な気分だった。
口を開けてみると、小さな鋭い歯がびっしりと生えている。硬質な皮膚が顔と、額の契角を覆っていた。首は短く、腹がぽっこりと膨らんでいる。背中を鏡に映してみると、両手と同じくらいに小さな翼が生えていた。まるで飾りのようについているだけで、頼りなく見える。
頭部が大きく、体は小さくて、アンバランスだと思った。竜と言うよりも、トカゲに近いと思った。父親の竜型は猛々しく大きくてとても格好良かったのに。
「…俺、本当に竜?」
期待にそぐわぬ自分の竜姿にがっかりだ。ついさっきまで自分はレヴォルークの子で竜族に違いないんだと思っていたのに、正面から直視したことで確信が揺らいだ。彼の子であっても、別の爬虫類系の血が混じっているのではないかと思った。
「嫌だなあ、リュカまで疑ってるのかい?小さいけれど、立派な翼まで生えてるのに」
「でも、すげーちんちくりんじゃん…。父ちゃんの竜姿はかっこよかったのに」
「それはリュカが幼生だからだよ」
「ようせい?」
「赤ちゃんってことさ」
「俺もう16年くらい生きてる」
子竜の姿で、リュカはむっと顔をしかめた。赤ちゃん呼ばわりされたのが気に障ったらしい。むくれる息子は目に入れても痛くないくらいに可愛いなあと思いつつ、レヴォルークは我が子を抱き上げた。
「竜族にとっての16年なんて、あってないようなものさ。それに竜に変化したのもさっきが初めてだろう?まさしく生まれたてなんだよ。だから小さくて当然だ」
「翼、こんなに小さくても飛べんの?」
「うーん、さすがにもうちょっと大きくならないと無理かな~」
「…じゃあ俺、今は竜って言うよりトカゲってことじゃん」
「そんなにがっかりしなくても、すぐに大きくなるよ~」
「ちゃんと父ちゃんみたいにでかくて、かっこいい竜になる?」
「もちろん!きっと僕よりうんと格好よくなるよ」
満面の笑みを浮かべた父親に高い高いをされる。これで喜ぶと思われているなんて、完全に赤ん坊扱いだ。心外だとは思いつつも、嫌ではなかった。自分のことを好きで可愛くてたまらない、というレヴォルークの気持ちが態度や言葉を通して伝わってくる。
この時本人は気がついていなかったが、照れ隠しでリュカの小さな翼がパタパタと動いているのをセキシは目撃していた。
ためらいがちに子竜姿のリュカをだっこしたいと言うセキシの腕に抱かれた後、少年は人型に戻り、自室へと戻った。障子を開け馴染みのある室内の様子を目にして、はっと息を呑む。思い出さないように無意識に押しこめていた記憶がよみがえる。
綺麗だった。まるであの惨劇がなかったかのように。あんなに血が出て、そこらじゅうに飛び散ったのに。何も起こらなかったかのように、いつも通りに整えられている。
「ここがリュカの部屋かい?小ぢんまりとしているけど、何だか落ち着くね。あ、竜の像がある。――リュカ?」
我先に足を踏み入れたレヴォルークは、室内をゆっくりと見まわす。だが、我が子が顔面蒼白で入り口で突っ立っているのを見て、首を傾げた。傍らに控えていたセキシは床に膝を突いてしゃがみ、少年の手を取った。
「…リュカ様」
「…イズル、…イズルはどうなったんだ…?」
「あの少年…イズル様の亡骸は燃やされました。息絶えてなお、何らかの術がかけられている可能性があったからです」
亡骸。信じたくはなかったが、本当にイズルは死んでしまったのか。彼はバトーの被害者なのに、死んでも火にくべられて形も残らないように消されてしまった。悔しくて、リュカは下唇をきつく噛みしめた。
「…リュカ様、勝手ながらイズル様の灰を引き取りました」
「えっ…本当に…っ!?」
セキシの言葉に、リュカは素早く顔を上げた。従者の青年は目尻を垂れさせ、微笑んだ。
「はい。何らかの形で弔いができればと思って…」
感激のあまり、少年は従者に抱きついた。彼の気遣いが嬉しかった。
セキシが自室から壺を持ってきた。中に遺灰が入っているらしい。壺は両手で覆えるくらいに小さい。自分よりも少し背の高かったイズルの肉体は、バトーに散々玩具にされて、結果これだけになってしまった。闇オークションの会場で初めて会った時に、助けることができていれば結果は違ったのだろうか。でも、あの時の自分にはとてもそんな力はなかった。それに、運よくイズルを助けられても、バトーは違う人間を奴隷にして鬼の里に送り込んできていたかもしれない。遺灰壺を両手で握りしめながら、過去を悔やんだ。
リュカが急に気落ちした原因をレヴォルークだけが知らなかった。セキシの助けを借りつつ、父親にイズルのことを話した。
「そう…そんなことがあったんだ。いい友人になれそうだったのに、惜しい人を亡くしたね」
慰めるように頭を撫でられ、こくりと頷く。
「リュカ、イズルくんの遺灰、あの池の周りに撒いたらどうかな?」
父親の提案に、息子は目をぱちぱちと瞬かせた。
「バトーに縛られて生きてきて、死後もこんなに小さな壺に押し込められたら窮屈じゃないかな?せめて死後は自由にいさせてあげたくないかい?鬼の里でもいいかもしれないけど、鬼達に理解を求めるのは難しそうだ。見たところ閉塞的だし、排他的な考えの者が多い。けど、僕がいたあの場所ならとやかく言う者もいないし、自然も豊かだ。イズルくんの魂も、安らげるんじゃないかな」
どう?と問われて、リュカは飛びついた。名案だ、と思った。自分がイズルだったら、殺された鬼の里で遺灰壺に閉じ込められたままでいるより、自然と共にある方がいい。
早速行こう、とせがむリュカを、レヴォルークは笑いながらたしなめた。
「行くなら、蘇芳くんに一声かけてからだね。何も告げずにリュカと姿をくらましたら、僕が殺されそう」
「私も怒られてしまいそうです。何故引き留めなかったのか、と」
従者の青年も苦笑いを浮かべている。そんなことはしないと思うが、確かに何も言わずに発つのもどうかと思い、二人の助言を受け入れることにした。
戸を開ける音を耳にするなり、リュカは玄関まで走り蘇芳に遺灰の話をした。従者が遺灰を引き取ったことに、赤鬼は驚いた様子でセキシに目を向けたものの、二つ返事で頷いた。そうと決まればいてもたってもいられなくて、レヴォルークの手に乗って一行は出発した。たっての希望で、セキシも一緒だ。彼は、美しい白竜に変身したレヴォルークと、彼の休息所である緑にあふれた池を目にして二度驚いていた。
「リュカ、一緒にやってやろうか?」
「…大丈夫。俺、一人でやる」
蘇芳の申し出はありがたかったが、断った。壺の蓋を開け、遺灰をひと掬いする。喉がぎゅっと締まるのを感じながら、草が生い茂る地面へと撒いた。遺灰を撒く度に、心の中でイズルに語りかける。
イズル、ごめん。助けてあげられなくて。俺に力があれば、闇オークションで助けてあげられたかもしれない。蘇芳に頼めば良かったかもしれないのに、自分が捨てられたくないからって、見て見ぬ振りした。ごめん、本当にごめん。顔を合わせて話をしたのはほんのわずかな時間だったけど、もっと話がしたかった。もっとイズルのこと、知りたかった。
全て撒き終わって、立っていられなくなった。膝から崩れ落ち、芝生の上にうずくまる。涙がどんどんこみ上げてきて、うまく呼吸が出来なかった。
誰かに優しく抱き起され、ぎゅうと抱きしめられる。この匂いは蘇芳だ。
「俺…悔しい…!」
儚く微笑むイズルの姿を今でもはっきりと思い出せる。同じ奴隷ながら、まともな生活をさせてもらえているリュカのことを自分のことのように喜んでくれた。蘇芳やセキシみたいに差別的でない人がもっと増えるんじゃないか、って希望を持っていたのに。あんなに清らかな存在を、あの男は殺した。
バトーが憎い。こんなにも他人を憎いと思ったのは初めてだった。
「リュカ様…」
後頭部を優しく撫でられる。蘇芳の胸に顔を埋めているせいで見えないが、優しい声音から、セキシだろうと思った。
「なんであんな目にあわされなきゃ、いけなかったんだよ…!いい奴だったのに…っ!イズルが、何をしたって言うんだよ…っ!」
少年の悲痛な問いに、誰も何も答えることが出来なかった。バトーの奴隷の死を悼んで泣く彼の傍にいてやることしか出来なかった。
「息子がとても世話になっているみたいだね。僕のことは、レヴォでもルークでも気軽に呼んでくれ」
「いえ、そんな…恐れ多いです」
にっこりと笑みを浮かべるレヴォルークに手を握られているセキシの目は、戸惑った様子でリュカに向けられていた。
「リュカ様が竜族だったなんて、今でも信じられません…」
「嘘じゃないよ~。リュカは紛れもなく僕の子さ」
「あ、いえ、疑っているわけではないのですが、竜なんて高貴な存在を目にしたことが無いのものですから…。想像ができなくて」
そうか、自分が竜に変化した時セキシはあの場にいなかったんだ。
少年は先程と同じように目を閉じた。しばらく待って目を開けると、視線の高さが低くなっていた。顔を上げると、セキシの驚いた顔が見える。次の瞬間、彼の表情は甘く蕩けた。
「リュカ様、なんて可愛らしい…!」
青年が床に膝をついて座り、顔を覗きこんでくる。リュカは辺りを見回し、近くの壁に姿見があるのに気がついた。二足で歩いて向かおうとしたのだが、うまく一歩を踏み出せない。何度か試したのだが、どうしてもバランスが取れずに両手を床についてしまう。リュカは諦めて四つん這いで向かった。壁に手を突いて立ち上がり、姿見の中の自分と対面する。
一番に目についたのは、銀色の目だった。人型の時よりも大きくぎょろぎょろしていて、まるで宝石のように強い輝きを放っている。レヴォルークの住処で水鏡を通して見てはいたが、水面が波立っていておぼろげだった。今初めてはっきりくっきりと目にして、何とも不思議な気分だった。
口を開けてみると、小さな鋭い歯がびっしりと生えている。硬質な皮膚が顔と、額の契角を覆っていた。首は短く、腹がぽっこりと膨らんでいる。背中を鏡に映してみると、両手と同じくらいに小さな翼が生えていた。まるで飾りのようについているだけで、頼りなく見える。
頭部が大きく、体は小さくて、アンバランスだと思った。竜と言うよりも、トカゲに近いと思った。父親の竜型は猛々しく大きくてとても格好良かったのに。
「…俺、本当に竜?」
期待にそぐわぬ自分の竜姿にがっかりだ。ついさっきまで自分はレヴォルークの子で竜族に違いないんだと思っていたのに、正面から直視したことで確信が揺らいだ。彼の子であっても、別の爬虫類系の血が混じっているのではないかと思った。
「嫌だなあ、リュカまで疑ってるのかい?小さいけれど、立派な翼まで生えてるのに」
「でも、すげーちんちくりんじゃん…。父ちゃんの竜姿はかっこよかったのに」
「それはリュカが幼生だからだよ」
「ようせい?」
「赤ちゃんってことさ」
「俺もう16年くらい生きてる」
子竜の姿で、リュカはむっと顔をしかめた。赤ちゃん呼ばわりされたのが気に障ったらしい。むくれる息子は目に入れても痛くないくらいに可愛いなあと思いつつ、レヴォルークは我が子を抱き上げた。
「竜族にとっての16年なんて、あってないようなものさ。それに竜に変化したのもさっきが初めてだろう?まさしく生まれたてなんだよ。だから小さくて当然だ」
「翼、こんなに小さくても飛べんの?」
「うーん、さすがにもうちょっと大きくならないと無理かな~」
「…じゃあ俺、今は竜って言うよりトカゲってことじゃん」
「そんなにがっかりしなくても、すぐに大きくなるよ~」
「ちゃんと父ちゃんみたいにでかくて、かっこいい竜になる?」
「もちろん!きっと僕よりうんと格好よくなるよ」
満面の笑みを浮かべた父親に高い高いをされる。これで喜ぶと思われているなんて、完全に赤ん坊扱いだ。心外だとは思いつつも、嫌ではなかった。自分のことを好きで可愛くてたまらない、というレヴォルークの気持ちが態度や言葉を通して伝わってくる。
この時本人は気がついていなかったが、照れ隠しでリュカの小さな翼がパタパタと動いているのをセキシは目撃していた。
ためらいがちに子竜姿のリュカをだっこしたいと言うセキシの腕に抱かれた後、少年は人型に戻り、自室へと戻った。障子を開け馴染みのある室内の様子を目にして、はっと息を呑む。思い出さないように無意識に押しこめていた記憶がよみがえる。
綺麗だった。まるであの惨劇がなかったかのように。あんなに血が出て、そこらじゅうに飛び散ったのに。何も起こらなかったかのように、いつも通りに整えられている。
「ここがリュカの部屋かい?小ぢんまりとしているけど、何だか落ち着くね。あ、竜の像がある。――リュカ?」
我先に足を踏み入れたレヴォルークは、室内をゆっくりと見まわす。だが、我が子が顔面蒼白で入り口で突っ立っているのを見て、首を傾げた。傍らに控えていたセキシは床に膝を突いてしゃがみ、少年の手を取った。
「…リュカ様」
「…イズル、…イズルはどうなったんだ…?」
「あの少年…イズル様の亡骸は燃やされました。息絶えてなお、何らかの術がかけられている可能性があったからです」
亡骸。信じたくはなかったが、本当にイズルは死んでしまったのか。彼はバトーの被害者なのに、死んでも火にくべられて形も残らないように消されてしまった。悔しくて、リュカは下唇をきつく噛みしめた。
「…リュカ様、勝手ながらイズル様の灰を引き取りました」
「えっ…本当に…っ!?」
セキシの言葉に、リュカは素早く顔を上げた。従者の青年は目尻を垂れさせ、微笑んだ。
「はい。何らかの形で弔いができればと思って…」
感激のあまり、少年は従者に抱きついた。彼の気遣いが嬉しかった。
セキシが自室から壺を持ってきた。中に遺灰が入っているらしい。壺は両手で覆えるくらいに小さい。自分よりも少し背の高かったイズルの肉体は、バトーに散々玩具にされて、結果これだけになってしまった。闇オークションの会場で初めて会った時に、助けることができていれば結果は違ったのだろうか。でも、あの時の自分にはとてもそんな力はなかった。それに、運よくイズルを助けられても、バトーは違う人間を奴隷にして鬼の里に送り込んできていたかもしれない。遺灰壺を両手で握りしめながら、過去を悔やんだ。
リュカが急に気落ちした原因をレヴォルークだけが知らなかった。セキシの助けを借りつつ、父親にイズルのことを話した。
「そう…そんなことがあったんだ。いい友人になれそうだったのに、惜しい人を亡くしたね」
慰めるように頭を撫でられ、こくりと頷く。
「リュカ、イズルくんの遺灰、あの池の周りに撒いたらどうかな?」
父親の提案に、息子は目をぱちぱちと瞬かせた。
「バトーに縛られて生きてきて、死後もこんなに小さな壺に押し込められたら窮屈じゃないかな?せめて死後は自由にいさせてあげたくないかい?鬼の里でもいいかもしれないけど、鬼達に理解を求めるのは難しそうだ。見たところ閉塞的だし、排他的な考えの者が多い。けど、僕がいたあの場所ならとやかく言う者もいないし、自然も豊かだ。イズルくんの魂も、安らげるんじゃないかな」
どう?と問われて、リュカは飛びついた。名案だ、と思った。自分がイズルだったら、殺された鬼の里で遺灰壺に閉じ込められたままでいるより、自然と共にある方がいい。
早速行こう、とせがむリュカを、レヴォルークは笑いながらたしなめた。
「行くなら、蘇芳くんに一声かけてからだね。何も告げずにリュカと姿をくらましたら、僕が殺されそう」
「私も怒られてしまいそうです。何故引き留めなかったのか、と」
従者の青年も苦笑いを浮かべている。そんなことはしないと思うが、確かに何も言わずに発つのもどうかと思い、二人の助言を受け入れることにした。
戸を開ける音を耳にするなり、リュカは玄関まで走り蘇芳に遺灰の話をした。従者が遺灰を引き取ったことに、赤鬼は驚いた様子でセキシに目を向けたものの、二つ返事で頷いた。そうと決まればいてもたってもいられなくて、レヴォルークの手に乗って一行は出発した。たっての希望で、セキシも一緒だ。彼は、美しい白竜に変身したレヴォルークと、彼の休息所である緑にあふれた池を目にして二度驚いていた。
「リュカ、一緒にやってやろうか?」
「…大丈夫。俺、一人でやる」
蘇芳の申し出はありがたかったが、断った。壺の蓋を開け、遺灰をひと掬いする。喉がぎゅっと締まるのを感じながら、草が生い茂る地面へと撒いた。遺灰を撒く度に、心の中でイズルに語りかける。
イズル、ごめん。助けてあげられなくて。俺に力があれば、闇オークションで助けてあげられたかもしれない。蘇芳に頼めば良かったかもしれないのに、自分が捨てられたくないからって、見て見ぬ振りした。ごめん、本当にごめん。顔を合わせて話をしたのはほんのわずかな時間だったけど、もっと話がしたかった。もっとイズルのこと、知りたかった。
全て撒き終わって、立っていられなくなった。膝から崩れ落ち、芝生の上にうずくまる。涙がどんどんこみ上げてきて、うまく呼吸が出来なかった。
誰かに優しく抱き起され、ぎゅうと抱きしめられる。この匂いは蘇芳だ。
「俺…悔しい…!」
儚く微笑むイズルの姿を今でもはっきりと思い出せる。同じ奴隷ながら、まともな生活をさせてもらえているリュカのことを自分のことのように喜んでくれた。蘇芳やセキシみたいに差別的でない人がもっと増えるんじゃないか、って希望を持っていたのに。あんなに清らかな存在を、あの男は殺した。
バトーが憎い。こんなにも他人を憎いと思ったのは初めてだった。
「リュカ様…」
後頭部を優しく撫でられる。蘇芳の胸に顔を埋めているせいで見えないが、優しい声音から、セキシだろうと思った。
「なんであんな目にあわされなきゃ、いけなかったんだよ…!いい奴だったのに…っ!イズルが、何をしたって言うんだよ…っ!」
少年の悲痛な問いに、誰も何も答えることが出来なかった。バトーの奴隷の死を悼んで泣く彼の傍にいてやることしか出来なかった。
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