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小十人組番士・幸田源之助親曲の佐野善左衛門政言への「甘い囁き」

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 淨光寺じょうこうじにおける「昼餉ひるげ騒動そうどう」をしずめた将軍しょうぐん家治いえはるはそれから、

取直とりなおして…」

 午後ごご鷹狩たかがりへとのぞんだ。

 すなわち、ひるの九つ半(午後1時頃)より夕七つ(午後4時頃)までの一刻半いっときはん(約3時間)ものあいだ鷹狩たかがりにきょうじたのであった。

 昼餉ひるげまえ午前ごぜん鷹狩たかがりにおいては家治いえはる供弓ともゆみえらばれた番士ばんしたちに、

はなたせる…」

 それゆえにその実力じつりょく発揮はっきすることはなかったが、午後ごごよりの鷹狩たかがりにおいてはその実力じつりょくを、

遺憾いかんく…」

 発揮はっきしたものである。

 家治いえはる祖父そふ吉宗よしむね薫陶くんとう賜物たまもの弓矢ゆみや技量ぎりょうにもすぐれ、騎馬きばにてとり仕留しとめることも容易たやすいことであった。

 それは午後ごごいまにおいても発揮はっきされ、家治いえはる騎馬きばにてきじ青鴨あおがも小鴨こがもなど数多あまたとり仕留しとめてみせ、供弓ともゆみの「戦果せんか」をかすませたほどであった。

 こうして夕七つ(午後4時頃)に鷹狩たかがりをえると、それから家治いえはるの「軍勢ぐんぜい」は一刻いっとき(約2時間)ほどかけて千代田ちよだ御城おしろへと還御かんぎょ帰還きかんたしたのであった。

 つまりは御城えどじょうかえいたのはたつ上刻じょうこく、暮六つ(午後6時頃)ぎであり、本来ほんらいならば御城えどじょう諸門しょもんじられているころであったが、今日きょう将軍しょうぐん家治いえはるが「軍事ぐんじ訓練くんれん」である鷹狩たかがりへと出向でむくとあって、そのかえりまでもんじられることはなかった。

 さて、御城えどじょうへともどった将軍しょうぐん側近そばちかくにつかえる小納戸こなんど頭取とうどり小姓こしょう頭取とうどり、それに小姓こしょう小納戸こなんどたちをしたがえて中奥なかおくへともどり、一方いっぽう表向おもてむき番士ばんしたちは表向おもてむきにある各々おのおののロッカールームとも言うべきした部屋べやへともどり、そこであせつちよごれた衣裳いしょう脱捨ぬぎすてた。

 鷹狩たかがりに扈従こしょうする表向おもてむき番士ばんしたちはいつもよりも早目はやめ登城とじょう御城えどじょうへと出勤しゅっきんすると、表向おもてむきにある各々おのおのした部屋べやにて、その「通勤つうきんスタイル」とも言うべき肩衣かたぎぬいで、みずか持参じさんした鷹狩たかがよう衣裳いしょうへと、すなわち、野袴のばかま着替きがえて鷹狩たかがりにのぞむ。

 それゆえ鷹狩たかがりをえた表向おもてむき番士ばんしたちはふたたび、各々おのおのした部屋べやへともどると、

あせつちよごれた…」

 鷹狩たかがよう衣裳いしょうである野袴のばかまより「通勤つうきんスタイル」である肩衣かたぎぬへと着替きがえることとなる。

 無論むろんからだあせまみれであり、そのまま肩衣かたぎぬ着替きがえては、比較的ひかくてきよごれてはいない、それどころか、

真新まあたらしい…」

 肩衣かたぎぬをもよごしてしまうことになる。

 そこでおもて坊主ぼうずによりあらかじめ、各々おのおの番士ばんしたちのした部屋べやには、

並々なみなみと…」

 あつそそがれた大桶おおおけ用意よういされており、番士ばんしたちはやはりみずからがあらかじ用意よういしておいた手拭てぬぐいをそのひたしてあせまみれのからだをその手拭てぬぐいぬぐい、そうしてからだ綺麗きれいにしてから肩衣かたぎぬへと着替きがえる。

 ちなみに番方ばんかたなかでは意外いがいにも書院番しょいんばん番頭ばんがしら番士ばんしだけはした部屋べやがなかった。

 いや正確せいかくには書院番しょいんばんがしら表向おもてむき御殿ごてんなかに、

書院番しょいんばん部屋べや

 その部屋へやした部屋べやとしてあたえられていた。

 小姓こしょう組番ぐみばんがしらした部屋べやほか番方ばんかた大番おおばん新番しんばん小十人こじゅうにん組番ぐみばん同様どうよう御殿ごてんへの通用口つうようぐちとも言うべき中之口なかのぐちにあり、一方いっぽう書院番しょいんばんがしらした部屋べや御殿ごてんなかにあり、書院番しょいんばんがしら小姓こしょう組番ぐみばんがしらとでは書院番しょいんばんがしらほうが、

「やや…」

 にぎないものの、格上かくうえである所以ゆえんであった。

 ひるがえって、これがヒラの番士ばんしともなると、小姓こしょう組番ぐみばんほう書院番しょいんばんよりも、これまた、

「やや…」

 格上かくうえであった。

 それと言うのもヒラの書院番しょいんばんにはした部屋べやあたえられておらず、勤務場所きんむばしょである虎之間とらのました部屋べやねていたからだ。

 見方みかたによっては書院番しょいんばんがしら同様どうよう

御殿ごてんなかに…」

 した部屋べやがある、と言えなくもなかったが、しかしここはやはり、

「ヒラの書院番しょいんばんにはした部屋べやあたえられていない…」

 そう看做みなされており、小姓こしょう組番ぐみばんほう書院番しょいんばんほう格上かくうえ所以ゆえんであった。

 ちなみに書院番しょいんばんなかでも番頭ばんがしらとヒラの番士ばんしとのあいだ位置いちする組頭くみがしらにはした部屋べやあたえられており、それゆえ書院番しょいんばん組頭くみがしら小姓こしょう組番ぐみばん組頭くみがしらとは同格どうかく看做みなされていた。

 さて、佐野さの善左衛門ぜんざえもん新番組しんばんぐみした部屋べやにて屈辱感くつじょくかんさいなまれながらからだよごれをぬぐった。

 同僚どうりょう新番しんばんみな

好奇こうき入混いりまじった…」

 そのよう視線しせん佐野さの善左衛門ぜんざえもん降注ふりそそぐものだから、佐野さの善左衛門ぜんざえもんにしてみれば、これほど屈辱くつじょくはなかった。

 その原因げんいん無論むろんくだんの四羽目のがんにあった。

 一度いちど小十人こじゅうにん組番ぐみばんさわ吉次郎きちじろう仕留しとめたがんであると、戦功認定せんこうにんていされながら、その書院番しょいんばん大田おおた善大夫ぜんだゆうがそれにったをかけ、

佐野さの善左衛門ぜんざえもん仕留しとめたがんである…」

 そう主張しゅちょうしてくれたものだから、しかもおのれ家柄いえがらまで持上もちあげてくれたものだから、佐野さの善左衛門ぜんざえもんもすっかり舞上まいあがってしまった。

 だが結局けっきょく当初とうしょ戦功認定通せんこうにんていどおり、

さわ吉次郎きちじろう仕留しとめたがんである…」

 こともあろうに将軍しょうぐん家治いえはるみずからそう裁断さいだんしたものだから、いまでは同僚どうりょうから、

好奇こうき入混いりまじった…」

 もっと言えば侮蔑ぶべつ入混いりまじった、そのよう眼差まなざしをけられることになり、佐野さの善左衛門ぜんざえもん自尊心プライドいまや、粉々こなごなであった。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんはその空気くうきえられず、いそからだよごれをとし、肩衣かたぎぬへと着替きがえ、そしてよごれた野袴のばかま風呂敷ふろしきつつむとまさに、

脱兎だっとごとく…」

 げるようした部屋べやから退出たいしゅついや脱出だっしゅつして中之口なかのぐちよりそとへとた。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんそと空気くうきううちに、幾分いくぶん落着おちつきを取戻とりもどしたものの、しかし、夕暮ゆうぐれのそら佐野さの善左衛門ぜんざえもん感傷的かんしょうてきにさせ、落涙らくるいおそわれた。

 無論むろん武士ぶしたるなみだながわけにはまいらぬ。

いしばり…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんなみだこらえた。

 そうして落涙らくるい衝動しょうどうおさまるや、佐野さの善左衛門ぜんざえもんいでうらみの衝動しょうどうおそわれた。

 うらみとはほかでもない、おのれ糠喜ぬかよろこびさせた大田おおた善大夫ぜんだゆうや、そんな大田おおた善大夫ぜんだゆうくみした岩本いわもと正五郎しょうごろうたいするそれであった。

 いや、それが「逆怨さかうらみ」であることは佐野さの善左衛門ぜんざえもんかっていた。

 大田おおた善大夫ぜんだゆうにしてみれば、くだんの四羽目のがん射止いとめた供弓ともゆみさわ吉次郎きちじろうではなく、おのれであると―、佐野さの善左衛門ぜんざえもんであるとおもえばこそ、そう主張しゅちょうしてくれたのだろうし、小納戸こなんど岩本いわもと正五郎しょうごろうもまた、そうおもえばこそ、大田おおた善大夫ぜんだゆうのその主張しゅちょうくみしてくれたに相違そういあるまい。

 だがしむらくは、大田おおた善大夫ぜんだゆうにしろ、岩本いわもと正五郎しょうごろうにしろ、いのちける覚悟かくごにはけていた。

 そこがさわ吉次郎きちじろう味方みかたした戸田とだ次郎左衛門じろうざえもん黒川くろかわ内匠たくみ伊丹いたみ雅楽助うたのすけらとのちがい、最大さいだいちがいであった。

 さわ吉次郎きちじろう味方みかたした彼等かれらにはみなさわ吉次郎きちじろうためいのちける覚悟かくごがあり、それゆえ将軍しょうぐん家治いえはるさわ吉次郎きちじろうに、いやいのちける彼等かれら軍配ぐんばいげたのであろう。

 いのちけるものと、そうでないもの、どちらの主張しゅちょう軍配ぐんばいがるか、それはるよりもあきらかであろう。

「こんなことなら最初さいしょから、このおれ射止いとめたがんなどと、わめらさないでしかった…」

 そうすればおのれもこんなはじを、屈辱感くつじょくかんあじわわずにすんだものをと、佐野さの善左衛門ぜんざえもんは「逆怨さかうらみ」は承知しょうちうえで、そうおもった。

 さて、大手おおて門外もんそと下馬げばしょにおいては、佐野さの善左衛門ぜんざえもん従者じゅうしゃっていた。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん大手おおて門橋もんばしより門外もんそとへとると、それに気付きづいた従者じゅうしゃのうちの一人ひとり提燈ちょうちんをぶらげた供侍ともざむらあるじ佐野さの善左衛門ぜんざえもんもとへと駆寄かけよった。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん従者じゅうしゃはこの供侍ともざむらいほかには挟箱持はさみばこもちとそれに草履取ぞうりとりというじつ質素しっそなものであった。

 いや佐野さの善左衛門ぜんざえもんような500石どり旗本はたもとではみな、この程度ていどであった。

 ともあれ彼等かれら佐野さの善左衛門ぜんざえもん従者じゅうしゃ今日きょうまさに、

あさからばんまで…」

 この大手おおて門外もんそとにある下馬げばしょにおいてあるじかえりをっていた…、わけでは勿論もちろんない。

 いつもの勤務きんむならば、それもたとえば夕番ゆうばん宵番よいばん不寝番ねずのばんでもないかぎりは、佐野さの善左衛門ぜんざえもんよう番士ばんし従者じゅうしゃあるじかえりをここ、大手おおて門外もんそと下馬げばしょにてつことになる。

 だが今日きょうよう鷹狩たかがりにおいては従者じゅうしゃはいったん屋敷やしきへと帰宅きたくし、そしてあるじ鷹狩たかがりよりかえってくる頃合ころあい見計みはからって―、将軍しょうぐんしたがい、御城えどじょう刻限こくげん逆算ぎゃくさんして屋敷やしきふたたび、大手おおて門外もんそと下馬げばしょへとかうのだ。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん従者じゅうしゃ場合ばあいだと、あさ大手おおて門外もんそと下馬げばしょまであるじ佐野さの善左衛門ぜんざえもん見送みおくったのち厩谷うまやだに屋敷やしきへといったんもどる。

 つまり佐野さの善左衛門ぜんざえもん日中にっちゅう木下川きねがわほとりにて供弓ともゆみとして鷹狩たかがりにあせながしているあいだ従者じゅうしゃ御厩谷おうまやだににある屋敷やしきにいた次第しだいで、それが佐野さの善左衛門ぜんざえもん将軍しょうぐん家治いえはるしたがい、そろそろ御城えどじょうへとかえってくるころであろう暮六つ(午後6時頃)まえ大手おおて門外もんそと下馬げばしょへとけるよう、それより半刻はんとき(約1時間)以上いじょうまえゆうの七つ半(午後5時頃)のすこまえにその厩谷うまやだににある屋敷やしきてここ、大手おおて門外もんそとにある下馬げばしょいた次第しだいであった。

 ともあれ供侍ともざむらいあるじ佐野さの善左衛門ぜんざえもん姿すがたいて駆寄かけよるや、挟箱持はさみばこもちもそれにつづき、そして草履取ぞうりとりはそれまでいていた茣蓙ござ片付かたづけて、やはりそのあとつづいた。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんあせまみれの野袴のばかま挟箱持はさみばこもちに、やはりどろよごれた草履ぞうり草履取ぞうりとり夫々それぞれあずけると、供侍ともざむらい先立さきだちにより雉子橋きじばしもんへとかった。ここ大手おおて門外もんそと下馬げばしょより厩谷うまやだににある屋敷やしきへとかえるには雉子橋きじばしもんけるのが一番いちばん近道ちかみちだからだ。

 すで刻限こくげんは暮六つ(午後6時頃)をゆうぎており、それも四半刻しはんとき(約30分)ほどっており、それゆえ足下あしもとはかなりくらかった。

 それでも先立さきだちの供侍ともざむらい提燈ちょうちん佐野さの善左衛門ぜんざえもん足下あしもとらしてくれる御蔭おかげで、佐野さの善左衛門ぜんざえもんつまずかずにんだ。

 その提燈ちょうちんだが、上等じょうとう馬提燈うまちょうちんであり、佐野家さのけ家紋かもんであるまる劔木瓜けんもっこうがあしらわれていた。

 馬提燈うまちょうちん中々なかなかり、本来ほんらいならば佐野さの善左衛門ぜんざえもんよう薄給はっきゅう、とまでは言わないが、それでも500石どり中堅ちゅうけん旗本はたもとではすのが躊躇ためらわれる代物シロモノであった。

 それでも佐野さの善左衛門ぜんざえもんがこうして供侍ともざむらい馬提燈うまちょうちんたせていたのは、ひとえ佐野さの善左衛門ぜんざえもんのその見栄みえりな性分しょうぶんによる。

提燈ちょうちんぐらいは上等じょうとうなものを…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんはそれゆえに、一般的いっぱんてきな、つまりはやすい、ぶら提燈ちょうちんではなく、それよりも上等じょうとうな、馬提燈うまちょうちん仕立したてさせたのだ。

 さて、そうして雉子橋きじばしもんへとかう佐野さの善左衛門ぜんざえもん一行いっこうたいして、背後はいごより、「もし…」とこえがかかった。

 だがそれが当初とうしょ佐野さの善左衛門ぜんざえもん呼止よびとめるこえだとは、佐野さの善左衛門ぜんざえもん主従しゅじゅうだれ気付きづかず、あゆみめようとはしなかった。

 するとつづけて、「佐野さのさま」とこえがかかったので、それで佐野さの善左衛門ぜんざえもん主従しゅじゅうようやくにあゆみめると、こえのした背後はいごへと振向ふりむいた。

 そこには佐野さの善左衛門ぜんざえもん同様どうよう供侍ともざむらいらしきおとこによって、それも馬提燈うまちょうちんによって足下あしもとらしされた一人ひとりおとこっていた。

 いや二本差にほんざし武士ぶしであることはさっせられたが、何分なにぶん

「とっぷり…」

 れており、それゆえ佐野さの善左衛門ぜんざえもん主従しゅじゅうにもそのおとこ、もとい武士ぶし人相にんそうまでは判別はんべつがつきかねた。

 その武士ぶしもそうとさっしてか、供侍ともざむらいらしきおとこより馬提燈うまちょうちん受取うけとると、おのれかおらしてせ、それで佐野さの善左衛門ぜんざえもん主従しゅじゅうもその武士ぶしかお判別はんべつ出来できた。

 その武士ぶしはそれから佐野さの善左衛門ぜんざえもん主従しゅじゅうたいして深々ふかぶかあたまげたので、佐野さの善左衛門ぜんざえもん主従しゅじゅうあわててあたまげた。

突然とつぜんにお呼立よびたつかまつり、申訳もうしわけござりませぬ…」

 その武士ぶしあたまげたまま、まずはそうびてせた。

 鄭重ていちょうぎるその態度たいど佐野さの善左衛門ぜんざえもんわるはしないものの、流石さすが恐縮きょうしゅくし、あたまげるよううながした。

 それでその武士ぶしあたまげると、

拙者せっしゃ小十人こじゅうにん組番ぐみばん…、6番組ばんぐみぞくせし幸田こうだ源之助げんのすけ親曲ちかよしもうものにて…、失礼しつれいながら佐野さの善左衛門ぜんざえもんさまとお見受みういたしまするが…」

 そう自己じこ紹介しょうかいがてら佐野さの善左衛門ぜんざえもん当人とうにんであるかどうか、たしかめるようたずねたので、佐野さの善左衛門ぜんざえもん表情ひょうじょうくもらせつつも「如何いかにも…」とおうずると、

拙者せっしゃ佐野さの善左衛門ぜんざえもんでござる」

 そう自己じこ紹介しょうかいした。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん表情ひょうじょうくもらせたのはほかでもない、その武士ぶしもとい幸田こうだ源之助げんのすけ小十人こじゅうにん組番ぐみばんであったからだ。

 今日きょう鷹狩たかがりにおいては小十人こじゅうにん組番ぐみばんよりは2番組ばんぐみと6番組ばんぐみ扈従こしょうし、そのうち佐野さの善左衛門ぜんざえもん家柄いえがら侮辱ぶじょくした松本まつもと岩次郎いわじろうは2番組ばんぐみぞくする小十人こじゅうにん組番ぐみばんであり、ひるがえって幸田こうだ源之助げんのすけはそれとはべつの6番組ばんぐみぞくする小十人こじゅうにん組番ぐみばんとのことである。

 いや、それ以前いぜん幸田こうだ源之助げんのすけ佐野さの善左衛門ぜんざえもん家柄いえがら侮辱ぶじょくしたわけではない。

 幸田こうだ源之助げんのすけ偶々たまたま松本まつもと岩次郎いわじろうおなじく小十人こじゅうにん組番ぐみばんであったにぎず、そうであれば佐野さの善左衛門ぜんざえもんとしては表情ひょうじょうくもらせるいわれはなかった。

 いや佐野さの善左衛門ぜんざえもんとしても理屈りくつではかっていたものの、しかし、感情かんじょうがそれに追付おいつかなかった。

 いま佐野さの善左衛門ぜんざえもん小十人こじゅうにん組番ぐみばん全員ぜんいんてきおもえてならず、そのよう感情かんじょうめられていた。

 もっとも、だからと言ってそのよう感情かんじょう無関係むかんけい幸田こうだ源之助げんのすけ吐出はきだほど佐野さの善左衛門ぜんざえもんもそこまで無分別むふんべつではなかった。

 一方いっぽう幸田こうだ源之助げんのすけはそのよう佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「胸中きょうちゅう」をるやらずや、

先程さきほどはどうも…」

 そうくちにしてふたた叩頭こうとうしたかとおもうと、「ちとよろしゅうござりまするか?」とたずねた。

 どうやら幸田こうだ源之助げんのすけ佐野さの善左衛門ぜんざえもん二人ふたりだけではなしたいことがあるらしい。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんもそうとさっすると、幸田こうだ源之助げんのすけ同様どうよう供侍ともざむらいより馬提燈うまちょうちん受取うけとると、幸田こうだ源之助げんのすけ二人ふたり夫々それぞれ従者じゅうしゃよりすこはなれた場所ばしょへと移動いどうした。

 さて、佐野さの善左衛門ぜんざえもん幸田こうだ源之助げんのすけ適当てきとう場所ばしょ立止たちどまるや、幸田こうだ源之助げんのすけがまたしても佐野さの善左衛門ぜんざえもん深々ふかぶかあたまげたのであった。

 馬提燈うまちょうちん片手かたて深々ふかぶかあたまげるそのさまはまるで、商人あきんどやその丁稚でっち髣髴ほうふつとさせるものがあり、佐野さの善左衛門ぜんざえもんとしても恐縮きょうしゅくとおして流石さすが見苦みぐるしいものがあり、あたまげてくれるようつよ調子ちょうしうながした。

 だが幸田こうだ源之助げんのすけぐにはあたまげず、

鷹狩たかがりにおける同輩どうはい…、松本まつもと岩次郎いわじろう無礼ぶれい松本まつもと岩次郎いわじろう成代なりかわりまして、お申上もうしあげまする…」

 そう謝罪しゃざい言葉ことばくちにしたのだ。

 それで佐野さの善左衛門ぜんざえもん幸田こうだ源之助げんのすけ態々わざわざおのれ二人ふたりだけではなしがあると、こうして夫々それぞれ従者じゅうしゃよりはなれた場所ばしょへといざなった理由わけ合点がてんがいった。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん従者じゅうしゃまえでそのよう謝罪しゃざいをされては、従者じゅうしゃに、こと供侍ともざむらいに、

主君しゅくん如何いかなる無礼ぶれいったのか…」

 そうかお強張こわばらせてしまう可能性かのうせいがあったからだ。

 いや、これで相手あいてが「元兇げんきょう」とも言える松本まつもと岩次郎いわじろう当人とうにんであれば一向いっこうかまわないが―、その結果けっか佐野さの善左衛門ぜんざえもん供侍ともざむらい松本まつもと岩次郎いわじろうたいして、

主君しゅくん一体いったい如何いか無礼ぶれいはたらかれたのか」

 そう詰問きつもんされる憂目うきめおうとも、やはり佐野さの善左衛門ぜんざえもんとしては、

一向いっこうに…」

 かまわなかった。

 だが実際じっさいには相手あいて無関係むかんけい幸田こうだ源之助げんのすけであり、これでは佐野さの善左衛門ぜんざえもんとしても供侍ともざむら詰問きつもんさせるなどと、そのよう無礼ぶれい無関係むかんけいなる幸田こうだ源之助げんのすけはたらかせるわけにはいかなかった。

 さて、佐野さの善左衛門ぜんざえもん合点がてんがいったところで、あらためて、今度こんど言葉ことばやわらげて幸田こうだ源之助げんのすけあたまげるよううながした。

 幸田こうだ源之助げんのすけもそれでようやくにあたまげると、

松本まつもと岩次郎いわじろう無礼ぶれい本来ほんらいなれば土下座どげざしてもりませぬほどにて…」

 そう補足ほそくし、佐野さの善左衛門ぜんざえもんすこまぎれた。むねなか屈辱感くつじょくかん解消かいしょうされたのだ。

 ともあれ、佐野さの善左衛門ぜんざえもんも「いやいや」とおうずると、

「そのために?」

 二人ふたりきりでのはなとはそのことなのかと、幸田こうだ源之助げんのすけあんたずねた。

 それにたいして幸田こうだ源之助げんのすけは「それもありますが…」とおうじたうえで、

「されば鷹狩たかがりにおけしくだんの四羽目のがんでござるが、あれはやはり佐野さのさま貴殿きでん仕留しとめられしがんにて…」

 じつにサラリとした口調くちょうで言ってのけたものだから、佐野さの善左衛門ぜんざえもんかせた。

 幸田こうだ源之助げんのすけはそんな佐野さの善左衛門ぜんざえもん尻目しりめじつ重大じゅうだいなことを、すなわち、

「さればさわ吉次郎きちじろうぞくせし2番組ばんぐみ番頭ばんがしら松平まつだいら庄右衛門しょうえもん親遂様ちかつぐさま田沼たぬまさま縁者えんじゃにて…」

 そう口火くちびったかとおもうと、松平まつだいら庄右衛門しょうえもん妻女さいじょ新見しんみ彌一郎やいちろう正容まさかた長女ちょうじょめとっており、この新見しんみ彌一郎やいちろう分家ぶんけすじには田沼たぬま意次おきつぐ実妹じつまいにして、そのそく意知おきとも叔母おばめとっている西之丸にしのまる小納戸こなんど頭取とうどり新見しんみ豊前守ぶぜんのかみ正則まさのりがあり、そのうえ新見しんみ正則まさのりはこの意次おきつぐ実妹じつまいにして意知おきとも叔母おばたる妻女さいじょとのあいだ正徧まさゆきを、今日きょう鷹狩たかがりにも小納戸こなんどとして扈従こしょうした新見しんみ大炊頭おおいのかみ正徧まさゆきをもうけており、

新見しんみ大炊頭おおいのかみさまはやはり今日きょう鷹狩たかがりに扈従こしょうせし田沼たぬまさま…、若年寄わかどしより田沼たぬま山城守やましろのかみさまにとりましては従兄いとこたるそうで…、それほどまでに田沼たぬまさまとはふかえにしにてむすばれし新見しんみよりしつむかえられている松平まつだいら庄右衛門しょうえもんさまはなたせようと…、いや目附めつけ池田修理いけだしゅりさまはそうかんがえられて、2番組ばんぐみより適当てきとうなるものとり仕留しとめたものと、そう認定にんていすることで松平まつだいら庄右衛門しょうえもんさまかいして田沼たぬまさま…、若年寄わかどしより田沼たぬまさま取入とりいろうしたのではないかと…、それがくだんの四羽目のがんではなかったのかと…、本来ほんらい佐野さのさま仕留しとめしがんを2番組ばんぐみ小十人こじゅうにん組番ぐみばんが…、さわ吉次郎きちじろうめが仕留しとめたものといつわりの認定にんていいたしたのではないかと、いや、6番組ばんぐみにおいてはもっぱらの評判ひょうばんでござる…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんにそうささやいたのであった。

「いや…、なれど今日きょう鷹狩たかがりに扈従こしょうせし目附めつけ池田修理いけだしゅりさま一人ひとりではござるまい?」

 今一人いまひとり目附めつけ末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん今日きょう鷹狩たかがりに扈従こしょうしており、しかし、後輩こうはいたる池田修理いけだしゅり仕事しごとを、つまりは鷹狩たかがりにおける「戦功認定せんこうにんてい」をおぼえさせるべく、そこで池田修理いけだしゅり今日きょう鷹狩たかがりにおける「戦功認定せんこうにんてい」を一任いちにんしたわけだが、これでかり末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん池田修理いけだしゅりに「戦功認定せんこうにんてい」を一任いちにんせずに、池田修理いけだしゅりともに「戦功認定せんこうにんてい」にたっていたならば、池田修理いけだしゅりとて如何いか松平まつだいら庄右衛門しょうえもんかいして田沼たぬま意次おきつぐ意知おきとも父子ふし取入とりいるべく、松平まつだいら庄右衛門しょうえもん番頭ばんがしらとして支配しはいする小十人こじゅにん組番ぐみばん2番組ばんぐみぞくする小十人こじゅうにん組番ぐみばんが、その2番組ばんぐみより供弓ともゆみえらばれた番士ばんしとり仕留しとめたことにしようと、そのよういつわりの「戦功認定せんこうにんてい」をしようと、そうかんがえていたとしても、到底とうてい、そのよういつわりの「戦功認定せんこうにんてい」など出来できなかったであろう…、佐野さの善左衛門ぜんざえもんはまだかろうじてのこっている理性りせいを、

振絞ふりしぼって…」

 そう反論はんろんした。

 よう今日きょう鷹狩たかがりにおいて目附めつけ池田修理いけだしゅり一人ひとりで「戦功認定せんこうにんてい」にたれてのは偶然ぐうぜんぎなかったのではないかと、佐野さの善左衛門ぜんざえもんはそう反論はんろんしたのであった。

 これでかり末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん池田修理いけだしゅりともに「戦功認定せんこうにんてい」にたれば、池田修理いけだしゅりの「目算もくさん」にもくるいがしょうずるからだ。

 幸田こうだ源之助げんのすけはしかし佐野さの善左衛門ぜんざえもんのその、

わずかばかりの…」

 理性りせい吹飛ふきとばした。

「いや、池田修理いけだしゅりさまはどうやら目附めつけ支配しはいせし若年寄わかどしよりの、それも鷹狩たかがりに毎回まいかい扈従こしょうせし若年寄わかどしより田沼たぬま山城守やましろのかみさま事前じぜん今日きょう鷹狩たかがりにおける戦功認定せんこうにんていおのれ一人ひとりまかせてしいと…、もそっともうさば、とも扈従こしょうせし予定よてい相役あいやくである末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんには戦功認定せんこうにんていかかわらせないよう末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんにそのむねふくませてしいと…、つまりは末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんには池田修理いけだしゅり一人ひとり戦功認定せんこうにんていまかせてやれと、そのよう圧力あつりょくをかけてしいと…、いや、あくまでうわさではござるが…」

なんと…、田沼たぬまさま池田いけださまよりかるねがいを、お聞届ききとどけあそばされたと?」

「どうもそのようでござるな…、いや、池田修理いけだしゅりさまおのれ一人ひとり今日きょう鷹狩たかがりにおける戦功認定せんこうにんていまかせてもらえるならば、田沼たぬまさまとは所縁ゆかりのありし新見しんみよりしつむかえられている松平まつだいら庄右衛門しょうえもんさまはなたせることが出来できる…、つまりは2番組ばんぐみ小十人こじゅうにん組番ぐみばんより供弓ともゆみえらばれし番士ばんしとり仕留しとめたものと、いつわりの戦功認定せんこうにんていも、しやすくなると、田沼たぬまさま斯様かよう取入とりいったのではないかと…」

 いや供弓ともゆみえらばれた番士ばんし一人ひとりとり仕留しとめられない可能性かのうせいも、つまりは地面じめんとり射落いおとすことが出来できない可能性かのうせいもありわけで、これでは如何いか池田修理いけだしゅりいつわりの「戦功認定せんこうにんてい」をしたくとも、地面じめんとりが―、さったとりちていないことにはそもそも、「戦功認定せんこうにんてい自体じたい不可能ふかのうというものであった。

 すこあたまはたらかせればかりそうな可能性かのうせいではあるが、しかし、理性りせいうしないつつあるいま佐野さの善左衛門ぜんざえもんはそこまであたままわらなかった。

「されば田沼たぬまさまも…、若年寄わかどしより田沼たぬま山城守やましろのかみさまもそうまでしておのれ取入とりいろうとほっする池田修理いけだしゅりさまやつと、思召おぼしめされたのでござろう、山城守やましろのかみさま池田修理いけだしゅりさまねがい聞届ききとどけられ、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさまに、今日きょう鷹狩たかがりだが、池田修理いけだしゅり戦功認定せんこうにんてい仕事しごとおぼえさせるべく、池田修理いけだしゅり一人ひとり戦功認定せんこうにんていまかせてやれとめいじられ…」

「それでは…、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさま己一人おのれひとり判断はんだんからではのうて、若年寄わかどしより田沼たぬま山城守やましろのかみさまめいじられて…、それで池田修理いけだしゅりさま戦功認定せんこうにんていまかせられたと?」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんこえふるわせつつ、そうたずねた。

「どうもそのようでござるな…、いや、それゆえ池田修理いけだしゅりさま今日きょう鷹狩たかがりにおける戦功認定せんこうにんてい一人ひとりにてたられたはけっして偶然ぐうぜん産物さんぶつあらず…、また末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさまにしても、目附めつけ支配しはいせし若年寄わかどしよりから…、それもおそおおくも上様うえさま寵愛ちょうあいことほかあつ田沼たぬま山城守やましろのかみさまより、斯様かように…、池田修理いけだしゅり一人ひとり戦功認定せんこうにんていまかせよとめいじられればいやとはもうせますまいて…、結果けっか上様うえさまよりそのことで…、何故なにゆえ池田修理いけだしゅり一人ひとり戦功認定せんこうにんてい丸投まるなげしたのかと末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさま詰問きつもんされたわけでござるが、そのとう張本人ちょうほんにんたる山城守やましろのかみさまひからせていれば、まさかに山城守やましろのかみさまめいじられたことゆえにと、弁明べんめいつかまつることも出来できますまい…、かり左様さよう弁明べんめいせしところで、おそおおくも上様うえさまよりの寵愛ちょうあいほしいままにしておられる田沼たぬま山城守やましろのかみさまがこと、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさまかる弁明べんめいを、|己《おのれ」をねたんでの讒言ざんげん相違そういあるまいとけ、上様うえさまもそれを…、田沼たぬま山城守やましろのかみさま虚言きょげんを、おしんじあそばされるに相違そういあるまいと、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさまもそれがかっていればこそ、上様うえさま詰問きつもんにもえてなに反論はんろんしなかったのでござろう…」

 幸田こうだ源之助げんのすけじつにしみじみとした口調くちょうでそう言うと、

「というわけで、四羽目のがん間違まちがいなく貴殿きでん仕留しとめられしもの…、いや、流石さすが武勇ぶゆう名高なだか佐野さの越前守えちぜんのかみ盛綱公もりつなこう高貴こうきなる血筋ちすじ、それも嫡流ちゃくりゅうだけのことはある」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんをそのよう勇気ゆうきけ、持上もちあげもしたのだ。

 これで佐野さの善左衛門ぜんざえもん完全かんぜん幸田こうだ源之助げんのすけの「術中じゅっちゅう」にまった。
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