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小十人組番士・幸田源之助親曲の佐野善左衛門政言への「甘い囁き」
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淨光寺における「昼餉の騒動」を鎮めた将軍・家治はそれから、
「気を取直して…」
午後の鷹狩りへと臨んだ。
即ち、昼の九つ半(午後1時頃)より夕七つ(午後4時頃)までの一刻半(約3時間)もの間、鷹狩りに興じたのであった。
昼餉の前の午前の鷹狩りにおいては家治は供弓に選ばれた番士たちに、
「花を持たせる…」
それ故にその実力を発揮することはなかったが、午後よりの鷹狩りにおいてはその実力を、
「遺憾無く…」
発揮したものである。
家治は祖父・吉宗の薫陶の賜物、弓矢の技量にも勝れ、騎馬にて鳥を仕留めることも容易いことであった。
それは午後の今においても発揮され、家治は騎馬にて雉や青鴨、小鴨など数多の鳥を仕留めてみせ、供弓の「戦果」を霞ませた程であった。
こうして夕七つ(午後4時頃)に鷹狩りを終えると、それから家治の「軍勢」は一刻(約2時間)程かけて千代田の御城へと還御、帰還を果たしたのであった。
つまりは御城に帰り着いたのは辰の上刻、暮六つ(午後6時頃)過ぎであり、本来ならば御城の諸門は閉じられている頃であったが、今日は将軍・家治が「軍事訓練」である鷹狩りへと出向くとあって、その帰りまで門が閉じられることはなかった。
さて、御城へと戻った将軍は側近くに仕える小納戸頭取や小姓頭取、それに小姓や小納戸たちを随えて中奥へと戻り、一方、表向の番士たちは表向にある各々のロッカールームとも言うべき下部屋へと戻り、そこで汗と土で汚れた衣裳を脱捨てた。
鷹狩りに扈従する表向の番士たちはいつもよりも早目に登城、御城へと出勤すると、表向にある各々の下部屋にて、その「通勤スタイル」とも言うべき肩衣を脱いで、自ら持参した鷹狩り用の衣裳へと、即ち、野袴に着替えて鷹狩りに臨む。
それ故、鷹狩りを終えた表向の番士たちは再び、各々の下部屋へと戻ると、
「汗と土で汚れた…」
鷹狩り用の衣裳である野袴より「通勤スタイル」である肩衣へと着替えることとなる。
無論、体も汗まみれであり、そのまま肩衣に着替えては、比較的汚れてはいない、それどころか、
「真新しい…」
肩衣をも汚してしまうことになる。
そこで表坊主の手により予め、各々の番士たちの下部屋には、
「並々と…」
熱い湯が注がれた大桶が用意されており、番士たちはやはり自らが予め用意しておいた手拭をその湯に浸して汗まみれの体をその手拭で拭い、そうして体を綺麗にしてから肩衣へと着替える。
ちなみに番方の中では意外にも書院番の番頭と番士だけは下部屋がなかった。
否、正確には書院番頭は表向の御殿の中に、
「御書院番部屋」
その部屋が下部屋として与えられていた。
小姓組番頭の下部屋は外の番方、大番や新番、小十人組番と同様、御殿への通用口とも言うべき中之口にあり、一方、書院番頭の下部屋は御殿の中にあり、書院番頭と小姓組番頭とでは書院番頭の方が、
「やや…」
に過ぎないものの、格上である所以であった。
翻って、これがヒラの番士ともなると、小姓組番士の方が書院番士よりも、これまた、
「やや…」
格上であった。
それと言うのもヒラの書院番士には下部屋が与えられておらず、勤務場所である虎之間が下部屋を兼ねていたからだ。
見方によっては書院番頭同様、
「御殿の中に…」
下部屋がある、と言えなくもなかったが、しかしここはやはり、
「ヒラの書院番士には下部屋が与えられていない…」
そう看做されており、小姓組番士の方が書院番士の方が格上の所以であった。
ちなみに書院番の中でも番頭とヒラの番士との間に位置する組頭には下部屋が与えられており、それ故、書院番組頭は小姓組番組頭とは同格と看做されていた。
さて、佐野善左衛門は新番組の下部屋にて屈辱感に苛まれながら体の汚れを拭った。
同僚の新番士が皆、
「好奇の入混じった…」
その様な視線を佐野善左衛門に降注ぐものだから、佐野善左衛門にしてみれば、これ程の屈辱はなかった。
その原因は無論、件の四羽目の雁にあった。
一度は小十人組番士の澤吉次郎が仕留めた雁であると、戦功認定されながら、その後、書院番士の大田善大夫がそれに待ったをかけ、
「佐野善左衛門が仕留めた雁である…」
そう主張してくれたものだから、しかも己の家柄まで持上げてくれたものだから、佐野善左衛門もすっかり舞上がってしまった。
だが結局は当初の戦功認定通り、
「澤吉次郎が仕留めた雁である…」
こともあろうに将軍・家治が自らそう裁断したものだから、今では同僚から、
「好奇の入混じった…」
もっと言えば侮蔑の入混じった、その様な眼差しを向けられることになり、佐野善左衛門の自尊心は今や、粉々であった。
佐野善左衛門はその場の空気に耐えられず、急ぎ体の汚れを拭き落とし、肩衣へと着替え、そして汚れた野袴を風呂敷に包むと正に、
「脱兎の如く…」
逃げる様に下部屋から退出、否、脱出して中之口より外へと出た。
佐野善左衛門は外の空気を吸ううちに、幾分か落着きを取戻したものの、しかし、夕暮れの空が佐野善左衛門を感傷的にさせ、落涙に襲われた。
無論、武士たる身が涙を流す訳には参らぬ。
「歯を喰いしばり…」
佐野善左衛門は涙を堪えた。
そうして落涙の衝動が治まるや、佐野善左衛門は次いで怨みの衝動に襲われた。
怨みとは外でもない、己を糠喜びさせた大田善大夫や、そんな大田善大夫に与した岩本正五郎に対するそれであった。
いや、それが「逆怨み」であることは佐野善左衛門も分かっていた。
大田善大夫にしてみれば、件の四羽目の雁を射止めた供弓が澤吉次郎ではなく、己であると―、佐野善左衛門であると思えばこそ、そう主張してくれたのだろうし、小納戸の岩本正五郎もまた、そう思えばこそ、大田善大夫のその主張に与してくれたに相違あるまい。
だが惜しむらくは、大田善大夫にしろ、岩本正五郎にしろ、命を懸ける覚悟には欠けていた。
そこが澤吉次郎に味方した戸田次郎左衛門や黒川内匠、伊丹雅楽助らとの違い、最大の違いであった。
澤吉次郎に味方した彼等には皆、澤吉次郎の為に命を懸ける覚悟があり、それ故、将軍・家治も澤吉次郎に、否、命を懸ける彼等に軍配を挙げたのであろう。
命を懸ける者と、そうでない者、どちらの主張に軍配が挙がるか、それは火を見るよりも明らかであろう。
「こんなことなら最初から、この俺が射止めた雁などと、喚き散らさないで欲しかった…」
そうすれば己もこんな恥を、屈辱感を味わわずに済すんだものをと、佐野善左衛門は「逆怨み」は承知の上で、そう思った。
さて、大手御門外の下馬所においては、佐野善左衛門の従者が待っていた。
佐野善左衛門が大手御門橋より門外へと出ると、それに気付いた従者のうちの一人、提燈をぶら提げた供侍が主・佐野善左衛門の許へと駆寄った。
佐野善左衛門の従者はこの供侍の外には挟箱持とそれに草履取という実に質素なものであった。
否、佐野善左衛門の様な500石取の旗本では皆、この程度であった。
ともあれ彼等、佐野善左衛門の従者は今日は正に、
「朝から晩まで…」
この大手御門外にある下馬所において主の帰りを待っていた…、訳では勿論ない。
いつもの勤務ならば、それも例えば夕番や宵番、不寝番でもない限りは、佐野善左衛門の様な番士の従者は主の帰りをここ、大手御門外の下馬所にて待つことになる。
だが今日の様な鷹狩りにおいては従者はいったん屋敷へと帰宅し、そして主が鷹狩りより帰ってくる頃合を見計らって―、将軍に随い、御城に着く刻限を逆算して屋敷を出て再び、大手御門外の下馬所へと向かうのだ。
佐野善左衛門の従者の場合だと、朝、大手御門外の下馬所まで主・佐野善左衛門を見送った後、御厩谷の屋敷へといったん戻る。
つまり佐野善左衛門が日中、木下川の畔にて供弓として鷹狩りに汗を流している間、従者は御厩谷にある屋敷にいた次第で、それが佐野善左衛門が将軍・家治に随い、そろそろ御城へと帰ってくる頃であろう暮六つ(午後6時頃)前に大手御門外の下馬所へと着ける様、それより半刻(約1時間)以上前、夕の七つ半(午後5時頃)の少し前にその御厩谷にある屋敷を出てここ、大手御門外にある下馬所に着いた次第であった。
ともあれ供侍が主、佐野善左衛門の姿に気が付いて駆寄るや、挟箱持もそれに続き、そして草履取はそれまで敷いていた茣蓙を片付けて、やはりその後に続いた。
佐野善左衛門は汗まみれの野袴を挟箱持に、やはり泥で汚れた草履を草履取に夫々、預けると、供侍の先立ちにより雉子橋御門へと向かった。ここ大手御門外の下馬所より御厩谷にある屋敷へと帰るには雉子橋御門を抜けるのが一番の近道だからだ。
既に刻限は暮六つ(午後6時頃)を優に過ぎており、それも四半刻(約30分)程も経っており、それ故、足下はかなり暗かった。
それでも先立ちの供侍が提燈で佐野善左衛門の足下を照らしてくれる御蔭で、佐野善左衛門も躓かずに済んだ。
その提燈だが、上等な馬提燈であり、佐野家の家紋である丸に劔木瓜があしらわれていた。
馬提燈は中々に値が張り、本来ならば佐野善左衛門の様な薄給、とまでは言わないが、それでも500石取の中堅旗本では手を出すのが躊躇われる代物であった。
それでも佐野善左衛門がこうして供侍に馬提燈を持たせていたのは、偏に佐野善左衛門のその見栄っ張りな性分による。
「提燈ぐらいは上等なものを…」
佐野善左衛門はそれ故に、一般的な、つまりは安い、ぶら提燈ではなく、それよりも上等な、値の張る馬提燈を仕立てさせたのだ。
さて、そうして雉子橋御門へと向かう佐野善左衛門一行に対して、背後より、「もし…」と声がかかった。
だがそれが当初は佐野善左衛門を呼止める声だとは、佐野善左衛門主従は誰も気付かず、歩を止めようとはしなかった。
すると続けて、「佐野様」と声がかかったので、それで佐野善左衛門主従も漸くに歩を止めると、声のした背後へと振向いた。
そこには佐野善左衛門同様、供侍らしき男の手によって、それも馬提燈によって足下を照らし出された一人の男が立っていた。
否、二本差、武士であることは察せられたが、何分、
「とっぷり…」
日が暮れており、それ故、佐野善左衛門主従にもその男、もとい武士の人相までは判別がつきかねた。
その武士もそうと察してか、供侍らしき男より馬提燈を受取ると、己の顔を照らして見せ、それで佐野善左衛門主従もその武士の顔が判別出来た。
その武士はそれから佐野善左衛門主従に対して深々と頭を下げたので、佐野善左衛門主従も慌てて頭を下げた。
「突然にお呼立て仕り、申訳ござりませぬ…」
その武士は頭を下げたまま、まずはそう詫びて見せた。
鄭重に過ぎるその態度に佐野善左衛門も悪い気はしないものの、流石に恐縮し、頭を上げる様、促した。
それでその武士も頭を上げると、
「拙者、小十人組番士…、6番組に属せし幸田源之助親曲と申す者にて…、失礼ながら佐野善左衛門様とお見受け致しまするが…」
そう自己紹介がてら佐野善左衛門当人であるかどうか、確かめる様に尋ねたので、佐野善左衛門も表情を曇らせつつも「如何にも…」と応ずると、
「拙者が佐野善左衛門でござる」
そう自己紹介した。
佐野善左衛門が表情を曇らせたのは外でもない、その武士もとい幸田源之助が小十人組番士であったからだ。
今日の鷹狩りにおいては小十人組番よりは2番組と6番組が扈従し、その内、佐野善左衛門の家柄を侮辱した松本岩次郎は2番組に属する小十人組番士であり、翻って幸田源之助はそれとは別の6番組に属する小十人組番士とのことである。
否、それ以前に幸田源之助が佐野善左衛門の家柄を侮辱した訳ではない。
幸田源之助は偶々、松本岩次郎と同じく小十人組番士であったに過ぎず、そうであれば佐野善左衛門としては表情を曇らせる謂れはなかった。
否、佐野善左衛門としても理屈では分かっていたものの、しかし、感情がそれに追付かなかった。
今の佐野善左衛門は小十人組番士全員が敵に思えてならず、その様な負の感情で占められていた。
尤も、だからと言ってその様な負の感情を無関係な幸田源之助に吐出す程、佐野善左衛門もそこまで無分別ではなかった。
一方、幸田源之助はその様な佐野善左衛門の「胸中」を知るや知らずや、
「先程はどうも…」
そう口にして再び叩頭したかと思うと、「ちと宜しゅうござりまするか?」と尋ねた。
どうやら幸田源之助は佐野善左衛門と二人だけで話したいことがあるらしい。
佐野善左衛門もそうと察すると、幸田源之助同様、供侍より馬提燈を受取ると、幸田源之助と二人で夫々の従者より少し離れた場所へと移動した。
さて、佐野善左衛門と幸田源之助は適当な場所で立止まるや、幸田源之助がまたしても佐野善左衛門に深々と頭を下げたのであった。
馬提燈を片手に深々と頭を下げるその様はまるで、商人やその丁稚を髣髴とさせるものがあり、佐野善左衛門としても恐縮を通り越して流石に見苦しいものがあり、頭を上げてくれる様、強い調子で促した。
だが幸田源之助は直ぐには頭を上げず、
「鷹狩りにおける同輩…、松本岩次郎が無礼、松本岩次郎に成代わりまして、お詫び申上げまする…」
そう謝罪の言葉を口にしたのだ。
それで佐野善左衛門も幸田源之助が態々、己と二人だけで話があると、こうして夫々の従者より離れた場所へと誘った理由に合点がいった。
佐野善左衛門の従者の前でその様な謝罪をされては、従者に、殊に供侍に、
「主君が如何なる無礼な目に遭ったのか…」
そう顔を強張らせてしまう可能性があったからだ。
否、これで相手が「元兇」とも言える松本岩次郎当人であれば一向に構わないが―、その結果、佐野善左衛門の供侍が松本岩次郎に対して、
「主君に一体、如何な無礼を働かれたのか」
そう詰問される憂目に遭おうとも、やはり佐野善左衛門としては、
「一向に…」
構わなかった。
だが実際には相手は無関係な幸田源之助であり、これでは佐野善左衛門としても供侍に詰問させるなどと、その様な無礼を無関係なる幸田源之助に働かせる訳にはいかなかった。
さて、佐野善左衛門は合点がいったところで、改めて、今度は言葉を和らげて幸田源之助に頭を上げる様、促した。
幸田源之助もそれで漸くに頭を上げると、
「松本岩次郎が無礼、本来なれば土下座しても足りませぬ程にて…」
そう補足し、佐野善左衛門も少し気が紛れた。胸の中の屈辱感が解消されたのだ。
ともあれ、佐野善左衛門も「いやいや」と応ずると、
「その為に?」
二人きりでの話とはそのことなのかと、幸田源之助に暗に尋ねた。
それに対して幸田源之助は「それもありますが…」と応じた上で、
「されば鷹狩りにおけし件の四羽目の雁でござるが、あれはやはり佐野様、貴殿が仕留められし雁にて…」
実にサラリとした口調で言ってのけたものだから、佐野善左衛門の目を剥かせた。
幸田源之助はそんな佐野善左衛門を尻目に実に重大なことを、即ち、
「されば澤吉次郎が属せし2番組の番頭の松平庄右衛門親遂様は田沼様の縁者にて…」
そう口火を切ったかと思うと、松平庄右衛門の妻女が新見彌一郎正容の長女を娶っており、この新見彌一郎の分家筋には田沼意次の実妹にして、その息・意知の叔母を娶っている西之丸小納戸頭取の新見豊前守正則があり、その上、新見正則はこの意次の実妹にして意知の叔母に当たる妻女との間に正徧を、今日の鷹狩りにも小納戸として扈従した新見大炊頭正徧をもうけており、
「新見大炊頭様はやはり今日の鷹狩りに扈従せし田沼様…、若年寄の田沼山城守様にとりましては従兄に当たるそうで…、それ程までに田沼様とは深い縁にて結ばれし新見家より室を迎えられている松平庄右衛門様に花を持たせようと…、否、目附の池田修理様はそう考えられて、2番組より適当なる者が鳥を仕留めたものと、そう認定することで松平庄右衛門様を介して田沼様…、若年寄の田沼様に取入ろうしたのではないかと…、それが件の四羽目の雁ではなかったのかと…、本来、佐野様が仕留めし雁を2番組の小十人組番士が…、澤吉次郎めが仕留めたものと偽りの認定を致したのではないかと、いや、6番組においては専らの評判でござる…」
佐野善左衛門にそう囁いたのであった。
「いや…、なれど今日の鷹狩りに扈従せし目附は池田修理様一人ではござるまい?」
今一人、目附の末吉善左衛門も今日の鷹狩りに扈従しており、しかし、後輩に当たる池田修理に仕事を、つまりは鷹狩りにおける「戦功認定」を覚えさせるべく、そこで池田修理に今日の鷹狩りにおける「戦功認定」を一任した訳だが、これで仮に末吉善左衛門が池田修理に「戦功認定」を一任せずに、池田修理と共に「戦功認定」に当たっていたならば、池田修理とて如何に松平庄右衛門を介して田沼意次・意知父子に取入るべく、松平庄右衛門が番頭として支配する小十人組番2番組に属する小十人組番士が、その2番組より供弓に選ばれた番士が鳥を仕留めたことにしようと、その様な偽りの「戦功認定」をしようと、そう考えていたとしても、到底、その様な偽りの「戦功認定」など出来なかったであろう…、佐野善左衛門はまだ辛うじて残っている理性を、
「振絞って…」
そう反論した。
要は今日の鷹狩りにおいて目附の池田修理が一人で「戦功認定」に当たれてのは偶然に過ぎなかったのではないかと、佐野善左衛門はそう反論したのであった。
これで仮に末吉善左衛門が池田修理と共に「戦功認定」に当たれば、池田修理の「目算」にも狂いが生ずるからだ。
幸田源之助はしかし佐野善左衛門のその、
「僅かばかりの…」
理性を吹飛ばした。
「いや、池田修理様はどうやら目附を支配せし若年寄の、それも鷹狩りに毎回、扈従せし若年寄の田沼山城守様に事前に今日の鷹狩りにおける戦功認定は己一人に任せて欲しいと…、もそっと申さば、共に扈従せし予定の相役である末吉善左衛門には戦功認定に関わらせない様、末吉善左衛門にその旨、言い含ませて欲しいと…、つまりは末吉善左衛門には池田修理一人に戦功認定を任せてやれと、その様に圧力をかけて欲しいと…、いや、あくまで噂ではござるが…」
「何と…、田沼様は池田様より斯かる願いを、お聞届けあそばされたと?」
「どうもそのようでござるな…、いや、池田修理様は己一人に今日の鷹狩りにおける戦功認定を任せて貰えるならば、田沼様とは所縁のありし新見家より室を迎えられている松平庄右衛門様に花を持たせることが出来る…、つまりは2番組の小十人組番より供弓に選ばれし番士が鳥を仕留めたものと、偽りの戦功認定も、し易くなると、田沼様に斯様に取入ったのではないかと…」
否、供弓に選ばれた番士が一人も鳥を仕留められない可能性も、つまりは地面に鳥を射落すことが出来ない可能性もあり得る訳で、これでは如何に池田修理が偽りの「戦功認定」をしたくとも、地面に鳥が―、矢の刺さった鳥が落ちていないことにはそもそも、「戦功認定」自体が不可能というものであった。
少し頭を働かせれば分かりそうな可能性ではあるが、しかし、理性を失いつつある今の佐野善左衛門はそこまで頭が回らなかった。
「されば田沼様も…、若年寄の田沼山城守様もそうまでして己に取入ろうと欲する池田修理様を愛い奴と、思召されたのでござろう、山城守様も池田修理様の願を聞届けられ、末吉善左衛門様に、今日の鷹狩りだが、池田修理に戦功認定の仕事を覚えさせるべく、池田修理一人に戦功認定を任せてやれと命じられ…」
「それでは…、末吉善左衛門様は己一人の判断からではのうて、若年寄の田沼山城守様に命じられて…、それで池田修理様に戦功認定を任せられたと?」
佐野善左衛門は声を震わせつつ、そう尋ねた。
「どうもその様でござるな…、否、それ故に池田修理様が今日の鷹狩りにおける戦功認定を一人にて当たられたは決して偶然の産物に非ず…、また末吉善左衛門様にしても、目附を支配せし若年寄から…、それも畏れ多くも上様の御寵愛が殊の外に篤い田沼山城守様より、斯様に…、池田修理一人に戦功認定を任せよと命じられれば否とは申せますまいて…、結果、上様よりそのことで…、何故に池田修理一人に戦功認定を丸投げしたのかと末吉善左衛門様は詰問された訳でござるが、その場に当の張本人たる山城守様が目を光らせていれば、まさかに山城守様に命じられたこと故にと、弁明仕ることも出来ますまい…、仮に左様に弁明せしところで、畏れ多くも上様よりの御寵愛を恣にしておられる田沼山城守様がこと、末吉善左衛門様が斯かる弁明を、|己《おのれ」を嫉んでの讒言に相違あるまいと決め付け、上様もそれを…、田沼山城守様が虚言を、お信じあそばされるに相違あるまいと、末吉善左衛門様もそれが分かっていればこそ、上様の詰問にも敢えて何も反論しなかったのでござろう…」
幸田源之助は実にしみじみとした口調でそう言うと、
「という訳で、四羽目の雁は間違いなく御貴殿が仕留められしもの…、いや、流石は武勇名高き佐野越前守盛綱公が高貴なる御血筋、それも御嫡流だけのことはある」
佐野善左衛門をその様に勇気付け、持上げもしたのだ。
これで佐野善左衛門は完全に幸田源之助の「術中」に嵌まった。
「気を取直して…」
午後の鷹狩りへと臨んだ。
即ち、昼の九つ半(午後1時頃)より夕七つ(午後4時頃)までの一刻半(約3時間)もの間、鷹狩りに興じたのであった。
昼餉の前の午前の鷹狩りにおいては家治は供弓に選ばれた番士たちに、
「花を持たせる…」
それ故にその実力を発揮することはなかったが、午後よりの鷹狩りにおいてはその実力を、
「遺憾無く…」
発揮したものである。
家治は祖父・吉宗の薫陶の賜物、弓矢の技量にも勝れ、騎馬にて鳥を仕留めることも容易いことであった。
それは午後の今においても発揮され、家治は騎馬にて雉や青鴨、小鴨など数多の鳥を仕留めてみせ、供弓の「戦果」を霞ませた程であった。
こうして夕七つ(午後4時頃)に鷹狩りを終えると、それから家治の「軍勢」は一刻(約2時間)程かけて千代田の御城へと還御、帰還を果たしたのであった。
つまりは御城に帰り着いたのは辰の上刻、暮六つ(午後6時頃)過ぎであり、本来ならば御城の諸門は閉じられている頃であったが、今日は将軍・家治が「軍事訓練」である鷹狩りへと出向くとあって、その帰りまで門が閉じられることはなかった。
さて、御城へと戻った将軍は側近くに仕える小納戸頭取や小姓頭取、それに小姓や小納戸たちを随えて中奥へと戻り、一方、表向の番士たちは表向にある各々のロッカールームとも言うべき下部屋へと戻り、そこで汗と土で汚れた衣裳を脱捨てた。
鷹狩りに扈従する表向の番士たちはいつもよりも早目に登城、御城へと出勤すると、表向にある各々の下部屋にて、その「通勤スタイル」とも言うべき肩衣を脱いで、自ら持参した鷹狩り用の衣裳へと、即ち、野袴に着替えて鷹狩りに臨む。
それ故、鷹狩りを終えた表向の番士たちは再び、各々の下部屋へと戻ると、
「汗と土で汚れた…」
鷹狩り用の衣裳である野袴より「通勤スタイル」である肩衣へと着替えることとなる。
無論、体も汗まみれであり、そのまま肩衣に着替えては、比較的汚れてはいない、それどころか、
「真新しい…」
肩衣をも汚してしまうことになる。
そこで表坊主の手により予め、各々の番士たちの下部屋には、
「並々と…」
熱い湯が注がれた大桶が用意されており、番士たちはやはり自らが予め用意しておいた手拭をその湯に浸して汗まみれの体をその手拭で拭い、そうして体を綺麗にしてから肩衣へと着替える。
ちなみに番方の中では意外にも書院番の番頭と番士だけは下部屋がなかった。
否、正確には書院番頭は表向の御殿の中に、
「御書院番部屋」
その部屋が下部屋として与えられていた。
小姓組番頭の下部屋は外の番方、大番や新番、小十人組番と同様、御殿への通用口とも言うべき中之口にあり、一方、書院番頭の下部屋は御殿の中にあり、書院番頭と小姓組番頭とでは書院番頭の方が、
「やや…」
に過ぎないものの、格上である所以であった。
翻って、これがヒラの番士ともなると、小姓組番士の方が書院番士よりも、これまた、
「やや…」
格上であった。
それと言うのもヒラの書院番士には下部屋が与えられておらず、勤務場所である虎之間が下部屋を兼ねていたからだ。
見方によっては書院番頭同様、
「御殿の中に…」
下部屋がある、と言えなくもなかったが、しかしここはやはり、
「ヒラの書院番士には下部屋が与えられていない…」
そう看做されており、小姓組番士の方が書院番士の方が格上の所以であった。
ちなみに書院番の中でも番頭とヒラの番士との間に位置する組頭には下部屋が与えられており、それ故、書院番組頭は小姓組番組頭とは同格と看做されていた。
さて、佐野善左衛門は新番組の下部屋にて屈辱感に苛まれながら体の汚れを拭った。
同僚の新番士が皆、
「好奇の入混じった…」
その様な視線を佐野善左衛門に降注ぐものだから、佐野善左衛門にしてみれば、これ程の屈辱はなかった。
その原因は無論、件の四羽目の雁にあった。
一度は小十人組番士の澤吉次郎が仕留めた雁であると、戦功認定されながら、その後、書院番士の大田善大夫がそれに待ったをかけ、
「佐野善左衛門が仕留めた雁である…」
そう主張してくれたものだから、しかも己の家柄まで持上げてくれたものだから、佐野善左衛門もすっかり舞上がってしまった。
だが結局は当初の戦功認定通り、
「澤吉次郎が仕留めた雁である…」
こともあろうに将軍・家治が自らそう裁断したものだから、今では同僚から、
「好奇の入混じった…」
もっと言えば侮蔑の入混じった、その様な眼差しを向けられることになり、佐野善左衛門の自尊心は今や、粉々であった。
佐野善左衛門はその場の空気に耐えられず、急ぎ体の汚れを拭き落とし、肩衣へと着替え、そして汚れた野袴を風呂敷に包むと正に、
「脱兎の如く…」
逃げる様に下部屋から退出、否、脱出して中之口より外へと出た。
佐野善左衛門は外の空気を吸ううちに、幾分か落着きを取戻したものの、しかし、夕暮れの空が佐野善左衛門を感傷的にさせ、落涙に襲われた。
無論、武士たる身が涙を流す訳には参らぬ。
「歯を喰いしばり…」
佐野善左衛門は涙を堪えた。
そうして落涙の衝動が治まるや、佐野善左衛門は次いで怨みの衝動に襲われた。
怨みとは外でもない、己を糠喜びさせた大田善大夫や、そんな大田善大夫に与した岩本正五郎に対するそれであった。
いや、それが「逆怨み」であることは佐野善左衛門も分かっていた。
大田善大夫にしてみれば、件の四羽目の雁を射止めた供弓が澤吉次郎ではなく、己であると―、佐野善左衛門であると思えばこそ、そう主張してくれたのだろうし、小納戸の岩本正五郎もまた、そう思えばこそ、大田善大夫のその主張に与してくれたに相違あるまい。
だが惜しむらくは、大田善大夫にしろ、岩本正五郎にしろ、命を懸ける覚悟には欠けていた。
そこが澤吉次郎に味方した戸田次郎左衛門や黒川内匠、伊丹雅楽助らとの違い、最大の違いであった。
澤吉次郎に味方した彼等には皆、澤吉次郎の為に命を懸ける覚悟があり、それ故、将軍・家治も澤吉次郎に、否、命を懸ける彼等に軍配を挙げたのであろう。
命を懸ける者と、そうでない者、どちらの主張に軍配が挙がるか、それは火を見るよりも明らかであろう。
「こんなことなら最初から、この俺が射止めた雁などと、喚き散らさないで欲しかった…」
そうすれば己もこんな恥を、屈辱感を味わわずに済すんだものをと、佐野善左衛門は「逆怨み」は承知の上で、そう思った。
さて、大手御門外の下馬所においては、佐野善左衛門の従者が待っていた。
佐野善左衛門が大手御門橋より門外へと出ると、それに気付いた従者のうちの一人、提燈をぶら提げた供侍が主・佐野善左衛門の許へと駆寄った。
佐野善左衛門の従者はこの供侍の外には挟箱持とそれに草履取という実に質素なものであった。
否、佐野善左衛門の様な500石取の旗本では皆、この程度であった。
ともあれ彼等、佐野善左衛門の従者は今日は正に、
「朝から晩まで…」
この大手御門外にある下馬所において主の帰りを待っていた…、訳では勿論ない。
いつもの勤務ならば、それも例えば夕番や宵番、不寝番でもない限りは、佐野善左衛門の様な番士の従者は主の帰りをここ、大手御門外の下馬所にて待つことになる。
だが今日の様な鷹狩りにおいては従者はいったん屋敷へと帰宅し、そして主が鷹狩りより帰ってくる頃合を見計らって―、将軍に随い、御城に着く刻限を逆算して屋敷を出て再び、大手御門外の下馬所へと向かうのだ。
佐野善左衛門の従者の場合だと、朝、大手御門外の下馬所まで主・佐野善左衛門を見送った後、御厩谷の屋敷へといったん戻る。
つまり佐野善左衛門が日中、木下川の畔にて供弓として鷹狩りに汗を流している間、従者は御厩谷にある屋敷にいた次第で、それが佐野善左衛門が将軍・家治に随い、そろそろ御城へと帰ってくる頃であろう暮六つ(午後6時頃)前に大手御門外の下馬所へと着ける様、それより半刻(約1時間)以上前、夕の七つ半(午後5時頃)の少し前にその御厩谷にある屋敷を出てここ、大手御門外にある下馬所に着いた次第であった。
ともあれ供侍が主、佐野善左衛門の姿に気が付いて駆寄るや、挟箱持もそれに続き、そして草履取はそれまで敷いていた茣蓙を片付けて、やはりその後に続いた。
佐野善左衛門は汗まみれの野袴を挟箱持に、やはり泥で汚れた草履を草履取に夫々、預けると、供侍の先立ちにより雉子橋御門へと向かった。ここ大手御門外の下馬所より御厩谷にある屋敷へと帰るには雉子橋御門を抜けるのが一番の近道だからだ。
既に刻限は暮六つ(午後6時頃)を優に過ぎており、それも四半刻(約30分)程も経っており、それ故、足下はかなり暗かった。
それでも先立ちの供侍が提燈で佐野善左衛門の足下を照らしてくれる御蔭で、佐野善左衛門も躓かずに済んだ。
その提燈だが、上等な馬提燈であり、佐野家の家紋である丸に劔木瓜があしらわれていた。
馬提燈は中々に値が張り、本来ならば佐野善左衛門の様な薄給、とまでは言わないが、それでも500石取の中堅旗本では手を出すのが躊躇われる代物であった。
それでも佐野善左衛門がこうして供侍に馬提燈を持たせていたのは、偏に佐野善左衛門のその見栄っ張りな性分による。
「提燈ぐらいは上等なものを…」
佐野善左衛門はそれ故に、一般的な、つまりは安い、ぶら提燈ではなく、それよりも上等な、値の張る馬提燈を仕立てさせたのだ。
さて、そうして雉子橋御門へと向かう佐野善左衛門一行に対して、背後より、「もし…」と声がかかった。
だがそれが当初は佐野善左衛門を呼止める声だとは、佐野善左衛門主従は誰も気付かず、歩を止めようとはしなかった。
すると続けて、「佐野様」と声がかかったので、それで佐野善左衛門主従も漸くに歩を止めると、声のした背後へと振向いた。
そこには佐野善左衛門同様、供侍らしき男の手によって、それも馬提燈によって足下を照らし出された一人の男が立っていた。
否、二本差、武士であることは察せられたが、何分、
「とっぷり…」
日が暮れており、それ故、佐野善左衛門主従にもその男、もとい武士の人相までは判別がつきかねた。
その武士もそうと察してか、供侍らしき男より馬提燈を受取ると、己の顔を照らして見せ、それで佐野善左衛門主従もその武士の顔が判別出来た。
その武士はそれから佐野善左衛門主従に対して深々と頭を下げたので、佐野善左衛門主従も慌てて頭を下げた。
「突然にお呼立て仕り、申訳ござりませぬ…」
その武士は頭を下げたまま、まずはそう詫びて見せた。
鄭重に過ぎるその態度に佐野善左衛門も悪い気はしないものの、流石に恐縮し、頭を上げる様、促した。
それでその武士も頭を上げると、
「拙者、小十人組番士…、6番組に属せし幸田源之助親曲と申す者にて…、失礼ながら佐野善左衛門様とお見受け致しまするが…」
そう自己紹介がてら佐野善左衛門当人であるかどうか、確かめる様に尋ねたので、佐野善左衛門も表情を曇らせつつも「如何にも…」と応ずると、
「拙者が佐野善左衛門でござる」
そう自己紹介した。
佐野善左衛門が表情を曇らせたのは外でもない、その武士もとい幸田源之助が小十人組番士であったからだ。
今日の鷹狩りにおいては小十人組番よりは2番組と6番組が扈従し、その内、佐野善左衛門の家柄を侮辱した松本岩次郎は2番組に属する小十人組番士であり、翻って幸田源之助はそれとは別の6番組に属する小十人組番士とのことである。
否、それ以前に幸田源之助が佐野善左衛門の家柄を侮辱した訳ではない。
幸田源之助は偶々、松本岩次郎と同じく小十人組番士であったに過ぎず、そうであれば佐野善左衛門としては表情を曇らせる謂れはなかった。
否、佐野善左衛門としても理屈では分かっていたものの、しかし、感情がそれに追付かなかった。
今の佐野善左衛門は小十人組番士全員が敵に思えてならず、その様な負の感情で占められていた。
尤も、だからと言ってその様な負の感情を無関係な幸田源之助に吐出す程、佐野善左衛門もそこまで無分別ではなかった。
一方、幸田源之助はその様な佐野善左衛門の「胸中」を知るや知らずや、
「先程はどうも…」
そう口にして再び叩頭したかと思うと、「ちと宜しゅうござりまするか?」と尋ねた。
どうやら幸田源之助は佐野善左衛門と二人だけで話したいことがあるらしい。
佐野善左衛門もそうと察すると、幸田源之助同様、供侍より馬提燈を受取ると、幸田源之助と二人で夫々の従者より少し離れた場所へと移動した。
さて、佐野善左衛門と幸田源之助は適当な場所で立止まるや、幸田源之助がまたしても佐野善左衛門に深々と頭を下げたのであった。
馬提燈を片手に深々と頭を下げるその様はまるで、商人やその丁稚を髣髴とさせるものがあり、佐野善左衛門としても恐縮を通り越して流石に見苦しいものがあり、頭を上げてくれる様、強い調子で促した。
だが幸田源之助は直ぐには頭を上げず、
「鷹狩りにおける同輩…、松本岩次郎が無礼、松本岩次郎に成代わりまして、お詫び申上げまする…」
そう謝罪の言葉を口にしたのだ。
それで佐野善左衛門も幸田源之助が態々、己と二人だけで話があると、こうして夫々の従者より離れた場所へと誘った理由に合点がいった。
佐野善左衛門の従者の前でその様な謝罪をされては、従者に、殊に供侍に、
「主君が如何なる無礼な目に遭ったのか…」
そう顔を強張らせてしまう可能性があったからだ。
否、これで相手が「元兇」とも言える松本岩次郎当人であれば一向に構わないが―、その結果、佐野善左衛門の供侍が松本岩次郎に対して、
「主君に一体、如何な無礼を働かれたのか」
そう詰問される憂目に遭おうとも、やはり佐野善左衛門としては、
「一向に…」
構わなかった。
だが実際には相手は無関係な幸田源之助であり、これでは佐野善左衛門としても供侍に詰問させるなどと、その様な無礼を無関係なる幸田源之助に働かせる訳にはいかなかった。
さて、佐野善左衛門は合点がいったところで、改めて、今度は言葉を和らげて幸田源之助に頭を上げる様、促した。
幸田源之助もそれで漸くに頭を上げると、
「松本岩次郎が無礼、本来なれば土下座しても足りませぬ程にて…」
そう補足し、佐野善左衛門も少し気が紛れた。胸の中の屈辱感が解消されたのだ。
ともあれ、佐野善左衛門も「いやいや」と応ずると、
「その為に?」
二人きりでの話とはそのことなのかと、幸田源之助に暗に尋ねた。
それに対して幸田源之助は「それもありますが…」と応じた上で、
「されば鷹狩りにおけし件の四羽目の雁でござるが、あれはやはり佐野様、貴殿が仕留められし雁にて…」
実にサラリとした口調で言ってのけたものだから、佐野善左衛門の目を剥かせた。
幸田源之助はそんな佐野善左衛門を尻目に実に重大なことを、即ち、
「されば澤吉次郎が属せし2番組の番頭の松平庄右衛門親遂様は田沼様の縁者にて…」
そう口火を切ったかと思うと、松平庄右衛門の妻女が新見彌一郎正容の長女を娶っており、この新見彌一郎の分家筋には田沼意次の実妹にして、その息・意知の叔母を娶っている西之丸小納戸頭取の新見豊前守正則があり、その上、新見正則はこの意次の実妹にして意知の叔母に当たる妻女との間に正徧を、今日の鷹狩りにも小納戸として扈従した新見大炊頭正徧をもうけており、
「新見大炊頭様はやはり今日の鷹狩りに扈従せし田沼様…、若年寄の田沼山城守様にとりましては従兄に当たるそうで…、それ程までに田沼様とは深い縁にて結ばれし新見家より室を迎えられている松平庄右衛門様に花を持たせようと…、否、目附の池田修理様はそう考えられて、2番組より適当なる者が鳥を仕留めたものと、そう認定することで松平庄右衛門様を介して田沼様…、若年寄の田沼様に取入ろうしたのではないかと…、それが件の四羽目の雁ではなかったのかと…、本来、佐野様が仕留めし雁を2番組の小十人組番士が…、澤吉次郎めが仕留めたものと偽りの認定を致したのではないかと、いや、6番組においては専らの評判でござる…」
佐野善左衛門にそう囁いたのであった。
「いや…、なれど今日の鷹狩りに扈従せし目附は池田修理様一人ではござるまい?」
今一人、目附の末吉善左衛門も今日の鷹狩りに扈従しており、しかし、後輩に当たる池田修理に仕事を、つまりは鷹狩りにおける「戦功認定」を覚えさせるべく、そこで池田修理に今日の鷹狩りにおける「戦功認定」を一任した訳だが、これで仮に末吉善左衛門が池田修理に「戦功認定」を一任せずに、池田修理と共に「戦功認定」に当たっていたならば、池田修理とて如何に松平庄右衛門を介して田沼意次・意知父子に取入るべく、松平庄右衛門が番頭として支配する小十人組番2番組に属する小十人組番士が、その2番組より供弓に選ばれた番士が鳥を仕留めたことにしようと、その様な偽りの「戦功認定」をしようと、そう考えていたとしても、到底、その様な偽りの「戦功認定」など出来なかったであろう…、佐野善左衛門はまだ辛うじて残っている理性を、
「振絞って…」
そう反論した。
要は今日の鷹狩りにおいて目附の池田修理が一人で「戦功認定」に当たれてのは偶然に過ぎなかったのではないかと、佐野善左衛門はそう反論したのであった。
これで仮に末吉善左衛門が池田修理と共に「戦功認定」に当たれば、池田修理の「目算」にも狂いが生ずるからだ。
幸田源之助はしかし佐野善左衛門のその、
「僅かばかりの…」
理性を吹飛ばした。
「いや、池田修理様はどうやら目附を支配せし若年寄の、それも鷹狩りに毎回、扈従せし若年寄の田沼山城守様に事前に今日の鷹狩りにおける戦功認定は己一人に任せて欲しいと…、もそっと申さば、共に扈従せし予定の相役である末吉善左衛門には戦功認定に関わらせない様、末吉善左衛門にその旨、言い含ませて欲しいと…、つまりは末吉善左衛門には池田修理一人に戦功認定を任せてやれと、その様に圧力をかけて欲しいと…、いや、あくまで噂ではござるが…」
「何と…、田沼様は池田様より斯かる願いを、お聞届けあそばされたと?」
「どうもそのようでござるな…、いや、池田修理様は己一人に今日の鷹狩りにおける戦功認定を任せて貰えるならば、田沼様とは所縁のありし新見家より室を迎えられている松平庄右衛門様に花を持たせることが出来る…、つまりは2番組の小十人組番より供弓に選ばれし番士が鳥を仕留めたものと、偽りの戦功認定も、し易くなると、田沼様に斯様に取入ったのではないかと…」
否、供弓に選ばれた番士が一人も鳥を仕留められない可能性も、つまりは地面に鳥を射落すことが出来ない可能性もあり得る訳で、これでは如何に池田修理が偽りの「戦功認定」をしたくとも、地面に鳥が―、矢の刺さった鳥が落ちていないことにはそもそも、「戦功認定」自体が不可能というものであった。
少し頭を働かせれば分かりそうな可能性ではあるが、しかし、理性を失いつつある今の佐野善左衛門はそこまで頭が回らなかった。
「されば田沼様も…、若年寄の田沼山城守様もそうまでして己に取入ろうと欲する池田修理様を愛い奴と、思召されたのでござろう、山城守様も池田修理様の願を聞届けられ、末吉善左衛門様に、今日の鷹狩りだが、池田修理に戦功認定の仕事を覚えさせるべく、池田修理一人に戦功認定を任せてやれと命じられ…」
「それでは…、末吉善左衛門様は己一人の判断からではのうて、若年寄の田沼山城守様に命じられて…、それで池田修理様に戦功認定を任せられたと?」
佐野善左衛門は声を震わせつつ、そう尋ねた。
「どうもその様でござるな…、否、それ故に池田修理様が今日の鷹狩りにおける戦功認定を一人にて当たられたは決して偶然の産物に非ず…、また末吉善左衛門様にしても、目附を支配せし若年寄から…、それも畏れ多くも上様の御寵愛が殊の外に篤い田沼山城守様より、斯様に…、池田修理一人に戦功認定を任せよと命じられれば否とは申せますまいて…、結果、上様よりそのことで…、何故に池田修理一人に戦功認定を丸投げしたのかと末吉善左衛門様は詰問された訳でござるが、その場に当の張本人たる山城守様が目を光らせていれば、まさかに山城守様に命じられたこと故にと、弁明仕ることも出来ますまい…、仮に左様に弁明せしところで、畏れ多くも上様よりの御寵愛を恣にしておられる田沼山城守様がこと、末吉善左衛門様が斯かる弁明を、|己《おのれ」を嫉んでの讒言に相違あるまいと決め付け、上様もそれを…、田沼山城守様が虚言を、お信じあそばされるに相違あるまいと、末吉善左衛門様もそれが分かっていればこそ、上様の詰問にも敢えて何も反論しなかったのでござろう…」
幸田源之助は実にしみじみとした口調でそう言うと、
「という訳で、四羽目の雁は間違いなく御貴殿が仕留められしもの…、いや、流石は武勇名高き佐野越前守盛綱公が高貴なる御血筋、それも御嫡流だけのことはある」
佐野善左衛門をその様に勇気付け、持上げもしたのだ。
これで佐野善左衛門は完全に幸田源之助の「術中」に嵌まった。
応援ありがとうございます!
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