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天明3年12月3日、木下川の邊(ほとり)の鷹狩り ~木下川村の淨光寺における昼餉の騒動~ 終章
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将軍・家治は小納戸頭取の稲葉正存より佐野善左衛門と松本岩次郎の諍い、もとい、斬り合い一歩手前であった一部始終について聞かされるや、正存の顔を一瞥した。
「そなた、小納戸頭取として一体、何をしておった…」
諍いの現場に居合わしながら、ただ指を咥えて座視していただけか…、稲葉正存へと向けられた家治の視線はそう物語っていた。
正存もそうと察すると、
「この正存、小納戸頭取の身なれば…」
即ち、役方、文官である己では番方、武官である番士同士の諍い、ましてや斬り合いなど収められる筈もなく、
「もし、お責めあそばされますのなら、この正存ではのうて、番士を束ねし組頭か、或いは番頭を…」
佐野善左衛門が属する新番3番組の番頭かその配下の組頭、或いは松本岩次郎が属する小十人組番2番組の番頭かその配下の組頭を責めて欲しい…、正存は家治にその様な言訳を示唆してみせた。
成程、小納戸頭取は役方、文官であるので、その様な者に、
「バリバリの…」
番方、武官の諍い、ましてや斬り合いを収めることを期待するのが間違いやも知れなかった。
だとするならば、稲葉正存が示唆した通り、彼等の直属の上司である番頭かその配下の組頭に諍いを収める責務があると言えよう。
否、上司と部下との関係からすれば、むしろそれが当然であろう。所謂、
「管理責任」
というものである。その点、稲葉正存と、諍いを起こした佐野善左衛門や松本岩次郎とは上司と部下との関係にはない。
だが現実には佐野善左衛門の直属の上司に当たる3番組の新番組頭や更にその直属の上司に当たる新番頭にしろ、或いは松本岩次郎が属する2番組の小十人組頭や更にその直属の上司に当たる小十人番頭にしろ、何れも上司としての責務を、即ち、「管理責任」を果たそうとはせず、ただ部下である番士の諍いを指を咥えて眺めていただけであった。
否、「管理責任」を云々するのならば、家治に全ての責があるとも言えた。
家治は武門の棟梁たる征夷大将軍として、全ての番方、武官に属する番士を束ねる立場にいたからだ。
家治もその点に思い至ると、
「全ては将軍たる余が不徳の致すところぞ…」
家治はポツリとそう漏らした。
これには誰よりも意知が慌てた。
家治にその様な思いをさせては、家治から絶大なる寵愛を受けている意知としては心苦しい限りであった。
それ故、意知は慌てた様子で家治の御前にて土下座してみせると、
「全ての責は若年寄たるこの意知めに…、新番も小十人組番も若年寄支配なれば…」
家治には一切の責はないと、意知はそう主張してみせたのだ。
成程、新番も小十人組番も若年寄支配であり、今日の鷹狩りにおいては若年寄からは意知が唯一人、扈従していたので、彼等の諍いの全ての責は意知にあるとも言えた。
「なれど…、意知が主人も将軍たる余ぞ…」
家治は意知を諭す様にそう反論した。これには意知も返す言葉がなかった。
確かに、若年寄の直属の上司はこれまた将軍に外ならない。将軍は武門の棟梁として番方、武官を束ねると同時に、意知の様な役方、文官をも束ねるからだ。
だとするらば、やはり将軍たる家治に全ての責があるとも言えた。意知は返す言葉が見つからずに項垂れた。
するとその様子を見て取った元・御側御用取次の松平康郷がここでも「活躍」した。
「うぬら…、畏れ多くも上様や、それに若年寄にまで斯様なる情けない想いをさせて申訳ないとは…、否、恥とは思わぬのかっ!」
松平康郷は諍い、もとい斬り合い寸前まで演じた佐野善左衛門と松本岩次郎に対しては元より、その二人を収めるでなく、ただ指を咥えて眺めていた者たちに向けてもそう怒鳴りつけたのであった。
これには「騒ぎの張本人」たる佐野善左衛門と松本岩次郎は元より、それを座視していた外の者たちも意知の如く項垂れるより外になかった。
どうやら皆、反省している様子であり、家治もそうと悟ると、康郷を制した。
「否、今後は気をつけよ…」
家治はそう訓戒を与えることで不問に付すこととした。
佐野善左衛門と松本岩次郎は確かに斬り合い一歩手前、双方、刀の柄に手をやったものの、しかし鞘を走らせた訳ではない。そうであれば訓戒を与えるだけで十分であった。
するとそこで、「畏れながら…」と声を発する者がいた。
家治は声の主の方へと顔を向けた。家治には生憎と見覚えのない顔であり、つまりは従六位布衣役未満の者であった。
家治は基本的には従六位布衣役以上の役職にある者の顔と名前は把握していた。
だが従六位布衣役に至らぬ者ともなると、言葉は悪いが、
「末端の…」
旗本や御家人ともなると、余程のことがない限りは顔と名前を把握し切れなかった。
尤も、家治とて全知全能ではないので、それも致し方のないことであった。
ともあれ家治には見覚えがなく、するとそうと察した小納戸頭取の稲葉正存が、「大田善大夫にて…」と補足したので、家治の眉根を寄せた。
今回の騒ぎの「元凶」は大田善大夫にあるとも言えた。
何しろ、大田善大夫が小十人組番士の澤吉次郎の「手柄」にケチをつけたことが発端だからだ。
即ち、鷹狩りにおいて4人の供弓によって仕留められた四羽の雁のうち、四羽目の雁が小十人組番士の澤吉次郎の手によるものであると、戦功認定に当たった目附の池田修理のその判断に大田善大夫が疑問を呈した、否、ケチをつけたことが全ての始まりであったからだ。
あまつさえ、大田善大夫は四羽目の雁については、これを仕留めたのは新番士である佐野善左衛門の手によるものと言募り、その上、佐野善左衛門の家柄の良さまで持上げてみせ、結果、佐野善左衛門をその気にさせたのだ。
それに対して澤吉次郎とは「同期の桜」、共に同じ日に小十人組番2番組に番入り、就職を果たした松本岩次郎が謂わば、
「義憤に駆られ…」
大田善大夫は佐野善左衛門に対して大いに反撥し、これまた、
「あまつさえ…」
佐野善左衛門の家柄を侮辱してしまった為に今回の騒動となった。
そうであれば大田善大夫こそが全ての「元凶」とも言え、その大田善大夫が一体、何を言出すつもりかと、家治はそう思うと、自然と眉根も寄ろう。
だが、それでも家治は一応、大田善大夫に発言を許した。
「されば…、四羽目の雁は果たして誰が仕留めしものか、それを明らかにするのが肝要では…」
またその話を蒸返すつもりかと、家治は内心、苛立ったものの、しかし「戦功」を確定しておくのは確かに大事なことではあった。
そこで家治は苛立ちを鎮めつつ、
「大田善大夫よ…、聞くところによれば、そなたには佐野善左衛門が仕留めたように見えたのだな?」
大田善大夫にそう水を向けた。
それに対して大田善大夫は「御意」と即答したので、
「されば目附の池田修理が判断は…、小十人組番士の澤吉次郎が仕留めし雁との、その判断は誤りだと申すのだな?」
家治は重ねて念押しする様に尋ねると、大田善大夫はまたしても「御意」と即答した。
そこで家治は今度は池田修理の方を向いた。池田修理は従六位布衣役であるので家治も当然、その顔と名前を把握していた。否、それ以前に鷹狩りにおいて馬上の家治の御前にて「戦功認定」に当たったのだから、仮令、池田修理が従六位布衣役以上でなくとも、つまりは、
「末端の…」
旗本であったとしても、家治もその顔と名前は把握していたであろう。
ともあれ家治は池田修理の方を向くと、
「大田善大夫は斯様に申しておるが、修理よ、そなたはどうだ?」
己の判断に自信はあるか…、修理に暗にそう問い掛けた。
これには池田修理も大田善大夫も指摘した通り、目附としてはまだ経験が浅く、つまりは「戦功認定」には自信がないらしく、俯いた。つまりは己の判断に自信はないということらしかった。
家治は続けて「先輩」の目附である末吉善左衛門の方へと視線を転じた。
「そなたは池田修理の先輩として何をしていた…」
家治は末吉善左衛門に対してその様な非難の眼差しを向けた。
すると末吉善左衛門もそうと察したらしく、
「池田修理には経験を積ませるべく…」
池田修理一人に「選考認定」を任せたのだと、やはりそう言訳した。
成程、先輩が後輩に仕事の経験を積ませるべく、仕事を任すのは大事なことであった。
だがそれには適切な「フォロー」があって初めて成立つ。
今回の場合、末吉善左衛門は池田修理を一切、フォローすることはなかった。これでは単なる「丸投げ」に過ぎず、とても先輩の態度とは言えなかった。
「まさかに…、これも…、この騒動もまた、一橋治済めが仕業ではあるまいの…」
家治に思わず、そう疑わせた。
それと言うのも末吉善左衛門は実は元は一橋家にて治済に側用人として仕えていたからだ。
御三卿の側用人は従六位布衣役であるので、家治も当然、その顔と名前を把握していた。
末吉善左衛門はそれ故に、
「バリバリの…」
一橋治済の「シンパ」と言え、その末吉善左衛門は今は目附として、後輩の目附である池田修理を適切に指導する立場にあり乍、実際には池田修理を指導するどころか、「戦功認定」という極めてデリケートな仕事を丸投げしたのだ。
まだ目附として、つまりは「戦功認定」には経験の浅い池田修理にその「戦功認定」というデリケートな仕事を丸投げすればどうなるか、つまりは今回の様な騒動を招くであろうことぐらい、末吉善左衛門なれば当然、想像がついた筈である。
にもかかわらず末吉善左衛門は池田修理に「戦功認定」を丸投げした―、ともなれば末吉善左衛門はまるで騒動が起きるのを期待していたのではあるまいかと、家治ならずとも勘繰りたくなる。
尤も、その様な騒動が起きたところで末吉善左衛門個人には利益はない。それどころか先輩としての能力を疑われ、不利益の方が大きいだろう。
にもかかわらず、末吉善左衛門はあえてその不利益は覚悟の上で、池田修理に「戦功認定」を丸投げすることで、騒動を起こしてみせた、となればその背後に一橋治済がいるのでは、要は、
「一橋治済に命じられたからではあるまいか…」
家治がそう勘繰るのも自然な成行きであった。
だが家治は直ぐに、「牽強付会」の四文字が脳裏に浮かんだ。
何でもかんでも治済の所為にするのは悪い癖だなと、家治は内心、苦笑した。
しかしそれから直ぐに家治を再び、「牽強付会」へと引戻した。
何と、やはり諍いの場にいた小納戸の岩本正五郎正倫が、「畏れながら…」と声を上げたかと思うと、家治の許しも得ずに、
「この正倫も佐野善左衛門が仕留めた様に見受けられましてござりまする…」
岩本正五郎は大田善大夫や佐野善左衛門に与した。
岩本正五郎が「バリバリ」の一橋派であることは家治も態々、
「調べるまでもなく…」
把握していたので、稲葉正存同様、否、それ以上に家治の食事の場面からは排除されていた。
とは言え、今日の様に鷹狩りには参加させた。
岩本正五郎は成程、
「バリバリの…」
一橋派ではあるものの、同時に弓矢の技量が確かであるのも事実であり、鷹狩りにおいて鳥を仕留めて家治より褒美として時服を下賜されたこともあった。
そうであればその様な岩本正五郎を鷹狩りに扈従させない訳にはゆかず、そこで家治は岩本正五郎には小納戸としてではなく、番士として鷹狩りに参加させていた。
その岩本正五郎が大田善大夫や佐野善左衛門に与したということは、裏を返せば池田修理の判断を、つまりは「戦功認定」を否定することに外ならず、それは間接的に騒動を期待した末吉善左衛門を後押しするかの様に、家治には思えた。
だとするならばやはり今回の騒動の裏には一橋治済が控えているのではあるまいかと、家治を再び、「牽強付会」の世界へと誘った。
だが、岩本正五郎は弓矢の技量に勝れているのも事実であるので、鷹狩りに関してその意見を無視出来ないのも事実であった。つまりは岩本正五郎は、
「純粋に…」
佐野善左衛門が仕留めた雁であると主張しているに過ぎず、その場合は今回の騒動には一橋治済とは関わり合いがない、ということになる。
果たして一橋治済の関与があるのか否か、家治が頭を悩ませていると、そこへ新たに「畏れながら…」との声が上がった。
声の主は大田善大夫と同様、小姓組番1番組に属する戸田次郎左衛門由相であった。
小姓組番士は従六位布衣役未満であり、正に、
「末端の…」
旗本に過ぎず、本来ならば家治もその顔と名前は把握していない筈であった。
だが殊、この戸田次郎左衛門に限って言えばその例外であった。
それと言うのも戸田次郎左衛門は今日の様な鷹狩りにおいては元より、百手的や弓場始などにおいて度々、射手に選ばれては的を命中させては家治より時服を賜ること、これまた度々であり、それ故、家治も戸田次郎左衛門の顔と名前を把握していたのだ。
戸田次郎左衛門は謂わば弓矢の名手とも言え、その戸田次郎左衛門は何と、澤|吉次郎《きちじろう与したのだ。即ち、
「四羽目の雁でござりまするが、澤吉次郎が仕留めし雁に相違なく…」
池田修理の「戦功認定」は正しいと、戸田次郎左衛門はそう主張したのであった。
「それに相違ないか?」
家治が戸田次郎左衛門にそう念押しすると、戸田次郎左衛門も、
「相違ござりませぬ」
そう即答し、
「この命に代えましても…」
そうも付加えたのであった。
そしてその様な戸田次郎左衛門を後押ししたのが小納戸の黒川内匠盛胤であった。
黒川内匠は戸田次郎左衛門程の弓矢の名手ではないものの、それでも弓場始の射手に選ばれ、褒美として白銀を下賜されたこともあれば、鷹狩りにおいて鳥を射て時服を賜ったこともある。
その黒川内匠も戸田次郎左衛門に与し、つまりは池田修理の「戦功認定」を支持し、澤吉次郎が仕留めた雁であると主張したのであった。
黒川内匠はその上で、戸田次郎左衛門同様、
「命に代えましても…」
そう付加えたものだから、家治を驚かせた。
それと言うのも黒川内匠は岩本正利の三女を、岩本正五郎の直ぐ上の姉を娶っており、それ故、黒川内匠と岩本正五郎とは義理の兄弟に当たるので、そうであれば黒川内匠もまた、
「バリバリの…」
一橋派に属し、本来ならば黒川内匠は義弟である岩本正五郎に与して、
「佐野善左衛門が仕留めた雁…」
そう主張しても良さそうなものであったが、しかし実際には黒川内匠は岩本正五郎とは正反対の立場を取ったことから、即ち、
「澤吉次郎が仕留めた雁…」
そう主張したことから家治を驚かせた。それは、
「今回の騒動の背後には一橋治済が控えているのではあるまいか…」
家治のその直感が「牽強付会」であることを決定付けるものであったからだ。
仮に今回の騒動の背後に一橋治済が控えていれば義兄弟である「一橋派」の黒川内匠と岩本正五郎とが謂わば、
「敵味方に…」
別れることはないからだ。
ともあれこれで、家治としては四羽目の雁を仕留めたのは、
「澤吉次郎に相違あるまい…」
そう心証を形成した。
そして最後に同じく小納戸の伊丹雅楽助の証言が家治のその「心証」を確固としたものにさせた。
伊丹雅楽助は伯母が田沼意次の室、意知にとっては義理の母ということもあり、小納戸として将軍・家治の食事の毒見や配膳を担わせて貰っていたが、鷹狩りにも勿論、参加していた。
伊丹雅楽助もまた、鷹狩りにおいては鳥を射て、将軍・家治より時服を賜ること屡であり、弓矢の腕前は確かであった。
その伊丹雅楽助も澤吉次郎が仕留めた雁であると主張し、その上、
「命に代えましても…」
そう付加えたものだから、これで家治の心証は固まった。
即ち、四羽目の雁は澤吉次郎が仕留めた雁であると、家治は池田修理の当初の「戦功認定」をそのまま受容れることに決めたのだ。
家治はしかし、その前に佐野善左衛門を支持する大田善大夫と岩本正五郎の「覚悟」を確かめることにした。
「戸田次郎左衛門や黒川内匠、伊丹雅楽助らは皆、命を懸けると申しておるが、そなたらも佐野善左衛門の為に命を懸けられるか?」
家治のその下問に対して大田善大夫にしろ岩本正五郎にしろ平伏するばかりで何も応えようとはしなかった。
家治にはもうそれで十分であった。
家治は平伏する大田善大夫と岩本正五郎を睥睨しつつ、
「されば四羽目の雁だが、池田修理も認めし通り、小十人組番士の澤吉次郎が仕留めたものと認むるっ!」
そう宣したのであった。
「そなた、小納戸頭取として一体、何をしておった…」
諍いの現場に居合わしながら、ただ指を咥えて座視していただけか…、稲葉正存へと向けられた家治の視線はそう物語っていた。
正存もそうと察すると、
「この正存、小納戸頭取の身なれば…」
即ち、役方、文官である己では番方、武官である番士同士の諍い、ましてや斬り合いなど収められる筈もなく、
「もし、お責めあそばされますのなら、この正存ではのうて、番士を束ねし組頭か、或いは番頭を…」
佐野善左衛門が属する新番3番組の番頭かその配下の組頭、或いは松本岩次郎が属する小十人組番2番組の番頭かその配下の組頭を責めて欲しい…、正存は家治にその様な言訳を示唆してみせた。
成程、小納戸頭取は役方、文官であるので、その様な者に、
「バリバリの…」
番方、武官の諍い、ましてや斬り合いを収めることを期待するのが間違いやも知れなかった。
だとするならば、稲葉正存が示唆した通り、彼等の直属の上司である番頭かその配下の組頭に諍いを収める責務があると言えよう。
否、上司と部下との関係からすれば、むしろそれが当然であろう。所謂、
「管理責任」
というものである。その点、稲葉正存と、諍いを起こした佐野善左衛門や松本岩次郎とは上司と部下との関係にはない。
だが現実には佐野善左衛門の直属の上司に当たる3番組の新番組頭や更にその直属の上司に当たる新番頭にしろ、或いは松本岩次郎が属する2番組の小十人組頭や更にその直属の上司に当たる小十人番頭にしろ、何れも上司としての責務を、即ち、「管理責任」を果たそうとはせず、ただ部下である番士の諍いを指を咥えて眺めていただけであった。
否、「管理責任」を云々するのならば、家治に全ての責があるとも言えた。
家治は武門の棟梁たる征夷大将軍として、全ての番方、武官に属する番士を束ねる立場にいたからだ。
家治もその点に思い至ると、
「全ては将軍たる余が不徳の致すところぞ…」
家治はポツリとそう漏らした。
これには誰よりも意知が慌てた。
家治にその様な思いをさせては、家治から絶大なる寵愛を受けている意知としては心苦しい限りであった。
それ故、意知は慌てた様子で家治の御前にて土下座してみせると、
「全ての責は若年寄たるこの意知めに…、新番も小十人組番も若年寄支配なれば…」
家治には一切の責はないと、意知はそう主張してみせたのだ。
成程、新番も小十人組番も若年寄支配であり、今日の鷹狩りにおいては若年寄からは意知が唯一人、扈従していたので、彼等の諍いの全ての責は意知にあるとも言えた。
「なれど…、意知が主人も将軍たる余ぞ…」
家治は意知を諭す様にそう反論した。これには意知も返す言葉がなかった。
確かに、若年寄の直属の上司はこれまた将軍に外ならない。将軍は武門の棟梁として番方、武官を束ねると同時に、意知の様な役方、文官をも束ねるからだ。
だとするらば、やはり将軍たる家治に全ての責があるとも言えた。意知は返す言葉が見つからずに項垂れた。
するとその様子を見て取った元・御側御用取次の松平康郷がここでも「活躍」した。
「うぬら…、畏れ多くも上様や、それに若年寄にまで斯様なる情けない想いをさせて申訳ないとは…、否、恥とは思わぬのかっ!」
松平康郷は諍い、もとい斬り合い寸前まで演じた佐野善左衛門と松本岩次郎に対しては元より、その二人を収めるでなく、ただ指を咥えて眺めていた者たちに向けてもそう怒鳴りつけたのであった。
これには「騒ぎの張本人」たる佐野善左衛門と松本岩次郎は元より、それを座視していた外の者たちも意知の如く項垂れるより外になかった。
どうやら皆、反省している様子であり、家治もそうと悟ると、康郷を制した。
「否、今後は気をつけよ…」
家治はそう訓戒を与えることで不問に付すこととした。
佐野善左衛門と松本岩次郎は確かに斬り合い一歩手前、双方、刀の柄に手をやったものの、しかし鞘を走らせた訳ではない。そうであれば訓戒を与えるだけで十分であった。
するとそこで、「畏れながら…」と声を発する者がいた。
家治は声の主の方へと顔を向けた。家治には生憎と見覚えのない顔であり、つまりは従六位布衣役未満の者であった。
家治は基本的には従六位布衣役以上の役職にある者の顔と名前は把握していた。
だが従六位布衣役に至らぬ者ともなると、言葉は悪いが、
「末端の…」
旗本や御家人ともなると、余程のことがない限りは顔と名前を把握し切れなかった。
尤も、家治とて全知全能ではないので、それも致し方のないことであった。
ともあれ家治には見覚えがなく、するとそうと察した小納戸頭取の稲葉正存が、「大田善大夫にて…」と補足したので、家治の眉根を寄せた。
今回の騒ぎの「元凶」は大田善大夫にあるとも言えた。
何しろ、大田善大夫が小十人組番士の澤吉次郎の「手柄」にケチをつけたことが発端だからだ。
即ち、鷹狩りにおいて4人の供弓によって仕留められた四羽の雁のうち、四羽目の雁が小十人組番士の澤吉次郎の手によるものであると、戦功認定に当たった目附の池田修理のその判断に大田善大夫が疑問を呈した、否、ケチをつけたことが全ての始まりであったからだ。
あまつさえ、大田善大夫は四羽目の雁については、これを仕留めたのは新番士である佐野善左衛門の手によるものと言募り、その上、佐野善左衛門の家柄の良さまで持上げてみせ、結果、佐野善左衛門をその気にさせたのだ。
それに対して澤吉次郎とは「同期の桜」、共に同じ日に小十人組番2番組に番入り、就職を果たした松本岩次郎が謂わば、
「義憤に駆られ…」
大田善大夫は佐野善左衛門に対して大いに反撥し、これまた、
「あまつさえ…」
佐野善左衛門の家柄を侮辱してしまった為に今回の騒動となった。
そうであれば大田善大夫こそが全ての「元凶」とも言え、その大田善大夫が一体、何を言出すつもりかと、家治はそう思うと、自然と眉根も寄ろう。
だが、それでも家治は一応、大田善大夫に発言を許した。
「されば…、四羽目の雁は果たして誰が仕留めしものか、それを明らかにするのが肝要では…」
またその話を蒸返すつもりかと、家治は内心、苛立ったものの、しかし「戦功」を確定しておくのは確かに大事なことではあった。
そこで家治は苛立ちを鎮めつつ、
「大田善大夫よ…、聞くところによれば、そなたには佐野善左衛門が仕留めたように見えたのだな?」
大田善大夫にそう水を向けた。
それに対して大田善大夫は「御意」と即答したので、
「されば目附の池田修理が判断は…、小十人組番士の澤吉次郎が仕留めし雁との、その判断は誤りだと申すのだな?」
家治は重ねて念押しする様に尋ねると、大田善大夫はまたしても「御意」と即答した。
そこで家治は今度は池田修理の方を向いた。池田修理は従六位布衣役であるので家治も当然、その顔と名前を把握していた。否、それ以前に鷹狩りにおいて馬上の家治の御前にて「戦功認定」に当たったのだから、仮令、池田修理が従六位布衣役以上でなくとも、つまりは、
「末端の…」
旗本であったとしても、家治もその顔と名前は把握していたであろう。
ともあれ家治は池田修理の方を向くと、
「大田善大夫は斯様に申しておるが、修理よ、そなたはどうだ?」
己の判断に自信はあるか…、修理に暗にそう問い掛けた。
これには池田修理も大田善大夫も指摘した通り、目附としてはまだ経験が浅く、つまりは「戦功認定」には自信がないらしく、俯いた。つまりは己の判断に自信はないということらしかった。
家治は続けて「先輩」の目附である末吉善左衛門の方へと視線を転じた。
「そなたは池田修理の先輩として何をしていた…」
家治は末吉善左衛門に対してその様な非難の眼差しを向けた。
すると末吉善左衛門もそうと察したらしく、
「池田修理には経験を積ませるべく…」
池田修理一人に「選考認定」を任せたのだと、やはりそう言訳した。
成程、先輩が後輩に仕事の経験を積ませるべく、仕事を任すのは大事なことであった。
だがそれには適切な「フォロー」があって初めて成立つ。
今回の場合、末吉善左衛門は池田修理を一切、フォローすることはなかった。これでは単なる「丸投げ」に過ぎず、とても先輩の態度とは言えなかった。
「まさかに…、これも…、この騒動もまた、一橋治済めが仕業ではあるまいの…」
家治に思わず、そう疑わせた。
それと言うのも末吉善左衛門は実は元は一橋家にて治済に側用人として仕えていたからだ。
御三卿の側用人は従六位布衣役であるので、家治も当然、その顔と名前を把握していた。
末吉善左衛門はそれ故に、
「バリバリの…」
一橋治済の「シンパ」と言え、その末吉善左衛門は今は目附として、後輩の目附である池田修理を適切に指導する立場にあり乍、実際には池田修理を指導するどころか、「戦功認定」という極めてデリケートな仕事を丸投げしたのだ。
まだ目附として、つまりは「戦功認定」には経験の浅い池田修理にその「戦功認定」というデリケートな仕事を丸投げすればどうなるか、つまりは今回の様な騒動を招くであろうことぐらい、末吉善左衛門なれば当然、想像がついた筈である。
にもかかわらず末吉善左衛門は池田修理に「戦功認定」を丸投げした―、ともなれば末吉善左衛門はまるで騒動が起きるのを期待していたのではあるまいかと、家治ならずとも勘繰りたくなる。
尤も、その様な騒動が起きたところで末吉善左衛門個人には利益はない。それどころか先輩としての能力を疑われ、不利益の方が大きいだろう。
にもかかわらず、末吉善左衛門はあえてその不利益は覚悟の上で、池田修理に「戦功認定」を丸投げすることで、騒動を起こしてみせた、となればその背後に一橋治済がいるのでは、要は、
「一橋治済に命じられたからではあるまいか…」
家治がそう勘繰るのも自然な成行きであった。
だが家治は直ぐに、「牽強付会」の四文字が脳裏に浮かんだ。
何でもかんでも治済の所為にするのは悪い癖だなと、家治は内心、苦笑した。
しかしそれから直ぐに家治を再び、「牽強付会」へと引戻した。
何と、やはり諍いの場にいた小納戸の岩本正五郎正倫が、「畏れながら…」と声を上げたかと思うと、家治の許しも得ずに、
「この正倫も佐野善左衛門が仕留めた様に見受けられましてござりまする…」
岩本正五郎は大田善大夫や佐野善左衛門に与した。
岩本正五郎が「バリバリ」の一橋派であることは家治も態々、
「調べるまでもなく…」
把握していたので、稲葉正存同様、否、それ以上に家治の食事の場面からは排除されていた。
とは言え、今日の様に鷹狩りには参加させた。
岩本正五郎は成程、
「バリバリの…」
一橋派ではあるものの、同時に弓矢の技量が確かであるのも事実であり、鷹狩りにおいて鳥を仕留めて家治より褒美として時服を下賜されたこともあった。
そうであればその様な岩本正五郎を鷹狩りに扈従させない訳にはゆかず、そこで家治は岩本正五郎には小納戸としてではなく、番士として鷹狩りに参加させていた。
その岩本正五郎が大田善大夫や佐野善左衛門に与したということは、裏を返せば池田修理の判断を、つまりは「戦功認定」を否定することに外ならず、それは間接的に騒動を期待した末吉善左衛門を後押しするかの様に、家治には思えた。
だとするならばやはり今回の騒動の裏には一橋治済が控えているのではあるまいかと、家治を再び、「牽強付会」の世界へと誘った。
だが、岩本正五郎は弓矢の技量に勝れているのも事実であるので、鷹狩りに関してその意見を無視出来ないのも事実であった。つまりは岩本正五郎は、
「純粋に…」
佐野善左衛門が仕留めた雁であると主張しているに過ぎず、その場合は今回の騒動には一橋治済とは関わり合いがない、ということになる。
果たして一橋治済の関与があるのか否か、家治が頭を悩ませていると、そこへ新たに「畏れながら…」との声が上がった。
声の主は大田善大夫と同様、小姓組番1番組に属する戸田次郎左衛門由相であった。
小姓組番士は従六位布衣役未満であり、正に、
「末端の…」
旗本に過ぎず、本来ならば家治もその顔と名前は把握していない筈であった。
だが殊、この戸田次郎左衛門に限って言えばその例外であった。
それと言うのも戸田次郎左衛門は今日の様な鷹狩りにおいては元より、百手的や弓場始などにおいて度々、射手に選ばれては的を命中させては家治より時服を賜ること、これまた度々であり、それ故、家治も戸田次郎左衛門の顔と名前を把握していたのだ。
戸田次郎左衛門は謂わば弓矢の名手とも言え、その戸田次郎左衛門は何と、澤|吉次郎《きちじろう与したのだ。即ち、
「四羽目の雁でござりまするが、澤吉次郎が仕留めし雁に相違なく…」
池田修理の「戦功認定」は正しいと、戸田次郎左衛門はそう主張したのであった。
「それに相違ないか?」
家治が戸田次郎左衛門にそう念押しすると、戸田次郎左衛門も、
「相違ござりませぬ」
そう即答し、
「この命に代えましても…」
そうも付加えたのであった。
そしてその様な戸田次郎左衛門を後押ししたのが小納戸の黒川内匠盛胤であった。
黒川内匠は戸田次郎左衛門程の弓矢の名手ではないものの、それでも弓場始の射手に選ばれ、褒美として白銀を下賜されたこともあれば、鷹狩りにおいて鳥を射て時服を賜ったこともある。
その黒川内匠も戸田次郎左衛門に与し、つまりは池田修理の「戦功認定」を支持し、澤吉次郎が仕留めた雁であると主張したのであった。
黒川内匠はその上で、戸田次郎左衛門同様、
「命に代えましても…」
そう付加えたものだから、家治を驚かせた。
それと言うのも黒川内匠は岩本正利の三女を、岩本正五郎の直ぐ上の姉を娶っており、それ故、黒川内匠と岩本正五郎とは義理の兄弟に当たるので、そうであれば黒川内匠もまた、
「バリバリの…」
一橋派に属し、本来ならば黒川内匠は義弟である岩本正五郎に与して、
「佐野善左衛門が仕留めた雁…」
そう主張しても良さそうなものであったが、しかし実際には黒川内匠は岩本正五郎とは正反対の立場を取ったことから、即ち、
「澤吉次郎が仕留めた雁…」
そう主張したことから家治を驚かせた。それは、
「今回の騒動の背後には一橋治済が控えているのではあるまいか…」
家治のその直感が「牽強付会」であることを決定付けるものであったからだ。
仮に今回の騒動の背後に一橋治済が控えていれば義兄弟である「一橋派」の黒川内匠と岩本正五郎とが謂わば、
「敵味方に…」
別れることはないからだ。
ともあれこれで、家治としては四羽目の雁を仕留めたのは、
「澤吉次郎に相違あるまい…」
そう心証を形成した。
そして最後に同じく小納戸の伊丹雅楽助の証言が家治のその「心証」を確固としたものにさせた。
伊丹雅楽助は伯母が田沼意次の室、意知にとっては義理の母ということもあり、小納戸として将軍・家治の食事の毒見や配膳を担わせて貰っていたが、鷹狩りにも勿論、参加していた。
伊丹雅楽助もまた、鷹狩りにおいては鳥を射て、将軍・家治より時服を賜ること屡であり、弓矢の腕前は確かであった。
その伊丹雅楽助も澤吉次郎が仕留めた雁であると主張し、その上、
「命に代えましても…」
そう付加えたものだから、これで家治の心証は固まった。
即ち、四羽目の雁は澤吉次郎が仕留めた雁であると、家治は池田修理の当初の「戦功認定」をそのまま受容れることに決めたのだ。
家治はしかし、その前に佐野善左衛門を支持する大田善大夫と岩本正五郎の「覚悟」を確かめることにした。
「戸田次郎左衛門や黒川内匠、伊丹雅楽助らは皆、命を懸けると申しておるが、そなたらも佐野善左衛門の為に命を懸けられるか?」
家治のその下問に対して大田善大夫にしろ岩本正五郎にしろ平伏するばかりで何も応えようとはしなかった。
家治にはもうそれで十分であった。
家治は平伏する大田善大夫と岩本正五郎を睥睨しつつ、
「されば四羽目の雁だが、池田修理も認めし通り、小十人組番士の澤吉次郎が仕留めたものと認むるっ!」
そう宣したのであった。
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