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天明3年12月3日、木下川の邊(ほとり)の鷹狩り ~木下川村の淨光寺における昼餉の騒動~ 終章

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 将軍しょうぐん家治いえはる小納戸こなんど頭取とうどり稲葉いなば正存まさよしより佐野さの善左衛門ぜんざえもん松本まつもと岩次郎いわじろういさかい、もとい、一歩手前いっぽてまえであった一部いちぶ始終しじゅうについてかされるや、正存まさよしかお一瞥いちべつした。

「そなた、小納戸こなんど頭取とうどりとして一体いったいなにをしておった…」

 いさかいの現場げんば居合いあわしながら、ただゆびくわえて座視ざししていただけか…、稲葉いなば正存まさよしへとけられた家治いえはる視線しせんはそう物語ものがたっていた。

 正存まさよしもそうとさっすると、

「この正存まさよし小納戸こなんど頭取とうどりなれば…」

 すなわち、役方やくかた文官ぶんかんであるおのれでは番方ばんかた武官ぶかんである番士同士ばんしどうしいさかい、ましてやいなどおさめられるはずもなく、

「もし、おめあそばされますのなら、この正存まさよしではのうて、番士ばんしたばねし組頭くみがしらか、あるいは番頭ばんがしらを…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんぞくする新番しんばん3番組ばんぐみ番頭ばんがしらかその配下はいか組頭くみがしらあるいは松本まつもと岩次郎いわじろうぞくする小十人こじゅうにん組番ぐみばん2番組ばんぐみ番頭ばんかしらかその配下はいか組頭くみがしらめてしい…、正存まさよし家治いえはるにそのよう言訳いいわけ示唆しさしてみせた。

 成程なるほど小納戸こなんど頭取とうどり役方やくかた文官ぶんかんであるので、そのようものに、

「バリバリの…」

 番方ばんかた武官ぶかんいさかい、ましてやいをおさめることを期待きたいするのが間違まちがいやもれなかった。

 だとするならば、稲葉いなば正存まさよし示唆しさしたとおり、彼等かれら直属ちょくぞく上司じょうしである番頭ばんがしらかその配下はいか組頭くみがしらいさかいをおさめる責務せきむがあると言えよう。

 いや上司じょうし部下ぶかとの関係かんけいからすれば、むしろそれが当然とうぜんであろう。所謂いわゆる

管理かんり責任せきにん

 というものである。そのてん稲葉いなば正存まさよしと、いさかいをこした佐野さの善左衛門ぜんざえもん松本まつもと岩次郎いわじろうとは上司じょうし部下ぶかとの関係かんけいにはない。

 だが現実げんじつには佐野さの善左衛門ぜんざえもん直属ちょくぞく上司じょうしたる3番組ばんぐみ新番組しんばんぐみがしらさらにその直属ちょくぞく上司じょうしたる新番頭しんばんがしらにしろ、あるいは松本まつもと岩次郎いわじろうぞくする2番組ばんぐみ小十人こじゅうにん組頭くみがしらさらにその直属ちょくぞく上司じょうしたる小十人こじゅうにん番頭ばんがしらにしろ、いずれも上司じょうしとしての責務せきむを、すなわち、「管理かんり責任せきにん」をたそうとはせず、ただ部下ぶかである番士ばんしいさかいをゆびくわえてながめていただけであった。

 いや、「管理かんり責任せきにん」を云々うんぬんするのならば、家治いえはるすべてのせめがあるとも言えた。

 家治いえはる武門ぶもん棟梁とうりょうたる征夷せいい大将軍たいしょうぐんとして、すべての番方ばんかた武官ぶかんぞくする番士ばんしたばねる立場たちばにいたからだ。

 家治いえはるもそのてんおもいたると、

すべては将軍しょうぐんたる不徳ふとくいたすところぞ…」

 家治いえはるはポツリとそうらした。

 これにはだれよりも意知おきともあわてた。

 家治いえはるにそのようおもいをさせては、家治いえはるから絶大ぜつだいなる寵愛ちょうあいけている意知おきともとしては心苦こころぐるしいかぎりであった。

 それゆえ意知おきともあわてた様子ようす家治いえはるぜんにて土下座どげざしてみせると、

すべてのせめ若年寄わかどしよりたるこの意知おきともめに…、新番しんばん小十人こじゅうにん組番ぐみばん若年寄わかどしより支配しはいなれば…」

 家治いえはるには一切いっさいせめはないと、意知おきともはそう主張アピールしてみせたのだ。

 成程なるほど新番しんばん小十人こじゅうにん組番ぐみばん若年寄わかどしより支配しはいであり、今日きょう鷹狩たかがりにおいては若年寄わかどしよりからは意知おきとも唯一人ただひとり扈従こしょうしていたので、彼等かれらいさかいのすべてのせめ意知おきともにあるとも言えた。

「なれど…、意知おきとも主人しゅじん将軍しょうぐんたるぞ…」

 家治いえはる意知おきともさとようにそう反論はんろんした。これには意知おきともかえ言葉ことばがなかった。

 たしかに、若年寄わかどしより直属ちょくぞく上司じょうしはこれまた将軍しょうぐんほかならない。将軍しょうぐん武門ぶもん棟梁とうりょうとして番方ばんかた武官ぶかんたばねると同時どうじに、意知おきともよう役方やくかた文官ぶんかんをもたばねるからだ。

 だとするらば、やはり将軍しょうぐんたる家治いえはるすべてのせめがあるとも言えた。意知おきともかえ言葉ことばつからずに項垂うなだれた。

 するとその様子ようすったもとそば用取次ようとりつぎ松平まつだいら康郷やすさとがここでも「活躍かつやく」した。

「うぬら…、おそおおくも上様うえさまや、それに若年寄わかどしよりにまで斯様かようなるなさけないおもいをさせて申訳もうしわけないとは…、いやはじとはおもわぬのかっ!」

 松平まつだいら康郷やすさといさかい、もとい寸前すんぜんまでえんじた佐野さの善左衛門ぜんざえもん松本まつもと岩次郎いわじろうたいしてはもとより、その二人ふたりおさめるでなく、ただゆびくわえてながめていたものたちにけてもそう怒鳴どなりつけたのであった。

 これには「さわぎの張本人ちょうほんにん」たる佐野さの善左衛門ぜんざえもん松本まつもと岩次郎いわじろうもとより、それを座視ざししていたほかものたちも意知おきともごと項垂うなだれるよりほかになかった。

 どうやらみな反省はんせいしている様子ようすであり、家治いえはるもそうとさとると、康郷やすさとせいした。

いや今後こんごをつけよ…」

 家治いえはるはそう訓戒くんかいあたえることで不問ふもんすこととした。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん松本まつもと岩次郎いわじろうたしかに一歩手前いっぽてまえ双方そうほうかたなつかをやったものの、しかしさやはしらせたわけではない。そうであれば訓戒くんかいあたえるだけで十分じゅうぶんであった。

 するとそこで、「おそれながら…」とこえはっするものがいた。

 家治いえはるこえぬしほうへとかおけた。家治いえはるには生憎あいにく見覚みおぼえのないかおであり、つまりは従六位じゅろくい布衣ほいやく未満みまんものであった。

 家治いえはる基本的きほんてきには従六位じゅろくい布衣ほいやく以上いじょう役職やくしょくにあるものかお名前なまえ把握はあくしていた。

 だが従六位じゅろくい布衣ほいやくいたらぬものともなると、言葉ことばわるいが、

末端まったんの…」

 旗本はたもと御家人ごけにんともなると、余程よほどのことがないかぎりはかお名前なまえ把握はあくれなかった。

 もっとも、家治いえはるとて全知全能ぜんちぜんのうではないので、それもいたかたのないことであった。

 ともあれ家治いえはるには見覚みおぼえがなく、するとそうとさっした小納戸こなんど頭取とうどり稲葉いなば正存まさよしが、「大田おおた善大夫ぜんだゆうにて…」と補足ほそくしたので、家治いえはる眉根まゆねせた。

 今回こんかいさわぎの「元凶げんきょう」は大田おおた善大夫ぜんだゆうにあるとも言えた。

 なにしろ、大田おおた善大夫ぜんだゆう小十人こじゅうにん組番ぐみばんさわ吉次郎きちじろうの「手柄てがら」にケチをつけたことが発端ほったんだからだ。

 すなわち、鷹狩たかがりにおいて4人の供弓ともゆみによって仕留しとめられた四羽のがんのうち、四羽目のがん小十人こじゅうにん組番ぐみばんさわ吉次郎きちじろうによるものであると、戦功認定せんこうにんていたった目附めつけ池田修理いけだしゅりのその判断はんだん大田おおた善大夫ぜんだゆう疑問ぎもんていした、いや、ケチをつけたことがすべてのはじまりであったからだ。

 あまつさえ、大田おおた善大夫ぜんだゆうは四羽目のがんについては、これを仕留しとめたのは新番しんばんである佐野さの善左衛門ぜんざえもんによるものと言募いいつのり、そのうえ佐野さの善左衛門ぜんざえもん家柄いえがらさまで持上もちあげてみせ、結果けっか佐野さの善左衛門ぜんざえもんをそのにさせたのだ。

 それにたいしてさわ吉次郎きちじろうとは「同期どうきさくら」、ともおな小十人こじゅうにん組番ぐみばん2番組ばんぐみ番入ばんいり、就職しゅうしょくたした松本まつもと岩次郎いわじろうわば、

義憤ぎふんられ…」

 大田おおた善大夫ぜんだゆう佐野さの善左衛門ぜんざえもんたいしておおいに反撥はんぱつし、これまた、

「あまつさえ…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん家柄いえがら侮辱ぶじょくしてしまったため今回こんかい騒動そうどうとなった。

 そうであれば大田おおた善大夫ぜんだゆうこそがすべての「元凶げんきょう」とも言え、その大田おおた善大夫ぜんだゆう一体いったいなに言出いいだすつもりかと、家治いえはるはそうおもうと、自然しぜん眉根まゆねろう。

 だが、それでも家治いえはる一応いちおう大田おおた善大夫ぜんだゆう発言はつげんゆるした。

「されば…、四羽目のがんたしてだれ仕留しとめしものか、それをあきらかにするのが肝要かんようでは…」

 またそのはなし蒸返むしかえすつもりかと、家治いえはる内心ないしん苛立いらだったものの、しかし「戦功せんこう」を確定かくていしておくのはたしかに大事だいじなことではあった。

 そこで家治いえはる苛立いらだちをしずめつつ、

大田おおた善大夫ぜんだゆうよ…、くところによれば、そなたには佐野さの善左衛門ぜんざえもん仕留しとめたようにえたのだな?」

 大田おおた善大夫ぜんだゆうにそうみずけた。

 それにたいして大田おおた善大夫ぜんだゆうは「御意ぎょい」と即答そくとうしたので、

「されば目附めつけ池田修理いけだしゅり判断はんだんは…、小十人こじゅうにん組番ぐみばんさわ吉次郎きちじろう仕留しとめしがんとの、その判断はんだんあやまりだともうすのだな?」

 家治いえはるかさねて念押ねんおしするようたずねると、大田おおた善大夫ぜんだゆうはまたしても「御意ぎょい」と即答そくとうした。

 そこで家治いえはる今度こんど池田修理いけだしゅりほういた。池田修理いけだしゅり従六位じゅろくい布衣ほいやくであるので家治いえはる当然とうぜん、そのかお名前なまえ把握はあくしていた。いや、それ以前いぜん鷹狩たかがりにおいて馬上ばじょう家治いえはるぜんにて「戦功認定せんこうにんてい」にたったのだから、仮令たとえ池田修理いけだしゅり従六位じゅろくい布衣ほいやく以上いじょうでなくとも、つまりは、

末端まったんの…」

 旗本はたもとであったとしても、家治いえはるもそのかお名前なまえ把握はあくしていたであろう。

 ともあれ家治いえはる池田修理いけだしゅりほうくと、

大田おおた善大夫ぜんだゆう斯様かようもうしておるが、修理しゅりよ、そなたはどうだ?」

 おのれ判断はんだん自信じしんはあるか…、修理しゅりあんにそうけた。

 これには池田修理いけだしゅり大田おおた善大夫ぜんだゆう指摘してきしたとおり、目附めつけとしてはまだ経験けいけんあさく、つまりは「戦功認定せんこうにんてい」には自信じしんがないらしく、うつむいた。つまりはおのれ判断はんだん自信じしんはないということらしかった。

 家治いえはるつづけて「先輩せんぱい」の目附めつけである末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんほうへと視線しせんてんじた。

「そなたは池田修理いけだしゅり先輩せんぱいとしてなにをしていた…」

 家治いえはる末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんたいしてそのよう非難ひなん眼差まなざしをけた。

 すると末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんもそうとさっしたらしく、

池田修理いけだしゅりには経験けいけんませるべく…」

 池田修理いけだしゅり一人ひとりに「選考認定せんこうにんてい」をまかせたのだと、やはりそう言訳いいわけした。

 成程なるほど先輩せんぱい後輩こうはい仕事しごと経験けいけんませるべく、仕事しごとまかすのは大事だいじなことであった。

 だがそれには適切てきせつな「フォロー」があってはじめて成立なりたつ。

 今回こんかい場合ばあい末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん池田修理いけだしゅり一切いっさい、フォローすることはなかった。これではたんなる「丸投まるなげ」にぎず、とても先輩せんぱい態度たいどとは言えなかった。

「まさかに…、これも…、この騒動そうどうもまた、一橋ひとつばし治済はるさだめが仕業しわざではあるまいの…」

 家治いえはるおもわず、そううたがわせた。

 それと言うのも末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんじつもと一橋ひとつばしにて治済はるさだ側用人そばようにんとしてつかえていたからだ。

 三卿さんきょう側用人そばようにん従六位じゅろくい布衣ほいやくであるので、家治いえはる当然とうぜん、そのかお名前なまえ把握はあくしていた。

 末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんはそれゆえに、

「バリバリの…」

 一橋ひとつばし治済はるさだの「シンパ」と言え、その末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんいま目附めつけとして、後輩こうはい目附めつけである池田修理いけだしゅり適切てきせつ指導しどうする立場たちばにありながら実際じっさいには池田修理いけだしゅり指導しどうするどころか、「戦功認定せんこうにんてい」というきわめてデリケートな仕事しごと丸投まるなげしたのだ。

 まだ目附めつけとして、つまりは「戦功認定せんこうにんてい」には経験けいけんあさ池田修理いけだしゅりにその「戦功認定せんこうにんてい」というデリケートな仕事しごと丸投まるなげすればどうなるか、つまりは今回こんかいよう騒動そうどうまねくであろうことぐらい、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんなれば当然とうぜん想像そうぞうがついたはずである。

 にもかかわらず末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん池田修理いけだしゅりに「戦功認定せんこうにんてい」を丸投まるなげした―、ともなれば末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんはまるで騒動そうどうきるのを期待きたいしていたのではあるまいかと、家治いえはるならずとも勘繰かんぐりたくなる。

 もっとも、そのよう騒動そうどうきたところで末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん個人こじんには利益メリットはない。それどころか先輩せんぱいとしての能力のうりょくうたがわれ、不利益デメリットほうおおきいだろう。

 にもかかわらず、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんはあえてその不利益デメリット覚悟かくごうえで、池田修理いけだしゅりに「戦功認定せんこうにんてい」を丸投まるなげすることで、騒動そうどうこしてみせた、となればその背後はいご一橋ひとつばし治済はるさだがいるのでは、ようは、

一橋ひとつばし治済はるさだめいじられたからではあるまいか…」

 家治いえはるがそう勘繰かんぐるのも自然しぜん成行なりゆきであった。

 だが家治いえはるぐに、「牽強付会けんきょうふかい」の四文字よんもじ脳裏のうりかんだ。

 なんでもかんでも治済はるさだ所為せいにするのはわるくせだなと、家治いえはる内心ないしん苦笑くしょうした。

 しかしそれからぐに家治いえはるふたたび、「牽強付会けんきょうふかい」へと引戻ひきもどした。

 なんと、やはりいさかいのにいた小納戸こなんど岩本いわもと正五郎しょうごろう正倫まさともが、「おそれながら…」とこえげたかとおもうと、家治いえはるゆるしもずに、

「この正倫まさとも佐野さの善左衛門ぜんざえもん仕留しとめたよう見受みうけられましてござりまする…」

 岩本いわもと正五郎しょうごろう大田おおた善大夫ぜんだゆう佐野さの善左衛門ぜんざえもんくみした。

 岩本いわもと正五郎しょうごろうが「バリバリ」の一橋ひとつばしであることは家治いえはる態々わざわざ

調しらべるまでもなく…」

 把握はあくしていたので、稲葉いなば正存同様まさよしどうよういや、それ以上いじょう家治いえはる食事しょくじ場面ばめんからは排除はいじょされていた。

 とは言え、今日きょうよう鷹狩たかがりには参加さんかさせた。

 岩本いわもと正五郎しょうごろう成程なるほど

「バリバリの…」

 一橋ひとつばしではあるものの、同時どうじ弓矢ゆみや技量ぎりょうたしかであるのも事実じじつであり、鷹狩たかがりにおいてとり仕留しとめて家治いえはるより褒美ほうびとして時服じふく下賜かしされたこともあった。

 そうであればそのよう岩本いわもと正五郎しょうごろう鷹狩たかがりに扈従こしょうさせないわけにはゆかず、そこで家治いえはる岩本いわもと正五郎しょうごろうには小納戸こなんどとしてではなく、番士ばんしとして鷹狩たかがりに参加さんかさせていた。

 その岩本いわもと正五郎しょうごろう大田おおた善大夫ぜんだゆう佐野さの善左衛門ぜんざえもんくみしたということは、うらかえせば池田修理いけだしゅり判断はんだんを、つまりは「戦功認定せんこうにんてい」を否定ひていすることにほかならず、それは間接的かんせつてき騒動そうどう期待きたいした末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん後押あとおしするかのように、家治いえはるにはおもえた。

 だとするならばやはり今回こんかい騒動そうどううらには一橋ひとつばし治済はるさだひかえているのではあるまいかと、家治いえはるふたたび、「牽強付会けんきょうふかい」の世界せかいへといざなった。

 だが、岩本いわもと正五郎しょうごろう弓矢ゆみや技量ぎりょうすぐれているのも事実じじつであるので、鷹狩たかがりにかんしてその意見いけん無視出来むしできないのも事実じじつであった。つまりは岩本いわもと正五郎しょうごろうは、

純粋じゅんすいに…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん仕留しとめたがんであると主張しゅちょうしているにぎず、その場合ばあい今回こんかい騒動そうどうには一橋ひとつばし治済はるさだとはかかわりいがない、ということになる。

 たして一橋ひとつばし治済はるさだ関与かんよがあるのかいなか、家治いえはるあたまなやませていると、そこへあらたに「おそれながら…」とのこえがった。

 こえぬし大田おおた善大夫ぜんだゆう同様どうよう小姓こしょう組番ぐみばん1番組ばんぐみぞくする戸田とだ次郎左衛門じろうざえもん由相よしすけであった。

 小姓こしょう組番ぐみばん従六位じゅろくい布衣ほいやく未満みまんであり、まさに、

末端まったんの…」

 旗本はたもとぎず、本来ほんらいならば家治いえはるもそのかお名前なまえ把握はあくしていないはずであった。

 だがこと、この戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんかぎって言えばその例外れいがいであった。

 それと言うのも戸田とだ次郎左衛門じろうざえもん今日きょうよう鷹狩たかがりにおいてはもとより、百手的ももてまと弓場始ゆみばはじめなどにおいて度々たびたび射手しゃしゅえらばれてはまと命中めいちゅうさせては家治いえはるより時服じふくたまわること、これまた度々たびたびであり、それゆえ家治いえはる戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんかお名前なまえ把握はあくしていたのだ。

 戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんわば弓矢ゆみや名手めいしゅとも言え、その戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんなんと、さわ|吉次郎《きちじろうくみしたのだ。すなわち、

「四羽目のがんでござりまするが、さわ吉次郎きちじろう仕留しとめしがん相違そういなく…」

 池田修理いけだしゅりの「戦功認定せんこうにんてい」はただしいと、戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんはそう主張しゅちょうしたのであった。

「それに相違そういないか?」

 家治いえはる戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんにそう念押ねんおしすると、戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんも、

相違そういござりませぬ」

 そう即答そくとうし、

「このいのちえましても…」

 そうも付加つけくわえたのであった。

 そしてそのよう戸田とだ次郎左衛門じろうざえもん後押あとおししたのが小納戸こなんど黒川くろかわ内匠たくみ盛胤もりつぐであった。

 黒川くろかわ内匠たくみ戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんほど弓矢ゆみや名手めいしゅではないものの、それでも弓場始ゆみばはじめ射手しゃしゅえらばれ、褒美ほうびとして白銀しろがね下賜かしされたこともあれば、鷹狩たかがりにおいてとり時服じふくたまわったこともある。

 その黒川くろかわ内匠たくみ戸田とだ次郎左衛門じろうざえもんくみし、つまりは池田修理いけだしゅりの「戦功認定せんこうにんてい」を支持しじし、さわ吉次郎きちじろう仕留しとめたがんであると主張しゅちょうしたのであった。

 黒川くろかわ内匠たくみはそのうえで、戸田とだ次郎左衛門じろうざえもん同様どうよう

いのちえましても…」

 そう付加つけくわえたものだから、家治いえはるおどろかせた。

 それと言うのも黒川くろかわ内匠たくみ岩本いわもと正利まさとし三女さんじょを、岩本いわもと正五郎しょうごろううえあねめとっており、それゆえ黒川くろかわ内匠たくみ岩本いわもと正五郎しょうごろうとは義理ぎり兄弟きょうだいたるので、そうであれば黒川くろかわ内匠たくみもまた、

「バリバリの…」

 一橋ひとつばしぞくし、本来ほんらいならば黒川くろかわ内匠たくみ義弟ぎていである岩本いわもと正五郎しょうごろうくみして、

佐野さの善左衛門ぜんざえもん仕留しとめたがん…」

 そう主張しゅちょうしてもさそうなものであったが、しかし実際じっさいには黒川くろかわ内匠たくみ岩本いわもと正五郎しょうごろうとは正反対せいはんたい立場たちばったことから、すなわち、

さわ吉次郎きちじろう仕留しとめたがん…」

 そう主張しゅちょうしたことから家治いえはるおどろかせた。それは、

今回こんかい騒動そうどう背後はいごには一橋ひとつばし治済はるさだひかえているのではあるまいか…」

 家治いえはるのその直感ちょっかんが「牽強付会けんきょうふかい」であることを決定けっていけるものであったからだ。

 かり今回こんかい騒動そうどう背後はいご一橋ひとつばし治済はるさだひかえていれば義兄弟ぎきょうだいである「一橋ひとつばし」の黒川くろかわ内匠たくみ岩本いわもと正五郎しょうごろうとがわば、

敵味方てきみかたに…」

 わかれることはないからだ。

 ともあれこれで、家治いえはるとしては四羽目のがん仕留しとめたのは、

さわ吉次郎きちじろう相違そういあるまい…」

 そう心証しんしょう形成けいせいした。

 そして最後さいごおなじく小納戸こなんど伊丹いたみ雅楽助うたのすけ証言しょうげん家治いえはるのその「心証しんしょう」を確固かっことしたものにさせた。

 伊丹いたみ雅楽助うたのすけ伯母おば田沼たぬま意次おきつぐしつ意知おきともにとっては義理ぎりははということもあり、小納戸こなんどとして将軍しょうぐん家治いえはる食事しょくじ毒見どくみ配膳はいぜんになわせてもらっていたが、鷹狩たかがりにも勿論もちろん参加さんかしていた。

 伊丹いたみ雅楽助うたのすけもまた、鷹狩たかがりにおいてはとりて、将軍しょうぐん家治いえはるより時服じふくたまわることしばしばであり、弓矢ゆみや腕前うでまえたしかであった。

 その伊丹いたみ雅楽助うたのすけさわ吉次郎きちじろう仕留しとめたがんであると主張しゅちょうし、そのうえ

いのちえましても…」

 そう付加つけくわえたものだから、これで家治いえはる心証しんしょうかたまった。

 すなわち、四羽目のがんさわ吉次郎きちじろう仕留しとめたがんであると、家治いえはる池田修理いけだしゅり当初とうしょの「戦功認定せんこうにんてい」をそのまま受容うけいれることにめたのだ。

 家治いえはるはしかし、そのまえ佐野さの善左衛門ぜんざえもん支持しじする大田おおた善大夫ぜんだゆう岩本いわもと正五郎しょうごろうの「覚悟かくご」をたしかめることにした。

戸田とだ次郎左衛門じろうざえもん黒川くろかわ内匠たくみ伊丹いたみ雅楽助うたのすけらはみないのちけるともうしておるが、そなたらも佐野さの善左衛門ぜんざえもんためいのちけられるか?」

 家治いえはるのその下問かもんたいして大田おおた善大夫ぜんだゆうにしろ岩本いわもと正五郎しょうごろうにしろ平伏へいふくするばかりでなにこたえようとはしなかった。

 家治いえはるにはもうそれで十分じゅうぶんであった。

 家治いえはる平伏へいふくする大田おおた善大夫ぜんだゆう岩本いわもと正五郎しょうごろう睥睨へいげいしつつ、

「されば四羽目のがんだが、池田修理いけだしゅりみとめしとおり、小十人こじゅうにん組番ぐみばんさわ吉次郎きちじろう仕留しとめたものとみとむるっ!」

 そうせんしたのであった。
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