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chapter,3 (4)
しおりを挟む大きな病室に、白いベッドが一つ。傍らには誰かが持ってきたのであろう赤と白の絞り模様のカーネーションが、花瓶に生けられている。きっと、母の紗枝が贈らせたのだろう。
「泉観」
名前を呼ばれて顔をあげると、ベッドで横になっている父親がいた。
「お父様、大丈夫ですか」
彼は自分が襲われた経緯や、犯行の手口など、意識が回復したその翌日に、警察から聞いているという。そのときの記憶ははっきりしているらしく、幾つかの証言も取れたという。だが、自分から事件のことについて話すのは気が引けるので、鈴代は容体が芳しくなった父親を、静かに見舞う。
「ああ。身体の痺れはもうない。早ければ一週間以内に退院できるだろうと、医師が言ってたよ」
「そう、よかった」
ほっと一息つく鈴代を見て、平井も頷く。
「よかったです、何かあったら」
「まぁ、そのときのために、遺言状は用意してあるがな」
「……え」
その声は、平井が先に発したのか、それとも鈴代が先なのか。つまり、二人、ほぼ同時に驚きの声を発したことになるのだが。
「お父様、そんなの聞いてません」
「聞いていませんよ」
またもや同時に、抗議の声。
「まだ誰にも言ってなかったからね。知らないのは当然だよ」
「でも」
尚も食いかかる娘に、夕起久は。
「泉観、お前ならわしの遺書を開かずとも、理解できるだろう?」
「……ですが」
「あれは、物分りの悪い連中のために遺すんだ。紗枝や、近淡海に知らしめるための」
「チカツオウミ?」
見知らぬ固有名詞に、平井が口を挟む。
「紗枝は、わたしの母です。近淡海は、叔母の旧姓です」
淡々と鈴代が応える。
「どちらも、泉観が次期財閥当主になることを厭っている。だが、わしが決めたんだ。文句は言えまい」
「では、賢季さんは」
「賢季君は彼なりの考えを持って行動している。自分には泉観ほどの力がないと、な」
平井は、夕起久が語る賢季の思いがけない言動に、首を傾げる。それが本当だとすると、目の前にいる儚げな少女が、本当に。
「まだ、疑っていましたか?」
「……いや」
隠れ蓑や囮を使ってまで守りたい未来の当主。
鈴代は、さきほど平井が口にした、何気ない、それでいて重大な意味を含むフレーズを心の中で口ずさむ。
……刑事さんも、色々考えているんだな。
ぼんやり、そんなことを思う。
「もう、疑う必要はなさそうだ」
「やっぱり、疑っていたんだ」
そんな愛娘と刑事のやりとりを、夕起久は微笑ましげに見つめつづける。
* * *
「でね、その刑事さん……柊太さんって言うんだけど、あのあと仲良くなって」
「どんな風に」
むすっ、とした表情で上城は鈴代の会話を聞く。そんな上城を見て、鈴代は困った表情を浮かべる。
昼休み、前後の机を合わせて、二人で弁当を食べながら、いつものように会話をする。上城が転入してきて一ヶ月。クラスメイトたちも呆れたのか飽きたのか、二人が観察の対象になったりからかわれたりすることも減り、「魔女に恋する愚者」と呼ばれる上城と「呪われた人殺しの魔女」と囁かれる鈴代が二人で一緒にいても誰も注目しなくなっている。二人にとってみれば好都合だ。
鈴代はきんぴらごぼうを咀嚼してから、ぼそりと呟く。
「誰かさんみたいにいきなりキスしたわけじゃないわよ? カミジョ、嫉妬してる?」
「してない」
黙々とほうれん草のおひたしを食べながら、上城は首を横に振る。どうやら鈴代は昨日一緒に行動した刑事を気に入ったらしい。だからっていきなり下の名前で呼び合うのだろうか……上城は内心複雑な思いで、ほうれん草のおひたしを食べつづける。
「で、新しくわかったことは?」
「毒の正体。でも、まだ公にはされてないわ。わたしと柊太さんと、お兄様しか知らない」
「どうして? 成分が把握できたなら、誰が怪しいかなんてすぐわかるんじゃないか?」
「だって、その毒のことを知っている人間は、犯人じゃないんだもの」
お弁当を食べながら、毒について話し合うのも滑稽だが、二人は真面目に会話をしている。上城は、アジフライに齧りついて、ふがふがと反論している。
「ほへっへほうひうほご?」
「……ちゃんと飲み込んでから話してよ。骨ひっかかるわよ」
うぐ。一瞬だけ上城の顔色が曇る。本当にアジフライに入っていた骨をひっかけてしまったらしい。慌ててご飯をかきこんで、考え込んだ後、ふぅと一息つく。
「要するに賢季さんが犯人じゃないってことか」
「え」
上城は戸惑う鈴代を無視して自分の推理を語りだす。
「まず、彼は動機があると思われている。きっと今もそうだろうな。後継ぎ争いだか遺産相続なのかよくわからないけど、渦中にいるのはスズシロと君の従兄だ。どちらがなってもおかしくない、いや、従兄の方が優勢だ、と世間は思っている。が、実際は違う」
そこで、お茶を一口啜り、再び口を開く。
「警察は賢季さんを疑っていた……それは、彼が次期財閥当主であるという嘘の情報がもたらした馬鹿げた推測だったかもしれない。俺は、賢季さんがスズシロを大切にしていることを本人から聞いていたし、スズシロがほんとうの次期当主であることも知っていた。だから、賢季さんを疑えなかった。でも、あれからよく考えてみたんだ。賢季さんが毒の持ち主かもしれない、って」
たぶん、平井という刑事も気づいたのだろう、「飼っていた魚が一匹失踪した」という賢季のメッセージに。上城は、鈴代から聞いた話を元に、推理を進めていく。
「飼っていた魚……賢季さんは大学で海洋生物の研究をしている、自室にも大きな水槽があるんだっけ。その中に、カサゴはいなかった?」
鈴代は頷く。そして問う。
「どうしてカサゴだと思ったの」
「賢季さんが海洋生物を飼育してるって知って、もしかしたら魚類の毒かな、って考えたんだ。最初はハオコゼかな、って思ったんだけど。水族館の飼育事故でハオコゼの毒にやられるって有名だし。でも、ハオコゼの毒性は弱いんだ。とても人を殺せない。だったら、もっと強い毒性を持つ海洋生物……カサゴくらいしか思いつかなくて」
それに、針のような凶器。カサゴの鰭がそれに当たると、上城は告げる。
「スズシロも知ってるだろ? カサゴ毒ってハブ毒の十八倍もあるんだぜ。まぁ、毒量が少ないから致死率は低いけど……」
カサゴに刺されると、疼痛に襲われ、そのまま呼吸困難に陥り、意識を失うことがあるという。日本では死亡例が一つだけあるが、まさか人殺しの手段に選ばれるとは警察も考えていなかったのだろう。
「そこまで知ってるなら、話は早いわ」
遮るように、鈴代が口を出す。
「カサゴ毒は熱せられると無効になるわ。だから、お父様は助かったのよ。毒の量が少なかったし、病院で熱処置をすぐに受けられたから」
その反面、毒が熱でたんぱく質に変形してしまったため、警察は成分を解明するのができなかったのだろう。上城は頷く。
「問題は、誰がお兄様の部屋のカサゴを持ち出したか、よね」
「……犯人は魚泥棒か」
アジフライの小骨を弁当箱の隅に寄せながら、上城は呆れたように項垂れる。
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