Springs -ハルタチ-

ささゆき細雪

文字の大きさ
上 下
19 / 57

chapter,3 (5)

しおりを挟む



 赤と白の絞りのカーネーションを片手に、紗枝は恍惚とした表情で、鏡に向けて声をかける。

「夕起久さんはお気に召してくださるかしら? このカーネーション」

 ふふ、と妖艶な笑みを浮かべ、カーネーションを握りつぶす。
 赤と白の絞りのカーネーション。
 花言葉は、「愛の拒絶」。
 緋色の絨毯に散らばった、数え切れないほどの花弁。それは、腐ったりかさかさに乾いていたりで、死に絶えているものばかり。
 うきうきしながら鏡と会話していた紗枝だが、コツン、という足音に気づき、身体を凍らせる。

「紗枝様、お掃除しますよー」
「みつる? みつるなのね!」
「そうです、美弦です」

 ハウスメイドとして雇われた美弦は、三人の女中の中では一番年下だ。確か、娘の泉観と同い年だったはずだ。諸事情で高校を中退して、義弟が引き取ってきた少女……だが、自分のことすら完全に把握できない紗枝にとって、美弦は単なるメイドではない。入院している夕起久を除く、唯一の、話し相手だ。

「よかった、みつる。遊びましょう?」

 少女のようにあどけない表情を見せる紗枝と向き合い、美弦はにっこり微笑む。

「今日はご機嫌ですね」
「えへへ」

 三十代後半の紗枝だが、遠目から見ればまだ二十代とも言えそうな美貌を持つ。同い年の娘がいるなんて信じられない、と、美弦はいつも思う。
 だが、自分は同い年のお嬢様とは環境が違う。美弦は手にしていたモップの先で、肌が露になっている紗枝の背を小突く。こんなところ、房江に見られたらすぐに首が飛ぶだろう。だが、紗枝は美弦にされたことに怒ることもなく、むしろ、楽しそうに笑っている。それを見て、美弦は苛立ち、同じ行為を繰り返す。少しずつ、力を加えて。

「紗枝様、痛いとおっしゃらないと、ずぅっと続けちゃいますよ? 青い薔薇のような痣が背中に残っちゃいますよ? それなのに、どうして笑っていられるのです?」

 それは、彼女が狂っているからにほかならないと、美弦は知りつつ訴える。

「素敵じゃない、青い薔薇」

 ふふふ、と微笑む紗枝は、モップを美弦から奪い取り、美弦の額を突く。

「だから、あなたには赤い薔薇をさしあげる」

 美弦はされるがままになる。仕掛けたのは自分だ。自分は彼女に殺されたいのかもしれない、妖精のようなあどけなさを持つ、狂った王妃にいたぶられ、やがて絨毯に散らばる花弁のように気まぐれに捨てられる……額が、ぱかり、割れる。
 流れ出した血を見て、きゃははと喜ぶ紗枝。

「綺麗なお花、咲いた、咲いた!」

 鏡の向こうに映る、真っ赤な血を額から垂れ流す姿を、美弦は呆然と見つめる。
 子どものような紗枝を、美弦は抱きしめる。そして、耳元で囁く。

「もっと、花を咲かせたいですか?」

 当然よと、紗枝は頷く。

「夕起久さんにも見せてあげるの。きっと悦んでくれるわ」

 紗枝は美弦をぎゅっと抱きしめ返す。
 まるで、本当の母子のように。
 美弦は困ったような表情を浮かべ、やがて縦に首を振る。

 鈴代紗枝。
 鈴代夕起久の妻であり、狂人。

 そんな彼女に仕える自分は、果たして狂っているのだろうか……
 紗枝が好んでつけている香水の香りが、美弦の周囲を静かに漂う。薫り高き桂花の、懐かしさを呼ぶような香りは、やがて美弦の思考を優しく遮る。

「……冬は嫌い」

 紗枝が拗ねるように、呟く。

「みつる。春を呼んできて」

 紗枝は美弦をぎゅっと抱きしめたまま、命令する。彼女ならきっと、叶えてくれるとそう信じて。

「冬将軍が来ないうちに」
「冬将軍?」
「そうよ。奴らは突然やってきて、世界を灰色に染め上げるの。生きていたものが死に絶え眠りにつく季節……」

 美弦は、真顔で説明する紗枝の顔を、見上げる。

「殺人者みたい、でしょ?」

 あどけない表情で、紗枝は笑う。少しだけ歪んだ笑顔を、美弦に向けて。

 ……冬将軍は殺人者?

「紗枝様、何を」
「人殺しの魔女が魔法を使うの。聡明すぎる血の繋がっただけの憎たらしい人形が、冬将軍を呼び込むの。だから、妖精さんが春を呼ぶの。呼んでよ、みつる、あたくしのかわいい……」

 途中まで、言おうとした単語を、紗枝は飲み込む。そして、泣き出す。涙を零す。
 何を言っても無駄だと美弦は知っている。紗枝の被害妄想、それだっていつものこと。
 だけど、冬将軍という聞きなれない言葉が、美弦の脳裡にこびりつく。

 ……夕起久様が殺されかけたことを、紗枝様はご存知ないはずなのに。ただ、身体の具合が悪いから入院したって伝えただけなのに。

 子どものようにしゃくりあげて泣き出す紗枝。背中から咲いた、美弦がつけたばかりの青い薔薇の傷跡を、撫でながら、美弦は、疑問に思う。

 ……どうして、殺人者が現れたことを知っているの? それに。

 はらはらと涙を流しつづける紗枝を横目に、美弦はひとりごちる。

「美弦には、春を呼ぶ力なんか、ありませんもの……」


 そして、ひととき、目蓋を下ろす。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

舞姫【中編】

友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。 三人の運命を変えた過去の事故と事件。 そこには、三人を繋ぐ思いもかけない縁(えにし)が隠れていた。 剣崎星児 29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。 兵藤保 28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。 津田みちる 20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われた。ストリップダンサーとしてのデビューを控える。 桑名麗子 保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。 亀岡 みちるの両親が亡くなった事故の事を調べている刑事。 津田(郡司)武 星児と保が追う謎多き男。 切り札にするつもりで拾った少女は、彼らにとっての急所となる。 大人になった少女の背中には、羽根が生える。 与り知らないところで生まれた禍根の渦に三人は巻き込まれていく。 彼らの行く手に待つものは。

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

白雪姫の接吻

坂水
ミステリー
――香世子。貴女は、本当に白雪姫だった。 二十年ぶりに再会した美しい幼馴染と旧交を温める、主婦である直美。 香世子はなぜこの田舎町に戻ってきたのか。実父と継母が住む白いお城のようなあの邸に。甘美な時間を過ごしながらも直美は不可解に思う。 城から響いた悲鳴、連れ出された一人娘、二十年前に彼女がこの町を出た理由。食い違う原作(オリジナル)と脚本(アレンジ)。そして母から娘へと受け継がれる憧れと呪い。 本当は怖い『白雪姫』のストーリーになぞらえて再演される彼女たちの物語。 全41話。2018年6月下旬まで毎日21:00更新。→全41話から少し延長します。

舞姫【後編】

友秋
ミステリー
天涯孤独の少女は、夜の歓楽街で二人の男に拾われた。 三人の運命を変えた過去の事故と事件。 彼らには思いもかけない縁(えにし)があった。 巨大財閥を起点とする親と子の遺恨が幾多の歯車となる。 誰が幸せを掴むのか。 •剣崎星児 29歳。故郷を大火の家族も何もかもを失い、夜の街で強く生きてきた。 •兵藤保 28歳。星児の幼馴染。同じく、実姉以外の家族を失った。明晰な頭脳を持って星児の抱く野望と復讐の計画をサポートしてきた。 •津田みちる 20歳。両親を事故で亡くし孤児となり、夜の街を彷徨っていた16歳の時、星児と保に拾われ、ストリップダンサーとなる。 •桑名麗子 保の姉。星児の彼女で、ストリップ劇場香蘭の元ダンサー。みちるの師匠。 •津田(郡司)武 星児と保の故郷を残忍な形で消した男。星児と保は復讐の為に追う。

人体実験の被験者に課せられた難問

昆布海胆
ミステリー
とある研究所で開発されたウィルスの人体実験。 それの被験者に問題の成績が低い人間が選ばれることとなった。 俺は問題を解いていく…

ヘリオポリスー九柱の神々ー

soltydog369
ミステリー
古代エジプト 名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。 しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。 突如奪われた王の命。 取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。 それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。 バトル×ミステリー 新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。

処理中です...