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十一.

神話の海へ

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了二は、和室の畳の上にじゅうたんが敷かれ、藤(とう)の椅子とテーブルが置かれた、昭和で時間が止まっているような客間に通された。

森田さんは了二に、椅子に座るように勧めてから部屋を出てゆき、温かいお茶をいれてきて、テーブルに置いてくださった。

そして、神社に関する大切な物を持って来るからと言われ、再び客間から出てゆかれた。

了二は湯飲み茶碗を手に取り、お茶を一口二口と、飲んだ。

(俺がいつも買う、安いペットボトルのお茶とは味が全然違うなあ。いい茶葉で丁寧にいれてくださったのだろうなあ。)
と思った。

茶碗をテーブルの上の茶托に戻したところで、森田さんが菓子折りほどの大きさの、桐の木で作られた箱を両手でうやうやしく持ち、部屋に入ってこられた。

了二の向かいの椅子に座り、桐箱をゆっくりとテーブルの上に置かれる。

やがて顔を上げて了二と目を合わせると、こう聞かれた。

「あんたさん、古事記、日本書紀はご存知か?」

「あっ、はい。名前だけは知ってます。読んだことはないんですが、日本の古代の神々の神話をまとめた書物ですよね?」

「そう、神々の記録ではあるが、日本各地に伝わっていた多くの神話から、当時の大和朝廷にとって都合のよい部分だけを抜き出してまとめた書物やから、古事記、日本書紀に書かれなかった神様が、実のところぎょうさんおられる。わたしらの神社の神様も、そのおひとりじゃ。」

そこまで話すと、森田さんはテーブルの上の桐箱のふたをそっとあけた。

なかに入っていたのは、一冊の和綴じの書物だ。表紙に「多和海比賣神社御由来」と書かれた和紙が貼られている。

了二は身をのりだし書物を見た。

「あの神社は「たわみひめのみこと」という女神様が祭られている、元々は、わしら森田家の氏神様じゃった。戦後、神社本庁の管理になってから、「たわみひめのみこと」は古事記、日本書紀に名前が出てこんし、森田家に伝わっている由来の内容が、古事記、日本書紀とは矛盾するところがあることから、森田の家に伝わっている文書は偽書じゃと言われ、「多和海比賣神社」とは名乗れん状態が続いとった。」

「なるほど、そのようないきさつがあったのですか。その文書の写真を撮らせていただくことができますか?」

「記事に写真が載るのか?それは森田家が始まってから初めてのことじゃ。比賣神様もお喜びになろう。」

了二はこのような歴史に関する記事の仕事は初めてだったが、スマホを取り出し、文書の表紙の写真を、角度を少しずつ変えながら、何枚か撮影した。

次に、森田さんは表紙を開いて内容を見せたが、当然のことながら、すべて漢文で書かれていたので、了二には読むことができなかった。

森田さんの説明によると、古代には口伝えで、この神話が次の世代へ次の世代へと伝承されていたが、日本に漢字が入ってきて、漢字の読み書きを身につけた先祖の誰かが、伝承の内容を書物に書き記し、その後は書物が自然劣化してぼろぼろになる前に、時代、時代の森田家の人間が書写し、書写し、しながら現在まで伝承をつないできたのだという。現在の写本は森田さんのお母さんが書写されたのだそうだ。

了二が漢文が読めません、と言ったものだから、森田さんが内容を易しく読み下してくださることになった。了二はノートを出して、メモをとりながら聞いた。

その内容はおおよそこうだ。


ーーー


世界の始め、空と海は分かれておらず、ただ青い混沌があるだけだった。その様子を見た多和海比賣は、この混沌を分けるべきであろうと考え、侍女に、「天の羽扇」(あめのはおうぎ)を持って来させた。多和海比賣が天の羽扇で、青い混沌を扇いだところ、軽い部分は空に、重い部分は海に分かれた。

次に海の中は、生き物が生活するのにふさわしいところだと気づかれた多和海比賣は、七人の侍女を集め、海の生き物の創造を始められた。

多和海比賣が、海水を一滴、ご自分の手のひらに落としてから、ふっ、と息を吹きかけられると、海藻が産まれた。七人の侍女はそれぞれ海藻を受けとると、自分にあてがわれた海の部分へ植え、海は海藻で満たされた。

次に、多和海比賣が同じように、海水に息を吹きかけられると、貝が生まれた。貝には、殻が二枚のもの、渦巻きのようになったもの、細長いもの、ずんぐりしたものなど、さまざまな形の貝をお産みになったが、七人の侍女は、それぞれを、海のふさわしい場所に運んで、それぞれの貝が生きてゆけるようにした。

次に、多和海比賣が手のひらの海水に、息を吹きかけられると、堅い殻で守られた体と、たくさんの足を持ち、海の底を這う生き物達が生まれた。七人の侍女は、それぞれの生き物が、海の暮らしやすい場所にゆけるよう運んで放ち、海はさらに生き物で満たされた。

次に、多和海比賣が手のひらの海水に、息を吹きかけられると、ピチピチと跳ねる小魚たちが生まれた。海の中を早く泳げる元気な魚たちを、侍女たちはたいへん面白がり、また海に運んだ。

多和海比賣は続けて大きな魚達を生み、侍女たちが大きな魚を海に放つと、大きな魚達は広い海洋をゆうゆうと自由自在に泳ぎ回るようになり、多和海比賣と侍女たちは、その姿を見てたいへん満足した。

そこで、多和海比賣と侍女たちは一休みをした。

そして、多和海比賣は侍女たちに問いかけられた。

「たくさんの種類の生き物で、海を満たすことができたが、まだ、このような生き物がいればよいと思うものがあるだろうか?」

侍女たちは、しばらく思案していたが、やがて一人の侍女が言った。

「これまで生まれた自分で動く生き物たちは、みな堅い殻や堅い骨を持っております。そのような、殻や骨がない生き物は、どのような姿になるものでしょうか?」

それを聞いた多和海比賣は、興味深い考えだと思われ、堅い殻も骨もない生き物を生み出すことにした。

多和海比賣は、これまでと同じように、海水を一滴、手のひらに落としてから、両手のひらをそろえて、口の前に置かれた。殻も骨もない生き物を生み出せるようお気持ちを集中され、両手のひらに、ふっ、と息を吹きかけられた。

侍女たちが、かたずをのんで見守るなか、多和海比賣の両手のひらから、ぽこっと丸いものが飛び出し、丸いものとつながって、骨のない柔らかい手指のようなものが出てきた。侍女たちが、手指の本数を数えると八本あった。

これが、今、人間が蛸(たこ)と呼んでいる生き物の先祖である。

多和海比賣が両手をそっと海面におろされると
、蛸はするりと海に入り泳いでいった。

この後しばらく時がたち、多和海比賣がくつろいでいると、侍女のひとりが来て、ほかの神様によって、海の上に「島」と呼ばれるところが作られた、と申し上げた。

多和海比賣は「島」に行ってみたいと思われた。

侍女の話によると「島」はたいへん遠いところにあるので、海の生き物に乗ってゆくのがよいだろうと考えられた。

そこで、海の生き物に、「島」まで乗せて行ってくれぬか、と呼びかけられたところ、一番早く比賣神様の元に馳せ参じたのが蛸であったので、多和海比賣と侍女のひとりが、蛸の頭に乗り「島」へと向かうことになった。


ーーー


ここまで聞いて、了二は、「蛸に乗った神様たち」というビジュアルを思い浮かべて、つい、言葉が出た。

「蛸に乗れる神様とは、とても小さい神様なんですね。」

森田さんは、書物に落としていた視線を上げ、言った。

「蛸が大きいと考えることもできると思うが。」

「あっ、そうか。そうともいえますね。」

了二は、「小さい神様」という言い方は、神様に失礼にあたったかな、と考え、あわてて言った。

「まあ、神様の世界のことは、人間にははかりしれんからの。時と場合に応じて、お姿を変えられるのかもしれんしの。」

森田さんは、そう言って、書物に視線を戻した。

「さて、いよいよこの先が、多和海比賣様とあの神社と森田の先祖に関する話となる。」


ーーー


蛸は多和海比賣と侍女ひとりを頭に乗せ、八本の足で海水を漕いで「島」へと向かった。

何日も海を進み、やっと青い水平線の上に、緑色の盛り上がったところが見えてきた。それが「島」であった。

島に近づくと、白い砂の浜辺があった。蛸は浜辺に身を寄せ、多和海比賣と侍女は島に降り立った。

長旅で疲れていたので、多和海比賣と侍女は浜辺の近くに生えていた、草木を集めて、風をよける囲いを作られ、その中でお眠りになった。

その場所が、後に、多和海比賣神社となった場所である。


ーーー


「えっ、少し質問していいですか?神社のある場所は、海岸からずいぶん離れていますが、神話と合わなくないですか?」

森田さんは一瞬、きょとんとされたが、すぐ笑顔になって答えられた。

「あなたら若い人は今のようすしか知らんからの。そう思うのも無理はない。今の神社の前の道路から海岸までは、戦後の埋め立てでできた土地なんよ。わたしが子どもの頃は、神社の前の道から砂浜に降りられるようになっとったが、埋め立てが進んで、今では確かに海岸まで2~3キロもあるよの。」

「そうだったのですか。初めて知りました。」
了二は神話の中の、豊かな自然の記述と、現在の、アスファルトとコンクリートの光景とを思い浮かべ、いにしえの情景に思いをはせた。

森田さんは、文書の先を続けた。


ーーー


海から見たことのない生き物に乗って、女神様たちが現れたところを、一匹のカエルが海辺の草むらから見ていた。カエルは珍しいことを見たので、女神様たちがお眠りになっている間に、友だちのネズミのところに行って話した。

ネズミも珍しいことだと思い、友だちのウサギのところに行って話した。ウサギも珍しいことだと思い、友だちのウシのところに行って話した。このようにして、島に住む動物たちの間に、女神様たちのことが次から次へと伝えられ、これを知った動物たちは、女神様たちを見たいと思い、お眠りになられている囲いのまわりに集まった。

多和海比賣と侍女が目を覚ました時、島の動物たちに囲まれていることに驚かれたが、すぐに彼らが素直な好奇心から集まって来ていることに気づかれ、彼らに自らのことを語り始められた。

空と海を分けたこと、いろいろな生き物を創って、海の中に住まわせたこと、殻や骨のない生き物として蛸を創ったこと、島が出来たことを聞き、蛸に乗ってここに来たことを話された。

この時、比賣神様の話を聞いていた動物たちの中に、海の中での生活に憧れを感じた者たちがいた。彼らは後に、島から海の中へと生活の場を変えた。これが、海の中にも乳を飲んで育つ動物たちがいる理由である。

比賣神様が動物たちと語っているうちに、夕暮れとなり、水平線から満月が昇ってきた。それを見られた比賣神様は、「この浜は美しく、気持ちの良いところであるから、これからも満月の日には、この浜へ来ることにしよう。」と言われた。

そこで、ともに来た侍女が、多和海比賣が浜に来られる時のために、お休みになるところを準備する役目をすることになった。

この侍女が、のちに島の人間の男性と夫婦(めおと)になり、多和海比賣様のために、社(やしろ)
と鳥居を作って、これをお守りすることになった。この二人が森田家の始祖であり、代々、多和海比賣様のお社を、森田の人間が守る役目をになうことになった由縁である。


ーーー


「これで文書は終わりじゃ。」

了二は、あの小さな神社に秘められていた壮大で不思議な物語を聞き終え、しばらく声がでなかった。

「こういうわけで、わたしら森田の人間は、満月の前には境内と社を掃除し、比賣神様がお喜びになるように、社に花を飾ってお迎えをしようる。わたしの母が子どもの頃には、満月の日になると、近所の子ども達も、比賣神様の縁日じゃ、言うて集まって来て、森田の家が菓子をふるまって、とてもにぎやかじゃったと。そういうことができんようになったのは、太平洋戦争が始まった頃からじゃと聞いておる。」

「戦争のせいで、今の神社のように人に知られていない神社になったのですか?差し支えなければ、そのあたりの事情を聞かせていただけますか?」

了二の言葉を聞いて、森田さんはこれまで心に封印してきたことがらが、ほどけ始めたのであろう、目にうっすらと涙が浮かぶさまが見えた。

「太平洋戦争が始まった時には、わたしはまだ生まれておらんかったから、物事が分かる年になってから、母が話してくれたんじゃがの。

当時は婿に来てくれた造船所に勤める父と、女学校を卒業して間もない母と、母の両親も健在で、四人で暮らしておった。真珠湾攻撃の報道があってしばらく後の12月の冷える日じゃったそうな。軍人と帝国大学教授を名乗る二人組の人物が訪ねて来た。

二人と四人が向かいあったところで、軍人が口火を切った。


「日本は現在、聖戦を行っておる。神国日本における聖戦とは、太陽神、天照大御神と天照大御神の子孫であられ、神であられる天皇陛下を頂点にいただき、神々と日本国民が一丸(いちがん)となって戦わねばならぬ。そのような時に、こちらの家では、古事記、日本書紀に登場しない、邪神(じゃしん)を祭り、満月のたびに縁日をしていると聞いた。邪神を祭るのは、神国日本への反乱である。今後はこの神社の祭りは禁止する。しかと心得られよ。」

次に帝国大学教授を名乗る男性が続けた。

「こちらの家に伝わっている「多和海比賣神社御由来」のおおよその内容は、この地区の他の人々から聞いたが、あまりにも突飛な内容で、とても歴史を反映しているとは考えられない。おそらくあなたがたの、先祖の誰かが創作した偽書と思われるが、一応、大学のほうで、内容を研究させてもらう。御由来の書物を貸していただきたい。」


この時、家族のみなは、多和海比賣命は邪神、御由来は偽書と一方的に言われ、たいへん動揺したが、母は帝国大学教授が「御由来の書物を借りる」と言うのは建前で、取り上げられて、返してくれないのではないかと考えた。

母は、
「それでは書物を取りに行ってまいります。」
と言って席を立ち、奥の間に行った。

森田家にとって幸いであったのは、受け継いでいた「御由来」の書物に、虫食いの跡が目立ってきたところだったので、母は新しい半紙に内容を一字一句間違いなく書写し終わり、あとは綴じるだけのところじゃった。

母は「御由来」の写しがあることは言わず、虫食いのある原本だけを持って来て、
「これでございます。」
と、帝国大学教授に差し出した。

軍人と帝国大学教授は、原本を手に入れると、邪神の信仰を禁ずると再び言い残し、帰っていった。


母ら家族は、これまで行ってきた「比賣神様の縁日」が禁止されたことが悲しかったが、写本が残っただけでも良かったと思うことにした。

軍人が「聖戦」と言った太平洋戦争が、日本本土も空襲にみまわれるようになり、二度の原爆投下を経て無条件降伏に至ったのは、あんたさんら若い人も知ってのとおりじゃ。」

「それで多和海比賣のことは地域の人々から忘れられていったと…」

「縁日は禁止されたが、母は満月の前の境内の清掃は続けておった。終戦をむかえ、ほっとすると同時に、この先どうなることかという時に、わたしが生まれ、続いて妹が生まれての。あなたらも知っておられようが、多くの人が、その日の食事を得るのに精一杯の日々の中、母もわたしらを育てるのに必死で、比賣神様の神社のことは気にかけつつも、縁日の再開どころではのうて。

次の年、新しい憲法ができて、信教は自由になったと知ったが、わたしらが乳離れするまで、育児と生活に追われとっての。わたしらが3、4才になって少しゆとりができた時には、うちの神社を含めて、この地域の小さな神社10社ほどが、いつの間にか盛金稲荷の管理のもとに置かれたと知ってびっくりして。しかし、あの時、帝国大学教授に昔の原本を渡してしもうて、探しようもないし、母の写本だけでは、あんたの創作じゃと言われてしまうじゃろ。その状態が今まで続いとるということじゃ。ただ、わたしも比賣神様の侍女の務めとして、母に教えられたとおり、満月の日に比賣神様が気持ち良く過ごされるように、清掃を続けてきた。」


「そういう経緯があったのですか…ご先祖様から受け継いでこられた神様の信仰を、長い間、心に秘めておられたのですね。僕がどこまでお力になれるかわかりませんが、まずは、今日、聞かせていただいた、御由来の神話と、縁日が絶えて、地域の人々から忘れられていたゆえんを下書きの記事にまとめてみます。それを森田さんに見ていただきますから、ご意見などをお聞かせください。それで、森田さんが納得ゆかれる記事ができたらインターネットでの配信に進みましょう。」

「ありがたいことじゃ。亡き母父が聞いたらどんなに喜んでくれるじゃろうか。そんなにお世話になって、あんたさんに謝礼をさしあげねばならん。」

「あっ、その点は、ご心配なさらないでください。僕は会社から原稿料がもらえますから。ともあれ記事の下書きが書けたら、またお伺いします。」

了二はそう言って、御由来の漢文の写真を何枚かと、森田さんが、小さな写真なら顔をだしても構わないと言ってくださったので、森田さんの顔写真を撮影させてもらった。

森田さんに見送られ、格子戸を出た了二は、
(さあ、これは大変な仕事だぞ!)
と、自分に喝を入れた。
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