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六章 あの子をお願いします
8 変動と容赦ない逆境
しおりを挟む「許さない。許さない! あなただけは!!」
怒り任せにシャイナは何度も斬りつけた。
「シャイナさん待って下さい! 僕です。モルドです!!」
モルドの声は届いていない。証拠とばかりにシャイナは怒りを露わにして斬り続ける。
(エメリア、どう思う?)
(あくまで可能性なんだけど。モルド君の使用してる墨壺がハーネックのものなら、シャイナにはハーネックに見えているのかなって思うけど……)
歯切れの悪い言い方。そうなる疑問はデビッドも理解していた。
『シャイナはハーネックの事を知らない』
一度目も二度目も儀式に巻き込まれ気を失っていた彼女は、ハーネックを見ていない。なら、何をもってハーネックと認識しているのか。
答えに気づいたのはダイクであった。
今、シャイナはギドとハーネック、両方の奇文が纏わりついている。別質の奇文が反発している影響がシャイナを暴走させている。
何に対し怒りを露わにしているかは不明だが、ギドもハーネックも、相手を惑わす言葉を発する人種であるため、シャイナの記憶の中の、恐らく両親の出来事を語り聞かせ洗脳していると推測出来る。
「先生 早く戒詩の一章を! シャイナさんに二人の奇文が混じってます!」
ダイクの言葉を理解したエメリアは、咄嗟に次の行動が浮かんだ。
(デビッド、戒詩は三章まで連唱して)
【連唱】
連続した秘術を唱える技。
効果は唱えた内容により、見合った効果を発するが、連続する事で効果は絶大なモノとなる。更に疲労も大きい。
(お前、何を)
(モルド君に加担してくるから。早く――!!)
それを告げると、デビッドの足元から青みがかった白い奇文がモルドの方へと流れた。
その様子を見たデビッドは、杖を握り、詠唱を唱え始めた。
ハーネックの墨壺内の奇文が残り三分の一程になった時、モルドは全身に温かい何かが包んでくる感覚に襲われた。
「――え?」
(モルド君、分かる?)
突然女性の声が周囲から聞こえる感覚に捉われた。
「な、何ですか?!」
(あ、やっぱり覚えてないよね)
モルドの反応からスノーと過ごした記憶は消えたままだと分かる。
(混乱するのは分かるけど、この事態をどうにかしたいなら、落ち着いて聞いて)
モルドは素直に従った。それ程までに光る奇文の主から悪い気がしない。そして何か、懐かしい雰囲気がする。
(今、シャイナはギドとハーネック、両者の奇文に憑かれてる。君がハーネックの奇文を使ってるからシャイナはこっちに反応してるの)
「じゃあ、なんであんなに怒ってるんですか」
(可能性として、どちらかの奇文があの子を洗脳して君を憎しみの対象としている。恐らくギドの奇文が強いと思う。それだと辻褄が合うわ)
それでハーネックの奇文に嫌悪している。
「あなたが、お父さんとお母さんを!!」
シャイナの訴えから、ハーネックのせいでデビッドとエメリアの顛末をギドの奇文が教え、ハーネックの奇文を全面に押し出して抵抗しているモルドが、標的に見えているのだと憶測出来る。
「でもどうするんですか。もうすぐ壁が破られる」
(ハーネックの墨壺が空になる前に私の奇――……え?!)
エメリアはそれに気づいた。
「どうしたんですか?」
(君、デビッドの墨壺持ってたの!?)
「弟子……ですから」
モルドに理解は出来なかったが、エメリアは不幸中の幸い、と心が落ち着いた。
墨壺内の奇文がハーネックのモノなら禍々しすぎて性質変換が困難だが、デビッドのモノなら性質を変えやすい。その事での安堵である。
最中、シャイナの攻撃の威力が増した。加えて奇文の減り具合も増した。
(時間が無い。デビッドの奇文を私の質に変える。それを盾にすればシャイナに声が届く筈)
最後の言葉が気になった。
「筈……ですか?」威力に耐えるのに必死で声が漏れるように弱弱しい。
(前代未聞の事態だから。はい、墨壺持って!)
まるで母親に急かされているように、モルドはデビッドの墨壺を左手で持った。やはり、どこかでこんな事があったように思えるが思い出せない。
それは、次第に青みを帯びた光に輝きだした。
色はエメリアが保管されていた部屋の光源と同じ色合い。
モルドは、ハーネックの奇文が無くなるのを見図ると、デビッドの墨壺の蓋を左手親指を動かして開けた。
(いくわよ)
「はい!」
いよいよハーネックの奇文が切れ、デビッドとエメリアの墨壺を盾にした。
「――シャイナさん! 落ち着いてください!!」
言葉にシャイナは反応したが、返答は望んだものでは無かった。
「何が落ち着けだ! 今更謝っても、お父さんとお母さんは」
「違います。僕はハーネックじゃありません!!」
反論する前に、シャイナの剣から腕にかけ、青い光が包みこんだ。
(止めなさいシャイナ!!)
その声、その温かみ。幼い頃に聞き、殆ど忘れていた筈なのに、ついこの前まで聞いていた不思議な感覚。
それが母エメリアのものとシャイナは分かった。
「……お母……さん?」
シャイナの憎しみに満ちた怒りが治まり、エメリアの青い光が肩まで伸び、全身を包もうとした。
その時、赤黒い奇文が、シャイナの足元から竜巻を起こし、シャイナを飲み込んだ。
「イヤアアアアアアアアッ―――!!!!」
「シャイナさん!!」
モルドは叫ぶと、突風のような衝撃が加わり後ろに数歩下がった。
急展開する事態がどういったものは、分かっているのは、ダイクであった。
(ハーネックの奇文が……消えた)
◇◇◇◇◇
万策尽きたハーネックは、跪き、息を切らせてギドを見ていた。
「哀れなものだ。どう思う、自身が拾った弟子に完敗するというのは」
ギドの奇文が縄状に変化し、あちこちから疲弊したハーネック目掛けて伸び、両腕両足、胴体と、巻き付いた。
「まさに残念至極、この上ない屈辱だよ。欲の乏しい愚かな弟子にやられるなど」
「あなたの減らず口も聞き飽きた。潔く飲まれろ」
次々に縄が出現し、ハーネックを絡めとった。
ハーネックは何かを告げようとしたが、縄に口に被さり言葉が出なかった。
じっとギドを見据えながら、ハーネックは縄に何重にも巻き付かれ、やがて瞬時に縮まって奇文の地に溶けこんだ。
瞬間、赤黒い奇文の地が心臓の鼓動のように一度揺れ、赤い光が広がった。
「これで終わりだ。デビッド」
ギドはデビッドのいる方を見つめていた。
◇◇◇◇◇
奇文の竜巻にシャイナが巻き込まれると同時に、デビッドとダイクを縛っている奇文が緩み、二人は解放された。
デビッドはシャイナの状況を見て唐突に理解した。ギドがハーネックを取り込んだのだと。
ハーネックが消える事はデビッドにとっても喜ばしいのだが、それを成し、さらに力を蓄えたのがギドなら、未だに窮地であることに変わりはない。
連唱の三章まで唱えていたデビッドは、それではシャイナの事態を改善できないと判断した。
「――光り満ち、和らぐ丘にて気高き勇士深く眠りし。加えて語らん――」
戒詩の連唱が三章までなら憑いた奇文を祓うが、それがさらに続くとなると効果が違ってくる。それは一章増えるごとに変わる。
四章を唱えだしたデビッドを見たダイクは、デビッドがシャイナに行おうとしている事を考えた。
四章ではこの禍々しい奇文を祓う事は出来ない。
五章までだと奇文を祓う事は出来るが、恐らくこの奇文の性質だとすぐに元に戻る。
奇文の性質と解消法を自分なりに考えたダイクは、デビッドがどこまで唱えるかを探った。そして気づいた時、その後の事態に焦りを覚えた。
(七章までの連唱!? そんな事したら――!!)
ダイクは必死に改善の手を考えた。
連唱を共に唱えるなら反動は分散して抑えることはできるが、今からでは遅すぎる。それにダイクは途中で気を失ってしまう。
ならば。と、ダイクは更なる手を考えた。
七章までの連唱は、対象の奇文を弾き飛ばすと同時に、暫くの間、奇文を寄せ付けない結界を張る。一つ一つ起きる事態の効果が強い反面、反動が大きい。例えるなら、なりふり構わず全速力で走り、後で激しい息切れと足の力が入らない事態を招くようなもの。
結論。つまりは調整は重要だということ。
連唱を調整する高度な詠唱でなければならない。
ダイクの思いつく手段は一つしかない。しかし今の体力では唱え終えれるかは分からない。
とはいえ、このまま何もしなければデビッドが死んでしまう。
ダイクは意を決し、杖を握り、デビッドへ向けた。
「天に座する太陽の寵愛よ、夜の天に仄光る月の恩恵よ、均衡を賜る天秤の――」
ダイクの唱えるものは『リグベリエド調詩』
連唱不可能とされる秘術で、あらゆるものを調整する唱である。全二十章ある中の、第八章を唱えている。
調詩は、章の数字が低い程強力で、全十二章ある戒詩を全て連唱しても、それを整えるには六章を唱えれば安定出来る。ただ、調整しようとするモノより強力な術を行えば、反動が対象や自分にも返り、一気に気を失う。
見極めの難しい調詩。その八章を唱え、更にはデビッドが無事七章まで連唱できることを前提に行わなければならない。
デビッドが失敗すればシャイナは助からず自らも反動が返ってくる。
ダイクが唱えている章を誤っているならデビッドも自分も多大な反動が返ってくる。
読み違い、失敗などしようものなら、自分は命を落としかねない反動が返り、デビッドも自分の連唱の反動で死ぬ恐れがある。
両者とも、気を緩める事の出来ない事態。
緊迫し、切迫した状況である。
事態を飲みこめないモルドは、竜巻に呑まれるシャイナの姿に焦り、どのように手を打とうか考えていた。
出来る事が限られているモルドは、エメリアに相談した途端。
(――モルド君後ろ!!)
言われて振り返ると、ギドが突進して剣を振り抜こうとしていた。
条件反射でモルドは墨壺を剣に向けて盾を作った。
モルドの身体をも揺らすほどの衝撃が身体全身に響き、左手は裂けてしまいそうな程に激痛が走った。
「ほう。なかなか事が進まんと思っていたが、原因は君だったか」
「あ、なた、一体何なんですか!」
墨壺を握りしめ、まるで剣を振るように払うと、ギドは後方へ飛んで下がった。
(モルド君、環具に私の奇文を全てかけて)
言われるままにすると、青く光る剣が出来上がった。
「なんでこんな事を、師匠が一体何をしたんですか!」
「くだらない質問だ。お前の後ろで秘術に励む二人は取り込めば強力な力を得る。奇文消滅に一役買ってくれるだけのことだ」
「あなたの計画に、一体どれだけの人を巻き込むつもりですか!」
モルドの訴えは微塵としてギドには響かない。
「それが何か問題でも?」
返答と、一切変わらない表情から、交渉は不可能な相手だと確信した。
「あの人は僕が止めます。力を貸してください」小声でエメリアに言った。
この状況でギドの足止めを出来るのはモルドしかいない。
悟ったエメリアは、余計な言葉は加えず、「分かった」とだけ答えた。
ギドとモルドが向かい合う中、デビッドは七章を唱え始めた。
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