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三章 揺れ動く感情と消える記憶
4 主と弟子と使用人。時々スノーの日常(中編)・デビッドとの対面
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ある日の事。
「……あー、スノーさん?」
「はい。なんでしょう」
ある小さい絵画の作品世界、修復中の事。
デビッドはスノーと向き合い話していた。
「そーろそろ、本当の姿……かな? 見せてもらえると、こちらとしても修復作業しやすいのですがねぇ……」
もう何度か一緒に作業を行っているデビッドは、未だにスノーの姿が黒い陰りを帯びた人間のようにしか見えない。
声も三種類ほどの声が重なっているように聞こえる。
「えーっと、こっちも悪気があってこうなったんじゃないのよ。嫌がらせでも何でもなく……、どういう訳か……デビッドさんには違った見え方してるみたいなのよねぇ」
デビッドは、スノーの話し方はどこかで聞いたことのあるものだと抱いているが、一向に思い出せない。
現在、デビッドは煙管を吸って休憩中。解決の原因探しはモルドが行っている。
「師匠ぉぉ……。疲れました」
モルドはフラフラと寄ってきて、徐に横たわった。
この作品世界は、巨大なクッションが地面として存在する世界である。
地面は弾力のある生地のようで歩くたびに沈む。弾んで進むには申し分ないのだが、傾斜を登るには歩き疲れて足も痛い。
「おう休め休め。丁度いい巨大な寝床だ」
「お疲れ様、モルド君。で、何か見つかった?」
「いえ、ぜーん然見つかりません。それで、そちらは何か分かりましたか?」
「それがこっちも全然進展なし」
「ああ、まるっきりだ。もう何度見ても姿が全然変わらん」
何か修復作業と違う話をしている。
「……師匠…………仕事の話? ですよね」
「ああ。彼女の姿が分からんと仕事に専念できんだろ」
モルドは豪快に起き上がった。
「何やってるんですか!! 仕事でしょ仕事! 結構しんどいんですよこの世界。この際スノーさんの事なんて放っておいて!」
「あら、私の事は除け者扱いなんだ。酷くないかなぁ、それ」
呑気な語り口調が、モルドを呆れさせた。
「何言ってんですか? 今の流れからそんな差別した言い回しじゃないですよね。明らかに仕事優先の話してたじゃないですか。っていうか、二人して寛いで、まるで夫婦か恋人みたいな雰囲気出さないでくださいよ!」
デビッドは煙管を吸い、一息吐いた。
「感情任せでもそれは相手に対して失礼だぞモルド=ルーカス」
いつにもなく真剣な顔つきとなった。
「親しき仲にも礼儀ありだが、仮にも彼女は突然変異の奇文だ。恋人とか夫婦とか、俺は何でもいいって側じゃないぞ」
「すいません。言いすぎたかもしれません。でも仕方ないじゃないですか。スノーさん、見た目は――――――――――。夫婦とか恋人に思えても……」
重要な部分がデビッドには聞えなかった。
「ん? すまん。今の所、もう一度。なんて言った?」
「え? 僕失礼な事言ってないですよ」
「怒ってる訳じゃない。何故か聞こえなかっただけだ」
本当かどうかを疑いつつ、モルドはもう一度スノーの見た目の所を語った。
「スノーさん。見た目は――――――――――――――――――――」
気を使って補足説明を加えたが、デビッドにはまるで聞こえなかった。
これが修復作業と関係していると思い、一度戻る事にした。
「どうしたんですか師匠」
現実世界に戻り、向かい合ったままデビッドはモルドに言った。
「手間をかけて済まんが、さっきの説明をここでもう一度してくれるか? シャイナもこっちに来て聞いてくれ」
絨毯の外にいたシャイナを呼び、モルドの発言に注目が集まった。
「師匠? 冗談とか試してるとかじゃないですよね。怒ってたり……」
「安心しろ。これも修復の為だ。お前が言ってただろ? 仕事仕事って」
「言いましたけど……」
それとこれがどう関わるか分からないが、モルドはもう一度、今度は補足説明無しで話した。
「スノーさんの見た目が――――――――――――――です」
やはりデビッドは聞こえない。
モルドの言葉だからだと思い、シャイナから聞こうとしたが、何故かシャイナも聞こえないと言い出した。
モルドはなぜこの事を何度も言わされてるか聞き、二人が聞けない事実を知った。
「これ、修復作業の影響とか、じゃないですよね」
「いや、寧ろスノーに原因があるのかもしれない」
考えても仕方なく、暫くは様子見する方向で話は治まった。
それは、寒い日々と仄かに温かい日々が交互に訪れだした三月半ば過ぎの事。
「モルド君久しぶり」
シュベルトの突然の来訪に、出迎えたモルドは戸惑った。
「え! あ、ええ?! シュベルトさん、今日予約とかありましたっけ……」
「いや、予約も来ることも言っていないよ」
「え、じゃあ、え、どうしよう」
その日、デビッドは旅に出ている。予定では帰宅は本日を含めて三日後になる。
「すいません。師匠は今、旅に出てまして」
「ああ、本当に旅好きなんだな。いや、修復師の知り合いでも有名なんだよ。デビッドは予約しないと会えない日が多いって。何を目的にした旅かは誰も知らないが、今日はここの近くの街へ出張の仕事に来たんだ。それで用事ついでに」
シュベルトは上品に見える木箱を手渡した。中身は街で購入した焼き菓子だと告げられた。
「すぐお茶淹れます。どうぞ」
モルドはシュベルトを応接室へ案内すると、修復作業場を見たいと言い出したシュベルトは部屋へ入らず、絨毯の外から部屋を眺めていた。
「今、誰か作業中かい?」
台所からモルドは大きめの声で答えた。
「今シャイナさん、あ、師匠の使用人の女性が作業中です」
「え!? デビッドの使用人って、修復師なのか」
「えー、あー、ちょっと待って下さい」
シュベルトが来る前、既に湯を沸かしていた途中であり、丁度今沸いた。
火を消し、小走りで作業部屋へモルドは寄って来た。
「ああ、すまない。湯を沸かしてくれてたんだろ?」
「大丈夫です。もう火は消しましたし、今日のお茶の美味しい淹れ方は、沸騰させてから少しだけ冷まして淹れるって聞いてますので」
火を消す。
暖炉や竈に火を点けてるのなら、蓋をしてるのだと思った。しかし、言葉がここらではそう言うのかとも思い、方言かどうか尋ねた。
「ああ、アルコールランプです。少量の湯だったら小さいポットに水を入れて沸かします」
シュベルトは薪で火を起こす事はよくしているが、アルコールランプなど何かの実験などに使用される場面が記憶に根付いてしまい、湯を沸かすなど想像もしていなかった。
「アルコール購入はちょっと値が張りますけど、使い勝手は良いし、基本は暖炉の火を使ってるほうが多いから、消費は少なめです」
シュベルトはモルドの将来が主夫になりそうで心配した。
モルドは思い出したように台所へ行き、暫くしてから応接室へ茶を運んで来た。
シュベルトの土産を茶菓子に、二人は応接室で話し合った。
話はシャイナが修復師かどうか。から、なぜそうしているのか、そしてモルドは一緒に入らなくてよいのか、と続いた。
モルドはスノーについて説明し、そうなった原因をシュベルトに訊いた。
「――ん!?」思わず茶を口まで運んだが飲まずに皿へ戻した。「あの空間浸食からそんな奇文に憑かれたのか?」
そんな現象が起きたことなど無いと、驚いた様子から分かる。
「はい。その人はまるで人みたいです。会った時からそうなんですけど、すごく僕に色々修復師の現実的な事教えてくれるし、それに……」
言おうかどうか迷っていると、シュベルトが迷う理由を求めた。
「あ、はい。ちょっと色々問題のある部分なんですが、その人――――――――です」
「ん? 今、なんて言った?」
「――――――――――です。シュベルトさんも聞こえませんか?」
シュベルトは他に誰が聞こえないか訊くと、デビッドとシャイナの名前が上がった。
今の聞こえない状態を思い出し、ソファの背凭れに深く凭れて考え込んだ。
「……何か分かります? シュベルトさん」
「いや、君の話を聞いていくつか思う事はある。ああ、勘違いしないでもらいたいのが、なにもそのスノーという女性を消す解決の糸口を見つけたとかではないよ」
それでも何か分かることがあるなら、モルドは知りたい一心である。
「まず、今の聞こえない部分は、君が声を発していないように聞こえないのではなく、何かで君の声を妨害された。そんな聞こえ方だった。他の二人がどう聞こえたかは知らないが、私とデビッドの二人だけが聞こえないなら、空間浸食が大いに影響しているとは思える。しかし使用人の女性までも聞こえないというなら、これは空間浸食とは別の要因が関係してると思われる」
「どういう事ですか? 現に僕は空間浸食でスノーさんに会い、それ以降こっちでも会い続けてます。空間浸食に行ったから連れて来たとかじゃないんですか?」
「否定は出来ないな。なぜなら空間浸食で出会い、今尚いるのなら、空間浸食を解決すれば消える可能性もある。関係ないとは断言しない」
その言葉は、まだ空間浸食を解決していないことを示唆しているようである。
「まだ解決出来ていないんですか?」
「ああ。あれは手にかかる現象だからな。今日訪れたのも、また手を借りたいからその予約をしに来たんだよ。で、これが最後の仕上げとなるだろう」
確かに空間浸食が関係している可能性は残るが、それなら空間浸食が原因でスノーが生まれた可能性も残ったままだ。
「彼女が現れたのは確かに空間浸食が原因だと思われるが、空間浸食が彼女を作りだしたのではない事は言いきれる。いや、どんな作品世界であってもと言い換えるべきかな」
「どうしてですか?」
「君の話では、スノーさんは一人の人間としての自我が保たれている。本来、作品世界ではその作品に関する知識などを語る人間は出てきても、他の作品、修復師に関する知識を知りえる存在は現れないんだ。『前例が無い』、漠然とした答えだがそれが理由だ。空間浸食は奇文密度の濃い現象で、下手をすれば命を落とす。それ程危険な空間浸食でも特異な人間が出来るのは無理なんだよ。何かに影響を及ぼす事はあり得るかもしれないがね」
シュベルトは少し冷めた茶を一口飲んだ。
美味しい茶であり、それをモルドが淹れたのだから、いよいよ主夫になりそうなのが不安である。
「影響……って、過去にもそんな事が?」
「過去の例は些細な事ばかりだ。空間浸食の中に別件の修復作品を置いたら奇文が悪化したとか、部屋を開けっぱなしにしたら広がったなど。だが私の知人には奇文は身体に憑いたとか、夢が作品世界と同化したなど、公に出来ない特例などもある。もっと探せば他にあるかもしれない。奇文が奇文を活性化させたり、人間に干渉する。そんな特異例が空間浸食では起きやすい。だから危険視された仕事なのだよ」
その話が本当なら、元々憑いていた奇文がスノーという形になって現れたと考える事も出来る。そして彼女の容姿はまさしくシャイナに似ており、初めて出会った時の別れ際、彼女は幼い女の子を抱き上げてモルドと別れた。
あの幼女はシャイナであり、スノーは母親。
どういう経緯かシャイナに奇文として憑き、シャイナの情報を得た後に空間浸食内でモルドに憑いた。
上手くいけばシャイナの記憶喪失を治療できる可能性があるかもしれない。
強引すぎる推理だが、今のモルドにはこの可能性しか考えられなかった。
シュベルトは茶を飲み干し、時間を確認した。
「そろそろ行かないと。すまないね。使用人の方に挨拶してからだと思ったんだが、どうにも間に合いそうにないらしい」
未だにシャイナは戻ってこない。
仕方なくモルドは玄関までシュベルトを見送った。
「なんかすいませんでした。師匠もシャイナさんもいないのに、お土産や僕の話を聞いてもらって」
「気にするな。予約も無く私が来ただけだし、それに貴重な話も聞かせてもらった。今後、何かの役に立つかもしれないから、次に会う時に経過が分かったら教えてほしい」
モルドは御礼を言ってシュベルトを見送った。
「あ、あの焼き菓子は君たちで早めに食べてしまいなさい。気温が高くなったらすぐに傷んでしまうから」
そんな気づかいに、感謝の言葉を告げて、シュベルトと別れた。
「……あー、スノーさん?」
「はい。なんでしょう」
ある小さい絵画の作品世界、修復中の事。
デビッドはスノーと向き合い話していた。
「そーろそろ、本当の姿……かな? 見せてもらえると、こちらとしても修復作業しやすいのですがねぇ……」
もう何度か一緒に作業を行っているデビッドは、未だにスノーの姿が黒い陰りを帯びた人間のようにしか見えない。
声も三種類ほどの声が重なっているように聞こえる。
「えーっと、こっちも悪気があってこうなったんじゃないのよ。嫌がらせでも何でもなく……、どういう訳か……デビッドさんには違った見え方してるみたいなのよねぇ」
デビッドは、スノーの話し方はどこかで聞いたことのあるものだと抱いているが、一向に思い出せない。
現在、デビッドは煙管を吸って休憩中。解決の原因探しはモルドが行っている。
「師匠ぉぉ……。疲れました」
モルドはフラフラと寄ってきて、徐に横たわった。
この作品世界は、巨大なクッションが地面として存在する世界である。
地面は弾力のある生地のようで歩くたびに沈む。弾んで進むには申し分ないのだが、傾斜を登るには歩き疲れて足も痛い。
「おう休め休め。丁度いい巨大な寝床だ」
「お疲れ様、モルド君。で、何か見つかった?」
「いえ、ぜーん然見つかりません。それで、そちらは何か分かりましたか?」
「それがこっちも全然進展なし」
「ああ、まるっきりだ。もう何度見ても姿が全然変わらん」
何か修復作業と違う話をしている。
「……師匠…………仕事の話? ですよね」
「ああ。彼女の姿が分からんと仕事に専念できんだろ」
モルドは豪快に起き上がった。
「何やってるんですか!! 仕事でしょ仕事! 結構しんどいんですよこの世界。この際スノーさんの事なんて放っておいて!」
「あら、私の事は除け者扱いなんだ。酷くないかなぁ、それ」
呑気な語り口調が、モルドを呆れさせた。
「何言ってんですか? 今の流れからそんな差別した言い回しじゃないですよね。明らかに仕事優先の話してたじゃないですか。っていうか、二人して寛いで、まるで夫婦か恋人みたいな雰囲気出さないでくださいよ!」
デビッドは煙管を吸い、一息吐いた。
「感情任せでもそれは相手に対して失礼だぞモルド=ルーカス」
いつにもなく真剣な顔つきとなった。
「親しき仲にも礼儀ありだが、仮にも彼女は突然変異の奇文だ。恋人とか夫婦とか、俺は何でもいいって側じゃないぞ」
「すいません。言いすぎたかもしれません。でも仕方ないじゃないですか。スノーさん、見た目は――――――――――。夫婦とか恋人に思えても……」
重要な部分がデビッドには聞えなかった。
「ん? すまん。今の所、もう一度。なんて言った?」
「え? 僕失礼な事言ってないですよ」
「怒ってる訳じゃない。何故か聞こえなかっただけだ」
本当かどうかを疑いつつ、モルドはもう一度スノーの見た目の所を語った。
「スノーさん。見た目は――――――――――――――――――――」
気を使って補足説明を加えたが、デビッドにはまるで聞こえなかった。
これが修復作業と関係していると思い、一度戻る事にした。
「どうしたんですか師匠」
現実世界に戻り、向かい合ったままデビッドはモルドに言った。
「手間をかけて済まんが、さっきの説明をここでもう一度してくれるか? シャイナもこっちに来て聞いてくれ」
絨毯の外にいたシャイナを呼び、モルドの発言に注目が集まった。
「師匠? 冗談とか試してるとかじゃないですよね。怒ってたり……」
「安心しろ。これも修復の為だ。お前が言ってただろ? 仕事仕事って」
「言いましたけど……」
それとこれがどう関わるか分からないが、モルドはもう一度、今度は補足説明無しで話した。
「スノーさんの見た目が――――――――――――――です」
やはりデビッドは聞こえない。
モルドの言葉だからだと思い、シャイナから聞こうとしたが、何故かシャイナも聞こえないと言い出した。
モルドはなぜこの事を何度も言わされてるか聞き、二人が聞けない事実を知った。
「これ、修復作業の影響とか、じゃないですよね」
「いや、寧ろスノーに原因があるのかもしれない」
考えても仕方なく、暫くは様子見する方向で話は治まった。
それは、寒い日々と仄かに温かい日々が交互に訪れだした三月半ば過ぎの事。
「モルド君久しぶり」
シュベルトの突然の来訪に、出迎えたモルドは戸惑った。
「え! あ、ええ?! シュベルトさん、今日予約とかありましたっけ……」
「いや、予約も来ることも言っていないよ」
「え、じゃあ、え、どうしよう」
その日、デビッドは旅に出ている。予定では帰宅は本日を含めて三日後になる。
「すいません。師匠は今、旅に出てまして」
「ああ、本当に旅好きなんだな。いや、修復師の知り合いでも有名なんだよ。デビッドは予約しないと会えない日が多いって。何を目的にした旅かは誰も知らないが、今日はここの近くの街へ出張の仕事に来たんだ。それで用事ついでに」
シュベルトは上品に見える木箱を手渡した。中身は街で購入した焼き菓子だと告げられた。
「すぐお茶淹れます。どうぞ」
モルドはシュベルトを応接室へ案内すると、修復作業場を見たいと言い出したシュベルトは部屋へ入らず、絨毯の外から部屋を眺めていた。
「今、誰か作業中かい?」
台所からモルドは大きめの声で答えた。
「今シャイナさん、あ、師匠の使用人の女性が作業中です」
「え!? デビッドの使用人って、修復師なのか」
「えー、あー、ちょっと待って下さい」
シュベルトが来る前、既に湯を沸かしていた途中であり、丁度今沸いた。
火を消し、小走りで作業部屋へモルドは寄って来た。
「ああ、すまない。湯を沸かしてくれてたんだろ?」
「大丈夫です。もう火は消しましたし、今日のお茶の美味しい淹れ方は、沸騰させてから少しだけ冷まして淹れるって聞いてますので」
火を消す。
暖炉や竈に火を点けてるのなら、蓋をしてるのだと思った。しかし、言葉がここらではそう言うのかとも思い、方言かどうか尋ねた。
「ああ、アルコールランプです。少量の湯だったら小さいポットに水を入れて沸かします」
シュベルトは薪で火を起こす事はよくしているが、アルコールランプなど何かの実験などに使用される場面が記憶に根付いてしまい、湯を沸かすなど想像もしていなかった。
「アルコール購入はちょっと値が張りますけど、使い勝手は良いし、基本は暖炉の火を使ってるほうが多いから、消費は少なめです」
シュベルトはモルドの将来が主夫になりそうで心配した。
モルドは思い出したように台所へ行き、暫くしてから応接室へ茶を運んで来た。
シュベルトの土産を茶菓子に、二人は応接室で話し合った。
話はシャイナが修復師かどうか。から、なぜそうしているのか、そしてモルドは一緒に入らなくてよいのか、と続いた。
モルドはスノーについて説明し、そうなった原因をシュベルトに訊いた。
「――ん!?」思わず茶を口まで運んだが飲まずに皿へ戻した。「あの空間浸食からそんな奇文に憑かれたのか?」
そんな現象が起きたことなど無いと、驚いた様子から分かる。
「はい。その人はまるで人みたいです。会った時からそうなんですけど、すごく僕に色々修復師の現実的な事教えてくれるし、それに……」
言おうかどうか迷っていると、シュベルトが迷う理由を求めた。
「あ、はい。ちょっと色々問題のある部分なんですが、その人――――――――です」
「ん? 今、なんて言った?」
「――――――――――です。シュベルトさんも聞こえませんか?」
シュベルトは他に誰が聞こえないか訊くと、デビッドとシャイナの名前が上がった。
今の聞こえない状態を思い出し、ソファの背凭れに深く凭れて考え込んだ。
「……何か分かります? シュベルトさん」
「いや、君の話を聞いていくつか思う事はある。ああ、勘違いしないでもらいたいのが、なにもそのスノーという女性を消す解決の糸口を見つけたとかではないよ」
それでも何か分かることがあるなら、モルドは知りたい一心である。
「まず、今の聞こえない部分は、君が声を発していないように聞こえないのではなく、何かで君の声を妨害された。そんな聞こえ方だった。他の二人がどう聞こえたかは知らないが、私とデビッドの二人だけが聞こえないなら、空間浸食が大いに影響しているとは思える。しかし使用人の女性までも聞こえないというなら、これは空間浸食とは別の要因が関係してると思われる」
「どういう事ですか? 現に僕は空間浸食でスノーさんに会い、それ以降こっちでも会い続けてます。空間浸食に行ったから連れて来たとかじゃないんですか?」
「否定は出来ないな。なぜなら空間浸食で出会い、今尚いるのなら、空間浸食を解決すれば消える可能性もある。関係ないとは断言しない」
その言葉は、まだ空間浸食を解決していないことを示唆しているようである。
「まだ解決出来ていないんですか?」
「ああ。あれは手にかかる現象だからな。今日訪れたのも、また手を借りたいからその予約をしに来たんだよ。で、これが最後の仕上げとなるだろう」
確かに空間浸食が関係している可能性は残るが、それなら空間浸食が原因でスノーが生まれた可能性も残ったままだ。
「彼女が現れたのは確かに空間浸食が原因だと思われるが、空間浸食が彼女を作りだしたのではない事は言いきれる。いや、どんな作品世界であってもと言い換えるべきかな」
「どうしてですか?」
「君の話では、スノーさんは一人の人間としての自我が保たれている。本来、作品世界ではその作品に関する知識などを語る人間は出てきても、他の作品、修復師に関する知識を知りえる存在は現れないんだ。『前例が無い』、漠然とした答えだがそれが理由だ。空間浸食は奇文密度の濃い現象で、下手をすれば命を落とす。それ程危険な空間浸食でも特異な人間が出来るのは無理なんだよ。何かに影響を及ぼす事はあり得るかもしれないがね」
シュベルトは少し冷めた茶を一口飲んだ。
美味しい茶であり、それをモルドが淹れたのだから、いよいよ主夫になりそうなのが不安である。
「影響……って、過去にもそんな事が?」
「過去の例は些細な事ばかりだ。空間浸食の中に別件の修復作品を置いたら奇文が悪化したとか、部屋を開けっぱなしにしたら広がったなど。だが私の知人には奇文は身体に憑いたとか、夢が作品世界と同化したなど、公に出来ない特例などもある。もっと探せば他にあるかもしれない。奇文が奇文を活性化させたり、人間に干渉する。そんな特異例が空間浸食では起きやすい。だから危険視された仕事なのだよ」
その話が本当なら、元々憑いていた奇文がスノーという形になって現れたと考える事も出来る。そして彼女の容姿はまさしくシャイナに似ており、初めて出会った時の別れ際、彼女は幼い女の子を抱き上げてモルドと別れた。
あの幼女はシャイナであり、スノーは母親。
どういう経緯かシャイナに奇文として憑き、シャイナの情報を得た後に空間浸食内でモルドに憑いた。
上手くいけばシャイナの記憶喪失を治療できる可能性があるかもしれない。
強引すぎる推理だが、今のモルドにはこの可能性しか考えられなかった。
シュベルトは茶を飲み干し、時間を確認した。
「そろそろ行かないと。すまないね。使用人の方に挨拶してからだと思ったんだが、どうにも間に合いそうにないらしい」
未だにシャイナは戻ってこない。
仕方なくモルドは玄関までシュベルトを見送った。
「なんかすいませんでした。師匠もシャイナさんもいないのに、お土産や僕の話を聞いてもらって」
「気にするな。予約も無く私が来ただけだし、それに貴重な話も聞かせてもらった。今後、何かの役に立つかもしれないから、次に会う時に経過が分かったら教えてほしい」
モルドは御礼を言ってシュベルトを見送った。
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