奇文修復師の弟子

赤星 治

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一章 出会いと適正

9 デビッドの治療

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 モルドが目を覚ますと、何処か知らない部屋の天井が視界に写った。

(……こ、こは……)思考が上手く働かない。
(……一体何を?)
 呆然とした思考をゆっくり働かせると、『街で何かをしようとしていた』疑問が浮かぶ。
(――この街? どんな街だ? まあいい)
 そんな疑問すらも曖昧に、そのままどうでもよくなった。
 次に、『誰かが帰るのを待っていた』と疑問が浮かんだ。
(そうだ。あの人を……誰? ……いや、忘れてない。あの、煙管を吸っている……。帰る家にも、美しい女性が…………あれ?)

 忘れそうになりつつも、他の記憶よりも根強くその二人の存在は残された。しかし名前と顔が思い出せない。

「――応急処置にすぎませんよ!」
 部屋の外で誰かが強く言った。まるで遠くで話しているように聞こえにくい。
「構わん。後は俺がやる。誰も部屋には入れるな」
「しかし!」
「下手すりゃ修復師でもない奴が似たようなことになる。やがては伝染し、この街の連中は取り返しのつかない事態になるんだぞ。この地区の管理官長様はそう言ってなかったか?」

 話し相手である男性は何も言い返さず、暫くして「どうぞ」と言った。
 モルドは一連の言い合いが何を話しているか分かっていない。

 部屋の扉が開かれると、モルドは無意識に、そして徐に上体を起こして入室者を眺めた。
 動きを眺めていた男性は部屋の戸を閉め、ベッドの傍らまで寄った。
 モルドは何も言葉を発さず、じっと男性の動きを追い、その男性が椅子に腰かけ、同じ高さの目線になり、暫く見つめ合った。
 やがて男性はため息を吐いた。
 モルドが何も言い返さずにいると、男性はモルドの身体を動かして自分と向かい合う姿勢にした。

「随分深くまでやられたな。嫌な事思い出させやがって」
 男性の言葉に、モルドは何も反応が出来ない。
「これは事態把握のためだ。悪く思うな」
 そう言うと、男性は力強くモルドの左頬を平手打ちした。
 何故か痛みはまるで感じない。しかし、手が頬を打った音と、反動で顔が上体ごと右へ動かされた。
 心の奥底で何かが反応した。
 モルドは呆気にとられ、見開いた目で男性を再び見た。
「…………し、しょう?」その言葉が不意に漏れた。
 平手打ちの衝撃で男性の名を、『デビッド=ホークス』と思い出した。

「どうやら、まだ取り返しのつく範疇だな」
 言いつつ、長さが万年筆程の、童話の魔女が持ってそうな先端が渦を巻いた木製の杖と、八角形の青紫色の小瓶。その二つを内ポケットから取り出した。
 デビッドはモルドの両手をそれぞれ広げた。
「いいか。何があってもしっかり握っていろよ」
 真剣なデビッドの眼差しに、モルドは相変わらず呆然とした表情のままである。
 モルドの右手に杖、左手に小瓶を乗せた。
 置いた途端、モルドは全身にチクチクと針が刺す様な痛みが走った。
「――うっ! ぐぅぅ……」

 先ほどまで手を動かせなかったのに、両手に乗っているものを拒むかのように手が広がる。
 杖と小瓶を手放さないようにデビッドが自らの手を、左右共に上から乗せてしっかり掴んだ。

「我慢しろ」
 モルドはまだ声が発せないが、目で苦しみと手放したい事を訴えたが、デビッドは視線を逸らさずにじっと見つめた。
「……し、師匠……い……痛い」
「ようやく話せるようになったな。今は痛いだけか? 他にはどう感じている?」
 まるでその言葉に呼応したかのように全身の痛みが止み、身体から何かが出来て来そうな、内側からの圧迫感、痺れ、全身に力を込めなければ気持ちの悪い何かが疼く感覚。
 端的に表現すると”気持ちが悪い”。
 それを言葉に出すにはどの言葉が合うかは分からない。
 困惑の気持ちが顔に表れ、デビッドに伝わった。

「よーし、良い傾向だ」
 モルドの手を掴むデビッドの力は一向に緩まらない。
「俺の質問に答えてもらうぞ」
「……は、い」
 記憶は戻らないが、頭がそう返事する事を求めている様に思えた。
「どうやって絵画に入れた?」

 それは断片的な記憶ばかりで、説明できず、頭を左右に振った。

「じゃあもう少し前から……。俺が出て行ってから、何をして、何をしに街へ出た」
 それなら説明出来る。
「え、っと、シャイナさん、に、掃除中にお遣い、頼まれて、それで街へ」
 言葉詰まりが気になる所だが、『お遣い』の内容をモルドが話している内にその症状は解消された。
「それだけならすぐ買って帰れるだろ? なぜ帰らなかった」
 モルドは言いづらそうに躊躇っていた。その様子を見てデビッドは症状ではなく、本音を言いづらいのだと感づいた。
「どんな想いでもいい。それを答えなければお前の苦しみが解消しない。俺への愚痴でもなんでもいいから答えるんだ」
 物悲し気な表情で見た後、間もなくしてモルドは答えた。
「街を……歩き回ってました。買い物はすぐに済んだんです。けど、行く先々で……僕と似たように、誰かの下で働いている人たちが……目に入って。広場でも、仕事の練習してる人達とか……見て……」

 モルドの言いたい事は容易に察する事は出来る。
 デビッドは話の先を求めると、モルドは目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせながら語った。

「皆、ちゃんと成長しようと……頑張ってる、のに、僕は……何してるんだ、って」

 奇文修復師は特別な身体を動かして行う鍛錬を必要としない。さらに、書物を読み漁って知識を詰め込むものでもない。
 修復師になって経験を積み、機転の利く発想が必要である。
 敢えて修行というものがあるなら、時間を確認し、その決められた時間内で出来る仕事を効率よく行う。
 既に家事を行っているモルドは修行をしているに値する。しかし以前、今の行いが修業だと告げた言葉が響いていなかったと分かる。

「それで、そこからどうした?」
「し、師匠と会った浜辺の椅子に座ってました。そしたら、話しかけられて。男の人です。それで、師匠を知ってる人で、連れて行ってもらって。あの絵の前で、あの人は腕輪を使って絵に入りました。僕も一緒に」
 説明がまともな文章になっていないのは、モルドの動揺の表れ。
 しかし、先ほどまで答えられない事が答えられ、改善されていることが伺えた。
「なぜ俺の家にある範囲がない所で入れると思った?」
「あの人が言ったんです。美術館の様な、芸術作品が集まる場所が範囲となるから、入れるって。実際入れたし、そうなんだと思いました。でも……」

 思い出される。
 あの惨劇を。
 奇文修復とはまるで別の。
 惨事を起こし絵画を切り裂き、絵の中の人達が次々に。
 その事が思い出され、現実世界に戻った時の絵画の有り様が思い出され、モルドはとんでもない事を自分が引き起こしたと思い、涙が溢れた。

「モルド、しっかり握ってろ」
 デビッドが手を離すと、モルドは両手の小道具を、今度は一人でしっかりと握った。
 デビッドは抱くように手を回し、モルドの背を摩った。温かさが伝わり安堵した。
 頭をデビッドの胸に押し当てると、後頭部にも手を当てられた。

「僕は、僕は何も出来なかった! あの絵が切り裂かれても、あの絵の人達が切り裂かれても! 何も……あの人を止める事も……」
 デビッドの手の温もりが、今までの曖昧であった感情も、感覚も、意識も思考も。
 もう現実世界に帰って来たのだと理解させ、涙を更に溢した。
 途端、絵画の世界が崩壊した後の暗闇で、ハーネックが残した言葉も思い出された。

「あの人とは、誰の事だ?」
「……あの人は、"ハーネック"と言ってました」
 その名前を聞いて、デビッドは眉間に皺を寄せて目を閉じた。
「ハーネックは言ってました。師匠に会えたら言ってくれって」
「……何をだ?」
「これで……『私が優勢だ』って」

 デビッドは大きく息を吸い、ため息のように、そうか。と呟いた。
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