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竜帝国編

3-68

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 続いて囁いた私の言葉にヘカーテ様は目を見開き、確かめるようにルクを見ました。
 それから彼女は納得したかのように一つ頷くと、すでに地上百メートル程の位置まで落下していたルクと水平に並ぶように移動します。その直後――

「オオオオオッ!」

 落下していたルクが空中で静止して、雄たけびを挙げながら全方位に向かって翼をめちゃくちゃに振り回しました。

「うおおお!?」
「野郎! やけくそになって暴れだしやがった!」

 四方八方に突風が巻き起こり、私を含めた周囲を囲む竜騎兵達が吹き飛ばされます。

「ははは! どうだ近づけまい! 魔眼を撃てるものなら撃ってみろ!」

 先ほどとは違い風の勢いが拡散されているせいか、なんとか十メートル程の距離で踏みとどまることはできましたが、あまりの風圧にとても目を開けていられません。
 もしこの状態で魔法や吐息を吐かれたらひとたまりもないでしょう。
 そして私の杞憂は正に現実のものとなりました。

「終わりだ猿共! 死に絶えろ!」

 薄っすらと開けた瞼の隙間から、ルクの周囲に大量の魔法陣と口元に吐息を放つための魔力が集まっていくのが見えます。
 竜騎兵達が槍を投げ、魔法を放ち、なんとか妨害しようとしていますが、吹き荒れる突風の前に為す術がないようでした。

「あと一発。あと一発私の拳をあの紫クソトカゲにブチ込めさえすれば……」

 拳を握り締めながらつぶやきます。

「これほどまでに全力で殴りたいと思える相手は久しぶりですのに、それが敵わないなんて死んでも死に切れませんわ」
「――諦めるのはまだ早いぞ」

 吹き付けてくる風に飛ばされないように耐えながら、ヘカーテ様が叫びました。

「貴様以外にも、もう一人おる。ルクを全力でぶっ飛ばしたいと思っている者がな!」

 その言葉の直後、ルクが浮かんでいる真下に広がっていた山岳の森林地帯から、人間らしき人影が飛び上がりました。

「死ぬのはテメエだよクソ野郎があああ!」

 人影の正体は翼を生やし、鱗を纏って竜人化したイフリーテ様でした。
 彼は叫び声をあげながら、凄まじい勢いでルクに向かっていきます。

「グルォオオオ!」

 そしてイフリーテ様に続くように誰も騎乗していない数百匹の飛竜が、森林地帯から飛び立って一目散にルクに向かって行きした。
 アルフレイム様が先ほど言っていた野生の飛竜の部隊でしょう。

「食らいやがれえええ!」

 イフリーテ様を先頭とした野生の飛竜達は、ルクの身体のすぐ真下まで接近すると、一斉に口から炎の吐息を吐き出しました。
 炎同士が互いを食らいあって大きくなり猛烈な勢いとなった吐息は、吹き荒れる突風を物ともせずに突き進んでいきます。ですが――

「馬鹿が! 魔眼さえ使われなければ、貴様らごときのちっぽけな炎が俺に届くものか!」

 放たれた炎はルクの纏う魔力によって、まるで見えない壁にでもぶつかったかのように弾かれていきます。
 やはりどれだけ力を束ねても、炎の吐息だけではあの膨大な魔力の鎧を貫くことは不可能でしょう。
 私のように自らの肉体を加護で強化した攻撃を直接叩き込めればあるいは――

「――前座ご苦労! その炎、私が頂いた!」

 その時、炎を吹いているイフリーテ様達のさらに下方から、アルフレイム様の叫び声が聞こえてきました。
 直後、レックスにまたがったアルフレイム様がイフリーテ様を追い越してルクに向かって突っ込んでいきます。

「ブッ!? アルフレイムテメエッ!」

 イフリーテ様が吐息を中断し、目を剥いて叫びました。
 それと同時にアルフレイム様がレックスから飛び立ち、野生の飛竜達が吐き出している炎の中に飛び込んでいきます。

「なっ、なにやってんだよアルフレイム!?」

 レックスが驚きの声を挙げます。
 周囲で見ていた竜騎兵達もあんぐりと口を開けて絶句しました。

「まあ。なんて堂々とした飛び降り焼身自殺でしょう」
「そんなわけあるか! あれは鋼鉄神の加護を発動しながら魔力の炎を全開にして突進するアルフレイムの奥の手の――」

 私のつぶやきにヘカーテ様が答えようとしたその瞬間。
 飛竜達の吐息がアルフレイム様を中心に集まっていきました。
 それはやがて一匹の巨大な炎で形作られた飛竜となり、大きく口を開けてルクに向かって突き進んでいきます。

「昂れ我が大胸筋! 弾けよ我が上腕二頭筋!」

 炎の飛竜の頭にあたる部分で、アルフレイム様が両手を広げて天を仰ぎながら絶叫しました。

「すべてを焼き尽くす我が魂の燃焼! その身に受けて骨の髄まで燃え尽きるがいい! 爆裂鋼体撃ヴォルカニックドライブ!」

 軌道上に爆炎をまき散らしながら、炎の飛竜となったアルフレイム様が頭からルクの腹に激突します。しかし――

「き、貴様ら……無駄だと言っているのが分からないのか!」

 燃え盛るアルフレイム様の身体はルクの腹を貫くことなく、受け止められてしまいました。
 決して効いていないわけではありません。
 その証拠に未だ燃え続けるアルフレイム様の身体を受け止めているルクは、鱗の表面を抉られて明らかに苦悶の声をあげています。
 せめてあともう一押しあれば、ルクに決定的なダメージと隙を作ることができるのですが――

「右翼全軍! 炎を殿下に!」
「左翼全軍! 炎を兄上に!」

 その時、ジン様とフランメ様の声が戦場の空に響き渡りました。
 直後、何の迷いもなく、示し合わせたかのように。

「やっちまえ! 殿下あああ!」
「グオオオ!」

 その場にいたすべての竜騎兵と飛竜が雄たけびをあげながら、炎の魔法や吐息を同時にアルフレイム様に向かって放ちました。
 数千人の炎を受けたアルフレイム様が纏う炎の飛竜は、ルクに匹敵するほどの大きさまで膨れ上がります。
 それはまるで、ルクを撃ち滅ぼさんとするヴァンキッシュという国の意思が形を持ったかのようでした。

「なっ……んだと!? このっ……猿の分際でえええ!」

 勢いを増したアルフレイム様の突進で腹を押し込まれて、ルクの身体がくの字に折れ曲がります。
 鎧が弾け飛び、上半身が裸になったアルフレイム様は、口端を吊り上がらせた闘争本能剝き出しの凶悪な笑みを浮かべて叫びました。

「これから大陸史に永遠に名を刻むヴァンキッシュの覇道を、数千年だか数万年生きた程度の小賢しい蛇が邪魔をするな! オオオッ!!」

 叫び声と共に一際激しくアルフレイム様が燃え盛った次の瞬間。
 アルフレイム様の身体がルクの腹を貫いて逆側から飛び出して行きました。

「ガアアアッ!?」

 ヴァンキッシュの皆様が炎を止めると同時に、ルクが絶叫して貫かれた腹部からは大量の血が噴き出します。
 それを見て皆様が一斉に歓声を挙げました。

「よっしゃあ! これはさすがに効いただろ!」
「見たか! これぞヴァンキッシュの底力よ!」

 その傍ら、空中に投げ出されたアルフレイム様は纏っていた炎が消えて、燃え尽きたかのように地上に向かって落下していきます。
 全身に火傷を負って落下していくアルフレイム様はこちらを一瞥すると、私に親指を立ててニヤリと笑みを浮かべました。

「……感謝致します。私がスカッとするための絶好の機会を与えてくれて。まさに業火の貴公子の二つ名に恥じぬお姿でしたわ」

 私の答えにアルフレイム様は満足そうに眼を閉じます。

「ああもうっ、あのバカ皇子! 世話が妬けるんだから!」

 その後をレックスが慌てて追いかけていきました。
 あちらも後はお任せして大丈夫でしょう。

「グゥゥゥ……この程度の傷、すぐに再生して……ガァァ!?」

 ルクが身体を丸めて首を振り回しながら苦痛に悶えます。
 ヴァンキッシュ中の飛竜の炎を一点に集中した業火が体内を駆け抜けたのです。
 いくら彼が驚異的な再生力を持っていたとしても、そう簡単に回復はしないでしょう。

「行くぞ! 貴様の最後の願い、この黒竜姫ヘカーテが叶えてやる!」

 今が好機とばかりに私を背に乗せたヘカーテ様が翼を羽ばたかせて、一気にルクに接近します。

「ざぜるがァ!」

 血を吐きながらルクが最後の抵抗といわんばかりに尻尾を振り回してきました。
 その勢いは負傷しているとは思えない程の凄まじい速度です。
 いけません。今のヘカーテ様は満身創痍の上、すでに加速状態に入ってしまっています。
 このままでは回避できずに尻尾によって薙ぎ払われて、絶好の殴る機会を逸してしまうでしょう。

「――一人一人はたいして役に立たない日焼けした竜騎士でもよお!」

 その時、私の真上から聞き覚えのあるチャラい声が聞こえてきました。

「「「「四人集まりゃ一人を押し出すくらいわけないぜ!」」」」

 四人分の声と同時に上から突っ込んできた四騎の竜騎兵に押し出されて、ヘカーテ様の身体が下方向に落下します。
 その直後、私達の頭上すれすれをルクの尻尾が通り過ぎていきました。

「貴方達は紅天竜騎兵団の――」
「どわあああ!?」

 巻き起こった風圧により、日焼けした騎士達が彼方へと吹き飛んでいきます。
 ヘカーテ様は機転を利かせて風圧の下を潜るように飛ぶと、そのままルクの喉元に肉薄しました。

「ありがとうございます、日焼け騎士さん達――そしてへカーテさん。最後のお願い通り、喉元を下からすくい上げるような最高の位置取りですわ」

 すぐさま魔眼を発動して魔力による防御を封じながら、頭上五メートル程の位置にあるルクの喉元に狙いを定めます。

「神々の駒に過ぎない猿風情がァ!」

 私が何かを企んでいることに気が付いたのでしょう。
 ルクが血走った巨大な瞳を私に向けて叫びました。

「その攻撃は甘んじて食らってやる! だが覚悟しろ! 腹の傷はもう癒える! そしてその消耗ではもう魔眼は使えまい! そうなれば貴様ら猿を絶滅させるなど一瞬で――」
「攻撃? いいえ――拳一発で十分です」

 右手の平を前に突き出し左拳を腰だめに構えます。
 狙う先は竜種の喉元に存在する絶対的な弱点と言われる部位“逆鱗”です。

「ハハハ! 愚かな猿め! 貴様の狙いは分かっている! 逆鱗だろう? だが残念だったな! 竜の始祖たる俺がそのようなあからさまな欠点をそのままにしておくと思ったか?」

 逆鱗とはその名の通り逆さに鱗が生えている部位のことで、どんな飛竜にも必ず存在します。
 あらゆる物理、魔法攻撃の耐性を持つ竜の鱗でありながら、まったくと言っていいほどに防御力を持たず無防備である逆鱗は、見た目にも一目で分かる程に目立つ弱点のはずでした。ですが――

「逆鱗が――ないだと!?」

 ルクとの距離を離されないように飛翔しながら、ヘカーテ様が驚愕の叫び声をあげます。
 そう、ルクの喉元には鱗が逆に生えている部位などどこにも存在しませんでした。
 魔眼によって魔力による防護を取り払われている以上、まやかしなどではなく、それは体皮としてそういう構造になっているのでしょう。

「希望は潰えたか? 心は砕けたか? 貴様らの命、国、世界。そのすべては今日、俺の手によって終わりを告げる。さあ絶望に打ちひしがれるがいい猿共! ハハハハ――」
「何を言っているのかさっぱりですが――しっかり見えておりますわよ? 貴方の弱点げきりんは」
「……は?」

 間の抜けた声をお出しになって。
 まさか私が確信もないのにただ一縷の望みに賭けて突撃を敢行したとでも思ったのでしょうか。

「魔力による防御があってもなお、創造神の加護による一撃を弱点に受けては再生しきれなかったようですわね」

 ジュリアス様は私に言いました。『目印はつけたぞ』と。
 その時に私はすぐに思い至りました。ジュリアス様が放ち、ルクに通った唯一の攻撃。
 パルミアの愛の光。それがルクを打倒するための目印になっているのだと。
 そしてそれはルクの喉元が垣間見えた時に、目を凝らせばすぐに分かりました。
 いつか見たパルミアの槍の先端のように、十字に裂けた傷痕がわずかに残っていたのを。

「馬鹿な! いくら創造神の加護による攻撃とはいえ、隠した逆鱗の位置を正確に打ちぬくなど猿ごときには不可能なはずだ!」
「貴方はご存じないでしょう。どんなまやかしすらも見通して、千里先の標的をも射貫くことができる狩人の目を持つ人間が、この世界には存在するということを」

 背後に視線を向ければそこには飛竜にまたがったレオお兄様の姿がありました。
 両目からは血涙が滴り、苦痛にゆがむ顔でなお、私の身を案じてか心配そうな顔でこちらを見ております。
 傷ついた両目の原因は、魔力に覆われたルクの身体を無理やり魔眼で見通した反動でしょう。
 あの時――ジュリアス様がパルミアの光を放つ横で、レオお兄様が千里眼の加護を使っていたことには気が付いておりました。
 それがまさか、隠された逆鱗の位置を見定めていたなんて思いもしませんでしたが。

「逆さに見えないように鱗に細工でもしたのでしょうか? そこまでして実際には存在する弱点をないと言い張るだなんて。貴方、大きな身体の割には存外に小心者ですのね? ふふっ」
「猿ごときが俺を笑うなあああ! この汚らわしい畜生があああ!」

 ヘカーテ様の背から飛び立ち、咆哮をあげるルクの逆鱗に拳が届く距離まで接近します。

「時よ、止まりなさい。クロノワの加護、タイムオブ――」

 とどめの一撃を叩き込むべく、加護を発動させようとしたその時でした。

「……また、ですか」

 急激に身体の奥底から力が抜けていきます。
 それと同時に意識が薄れていくのを感じました。
 加護が切れた……いえ、強制的に力を停止させられたのでしょう。

「最後の一撃の分は残しておいたはずですのに」

 こんなことができるのは――クロノワ様、貴方の仕業ですわね?
 魔族の力を借りた罰、とでも言いたいのでしょうか。
 最後の最後、溜まりに溜まったすべての鬱憤をようやく発散できるというこのタイミングで。

「たとえ神様だろうと、私のスカッとしたい気持ちを邪魔をするのであれば……」

 思い切り息を吸い込んで、お腹に力を込めます。
 弛緩していく全身の筋肉を引き締めて、砕けんばかりに歯を噛みしめました。

「もうそのような加護など要りません――おどきなさい、クソ神様……!」

 その瞬間、私の行動を戒めるように全身を満たしていた脱力感がスッとなくなりました。
 これでもう加護に頼ることはできません。でも、それでいいのです。

「神様の力でも魔族の力でもありません。貴方を打ち倒すのは――」

 左拳を再びあらん限りの力を込めて握り込みます。そして――

「ムカつくクソ野郎をただブン殴りたいという、にんげんいしですから――!」

 眼前にある隠れた逆鱗に向かって、思いの丈すべてを打ち込むように。
 拳を全力で突き上げました。

「ゴッ!?」

 拳が腕ごとジュリアス様がつけた目印である十字傷の中心にズン! と沈み込みます。
 ルクはビクン、と体を痙攣させると頭をもたげて空を仰ぎながら、白目を剥きました。

「はあ……やはりたまりませんわね。ムカつく方のお肉に容赦なく拳を叩き込むこの感覚」

 ゆっくりと拳を引き抜くと同時に、ルクの身体を踏み台にしてさらなる上空へ飛び上がります。
 ルクはそのままガクンと首を後ろに倒すと仰向けの状態で地上に向かって落下を始めました。

「落ちるぞ! 全員離れろ!」

 竜騎兵の誰かが叫ぶと、ルクを囲っていた皆様が一斉に散開します。
 そんな中、ルクを見下ろす形で落下している私は、頭上に向かって腕を突き出し叫びました。

「――風よ、疾く出で吹き荒れよ!」

 風の魔法によって追い風を受けた私の身体は、急激な勢いで地上に落下します。
 それにより遥か下まで落下していたルクとの距離はあっという間になくなりました。

「拳一発で十分と言いましたね。あれは嘘です。貴方程の悪党が一発ブン殴られるだけで許されるだなんて……そんな甘い話はないでしょう?」

 皇宮の隅にある庭が真下に見える地上十メートル。
 そこでついにルクに追いついた私は――

「地に頭を付けて反省なさい――千年先まで」

 落下の速度をすべて乗せた左拳を、トドメとばかりに喉元の逆鱗に叩き込みました。
 ズシン! と肉を穿つ重い打撃音を立てて拳が逆鱗の中心を貫きます。

「はあああ……っ!」

 そして私は逆鱗に腕を突っ込んだまま、ルクの身体を地面に向かって叩きつけました。
 ドーン! と激突音が鳴り響き、周囲の地面がグラリと揺れます。
 それと同時に、強大な質量の物体が地上に叩きつけられたことにより、地面が砕けて土塊と土煙が巻き起こりました。

「……カーレット! スカーレット!」

 土煙で不明瞭な視界の中、周囲から皆様の声が聞こえました。
 それに続いてこちらに向かって駆け寄ってくるたくさんの足音が聞こえてきます。
 どうやら落下した衝撃により、数十秒程意識が飛んでいたようです。

「大丈夫ですよと答えたいところですが、その前に――」

 仰向けに倒れたまま最早ピクリとも動かなくなったルクの喉元から手を引き抜きます。
 加護も魔力もすべてを使い切り、全力を振り絞ったせいでしょう。
 徐々に薄れていく意識の中、私はたくさんの竜が舞う空を見上げながら万感の思いを込めて言いました。

「はぁ――スカッとした」
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