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竜帝国編

3-66

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 突然消えた魔法陣に、皆様が上空を見上げながら目を見開いて驚きます。

「一体何が起こったのだ……?」

 呆然とした表情でレオお兄様がつぶやきました。
 その隣でジュリアス様が私を見ながらやれやれと呆れたように。
 しかし、どこか楽し気な表情で肩をすくめます。

「そのふざけた密度の魔力を放っている右眼……いかにして手にしたのかは知らんが、またかの狂犬姫に新しい二つ名が付きそうだな」
「うむ! さしづめ魔眼の殺竜姫といったところか!」
「勝手におかしな二つ名の話で盛り上がらないでくださいますか? 二人共殴りますよ」

 ジュリアス様と便乗してきたアルフレイム様に笑顔で撲殺宣言をします。
 さて、魔法陣を打ち消してなんとか時間は稼げましたが、肝心の空を駆け上がる翼であるヘカーテ様のご様子はどうでしょうか。

「……貴様のその眼。魔に連なる者……それも上級魔族に力を借りたな?」

 少々疲労はしているものの、随分と顔色が良くなったヘカーテ様が私を睨みながら言いました。

「愚かなことを。あれだけの大量の魔法陣を一瞬にしてすべて消し去る程の魔眼だ。代償は計り知れぬぞ」
「そうですわね。身元も良く分からない不審な方と友人になるという大きな代償を支払いましたわ」
「は?」

 怪訝な表情をするヘカーテ様に微笑みで返します。
 与太話はこれくらいにして、本題に入るとしましょう。

「ヘカーテ様。ルクを倒すために今回限り、たった一度で構いません。その背に私を乗せては頂けませんか?」

 私のお願いにヘカーテ様は眉をひそめて露骨に嫌そうな表情をしました。
 しかし今の状況を鑑みて、ルクを倒すためにはそれしかないと判断したのでしょう。
 諦めたようにため息をついて言いました。

「……貴様は憎たらしいがこの国を守るためじゃ」

 ヘカーテ様の体から湯気のような煙が沸き立ち、少女の体が大きな黒竜へと変化します。

「――妾が貴様の翼になってやる」

 竜となったヘカーテ様が私に乗れと言わんばかりに背を見せました。
 私が背に飛び乗ると、ヘカーテ様は翼を広げて空へと飛び立ちます。

「それでは皆様、あの空飛ぶ紫クソトカゲをブッ飛ばしに行って参ります」

 地上で私達を見上げて、必死な表情で「うおおお!」だとか「ずるーい」だとか「スカーレットォォオ!?」だとか、なにやら楽し気に叫んでいる皆様にご挨拶を。
 見たところナナカと共にレックスも気絶から目覚めていたようなので、後ほど誰かしらが私に加勢するために追いかけてくるでしょう。ですがそうはいきませんわ。

「ここまで散々殴りたい欲を煽ってくれたのですもの。他の誰にもあのクソトカゲのお肉は渡しません」
「おい貴様。今何かとんでもなくふざけたことを口走らなかったか?」

 あら失礼。声に出てしまっていましたわね。

「冗談はさておき、ヘカーテ様。ルクの頭の正面につけられますか?」
「できぬことはないが、あれの前に止まるなどそれこそ自殺行為じゃ。なにか策があるのであろうな」
「もちろん。とっておきの物がございます」
「……一度背に乗せると決めたのじゃ、最早疑わぬ。信じるからな!」

 ヘカーテ様が翼で空を叩くと、ゴォッ! という風切り音と共に急加速しました。
 空高くに浮かんでいたルクの体が、接近していくに連れてみるみる大きくなっていきます。

「どこまでも目障りな猿共め。そんなに死に急ぎたいならその望み、今すぐ叶えてやるよ!」

 眼下まで迫ってきた私達にルクは大きく口を開きました。
 全長40メートルにも及ぶ竜の巨大な口の周りに、おびただしい数の紫電がバチッ! バチッ! と走り、凄まじい濃度の魔力が集中していきます。
 竜の吐息ドラゴンブレス――あれがもし一度でも放たれたならば、一息で私達はおろか地上にある皇宮ごと消滅してしまうことでしょう。ですが――

「――魔眼開放イビルアイ

 ルクの口内に集約されつつある強大な紫紺の魔力を右目で強く睨みつけます。
 渦巻のように回転しながら口の奥に流れ込み、吐き出される時を待っていた吐息ブレスの魔力は、私の魔眼の一睨みによって逆回転を始めました。

「この猿、また私の魔法を……っ!? 一体何なのだその眼は!?」

 狼狽するルクの叫び声に少し遅れて、逆回転していた吐息の魔力が霧散します。
 それと同時に私はヘカーテ様の背から飛び立ちました。

「出し惜しみはなしです。クロノワの加護“身体強化”。そして――」

 ルクの頭の正面に飛び出した私は、左足を弓を引き絞るように後ろに引いて加護を発動させます。

「これが私の全力全開、最大の一撃です――加速十倍アクセラレーションオーバーロード

 音速をはるかに超えて閃光と化した私の左足が、周囲の雲を吹き飛ばし、蒼穹を切り裂きながらルクの眉間に叩き込まれました。

「グギャアアア!?」

 爆発音のような凄まじい打撃音と共に、衝撃が伝播するように周囲の空気がゆがみます。
 蹴りを食らったルクは仰け反るように大きく身をよじって苦痛の絶叫をあげました。
 魔眼によって魔力を乱され、常に纏っている魔力による防御が消滅したのが大きかったのでしょう。
 初めてクソトカゲのお肉に渾身の一撃を叩き込むことができました。やりましたわね。

「っ!」

 限界を超えた十倍加速の反動で、体の節々が悲鳴を上げます。
 身体強化をしてもなお、この速度で動けるのはあと数回がいいところでしょう。
 その上、使用後は数秒間身体が硬直して無防備になるというおまけつきです。

「潰れろ猿がァ!」

 仰け反った身を起こし、ルクが尻尾を振り回して私を叩き潰そうとします。
 動けない私はその攻撃をなす術なく受けるしかなく――

「――何をぼうっとしておるか!」

 下から急上昇してきたヘカーテ様が前足で私を掴んで、そのまま雲の真上へと突き抜けます。 
 その直後、私達の残影を蹴散らすようにルクの尻尾が凶悪な風切り音と共に下方を通過していきました。

「ナイスキャッチですわ、ヘカーテ様」
「貴様はめちゃくちゃだ! 何の前触れもなくヤツの正面に飛び出しだしたかと思えば、突然動かなくなりおって! 妾が助けねば木っ端微塵になっておったぞ!」

 怒り心頭で鼻息をふすふすと噴き出すヘカーテ様に微笑みながら、真上からルクを見下ろします。
 私の蹴り足が炸裂した彼の眉間には今深い裂傷が刻まれておりますが、傷口の肉がうごめいているところを見るに、すぐに再生してしまうでしょう。

「面倒なお肉ですわね。やはりどこか弱点になる部位を一転集中でブン殴らなければ致命傷にはなり得ませんか」

 以前ガンダルフさんと戦った時に貸していただいた、相手の弱点を可視化する魔眼をもらえば良かったかと考えましたが、その場合は相手の膨大な魔力による魔法や吐息ブレスで詰みなのですよね。
 あちらを立てればこちらが立たず。あちらを殴ればこちらを殴れずですか。

「貴様! その眼をどこで手に入れた!」

 ヘカーテ様の前足で掴まれながら物思いに耽っていると、ルクが血走った眼で私の方を見上げて叫びました。
 当然敵である彼に教える義理などはありませんが、そもそも私もダンテさんのことは名前以外何も知らないのですよね。

「通りすがりの親切な方から頂きました」
「ふざけるな! そんな規格外の魔眼をただの猿ごときが持っているはずが――」

 何かに思い至ったのかルクが口を開けたまま硬直しました。

「そうか、分かったぞ。神の摂理すらも捻じ曲げる魔力支配の魔眼イビルアイ。そんな貴重な物をまるで挨拶代わりのように軽々しく譲渡する愚か者など、666の魔眼を持つあの男しかいない……!」

 グルル……と、憎々し気にルクが唸ります。
 魔眼を私に授けたのがダンテさんのことだと気が付いたようですわね。
 私が知らないだけであのお方、実は有名人だったのでしょうか。

「それはそうとヘカーテ様。お次はもう少し下から掬い上げるようなエグい角度で、ルクの顎下ギリギリまで近づいてくださいな」
「アホか! 死ぬわ!」

 ヘカーテ様の前足から背に再び飛び乗ります。
 それとほぼ同時に、ルクが巨大な翼を大きく左右に広げました。
 あれは……何をしようとしているのでしょう。
 もしや羽ばたいて私達と同じ位置まで昇ってくるおつもりで――

「妾の背から絶対に手を離すな!」

 ヘカーテ様が突然叫び声をあげます。
 その切迫としたご様子に、私は問いかけをやめて言われた通りに強くヘカーテ様の背にしがみつきました。
 その直後、ルクがこちらに向かって凄まじい勢いで翼をはばたかせます。

「グルァ!?」

 突風という言葉が生易しいほどの猛烈な勢いの風圧に、ヘカーテ様が苦悶の声をあげながら後方に吹き飛ばされます。
 上下左右が分からなくなるほどに空の上を高速で転がされた私達は、一瞬にして百メートル以上の距離を移動させられてようやく態勢を立て直すことができました。

「クソ……まるで災害じゃ……!」

 距離が離れて弱まってはいるものの、未だに前方から吹き付けてくる突風にヘカーテ様が毒づきます。
 ルクは翼のはばたきを継続して私達に風を送りながら、再び口元に魔力を集中し始めました。

「……困りましたわね。あれはもう私達には打つ手なしですわ」

 私のつぶやきにヘカーテ様が怪訝な声を漏らします。

「何を言っている? また魔眼で魔力の集中を乱せば良いであろうに」

 首を横に振ってヘカーテ様の言葉を否定した私は、その理由を実演するために右目の魔眼で遠くにいるルクを睨みつけます。
 しかしはばたきによる風圧により空気が歪んでいるせいで視界が曖昧になり、ルクの魔力の流れが辿れず魔眼は不発に終わりました。

「この通り、あのはばたきが継続されている以上、この魔眼は使えません。止めようにもそもそも風圧が強すぎて近づけませんし」
「馬鹿な……なんの技でも魔力でもない、たかが翼のはばたき程度で、何も手が出せぬというのか!?」

 圧倒的な質量による純粋な力押し。
 実際、こちらと相手の質量差が天と地程離れているこの状況下では、これほど厄介な物はありません。

「中々頭が回りますわね、あの紫クソトカゲ」
「褒めている場合か! 貴様が倒せると抜かすから妾は絶対に嫌だったのに背に乗せたのだぞ! なんとかせぬか狂犬姫!」

 ギャーギャーと怒りの咆哮をあげるヘカーテ様。
 あらあら。癇癪を起してしまわれましたわ。
 普段超然としているヘカーテ様にも子供らしいところがあるのですね。
 ふふ、かわいらしいですわ。

「正直な話、あのクソトカゲは私が一人で味わいたかったのですが、こうなっては致し方ありませんわね」

 突然、ルクの背後の方から爆発音が連鎖的に響き渡ります。
 今にも吐息を放とうとしていたルクは、ビクンッと体を震わせてはばたきを止めました。
 こちらからは彼の背景に広がっていく爆風しか見えませんが、どうやら背後から何者かによる攻撃を受けたようです。

「――後は皆様になんとかして頂きましょう」

 私のつぶやきに呼応するかのように、ルクの背後の空に浮かんでいる雲を割って、飛竜にまたがった一騎の竜騎兵が現れます。
 それは一騎、また一騎と数を増やしていき、千騎を超えてやがて空の一角を覆いつくす程の大軍になりました。
 その中心にはレックスの上で腕を組み仁王立ちするアルフレイム様がドヤ顔で立っております。
 彼は大きく目を見開くと、遠く離れている私達にまで聞こえるような大声で叫びました。

「ふーははは! 待たせたなスカーレット! ヴァンキッシュ帝国竜騎兵、全軍集結である!」
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