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15章 祈り(後)

47話 告解

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 わたくし、イリアス・トロンヘイムは、ミランダ教の司祭として女神への信仰を説いておりました。
 しかし同時に、私は光の塾の司教"ロゴス"でもありました。
 
 私が司教ロゴスとなったのは十数年前です。先代ロゴス――シモン・フリーデンにより、無理矢理押しつけられる形でその座に就きました。
 光の塾の"神"――ニコライ・フリーデンの教えには正義も正当性もなく、欺瞞ぎまんに満ちておりました。
 司教ロゴスを受け継ぎ実質的な権力者となっても私は過ちを一切正すことなく、先代ロゴスの遺言に従って信徒に狂った教えを説き続けました。
 矛盾を指摘する者は詭弁を弄して徹底的に説き伏せ、時には薬を用いて洗脳し、服従させました。
 信徒達の魂と肉体は、不死となった教祖ニコライに捧げました。
 ニコライを邪神もどきに仕立て上げ、後世にまで語り継がせることが目的でした。
 それはシモンの遺志であり、何より私の復讐でもあったのです。
 
 私は人をたくさん殺しました。
 ……どれくらい殺したかは分かりません。
 最初に殺したのは、幹部の人間達です。
 罪の意識はありませんでした。むしろ、胸がすく思いでした。足りないとすら思います。
 特に、フェリペ・フリーデンについては、許可なく勝手に死んだ事にいきどおりを覚えるほどです。
 
 また、私は2つの宗教で信仰を説く立場でありながら、そのどちらにも信仰を持っておりませんでした。
 私が信じるものは、私の"神"のみです。
 私は多くの者の心と体を傷つけ、踏みにじり、命を奪ってまいりました。
 全ては神のため、神が生きる世のため……。
 
 私の行動や思想は誰の目から見ても異常であり悪逆非道。
 私の犯した罪は、死をもってしても決してあがなうことのできないもの。
 私は私の罪を知っております。ですが、ここまで告白をしても罪の意識は欠片ほども芽生えません。
 
 この罪の意識の無さこそが、私の罪でありましょう――。
 
 
 ◇
 
 
「…………」
 
 全てを告白し終えたが、シリルからの返答はない。
 衝立ついたて越しにシリルの"樹"が歪に変形していくのが視える。
 怒り、失望、忌避感――そういった感情を示す枝葉がたくさん飛び出している。
 しかし、それと同時に悲哀や憐憫れんびんといった感情も視える。
 この期に及んで、何を悲しみあわれむことがあるだろうか。
 
 ――僕が今いる場所は、シリルの執務室兼応接室。
 僕は応接のソファに腰掛け、シリルは衝立の向こうにある自分の執務机に腰掛けている。お互いの顔は見えない。
 通常、このような告白は「告解室こっかいしつ」で行う。
 シリルも最初はそこに通そうとしたが、別の場所にしてくれと頼んだ結果ここに通された。
 ――正直言って、居心地が悪い。
 壁に、子供が描いたであろうシリルの似顔絵や手紙がいくつも貼ってある。
 そういうものに囲まれながらあのような告白をするのは、気分がいいものではない。
 だがそれでも、告解室よりはマシだ。
 告解室は狭い。あの閉塞された空間に入ることを考えるだけで吐き気がしてしまう。
 
「…………イリアス・トロンヘイム、君」
「!」
 
 衝立の向こうから声が聞こえる。
 告白のあとは司祭の話、そして"ゆるし"がある。
 赦しなどは不要だが……しかしこの告白のあとにシリルがどういうことを言うかは興味がある。
 
「君の言う、"神"とは……一体、どういったものでしょう」
「…………」
 
 数週間前、セルジュにも同じ事を聞かれた。
 神は神だ。言ったところで誰も理解できない。理解をする必要もないが……。
 
「……在りし日の、自分自身です」
「自分、自身……?」
「そうです。……私の名はイリアス・トロンヘイム。32年前、ノルデンの港町で生を受けました。父は造船技師であり、船舶の設計士でもありました。妹がおりましたが、生まれて間もなく、母とともに亡くなりました。……それらはただの情報であり、私の記憶ではありません。イリアスという少年の心は、光の塾の苛烈な拷問によって粉々に砕かれたのです。無垢なる少年イリアスこそが、私の神。私は彼にこの身を返すことだけを考え、複数の自分を演じながら世を渡り歩いてまいりました」
「…………」
 
 シリルはまた黙り込む。
 衝立の向こうにある樹がグネグネとうごめいているのが視える。
 あれだけ混じり合ってしまうと、どういう感情なのかこちらにも判別できない。
 
「……私は、司祭イリアス・トロンヘイムの善き行いを知っております」
「!」
「私の知る司祭イリアスは、優秀で、物腰は柔らかで、誰にでも優しく親切でした。司祭イリアスの魔法と優しさに救われた者は確実におります。たとえそれらが、演技であったとしても」
「…………」
「……天秤があります。人の行いを測る天秤です」
「天秤……?」
「貴方は善き行いをしてきました。ですが、貴方の悪しき行いは、はかりの皿に乗せきれないほどに多く、大きく、そして重い。少し乗せれば皿を吊っている鎖が千切れ、天秤としての用を為さなくなってしまうでしょう。……貴方を測る天秤は存在しない。それほどまでに、貴方の業は重い」
「…………」
「私が思う、貴方の最大の罪をお伝えします」
「最大の罪……?」
 
「はい」と言って、シリルが息を大きく吸い込む。
 シリルの樹の幹に浮き上がっていたこぶがいくつか鎮まっていった。……あれは一体、どういう心の動きを示すものだろう?
 
「貴方の罪は、人を信じなかったこと」
「…………」
「貴方の神は、少年時代の貴方自身……。私はそれを否定しません、信仰は自由ですから。……しかし貴方は、何より信じるべきもの――"人の心"を信じず、見ようとしなかったのではありませんか。貴方が絶望している時……貴方の周りには誰もいませんでしたか? さしのべる手は、全くありませんでしたか? ……司祭イリアスを信じ、感謝する者もいたことでしょう。その方達のことは、全く見えませんでしたか?」
「…………見えませんでした。なかったことにしなければいけませんでした。私にとって、人を信じるということは犯しがたい罪悪であり、恐怖でもあったからです」
 
 ――信じたいものがあった。信じたい人がいた。
 しかし、それは過ちであると証明された。
 人の裏切りを見た。自分を救い、敬愛してきた人間に打ち棄てられ、心を壊される瞬間を。
 どれだけ信じても人は裏切る――あの真実を打ち破れるものはこの世に存在しなかった。
 神以外の者を信じるということは、あの"自分探し"のように、終わりの分からない暗闇に身を投じることに等しかった。
 人を信じれば、神がいなくなると思った。唯一絶対の、僕だけが存在を知る、無垢なる少年の心が――。
 
「……シリル様、私に赦しは不要です。このような話を聞いていただき、ありがとうございました」
「…………」
 
 強制的に話を切り立ち上がる。そろそろ行かなければいけない。
 シリルの反応はない。しかし部屋の扉を開けるところで、後ろから「イリアス様」と呼び止められた。
 
「……そのような呼び方はふさわしくありません」
「なぜ……誰にも助けを求めなかったのですか。それほどまでの力と才能を持ちながら、なぜ貴方は……」
「シリル、君はやはり本物の司祭だな。ここへ来ても、僕を人間として見ようとしている。人間として、最後に君と話ができてよかった。……ありがとう、さようなら」
「どちらへ……行かれるのです」
「この僕の最期にふさわしい場所。――憎悪がひしめき合う、あの森の中へ……」
 
 
 ◇
 
 
 シリルに別れを告げ、僕は最後の準備を始めた。
 ――準備と言っても、何か計画を立てるわけではない。時渡りの術のように、大がかりな施設や生け贄を用意する必要もない。
 用意するものは、ひとつだけ。この肉体に宿る最強の魔器ルーンを、取り出し――。
 
「ぐ……!」
 
 最強の魔器――それは眼球。持ち主が生まれ出でた瞬間からずっと世界を映し続けてきた。
 闇しか映さなくなったこの赤い眼は、特に高い魔力を誇る。
 
 ――不思議だ。
 眼をえぐり取って血がボトボトと流れているのに、痛みを感じない。
 右側には眼球が存在しないはずなのに、視界は狭まっていない。今までと変わらない世界が確かに映っている。
 額の紋章の力だろうか?
 
(紋章……ああ、そうか……!)
 
「そうだ、神の力だ! 神様が僕に、最後の力を……! ふふふっ、あははははっ……!」
 
 ――やはり神様はいらっしゃった。
 
 この赤い眼と、紋章……神の力。
 これさえあれば僕は何だって出来る。
 
 どこへだって、行ける――……!
 
 
 ――――――………………
 ――――…………
 ――……
 ……
 
 
 
 宣言したとおり、転移魔法でセルジュ・シルベストルの元へ飛んだ。
 目の前には、壁一面を覆うほどの巨大なステンドグラス――どこかの教会か、礼拝堂のようだ。
 
 ――この僕を、ミランダ教の女神の前で裁く気か。随分と皮肉が効いている。だが、それもいいだろう――。
 
「……ひっ……!?」
「フランツッ!!」
 
 僕のそばに立っている少年が、転びそうになりながらセルジュの元へ駆け寄り、セルジュは少年を自分の背に隠す。
 辺りを見回してみるも、"樹"はセルジュと少年のものしか見当たらない。

 ――なぜだ。なぜ、奴らはいない?
 
「……やあ、セルジュ君」
「イリアス……トロンヘイム……!」
「……覚えていて、くれたんだ。嬉しいよ、本当に……ふ、ふ……」
「な、なぜ……」
「ねえ、セルジュ君。僕はこの前、ジャミル君に、言伝ことづてを……、お願い、していたんだけれど……。聞いてくれて、なかったかなあ……? 君を殺しに行くって、大事な用事を、伝えて、いたのに……まさか、その、子供が、護衛っていうんじゃあ、ないよねえ……?」
 
 少年が歯をガチガチと鳴らしながらセルジュにしがみつく。
 少年の足元に生えた恐怖の"樹"が、爆発的に成長していく。
 
(目障りだ……!!)
 
 ――何を守られているんだ。何故守られているんだ。
 どれだけ苦しんでも、怯えても、泣いても、僕を助ける者は現れなかったのに。
 セルジュも目障りだ。この男の樹は出会った時からずっと同じだ。この非常時でも変わりはない。
 正しく、強い。勇気がある。疑っているのに信じようとする。
 その心を一度として踏みつけにされることなく、栄光の道だけを進んでいる。
 
 神が……少年イリアスが歩むかもしれなかった道を、何の苦労もなく歩いている!!
 
 許せない。
 
 ……殺してやる。
 
 殺してやる……!!
 
「まったく……。せっかく、憎むべき悪を、演じてやろうと、思ったのに。ギャラリーが、多い、方が、映えたのに、なあ……。でももう、いいか……」
 
 目を閉じて、紋章と左手に持った眼球を光らせる。
 ――手が熱い。力がみなぎる……!
 
「死んでくれよ、セルジュ君。僕の、神のために……!」
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