356 / 385
15章 祈り(後)
41話 柘榴と葡萄
しおりを挟む
「『お前は誰だ』……か。難しい問いだな。一応、イリアス・トロンヘイムという呼び名はあるけれど」
天を仰ぎながら、イリアスと名乗った男がつぶやく。
笑顔や口調からして、今度の奴はずいぶん穏やかな人格のようだ。
セルジュ様の前、そしてモルト山のアントン一家の前に現れたという「優しい司祭」は、もしかしてコイツだろうか……?
「ふふ……」
「!」
男がオレの眼を見て愉快そうに笑う。
――まただ。
結局コイツも食わせ者だ。無事なのはよかったが、もういい加減にしてほしい。
「笑ってんじゃねえよ……」
「だって、おかしいじゃないか。どうして僕を心配するんだろう。死んだら清々するはずなのに……君はおかしな"ヒト"だなあ」
「うるせえ、何が"ヒト"だ。下らねえ言葉で人間を括ってんじゃねえよ」
「ふふ、その通りだね。……ねえ、ジャミル君」
「あ?」
「君に、聞きたいことがあって」
「…………、何だよ。殺す・殺さないの話なら、もうこりごり――」
「違うよ。ねえ、もし君の命があと2、3日で終わるとして……。君なら最後に何をする?」
「え……?」
「僕はずっと、ヒトの樹を見てきた。樹に合わせて自分を演出してきた。……けれど、自分の樹は見えない。"僕達"には、神をこの身に呼び戻すこと以外に望むことがない。死期が迫った今、何を望むのか……自分の心が分からないんだ」
「………………」
もしも明日世界が滅ぶとしたら。
あと数日で命が尽きるとしたら、何をする?
――酒の席なんかで出そうな話だ。 本当に死ぬわけじゃないから、みんな本気で考えない。ふざけたことを言って笑いをとったりする奴もいるだろう。
だが、目の前の男は本当に死ぬ。 あと2日だ、明後日にコイツの寿命は尽きる。
死に際して、自分がしたいことが分からない。
この問いにオレが何か答えたら……そうしたらコイツは、 その答えと同じことをするのだろうか。
――重い。
いい加減な答えは返せない。
たとえば明日死ぬとしたら、最後に何をする?
そうだ、オレが闇に堕ちかかった時は何を望んでいた?
「もういい」とか、「楽になりたい」以外に、何を……。
「…………せ、世話になった人に会って、料理を振る舞う」
「……料理?」
「そう。それで、なんでもない話をして、色々礼言って別れて……最後は、自分の家で自分の好きなもん作って食って寝るんだ」
「……ふぅん」
興味なさげに返事が返ってきて、顔が熱くなってしまう。
――真剣に考えて答えたつもりだが、「世話になった人に料理を振る舞う」「好きな物を食べる」なんて、コイツには全く関心のないくだらないことだったか……。
イリアスはしばらく虚空を見つめていたが、しばらくしてからオレに視線を戻し、「それじゃあ」と口を開いた。
「……僕も何か食べることにしようかな」
「え?」
「君の職場は酒場だったよね。何か食べ物を持ってきてよ」
「……は!?」
「この建物は、酒場だよね?」
言いながらイリアスが後ろの壁をコンコンと叩く。
「……そうだけど」
「じゃあ」
「『じゃあ』じゃねえんだよ」
「ここは君が作りだした空間だ。僕はここを動けないけれど、術者の君は自由に出入りできる。そういうわけだから、頼んだよ」
「そういうことじゃ――」
「ここ数日何も食べていなくて、お腹が空いたんだ。……料金は支払うから」
「………………」
そんなことを言われたら、何も言い返せない。
そもそも「死ぬ前に好きなものを食う」と発言したのはオレだ……。
「……何がいいんだよ。もう店閉まってるし、大したモン出せねえぞ」
「そうだなあ。……ぶどうが食べたい」
「ぶどう?」
「そう。……好きなんだ。季節じゃないかなあ……」
「…………。ちょっと待ってろ」
そう言うと、イリアスは嬉しそうにニコリと笑った。
――今までで一番、調子が狂う。
カイルやグレンが苛立っている気持ちが分かった。
コイツも気持ちを持ったひとりの人間だなんて、知りたくなかった……。
◇
「……ほら」
「ありがとう。手拭きまであるんだ、さすがだね」
ぶどうの載った皿と手拭きをイリアスに渡した。
皿を受け取ると、イリアスは粒をプツリとちぎり口に含んだ。
「…………」
イリアスが言った通り、闇に向かって2・3歩踏み出すと、いつもの通りのポルト市街だった。
酒場の時計を見ると、オレが退勤してから5分も経っていなかった。
……要するに、この閉ざされた空間では時間が進んでいない。
「美味しいなあ。闇に堕ちていても食べ物を美味しいと感じるんだね」
「……そうか」
「……そうそう、また、シモンの話なんだけど――」
「え?」
――まだその男の話をするのか。
さっきコイツは「シモンに精神支配を受け続けた」と言っていた。「許さない」とも。
シモンが死んでから相当の年月が経っているはず……憎みながらも、今もその支配から脱却できていないのだろうか?
「あの男、ザクロが好きでねえ」
「……ザクロ?」
「そう。"試練"の定期報告であの男の執務室に行くと、テーブルに必ずザクロが載っていて、それを食べながら進捗を聞くんだ。一粒一粒ちぎって口に含んで……その食べ方が汚くてね、嫌いだったなあ……果汁で手が赤くなって、それを時々舐め取りながら笑うんだよ」
「…………」
「僕が『ザクロが好きなのか』と問うたらニタリと笑って『不揃いの粒がところ狭しとギッシリ詰まっているのが歪な人間社会みたいで美しい』なんて返してきて……気色悪かったなあ……。"ロゴス"をやるときは、あいつの言動や仕草をずっと真似していたよ」
そう言うとイリアスはまたぶどうの粒をちぎって口に含み、果実を吸い、飲み込む。
皮を皿に置き、手拭きで指についた果汁を拭き取ると「それでね」とまた口を開く。
「あの男から"ロゴス"を受け継いだ時に、記憶も一緒に引き継いでしまったんだけど……。その中に、ザクロの思い出もあったんだよ」
イリアスはぶどうをひとつ、またひとつ口へ運ぶ。時折手と口を拭い……その合間合間にシモンの「ザクロの思い出」が語られる。
――ある秋の日、シモンはニコライ先生と"兄弟"とともに山へ遠足に行った。
道中シモン達は、群生したザクロの木を見つける。
実を食べてみたくなったシモンは、兄弟と協力して実を採り食べた。
頑張って採ったザクロは酸っぱくて甘くて、とてもおいしかった。
優しいシモンは「ここにいないみんなにも分けてあげたい」と思い、また木に登ってたくさん採り、おみやげに持って帰った。
孤児院のシスターがそれをジュースやゼリーなどに加工してくれて、それもまたおいしかった。
シモンにとってザクロの実というのは家族との温かい日々、幸せの象徴だった。
しかし時が流れ"真理"に生まれ変わったシモンは、その思い出ごと忘れてしまう。
それはニコライ先生、そして兄弟のパオロやフェリペ達も同様。
シモンは失われた。彼に関わる思い出も歴史も消えた。全ては、意識の海の底の底へ――。
「……記憶が消え、贅を尽くした料理の味を覚えても、シモンは変わらずザクロを食べ続けた。何の加工もしない、ただのザクロをね。ザクロを食べることで、無くした思い出を貪っていたのかもしれない。……ふふ、馬鹿みたいだよねえ」
「…………」
「僕がぶどうを好きなのも、それと同じことなのかもしれない。……僕は一体、何を求めて、何を貪っているんだろうね……」
――何も返すことができなかった。
イリアスもそれきり何も言わなくなってしまう。
黙々とぶどうをちぎり、口へ運ぶ。
無くした"何か"を、貪り続ける――。
◇
「……ごちそうさま、おいしかったよ」
手拭きで果汁をぬぐい、イリアスはニコリと微笑む。
「代金はいくらかな?」
「別に――」
「払うと言ったのだから、払うよ。受け取ってもらいたい」
言いながらイリアスは懐から財布を取り出す。ブランドものの、いい財布だ。
「……5000リエール」
「ちょっと高いね」
「季節じゃねえから、入荷とか保存に金かかってんだ。元々高いやつだし」
「なるほど。それじゃあ、はい」
イリアスが財布から紙幣を1枚抜き、こちらへ差し出した。
今アイツはウィルの術のせいで動けない。だからオレがアイツの方へ行って受け取ってやらないといけない。
「…………確かに」
紙幣を受け取り、ポケットにしまう。
ついでに……と手拭きとぶどうの皿を持って立ち上がると、イリアスが「意外だったなあ」と言って笑った。
「……何が」
「注文してから今まで、君の樹には何の"策謀"もなかったから」
「策謀?」
「そう。ぶどうや手拭きに毒が仕込まれていても、ぶどうが悪い物であっても、受け入れようと思っていたのに」
「ば……馬鹿にすんなよ! オレは料理人だ、そんな、食い物を冒涜するようなマネ、するわけねえだろ!」
「そうか。……なるほど」
「それに、うちの店は客にマズい料理なんか出してねえんだよ!」
「……客……?」
イリアスが心底驚いたように目を見開きこちらを見上げてきて、すぐに破顔し大きな笑い声を上げる。
「ふ、ふふっ、ははっ、あははは……」
「な、なんだよ」
「ごめんね、だって……おかしいじゃないか。君が僕のことを客だなんて……ふふふ」
「…………」
自分の仕事と職場を馬鹿にされたようでムカッときて言い返してしまっただけだが、確かにその通りだ。
誰に何を言っちまったんだ、オレは。ダメだ、顔が熱くなってくる……。
「!」
ふいに、背中に温かさを覚える。
何かと思うよりも先に、後ろからまばゆい光が射し込んできた。朝の街の光だ――それと同時にウィルが地面から飛び立ち、オレの肩へ。
イリアスが陽光に目を細め、左手で目元を覆い隠す。ちぎれて落ちたはずの左手だ――黒い革手袋を装着しているから中身は見えない。
「……よく分からないけれど、解放されたのかな」
そうつぶやくと同時にイリアスは目を閉じ、額の紋章を光らせた。
光は数秒で止んだ。覆っていた手をどけゆっくり目を開けると、灰色の瞳が姿を現す……。
「…………」
小さく溜息を1つ吐いてからイリアスは「さて」と立ち上がる。
こんな時でも身なりは気になるようで、服についている土を払っている。
「じゃあ、僕は行くよ」
「ど、どこへ……行く気だ」
「どこにも。ヒトの樹を見ながら街を散歩するだけさ」
「…………」
「さようならだね、ジャミル君。……次に会うときは、敵同士だよ」
「え……?」
「君の隊長と弟君に伝えておいてよ。……2日後だ。僕は聖銀騎士団長セルジュの命を獲りに行く」
「なっ……なんで――」
「彼が頑張ってくれたおかげで僕の計画が台無しになったからねえ、一矢報いてやりたいのさ。……どうせ一緒にいるんだろう? 勝敗関係なく、そこを僕の終わりの場にする」
「わ……分からねえ。なんでだよ? お前もう、寿命が迫ってんだろ!? そんなことして一体何になるってんだ――」
「慈悲だよ」
「慈悲……?」
「そう」と笑いながらイリアスがオレの肩に手を置き、グッと握力を込める。灰色に変えたはずの眼が、再び赤い光を放つ――。
「憎悪の対象が、勝手に死ぬ。これほど苦しいことはない。僕は憎むべき"悪"を演じてやるから、遠慮無く命を刈り取るがいい。だが、そう簡単に死ぬつもりはない。こっちも全員殺す気でいくから、死ぬ覚悟でかかってくることだ……!」
そこまで言い切るとイリアスは紋章を光らせ、眼の色を再度灰色に染めた。
「…………」
――ダメなのか。
どうやっても、殺し合いをするしかないのか。
コイツは死ぬ覚悟を、殺される覚悟を決めた。
オレも、覚悟をしなければいけないのか……。
「ああ、そうそう。最後に……」
言いながらイリアスは左手の平を上に向け、その手に杖を出現させた。
「……?」
出現した杖は、黄色い宝玉が埋まった簡素な造りの杖。
魔術を覚えたての人間が持つような安物だ。コイツくらいの術師が持つにはあまりに不相応な代物だった。
それをこちらに向け、イリアスが目を閉じる。杖は黄色い光を放ち――。
「っ……!?」
攻撃されるのかと思い咄嗟に目を閉じて身構えたが、何の衝撃もやってこない。
その代わり、さっき壁に打ち付けた左手の痛みがじわじわと引いていく……。
「えっ……」
「けっこう時間がかかったな。折れていたのかもしれないね」
「な、治したのか……? なんで」
「未来を作る手なんだろう? 大切にしなければ。……僕は、モノを作る人間には特別に敬意を評しているんだ。どの自分も、それは変わらない」
「……イリアス」
「それじゃあ、失礼するよ」
杖をカツカツとつきながら、イリアスが街へ出て行こうとする。
「……ジャミル君」
「!」
「…………ありがとう」
こちらを振り向くことなくそう言い、イリアスは去って行った。
もうあの男と、人間として対峙することはない。
次に会う時、奴は憎むべき"悪"。
それが演技だろうが本気だろうが、変わらない。
つかむべき未来は、あの男の屍の先――。
天を仰ぎながら、イリアスと名乗った男がつぶやく。
笑顔や口調からして、今度の奴はずいぶん穏やかな人格のようだ。
セルジュ様の前、そしてモルト山のアントン一家の前に現れたという「優しい司祭」は、もしかしてコイツだろうか……?
「ふふ……」
「!」
男がオレの眼を見て愉快そうに笑う。
――まただ。
結局コイツも食わせ者だ。無事なのはよかったが、もういい加減にしてほしい。
「笑ってんじゃねえよ……」
「だって、おかしいじゃないか。どうして僕を心配するんだろう。死んだら清々するはずなのに……君はおかしな"ヒト"だなあ」
「うるせえ、何が"ヒト"だ。下らねえ言葉で人間を括ってんじゃねえよ」
「ふふ、その通りだね。……ねえ、ジャミル君」
「あ?」
「君に、聞きたいことがあって」
「…………、何だよ。殺す・殺さないの話なら、もうこりごり――」
「違うよ。ねえ、もし君の命があと2、3日で終わるとして……。君なら最後に何をする?」
「え……?」
「僕はずっと、ヒトの樹を見てきた。樹に合わせて自分を演出してきた。……けれど、自分の樹は見えない。"僕達"には、神をこの身に呼び戻すこと以外に望むことがない。死期が迫った今、何を望むのか……自分の心が分からないんだ」
「………………」
もしも明日世界が滅ぶとしたら。
あと数日で命が尽きるとしたら、何をする?
――酒の席なんかで出そうな話だ。 本当に死ぬわけじゃないから、みんな本気で考えない。ふざけたことを言って笑いをとったりする奴もいるだろう。
だが、目の前の男は本当に死ぬ。 あと2日だ、明後日にコイツの寿命は尽きる。
死に際して、自分がしたいことが分からない。
この問いにオレが何か答えたら……そうしたらコイツは、 その答えと同じことをするのだろうか。
――重い。
いい加減な答えは返せない。
たとえば明日死ぬとしたら、最後に何をする?
そうだ、オレが闇に堕ちかかった時は何を望んでいた?
「もういい」とか、「楽になりたい」以外に、何を……。
「…………せ、世話になった人に会って、料理を振る舞う」
「……料理?」
「そう。それで、なんでもない話をして、色々礼言って別れて……最後は、自分の家で自分の好きなもん作って食って寝るんだ」
「……ふぅん」
興味なさげに返事が返ってきて、顔が熱くなってしまう。
――真剣に考えて答えたつもりだが、「世話になった人に料理を振る舞う」「好きな物を食べる」なんて、コイツには全く関心のないくだらないことだったか……。
イリアスはしばらく虚空を見つめていたが、しばらくしてからオレに視線を戻し、「それじゃあ」と口を開いた。
「……僕も何か食べることにしようかな」
「え?」
「君の職場は酒場だったよね。何か食べ物を持ってきてよ」
「……は!?」
「この建物は、酒場だよね?」
言いながらイリアスが後ろの壁をコンコンと叩く。
「……そうだけど」
「じゃあ」
「『じゃあ』じゃねえんだよ」
「ここは君が作りだした空間だ。僕はここを動けないけれど、術者の君は自由に出入りできる。そういうわけだから、頼んだよ」
「そういうことじゃ――」
「ここ数日何も食べていなくて、お腹が空いたんだ。……料金は支払うから」
「………………」
そんなことを言われたら、何も言い返せない。
そもそも「死ぬ前に好きなものを食う」と発言したのはオレだ……。
「……何がいいんだよ。もう店閉まってるし、大したモン出せねえぞ」
「そうだなあ。……ぶどうが食べたい」
「ぶどう?」
「そう。……好きなんだ。季節じゃないかなあ……」
「…………。ちょっと待ってろ」
そう言うと、イリアスは嬉しそうにニコリと笑った。
――今までで一番、調子が狂う。
カイルやグレンが苛立っている気持ちが分かった。
コイツも気持ちを持ったひとりの人間だなんて、知りたくなかった……。
◇
「……ほら」
「ありがとう。手拭きまであるんだ、さすがだね」
ぶどうの載った皿と手拭きをイリアスに渡した。
皿を受け取ると、イリアスは粒をプツリとちぎり口に含んだ。
「…………」
イリアスが言った通り、闇に向かって2・3歩踏み出すと、いつもの通りのポルト市街だった。
酒場の時計を見ると、オレが退勤してから5分も経っていなかった。
……要するに、この閉ざされた空間では時間が進んでいない。
「美味しいなあ。闇に堕ちていても食べ物を美味しいと感じるんだね」
「……そうか」
「……そうそう、また、シモンの話なんだけど――」
「え?」
――まだその男の話をするのか。
さっきコイツは「シモンに精神支配を受け続けた」と言っていた。「許さない」とも。
シモンが死んでから相当の年月が経っているはず……憎みながらも、今もその支配から脱却できていないのだろうか?
「あの男、ザクロが好きでねえ」
「……ザクロ?」
「そう。"試練"の定期報告であの男の執務室に行くと、テーブルに必ずザクロが載っていて、それを食べながら進捗を聞くんだ。一粒一粒ちぎって口に含んで……その食べ方が汚くてね、嫌いだったなあ……果汁で手が赤くなって、それを時々舐め取りながら笑うんだよ」
「…………」
「僕が『ザクロが好きなのか』と問うたらニタリと笑って『不揃いの粒がところ狭しとギッシリ詰まっているのが歪な人間社会みたいで美しい』なんて返してきて……気色悪かったなあ……。"ロゴス"をやるときは、あいつの言動や仕草をずっと真似していたよ」
そう言うとイリアスはまたぶどうの粒をちぎって口に含み、果実を吸い、飲み込む。
皮を皿に置き、手拭きで指についた果汁を拭き取ると「それでね」とまた口を開く。
「あの男から"ロゴス"を受け継いだ時に、記憶も一緒に引き継いでしまったんだけど……。その中に、ザクロの思い出もあったんだよ」
イリアスはぶどうをひとつ、またひとつ口へ運ぶ。時折手と口を拭い……その合間合間にシモンの「ザクロの思い出」が語られる。
――ある秋の日、シモンはニコライ先生と"兄弟"とともに山へ遠足に行った。
道中シモン達は、群生したザクロの木を見つける。
実を食べてみたくなったシモンは、兄弟と協力して実を採り食べた。
頑張って採ったザクロは酸っぱくて甘くて、とてもおいしかった。
優しいシモンは「ここにいないみんなにも分けてあげたい」と思い、また木に登ってたくさん採り、おみやげに持って帰った。
孤児院のシスターがそれをジュースやゼリーなどに加工してくれて、それもまたおいしかった。
シモンにとってザクロの実というのは家族との温かい日々、幸せの象徴だった。
しかし時が流れ"真理"に生まれ変わったシモンは、その思い出ごと忘れてしまう。
それはニコライ先生、そして兄弟のパオロやフェリペ達も同様。
シモンは失われた。彼に関わる思い出も歴史も消えた。全ては、意識の海の底の底へ――。
「……記憶が消え、贅を尽くした料理の味を覚えても、シモンは変わらずザクロを食べ続けた。何の加工もしない、ただのザクロをね。ザクロを食べることで、無くした思い出を貪っていたのかもしれない。……ふふ、馬鹿みたいだよねえ」
「…………」
「僕がぶどうを好きなのも、それと同じことなのかもしれない。……僕は一体、何を求めて、何を貪っているんだろうね……」
――何も返すことができなかった。
イリアスもそれきり何も言わなくなってしまう。
黙々とぶどうをちぎり、口へ運ぶ。
無くした"何か"を、貪り続ける――。
◇
「……ごちそうさま、おいしかったよ」
手拭きで果汁をぬぐい、イリアスはニコリと微笑む。
「代金はいくらかな?」
「別に――」
「払うと言ったのだから、払うよ。受け取ってもらいたい」
言いながらイリアスは懐から財布を取り出す。ブランドものの、いい財布だ。
「……5000リエール」
「ちょっと高いね」
「季節じゃねえから、入荷とか保存に金かかってんだ。元々高いやつだし」
「なるほど。それじゃあ、はい」
イリアスが財布から紙幣を1枚抜き、こちらへ差し出した。
今アイツはウィルの術のせいで動けない。だからオレがアイツの方へ行って受け取ってやらないといけない。
「…………確かに」
紙幣を受け取り、ポケットにしまう。
ついでに……と手拭きとぶどうの皿を持って立ち上がると、イリアスが「意外だったなあ」と言って笑った。
「……何が」
「注文してから今まで、君の樹には何の"策謀"もなかったから」
「策謀?」
「そう。ぶどうや手拭きに毒が仕込まれていても、ぶどうが悪い物であっても、受け入れようと思っていたのに」
「ば……馬鹿にすんなよ! オレは料理人だ、そんな、食い物を冒涜するようなマネ、するわけねえだろ!」
「そうか。……なるほど」
「それに、うちの店は客にマズい料理なんか出してねえんだよ!」
「……客……?」
イリアスが心底驚いたように目を見開きこちらを見上げてきて、すぐに破顔し大きな笑い声を上げる。
「ふ、ふふっ、ははっ、あははは……」
「な、なんだよ」
「ごめんね、だって……おかしいじゃないか。君が僕のことを客だなんて……ふふふ」
「…………」
自分の仕事と職場を馬鹿にされたようでムカッときて言い返してしまっただけだが、確かにその通りだ。
誰に何を言っちまったんだ、オレは。ダメだ、顔が熱くなってくる……。
「!」
ふいに、背中に温かさを覚える。
何かと思うよりも先に、後ろからまばゆい光が射し込んできた。朝の街の光だ――それと同時にウィルが地面から飛び立ち、オレの肩へ。
イリアスが陽光に目を細め、左手で目元を覆い隠す。ちぎれて落ちたはずの左手だ――黒い革手袋を装着しているから中身は見えない。
「……よく分からないけれど、解放されたのかな」
そうつぶやくと同時にイリアスは目を閉じ、額の紋章を光らせた。
光は数秒で止んだ。覆っていた手をどけゆっくり目を開けると、灰色の瞳が姿を現す……。
「…………」
小さく溜息を1つ吐いてからイリアスは「さて」と立ち上がる。
こんな時でも身なりは気になるようで、服についている土を払っている。
「じゃあ、僕は行くよ」
「ど、どこへ……行く気だ」
「どこにも。ヒトの樹を見ながら街を散歩するだけさ」
「…………」
「さようならだね、ジャミル君。……次に会うときは、敵同士だよ」
「え……?」
「君の隊長と弟君に伝えておいてよ。……2日後だ。僕は聖銀騎士団長セルジュの命を獲りに行く」
「なっ……なんで――」
「彼が頑張ってくれたおかげで僕の計画が台無しになったからねえ、一矢報いてやりたいのさ。……どうせ一緒にいるんだろう? 勝敗関係なく、そこを僕の終わりの場にする」
「わ……分からねえ。なんでだよ? お前もう、寿命が迫ってんだろ!? そんなことして一体何になるってんだ――」
「慈悲だよ」
「慈悲……?」
「そう」と笑いながらイリアスがオレの肩に手を置き、グッと握力を込める。灰色に変えたはずの眼が、再び赤い光を放つ――。
「憎悪の対象が、勝手に死ぬ。これほど苦しいことはない。僕は憎むべき"悪"を演じてやるから、遠慮無く命を刈り取るがいい。だが、そう簡単に死ぬつもりはない。こっちも全員殺す気でいくから、死ぬ覚悟でかかってくることだ……!」
そこまで言い切るとイリアスは紋章を光らせ、眼の色を再度灰色に染めた。
「…………」
――ダメなのか。
どうやっても、殺し合いをするしかないのか。
コイツは死ぬ覚悟を、殺される覚悟を決めた。
オレも、覚悟をしなければいけないのか……。
「ああ、そうそう。最後に……」
言いながらイリアスは左手の平を上に向け、その手に杖を出現させた。
「……?」
出現した杖は、黄色い宝玉が埋まった簡素な造りの杖。
魔術を覚えたての人間が持つような安物だ。コイツくらいの術師が持つにはあまりに不相応な代物だった。
それをこちらに向け、イリアスが目を閉じる。杖は黄色い光を放ち――。
「っ……!?」
攻撃されるのかと思い咄嗟に目を閉じて身構えたが、何の衝撃もやってこない。
その代わり、さっき壁に打ち付けた左手の痛みがじわじわと引いていく……。
「えっ……」
「けっこう時間がかかったな。折れていたのかもしれないね」
「な、治したのか……? なんで」
「未来を作る手なんだろう? 大切にしなければ。……僕は、モノを作る人間には特別に敬意を評しているんだ。どの自分も、それは変わらない」
「……イリアス」
「それじゃあ、失礼するよ」
杖をカツカツとつきながら、イリアスが街へ出て行こうとする。
「……ジャミル君」
「!」
「…………ありがとう」
こちらを振り向くことなくそう言い、イリアスは去って行った。
もうあの男と、人間として対峙することはない。
次に会う時、奴は憎むべき"悪"。
それが演技だろうが本気だろうが、変わらない。
つかむべき未来は、あの男の屍の先――。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
62
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる