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15章 祈り(中)
◆イリアス―司教ミハイール
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『天使ヨハン。君に試練を与えます。ヒトの世に降り立ち、ヒトの行いを見なさい。ヒトの原罪に染まらず帰ってこられたら、君はもっと上に――より神に近い存在になれる。大丈夫、君なら出来るよ』
司教ロゴスの命を受け、僕はヒトの世に降り立った。
この試練を乗り越えれば僕は神に近い存在になれる。
僕は天使であり、聖司。
15歳という年齢で2つもの位を授かるのは異例中の異例らしい。
「全て君が優秀だからだよ」とロゴスが言う。
――そうだ、僕は優秀だ。
試練を耐え抜いたから、戒律を守ったからここまで登りつめたんだ。
この時僕は15歳。光の塾に入ってから3年経っていた。
ヒトの原罪だかなんだか知らないけれど、この僕が今更そんなものに染まるはずがないじゃないか――。
◇
「すみません、すみません。開けてください……」
ヒトの世に降り立った僕は、真っ先にミランダ教の教会へ向かった。
ヒトの世で生きるのには金がいる。だが、僕は金を持っていない。
ならば仕事をしなければいけないが、僕のこの見た目に色々と問題があった。
僕はノルデン人だ。ノルデンでは民と貴族が長い間争っていて、そのせいで親を失った子供が他国へ逃げ、そこで盗みを働いたり犯罪に手を染めるなどして社会問題になっていた。
"カラス"というやつだ――ノルデンの大災害により、それはさらに激増。近隣諸国では、黒髪灰眼の子供はそれだけで警戒と忌避の対象になっていた。
僕自身が"カラス"をやっていたことはないが、そういう経緯があるため社会的な信用がない。
働き口も住居も、見つけることは困難を極めるだろう。
だが、教会は別だ。教会は孤児院も兼ねている。そして教会の人間は皆、慈悲や憐れみという穢れた感情を持つ"ヒト"だ。
人種がどうであれ、行き先のない哀れな子供を叩き出したりはしない。
僕の年齢は15歳――年齢制限で孤児院に入れないとしても、働かせて下さいと頼めば受け入れるだろう。
かつてヒトであった頃は、ミランダ教を信仰していた。教義も習慣も知っているから、信徒のフリをするのは簡単だ。
教会の戸を何度か叩くと、修道服を身につけた女が出てきた。
修道女はこちらの姿を見て驚いた顔をする。雪の日の夜、薄着で靴も履いていない子供が尋ねてきたのだから当然だ。
寒さに耐えられる服も靴もちゃんと持っていたが捨ててきた。
その方が哀れで、同情を買える。
「まあ……どうしたのです、そのような……中へお入りなさい」
修道女は何も疑うことなく僕を教会の中に招き入れた。
温かい部屋に通され、食べ物と毛布を渡される。渡されたパンとスープを食べていると、司祭らしき男が現れた。あの修道女が呼んだのだろう。
何があったのかと聞く男に僕は「内乱で親を失った。親戚の家に引き取られたがそこでずっと酷い扱いを受けていた。耐えきれなくなって逃げてきた」と答えた。
話を聞いた修道女と司祭は憐れむような眼差しを僕に向け、ため息をついた。
……もう一押しだろう。
「逃げてからずっと、街や森で夜を明かしてきました。けど、今日の寒さはとても耐えられない……お願いです、一晩でいいから、宿を貸してください」
「……一晩と言わず、生活の目処が立つまでここにいてもいいんだよ。ここは、君のような子のためにあるのだから」
そう言って司祭はニコリと笑った。
(…………)
――作戦通りだ。
教会は宗教施設……生活習慣は光の塾とさほど変わらない。これまでの生活をさほど変えることなく過ごせるはずだ。
どれくらいの期間"試練"が続くのか知らないが、あの"自分探し"に比べれば――。
「ああ、君の名前をまだ聞いていなかった。教えてくれるかな?」
「!」
司祭が柔らかな笑みを浮かべながら、僕に問うてくる。
「…………イリアス。イリアス・トロンヘイムと申します。よろしくお願いします」
――薄汚いヒトに"ヨハン"という聖なる名を呼ばせるのは汚らわしい。
そう考えた僕は、ヒトであった頃に使っていた名を使うことにした。
立ち上がって頭を下げると、司祭はまたニコリと笑った。
「……いい名だね」
「ありがとうございます」
「イリアス・トロンヘイム君。私は、ミハイール。ミハイール・モロゾフといいます。この地区を担当する司教です。よろしくね」
「!」
自己紹介をしたあと、ミハイールという男の足元から何かの植物が生えた。
……生えているように見える。しかし、男にはそれが見えていないようだった。
「どうしたね」
「…………いえ、なんでもありません。よろしくお願いします、司教様」
「"司教様"は少し仰々しいな……その位は名ばかりのものだ。子供達は皆私のことを"院長先生"とか"ミハイール先生"とか呼んでいるから、君もそうしてくれればいよ」
「……分かりました、ミハイール先生」
こうして、僕はミハイールの教会で暮らすことになった。
予想通り、僕は孤児院の保護対象とされる年齢を越えていた。だから孤児院には入らず、孤児院と教会の仕事の手伝いをして過ごした。
たまに孤児に混じって勉強もした。その際にはそばにミハイールがついて、分からないことはないかと聞いてくる。
「大丈夫です。問題ありません」
「そうか」
「…………」
ミハイールの足元にある"木"から、小さな葉が生える。
(……あの葉は、なんだろう)
ミハイールと最初会話をしたあの日から、ヒトの足元やそばに"木"や"花"などの植物が生えているのが視えるようになった。
どうやら誰の目にも視えていないようだ。相手が何かを言った瞬間、こちらが言葉を投げた瞬間、その人間の"木"が育つ。
芽が生えて、葉が出て、枝が伸びて……それはその人の心と歴史、そして関係性を現すもののようだった。
なぜそんなものが視えるのか分からない。
しかし、非常に助かる能力だ。ヒトの心を示すその植物を視て、こちらの振る舞い方を考えればいいのだから。
これは額の紋章の……いや、"神様"の力だ。
ヒトの原罪に染まらないようにするため、神様が僕を守ってくださっているんだ……そう思った。
僕は癒やしの術が使えた。紋章を使わず魔器を介してのものだが、戦傷者などを癒やすわけではないのだからそれで十分。
勉強も得意な方だ。小さい子ども達相手なら、簡単な授業だってできる。
言われたことにはなんでも従うし、手伝いも進んでやる。
不平不満は言わない。大人には絶対に楯突かない。"芽"を見れば、言ってはいけないことが、言うべきことが分かる。
大人は皆僕を「未来の司祭候補だね」と褒める。
だが、ミハイールだけはいつも違った。
「イリアス。今日はもう休みなさい」
「イリアス。今日は少し遠出をしようか」
「イリアス。何か、困ったことはないかな」
そうやって、つまらない話ばかりをしてくる。
適当に答えを返していたが、僕はいつも胸の辺りにむかつきを覚えていた。
ああ、きっとこいつは僕に感情という"穢れ"を植え付けようとしてきているんだ……そう思った。
ミハイールは演劇を観るのが好きで、僕をよく劇団の公演に連れて行った。
何度目かで、ミハイールに「どうだった」と聞かれた僕は「特に何も思いません」と答えた。
ミハイールは少し驚いた顔をして「つまらなかったかな」と聞いてくる。
「あんなのは所詮虚構ではないですか。何が面白いのか分かりません」
それまで従順に振る舞っていたのに、どうしてあの時に限りそう言ってしまったのか今でも分からない。
僕の言葉を聞いたミハイールの"木"からまたあの「見たことのない葉」が生えた。
――ああ、これは、残念だとか寂しいだとか、そういう気持ちのあらわれか……。
そう悟った瞬間、胸の辺りがチクリと痛んだ気がした。
でも僕は、悪いことを言ったつもりはない。こいつが僕をイライラさせたから悪いんだ。
「虚構か……見る者が見れば、そうなのかもしれないね。でもね、イリアス。舞台には、たくさんの人生があるよ。私はそれを見るのが楽しい」
「人生? ……役の衣装を着た人間が、本に書かれたセリフをただ読んでいるだけでしょう」
なぜか楯突くような言葉を言ってしまう。しかしミハイールはそれに怒ることはない。
それどころか、彼の"木"にはなぜか喜びを示す葉が生えている。
頭がカーッと熱くなってくる。
――何が嬉しいんだ。この僕を馬鹿にしてるのか?
「役の衣装を着て、決められた台詞を言うだけ……それが存外難しいんだよ、イリアス。台詞を読むだけでは、それこそ多くの観客に虚構と見破られてしまう。役者は、割り当てられた役の心情に寄り添い、理解し、全力で表現しなければいけない。人によっては、その役を自分に"降ろす"なんてこともあるらしいよ」
「……降ろす?」
「そう。まるでその役が実在して、魂があるかのように……不思議だろう。そうやって多くの観客を脚本の世界に連れ込み、登場人物の人生を、心を、魂を見せるんだ」
「………………」
「君の感覚も決して間違いではないと思うよ。……ただ、劇場でそれを言うのはいただけないな。ここは、演劇を好む人が集まるところだからね」
「…………」
「そういうのは帰ってから、いくらでも聞くから――」
「いいえ。つまらないことを言って申し訳ありませんでした」
頭を下げたあと「僕はやっぱり興味がないから、他の子を連れてきてあげてください」と言うと、ミハイールの"木"にまた"落胆"を示す葉がついた。
何をがっかりするのか分からない。違う奴と来ればそんな"葉"はつかない、それを教えてやってるだけなのに。
――どうして、こいつにこの葉がついただけでこんなにイライラムカムカするんだ。
こいつはやっぱり僕に穢れを与える存在だ。こいつの言うことを耳に入れてはいけない。
だが、今日のやりとりからは得るものがあった。
("役"を、降ろす……)
――いいことを考えついた。
僕が今やっていることも、芝居の役だと思えば良いんだ。
そうだ。僕は今、ミランダ教会で働くイリアスという名の哀れな孤児――そういう"役"をやっている。
先生を始めとする大人に従順だ。孤児の中で一番年上だから、子供には優しい。
そしてこいつは同時に"ヒト"の役でもある。
あの"葉"を、"芽"を見れば、どう振る舞うべきかも分かる。
笑うべき時に笑い、喜ぶべき時に喜ぶ。感情という穢れは、こいつが全部受け持つ。
そうすれば、"天使ヨハン"は何も穢れない。
試練が終わるときに、このくだらない役ごと切り捨てればいいんだ――。
司教ロゴスの命を受け、僕はヒトの世に降り立った。
この試練を乗り越えれば僕は神に近い存在になれる。
僕は天使であり、聖司。
15歳という年齢で2つもの位を授かるのは異例中の異例らしい。
「全て君が優秀だからだよ」とロゴスが言う。
――そうだ、僕は優秀だ。
試練を耐え抜いたから、戒律を守ったからここまで登りつめたんだ。
この時僕は15歳。光の塾に入ってから3年経っていた。
ヒトの原罪だかなんだか知らないけれど、この僕が今更そんなものに染まるはずがないじゃないか――。
◇
「すみません、すみません。開けてください……」
ヒトの世に降り立った僕は、真っ先にミランダ教の教会へ向かった。
ヒトの世で生きるのには金がいる。だが、僕は金を持っていない。
ならば仕事をしなければいけないが、僕のこの見た目に色々と問題があった。
僕はノルデン人だ。ノルデンでは民と貴族が長い間争っていて、そのせいで親を失った子供が他国へ逃げ、そこで盗みを働いたり犯罪に手を染めるなどして社会問題になっていた。
"カラス"というやつだ――ノルデンの大災害により、それはさらに激増。近隣諸国では、黒髪灰眼の子供はそれだけで警戒と忌避の対象になっていた。
僕自身が"カラス"をやっていたことはないが、そういう経緯があるため社会的な信用がない。
働き口も住居も、見つけることは困難を極めるだろう。
だが、教会は別だ。教会は孤児院も兼ねている。そして教会の人間は皆、慈悲や憐れみという穢れた感情を持つ"ヒト"だ。
人種がどうであれ、行き先のない哀れな子供を叩き出したりはしない。
僕の年齢は15歳――年齢制限で孤児院に入れないとしても、働かせて下さいと頼めば受け入れるだろう。
かつてヒトであった頃は、ミランダ教を信仰していた。教義も習慣も知っているから、信徒のフリをするのは簡単だ。
教会の戸を何度か叩くと、修道服を身につけた女が出てきた。
修道女はこちらの姿を見て驚いた顔をする。雪の日の夜、薄着で靴も履いていない子供が尋ねてきたのだから当然だ。
寒さに耐えられる服も靴もちゃんと持っていたが捨ててきた。
その方が哀れで、同情を買える。
「まあ……どうしたのです、そのような……中へお入りなさい」
修道女は何も疑うことなく僕を教会の中に招き入れた。
温かい部屋に通され、食べ物と毛布を渡される。渡されたパンとスープを食べていると、司祭らしき男が現れた。あの修道女が呼んだのだろう。
何があったのかと聞く男に僕は「内乱で親を失った。親戚の家に引き取られたがそこでずっと酷い扱いを受けていた。耐えきれなくなって逃げてきた」と答えた。
話を聞いた修道女と司祭は憐れむような眼差しを僕に向け、ため息をついた。
……もう一押しだろう。
「逃げてからずっと、街や森で夜を明かしてきました。けど、今日の寒さはとても耐えられない……お願いです、一晩でいいから、宿を貸してください」
「……一晩と言わず、生活の目処が立つまでここにいてもいいんだよ。ここは、君のような子のためにあるのだから」
そう言って司祭はニコリと笑った。
(…………)
――作戦通りだ。
教会は宗教施設……生活習慣は光の塾とさほど変わらない。これまでの生活をさほど変えることなく過ごせるはずだ。
どれくらいの期間"試練"が続くのか知らないが、あの"自分探し"に比べれば――。
「ああ、君の名前をまだ聞いていなかった。教えてくれるかな?」
「!」
司祭が柔らかな笑みを浮かべながら、僕に問うてくる。
「…………イリアス。イリアス・トロンヘイムと申します。よろしくお願いします」
――薄汚いヒトに"ヨハン"という聖なる名を呼ばせるのは汚らわしい。
そう考えた僕は、ヒトであった頃に使っていた名を使うことにした。
立ち上がって頭を下げると、司祭はまたニコリと笑った。
「……いい名だね」
「ありがとうございます」
「イリアス・トロンヘイム君。私は、ミハイール。ミハイール・モロゾフといいます。この地区を担当する司教です。よろしくね」
「!」
自己紹介をしたあと、ミハイールという男の足元から何かの植物が生えた。
……生えているように見える。しかし、男にはそれが見えていないようだった。
「どうしたね」
「…………いえ、なんでもありません。よろしくお願いします、司教様」
「"司教様"は少し仰々しいな……その位は名ばかりのものだ。子供達は皆私のことを"院長先生"とか"ミハイール先生"とか呼んでいるから、君もそうしてくれればいよ」
「……分かりました、ミハイール先生」
こうして、僕はミハイールの教会で暮らすことになった。
予想通り、僕は孤児院の保護対象とされる年齢を越えていた。だから孤児院には入らず、孤児院と教会の仕事の手伝いをして過ごした。
たまに孤児に混じって勉強もした。その際にはそばにミハイールがついて、分からないことはないかと聞いてくる。
「大丈夫です。問題ありません」
「そうか」
「…………」
ミハイールの足元にある"木"から、小さな葉が生える。
(……あの葉は、なんだろう)
ミハイールと最初会話をしたあの日から、ヒトの足元やそばに"木"や"花"などの植物が生えているのが視えるようになった。
どうやら誰の目にも視えていないようだ。相手が何かを言った瞬間、こちらが言葉を投げた瞬間、その人間の"木"が育つ。
芽が生えて、葉が出て、枝が伸びて……それはその人の心と歴史、そして関係性を現すもののようだった。
なぜそんなものが視えるのか分からない。
しかし、非常に助かる能力だ。ヒトの心を示すその植物を視て、こちらの振る舞い方を考えればいいのだから。
これは額の紋章の……いや、"神様"の力だ。
ヒトの原罪に染まらないようにするため、神様が僕を守ってくださっているんだ……そう思った。
僕は癒やしの術が使えた。紋章を使わず魔器を介してのものだが、戦傷者などを癒やすわけではないのだからそれで十分。
勉強も得意な方だ。小さい子ども達相手なら、簡単な授業だってできる。
言われたことにはなんでも従うし、手伝いも進んでやる。
不平不満は言わない。大人には絶対に楯突かない。"芽"を見れば、言ってはいけないことが、言うべきことが分かる。
大人は皆僕を「未来の司祭候補だね」と褒める。
だが、ミハイールだけはいつも違った。
「イリアス。今日はもう休みなさい」
「イリアス。今日は少し遠出をしようか」
「イリアス。何か、困ったことはないかな」
そうやって、つまらない話ばかりをしてくる。
適当に答えを返していたが、僕はいつも胸の辺りにむかつきを覚えていた。
ああ、きっとこいつは僕に感情という"穢れ"を植え付けようとしてきているんだ……そう思った。
ミハイールは演劇を観るのが好きで、僕をよく劇団の公演に連れて行った。
何度目かで、ミハイールに「どうだった」と聞かれた僕は「特に何も思いません」と答えた。
ミハイールは少し驚いた顔をして「つまらなかったかな」と聞いてくる。
「あんなのは所詮虚構ではないですか。何が面白いのか分かりません」
それまで従順に振る舞っていたのに、どうしてあの時に限りそう言ってしまったのか今でも分からない。
僕の言葉を聞いたミハイールの"木"からまたあの「見たことのない葉」が生えた。
――ああ、これは、残念だとか寂しいだとか、そういう気持ちのあらわれか……。
そう悟った瞬間、胸の辺りがチクリと痛んだ気がした。
でも僕は、悪いことを言ったつもりはない。こいつが僕をイライラさせたから悪いんだ。
「虚構か……見る者が見れば、そうなのかもしれないね。でもね、イリアス。舞台には、たくさんの人生があるよ。私はそれを見るのが楽しい」
「人生? ……役の衣装を着た人間が、本に書かれたセリフをただ読んでいるだけでしょう」
なぜか楯突くような言葉を言ってしまう。しかしミハイールはそれに怒ることはない。
それどころか、彼の"木"にはなぜか喜びを示す葉が生えている。
頭がカーッと熱くなってくる。
――何が嬉しいんだ。この僕を馬鹿にしてるのか?
「役の衣装を着て、決められた台詞を言うだけ……それが存外難しいんだよ、イリアス。台詞を読むだけでは、それこそ多くの観客に虚構と見破られてしまう。役者は、割り当てられた役の心情に寄り添い、理解し、全力で表現しなければいけない。人によっては、その役を自分に"降ろす"なんてこともあるらしいよ」
「……降ろす?」
「そう。まるでその役が実在して、魂があるかのように……不思議だろう。そうやって多くの観客を脚本の世界に連れ込み、登場人物の人生を、心を、魂を見せるんだ」
「………………」
「君の感覚も決して間違いではないと思うよ。……ただ、劇場でそれを言うのはいただけないな。ここは、演劇を好む人が集まるところだからね」
「…………」
「そういうのは帰ってから、いくらでも聞くから――」
「いいえ。つまらないことを言って申し訳ありませんでした」
頭を下げたあと「僕はやっぱり興味がないから、他の子を連れてきてあげてください」と言うと、ミハイールの"木"にまた"落胆"を示す葉がついた。
何をがっかりするのか分からない。違う奴と来ればそんな"葉"はつかない、それを教えてやってるだけなのに。
――どうして、こいつにこの葉がついただけでこんなにイライラムカムカするんだ。
こいつはやっぱり僕に穢れを与える存在だ。こいつの言うことを耳に入れてはいけない。
だが、今日のやりとりからは得るものがあった。
("役"を、降ろす……)
――いいことを考えついた。
僕が今やっていることも、芝居の役だと思えば良いんだ。
そうだ。僕は今、ミランダ教会で働くイリアスという名の哀れな孤児――そういう"役"をやっている。
先生を始めとする大人に従順だ。孤児の中で一番年上だから、子供には優しい。
そしてこいつは同時に"ヒト"の役でもある。
あの"葉"を、"芽"を見れば、どう振る舞うべきかも分かる。
笑うべき時に笑い、喜ぶべき時に喜ぶ。感情という穢れは、こいつが全部受け持つ。
そうすれば、"天使ヨハン"は何も穢れない。
試練が終わるときに、このくだらない役ごと切り捨てればいいんだ――。
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