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15章 祈り(前)

14話 おとぎ話が終わるとき(前)

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 ……カイル……、
 ……カイル殿……、
 カイルさん……!
 
(…………)
 
 遠くの方で、仲間が俺を呼ぶ声が聞こえる。
 そうだ、俺倒れちまったんだ……教皇猊下げいかと謁見の最中だったのに。
 起きて戻らないといけない。
 
 でも、どういう"自分"でいけばいいか分からない。
 "カイル・レッドフォード"って、どういう人間だったかな?
 あの暗闇の中、別世界の中、そして湖の中――色々な所に自分を落としてきてしまった。
 頭にある記憶と情報――バラバラになった自分のカケラのどれをつかみ取っていけば、捕まる前の自分に戻れるのか全然分からない。
 年齢と経験を経ている分、ガキの頃よりも修復が難しい。
 ――どうすれば、いいんだろうな……。
 
『ふぇ……ヒック、うう……』
 
(…………?)
 
 泣き声が聞こえる。小さい女の子の泣き声だ。これは……。
 
『う、うぇ、ヒック……』
『泣くなよ、拾うの手伝ってやるから……』
『ヒッ……、ヒッ……、うん……』
 
(リタか……)
 
 ――リタが泣いている。
 
 そういえば、リタは刺繍のほかにビーズのアクセサリーを作るのも好きだった。
 いつか彼女がテーブルに置いてあったビーズの箱を落として、中身をぶちまけてしまったことがあって……その日はビーズを集めるだけで終わって結局遊べなかった。
 ほとんど全部集めたけど、『お気に入りのビーズが1つだけない』と言ってやっぱりリタは大泣き。
 俺は『こんなにあるんだから1個、2個くらいいいだろ』なんて思ってイライラしていた。
 
 リタは自分が楽しいことを俺に教えて共有するのが好きだった。
 だから『カイルも一緒にステキなビーズ作りましょ』って、作り方を教えてきて……でもはっきり言って全然面白くなかった。
 早く戻って剣の稽古したいなぁとか、今日の晩飯なんだろうとか、よそごとばっかり考えてたんだ。
 そうしたら……、
 
『もうっ、カイルったら同じビーズばっかり組み合わせてる。てきとうに作ってるでしょう!』
『えっ』
『ダメなのよ。もらう人が、どんな色が似合うかとか、どんなモチーフが好きかとか、そういうのちゃんと考えるの!』
『ん……うん……』
 
 ――俺より5歳下の子供だけど、リタにはいつも「適当」が通じない。
 それが本当に面倒で、一緒に遊ぶのがますます苦痛になっていた。
 
(ビーズか……)
 
 あの散らばったビーズみたいに、今の俺もバラバラのめちゃくちゃだ。
 ……そうだな。適当に組み合わせちゃ駄目だ。
『いっぱいあるんだから1個2個見つからなくてもいい』なんてこと、あるわけないよな……。
 
 
 遊びをやめる最後の日、俺はリタの誕生日プレゼントに手作りのビーズのブレスレットを用意していた。
 最後になるからと思って、リタが好きそうな色やモチーフを自分なりに考えて選んで、頑張って作ったんだ。
 その年も、マイヤーがプレゼントの"検閲"をしようとしてきた。
 俺は「プレゼントは今年はありません」と言ってブレスレットの存在を隠した。
 
 ――どうしても嫌だった。
 これはリタのために作った。だからこれを最初に見るのも触るのも、リタであるべきだ。
 このプレゼントに感情を抱いていいのは、リタだけだ。
 なんでそんな風に思ったのか、そしてそこまでこだわったのか分からない。
 でもそれは当時15歳だった俺の、絶対に守るべき"聖なる領域"だった。
 ……あんなことになって、結局渡せずに終わったが……。
 
 ――――…………
 
「……う……」
 
(まぶしい……)
 
 薄く開けた目に、光が射し込んでくる。
 ああ、今いるのは地下牢でもミロワール湖でも意識の海でもない。現実だ。
 そろそろ起きないといけないけど……まだ駄目だ。
 ……ビーズが全部、見つかっていないんだ……。
 
(……手……?)
 
 心なしか、手が温かい気がした。
 誰かが手を握っているようだ。
 一体、誰が……。
 
「!」 
 
 手の方に目をやると、白いローブをまとった女が俺の手を両手で包んでいた。
 顔と口元を布で覆い隠していて、目元だけが唯一見えている。
 瞳の色は青。しかしロレーヌ系のそれではない青――ノルデン貴族の瞳の色だ。
 
 
「…………!」
 
 皮膚が粟立つ。
 
 ――女。布で目元以外を覆い隠した、女……。
 
『貴方の悲しみに、少しでも寄り添えればと思います……』
『ねえ……ここはとても寒いわ。あたたかいところで、ゆっくりお話を……来てくださるでしょう?』
『私の名前はエリス……』
 
 ――脳裏によぎる、"ローブの女"。
 エリス……テレーゼ……。
 俺を殺して、沈めた、女……!!
 
「く……っ!!」
「きゃっ……!?」
 
 女の手を力任せに振りほどいた。女はあの時と同じに困惑したような、怯えたような目でこちらを見てくる。
 
「っ……誰だ……」
「え……」
「誰だ、お前は!!」
「カ……」
「近寄るな! 俺にさわるな!」
 
 女がまた手を取ろうとしてきたので再度振り払った。
 全身に鳥肌が立っている。女が俺にしなだれかかりながら顔や身体をベタベタ触ってきたことを思い出して、寒気がする。
 
「……ごめんなさい……」
「!!」
 
 女が今にも泣き出しそうな目で謝罪をしてくる。
 そして、俺が振り払った拍子に床に落ちたらしい"何か"を拾いに行った。
 
 ――また頭に血が昇って、息が荒れる。
 何が、何が……!
 
「何が『ごめんなさい』だ! ……誰の、誰のせいで……っ!!」
 
 そこまで言ったところで、女が先ほど拾い上げたものが目に入ってきた。
 両手で大事そうに持っている、それは……。
 
「……しお、り……?」
 
 日光が当たると少しだけ青くきらめく、古ぼけたしおり。
 花水晶だ。中には勿忘草わすれなぐさが閉じ込めてある……。
 
「…………あ」
「……ごめんなさい、カイル……。ごめん、なさい……」
 
 かすれた声でそう言いながら、女が顔を覆っていた布を外した。
 ロレーヌ系の青色とちがう色合いの、青の瞳。そして、青銀色の髪……。
 
「……リタ……」
 
 名前を呼ぶと、彼女は唇を震わせながら数回うなずいた。
 
「…………」
 
 ――信じられない。
 なんでよりにもよって、彼女をあのテレーゼなんかと見間違って……?
 逃げたい。
 だけど身体が思うように動かず、起き上がることもできない。
 
「ごめん……俺、悪い魔法使いと見間違えて……ごめん」
 
 ガキの言い訳以下の、謝罪とも呼べない謝罪。でもそれしか言い様がなかった。
 逃げられない代わりに寝返りを打って彼女に背を向けた。
 
「……謝らないで。わたくしは本当に、悪い魔法使いなのだから……」
「……何言ってるんだよ? リタは聖女様なのに」
「カイル……ごめんなさい」
「!」
 
 覚えのない謝罪の言葉に、壁に向けていた顔を彼女に向ける。
 
「ごめんって……、何が?」
「わたくしが貴方に真名まなを教えたせいで、貴方を苦しめたわ」
「え……? ………なんだ、そんなことか」
「『そんなこと』……?」
「……確かにすごく苦しかったけど、リタのせいなんて思ったことないよ。ていうか、そんな発想自体なかったな……俺にとってあれはいつもの、"秘密の約束"でしかなかったから」
「…………」
「俺は何も思ってないから。だから秘密の名前を教えたことは父上――ゲオルク様に怒ってもらいなよ」
「…………」
 
 リタは何も言わず、青銀の睫毛を伏せてうつむく。そして数秒の間のあとまた顔を上げ、意を決したように口を開いた。
 
「…………ごめんなさい、カイル」
「……何? なんで謝る――」
「……わたくしは、カイルのことが好き」
「!!」
「……ずっと好きだったの。貴方のことだけが、ずっと好きだった。でも貴方とは住む世界も時代も違って……。だから、想いを断ち切りたくてわたくしは聖女を目指したの」
「……それが、なんで謝罪につながるの」
「貴方が元の時代に帰って二度と会えなくなったらと思うと、とても耐えられなくて――それなら、聖女になって眠ってしまえば諦めがつくのじゃないかと思ったの。5年間、ただこの恋心に浸って、酔って……。次に目覚めた時はこの気持ちを整理して、すっかり忘れようと……そう思ったの」
「………………」
「カイルが元の時代に帰れますようにと思いながら、でもやっぱり帰ってほしくないと、そればかり考えていた。……やっぱりわたくしは悪い魔法使いだわ。わたくしの身勝手な気持ちが、貴方の影を縫って、人生を縛り付け――」
「俺は誰にも縛られてない。元の時代に帰らなかったのは俺の意志だよ。それと……シーザーが過去から俺を呼んだんだ」
 
 魔法は心の力――例えば、彼女の強い想いが俺をこちらの世界に縛り付けたのだとして。
 そうだとしても、やっぱり俺は彼女に憎しみなんて抱かない。
 
「……リタ」
 
 俺の呼びかけに、うつむいていたリタが顔を上げた。
 言わなければいけないことがある。この機会を逃せば、こうやって個人的に話すことはできなくなるだろうから。
 
「……俺のこと、好きって言ってくれてありがとう。嬉しいよ。……本当だ」
「カイル」
「……5年眠って……それでもう、気持ちは断ち切れた?」
 
 そう聞くと彼女は首を振って、小さく「好き」と返してきた。
 
「……そう」
 
 リタは今にも泣き出しそうな目で唇を引き結んでいる。
 昔、「もう遊ぶことはできない」と告げたことを思い出してしまう。
 ――言いたくない。だけど、どうしても伝えなければいけない。
 
「リタ。……その気持ちはもう、捨てるべきだよ……」
「………………」
 
 その言葉に彼女の目を満たしていた涙がそこに滞留できなくなり、静かにこぼれ出す。
 
「俺達はおとぎ話の人物じゃない。聖女様が交代したらリタはユング侯爵家に戻って、俺はまた冒険者に戻る。俺もリタも、もう立派な大人だ。現実を見て、地に足をつけて生きていかなくちゃいけない。……同じ道を歩むことは、できないよ……」
 
 ――時間と国を越えて出会った、お姫様と記憶のない少年の話。
 お姫様に気に入られた少年はお姫様の家来になって、お姫様が月に一度ひらく「秘密のティーパーティ」に招かれる。
 それは誰も介入することのできない、2人だけの時間。
 お姫様だけが少年の本当の名前を知っていて、少年は本当の自分を思い出す魔法をかけてもらえる。
 
 まるでおとぎ話のような、キラキラと美しい思い出……。
 でも、現実は何も綺麗なんかじゃなかった。
 少年は名前を呼んでもらえること以外の大半をつまらなく思っていた。
 カイルという自分を証明してもらえるその時間は、俺にとってとても重要だった。
 でも、毎回心の奥底に汚泥のような感情がいくつも湧き上がっていた。
 
 本来なら俺達は絶対に出会うことはなかった。こうやって再会することも。
 これから先、人生が交わることはない。
 幻想は捨て去らなければ前には進めない。
 ……道は分かたれる。
 
 おとぎ話は、もう終わりだ――。
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