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12章 誓い

5話 誇り

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 わたし達は"マードック武器工房"の中へ招き入れられた。
 入る際、おかみさん――メリアさんが、店のドアに「休業中」という札をかける。
 
 マードック武器工房は1階が店舗、2階と3階が住居になっているようだ。
 2階のダイニングへ通され、わたしとグレンさん、それから親方のガストンさんがテーブルにつく。
 荷物と上着は、メリアさんが別の所へ持っていってくれた。
 
「…………」
 
 席についても、誰も何も喋らない。
 キッチンの方からカチャカチャ、シュンシュンという音が聞こえて、コーヒーの香りがこちらまで漂ってくる。
 メリアさんが何か飲み物を用意してくれているんだろう。
 少ししてから彼女がやってきて、わたしに「お嬢さん」と声をかける。
 
「は、はい」
「お嬢さんは、コーヒーと紅茶どっちがいい? ……ココアもあるけど」
「……あ、じゃあ、ココアを、お願いします」
 
 そう言うとメリアさんは「分かった」と少し笑い、またキッチンへ。
 そして、数分経たないうちに飲み物が載ったトレーを持ってやってくる。
 全員分の飲み物を置いたあと、メリアさんも席に着いた。
 メリアさんは紅茶、ガストンさんはコーヒー。それから……。
 
(ココア……)
 
 わたしの前、そしてグレンさんの前にもココアが置かれた。
 
「どうぞ、飲んで」
「あ、はい。いただきます……」
 
 促されたので一口飲んでみる。
 味自体は何の変哲もない、普通のココア。ただ、温度が少しだけ低い――猫舌というわけじゃないけど熱すぎるのが苦手だというグレンさんは、いつも出来上がったココアに冷えた牛乳を少しだけ足して温度を調節している。
 メリアさんは、それを知っているんだ。ここに住んでいる時も彼は同じ席に座って、メリアさんの入れたココアを飲んでいたんだろうか……。
 
(……それにしても……)
 
 ここに案内されてから、本当に誰も何も喋らない。
『あの2人も俺も、食事中に仲良く楽しく話したりとかする間柄じゃないから』とはグレンさんの弁だけど……お互いに気まずいというのもあってか、その場は水を打ったように静かだ。
 
 ――どうしよう。何か、話のきっかけがいるのかな。
 
 そういえば、グレンさんの回想の中ではカイルがしょっちゅう登場して、ごく自然に3人の会話をつないでいたっけ。
 ずっと内緒にしていた彼の名前を聞き出したり、嫌な出来事に繋がってしまったけれど彼の誕生日を調べてくれたり、カイルの存在ってけっこう偉大だ……。
 ここでわたしがその役割をできたらいいけど、正直難しい。
 だってカイルとちがって人生経験がまだまだ足りない――いやでも、あの回想に出てきたカイルって今のわたしと同い年くらいだったような?
 ――ちょっと待って、カイルって何気にすごすぎない?
 どーしよー、こんなことなら親方夫婦のことカイルに聞いてくればよかった……。
 
 そんなことを考えている間も、3人はやはり一言も喋らない。
 時間が止まっているのかと錯覚しそうだけど、耳に入る時計の針の音と、飲み物のカップにスプーンが当たる音がそうではないことを十二分に教えてくれる。
 
(どうしよう……)
 
 とっても気まずい。
「このココアおいしいですね」とか適当に振ればいい?
 でもわたし今日初対面の部外者だし、それ言うなら飲んで最初に言うべきだったし、そもそも普通の味だし、あまりに不自然だよね……。
 そういえば1回ジャミルと全然話できなかった時に無理して話題振ってスベったことが……やっぱりわたしは余計なことしない方がいいな。
 
「お嬢さんは、ロレーヌの人かい」
「ふぇっ!? あ、は、はい」
 
 ガストンさんに問いかけられ、わたしは素っ頓狂な声を上げてしまう。
 まさかわたしにボールを投げてくるなんて……。
 
「どこの方? 王都の近くとかかしらね」
 
 続いてメリアさんも話を振ってくる。どうして、わたしに……彼と直接話すのはそんなにためらわれることなんだろうか?
 友好的な雰囲気ではあるので、わたしはドキドキしながらも普通に返答することにした。
 
「えと、東寄りで……ミロワール湖の近くの街出身です」
「あら、偶然。うちの常連さんにも1人、その辺出身の人がいるのよ」
「へええ~! こんなに遠いのに……あれ? もしかしてその人ってカ……クライブ・ディクソンさんですか?」
「そうだ……知り合いだったのかい」
「はい! だってグレンさんの友達ですもの、ね?」
「…………そうだな」
 
 テンション高くグレンさんの方を見やると、目を伏せて少し笑う。
 ……しまった。共通の知り合いのカイルの話が出てきて嬉しいからって、ちょっと1人で盛り上がりすぎたかも……?
 
「……おかみさん」
「!」
 
 ここでやっと、グレンさんが言葉を発した。
 よかった。このまま彼を置き去りにして盛り上がったら、何をしに来たのか分からない。
 
「……クライブから、手紙を受け取った」
「……そう……」
「読んだけど……ごめん。何を書けばいいか分からなくて、そのまま……」
「……いいんだ。読んでくれれば、それで……」
「お前、ロレーヌにいたのか。……何をしていた」
「……小さな図書館で司書をやりながら、冒険者を。……やり始めて少ししてからクライブと再会して、それからは2人で組んで魔物退治なんかをしていた」
「……そうか」
 
 ガストンさんがそう呟いたあと、また静かになってしまう。
 世間話はあまりしない、仲良く楽しく話す間柄じゃないという3人。
 今のは世間話というよりも、報告のよう――ここからどう広げればいいのか、誰も分からないのかもしれない。
 
「……楽しかったか」
「え?」
「楽しかったか、南方は。……冒険は」
「…………」
 
 彼の顔は見ず、コーヒーの入ったカップあたりに目線を落としてガストンさんが言葉を発した。
 質問の意図が分からないのか、グレンさんは怪訝な顔をしている。
 
 多分、ガストンさんはただ世間話をしたいだけなんだと思う。
「学校は楽しいか、友達はできたか」とか、きっとそういう話だ。
 でも表情は硬いし、何より言い方がつっけんどんだから、何か詰問か尋問をしているみたいに思えてしまう。
 
 ふいに、グレンさんがこちらに顔を向け、わたしと視線がかち合う。
 不安なのかなあ……なんだか、子供みたいだ。
 わたしは何も言わず、ただ笑みだけを浮かべた。心配することないんだって、少しでも伝わればいいな。
 すると彼は目を伏せて少し笑って、ガストンさんに向き直った。
 
「……楽しいか、と聞かれれば……楽しかった」
「そうか」
「…………」
「…………」
 
 やっぱりまた、静かになってしまう。
 ――すごいな、本当にうちの親とちがう。
 普通に話せばいいのになんて思ってしまうけれど、彼らにとっての普通とわたしにとっての普通は全くちがうんだ……。
 
「……あれは、どうだった」
「あれ?」
「騎士団は。黒天騎士団の仕事は、楽しかったか」
「黒天騎士……? ……いや、楽しい楽しくないじゃなく、仕事だから――」
 
 言いかけて、彼は言葉を飲み込む。
 そして机の上で組み合わせた両手をギュッと握り、一拍おいてから「いや」とうめくように呟いた。
 
「楽しくは……なかった」
「そうか。何が……楽しくなかった」
「…………」
 
 その問いに彼は組み合わせた両手にさらに力を込めて握り込み、うつむいてしまう。
 
「……訓練がきつい。昔いた孤児院の……嫌なことばかりを思い出す。大声で騎士の心得を読むのが嫌だった。俺は、大声は嫌いだ。耳が痛いし頭が痛い。……黒い服も嫌だった。名誉だなんだと言われても、全然そんな風に思えなかった。カラスと言われるし、強くなったら今度は死神とか……仲良くなった奴には怖いと言われて距離を置かれるし、殺すのが好きなんだろう楽しいんだろうって……俺はただ、仕事をしているだけなのに」
(グレンさん……)
 
「……騎士団の待遇は良かった。辺境伯のレグルス様は立派な方だ、他の将軍も俺を何かと気にかけてくれていた。でも、好き勝手に噂を立てる奴が大勢いて……耐えられなかった。憎くてたまらない。全員殺してやりたかったし、そう思う自分も許せない。ずっと死にたかった」
「…………」
「最後の方は記憶も定かじゃない。……誰か俺の首を飛ばしてくれないか、今回も死ねなかった、この任務が終わったら死のう、この書類を片付けたらやっと死ねる。……そんなことしか、考えていなかった」
 
 矢継ぎ早にそこまで言うと、彼は肩で大きく息をしながら親方夫婦に頭を下げるようにさらにうつむく。
 まさか謝る気だろうか……いやだ、そんなこと、しないでほしい。
 この場でわたしができることは少ない。今は涙をこらえるだけで精一杯だ。
 彼が何か言葉を絞り出そうと呼吸をした次の瞬間、ガストンさんがグレンさんの方に腕をぬっと伸ばした。
 その気配を感じたらしい彼が、殴られると思ったのか身体を強ばらせて目をギュッと閉じる――。
 
「……そうだったか」
 
 その手は、殴るために伸ばしたのではなかった。骨張った大きな手が、彼の頭を撫でる。
 彼はそうされたのは初めてなのか、何が起こっているのか分からないという風な表情で、頭を上げず目線だけをガストンさんに向ける。
 
 鼻をすする音が聞こえてくる。メリアさんがハンカチで顔を覆って泣いていた。
 ガストンさんはグレンさんの頭を慣れない手つきでワシャワシャと何回か撫で、数拍置いたあと目を細めて口を開いた。
 
「……すまなかった、グレン」
 
 思いもよらないその言葉に、グレンさんがバッと顔を上げる。
 
「な……何を――」
「……お前がそれほどまでに苦しんでいたのに、俺達は何もしてやらなかった。気づいていたはずなのに」
「ごめんね……グレン、あたし達を、許して……」
「……やめてくれ、2人が俺に謝るようなことは何もない……2人がいなかったら、俺は人間じゃなかった。……感謝こそすれ、謝罪をしてほしいなんて思ったことはない!」
 
 謝罪の弁を述べる2人に順に目をやり、グレンさんは首を左右に振って大声を上げる。
 
「……お前、そんなに大きい声が出るのか」
「え? ……何の、話」
「ここはお前がそんな風に大声を出して――感情を吐露できる場所じゃなかった。お前の安全基地ではなかった。俺達は、お前を自由に泣かせてやることができなかった。実の親ではないからと勝手に遠慮をして、何も話を聞き出さない。言葉は足りないが行動で示しているのだから分かるはずなどと自己完結をして……なのに、頭のひとつも撫でてやらず……俺達の態度全てが、お前を壊す要因を作った」
「ちがう……ちがう!!」
「グレンさん……!」
 
 グレンさんが叫びながら勢いよく立ち上がると、イスが床に倒れた。
 彼をなだめようとわたしも立ち上がって彼の手を取ると、彼は潤んだ目でわたしを見て唇を震わせ、口を引き結ぶ。
 わたしは倒れたイスを起こしてから彼の背中を軽く叩いて座るように促した。
 彼が座ったのと同時に、メリアさんが目から涙をボロボロと流しながら口を開く。
 
「グレン……あたし達、あんたがいればそれでよかったんだよ……。なのにあたし達、ほとんど何も、優しい言葉をかけたり褒めたりしてやらなかった。口下手だからとか、言い訳して……家族なのに、……息子、なのにさ」
「…………」
 
 息子という言葉を聞いて、彼は顔を上げた。
 そんな彼を見て、メリアさんは涙ながらに笑顔を作ってみせる。
 
「ねえグレン、あんたは本当に立派だよ……けど立派じゃなくたって、なんにも構わなかったんだ。あんたがいれば、あたしらは何も……」
「お前はよく頑張った。下らない人間が何を言おうが、俺達は息子のお前を何より信じる。……お前は俺達の、誇りだ」
「…………っ」
 
 彼の目から涙がこぼれ、テーブルやココアのカップにポツポツと落ちる。
 そんな彼の頭をガストンさんがぎこちない手つきで撫でた。
 するといよいよ耐えきれなくなったらしい彼がテーブルに顔を伏せて、小さく肩を震わせながらしゃくり上げる。
 
「……父さん……、母さん……」
 
 小さな声でそう言ったあと、彼は言葉もなくただ泣き続けた。
 わたしも涙をこらえきれない。
 
(グレンさん……よかった……)
 
 ――これで3人、やっと本当に心を通い合わせた家族になれたんだ。
 今はただここで、キャプテンの時やお父様との別れの時のような辛く悲しいだけじゃない涙をたくさん流して欲しい。
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