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12章 誓い

3話 涙のゆうべ

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「ごめんなさいねえ、グレンさん」
「いえ、お気になさらず……」
 
 一通り家族で騒ぎ終わったあと、ダイニングまで移動して夕食の準備。
 もしかしてお父さんが激怒して食事どころじゃなくなるかも……と不安に駆られながらも、ちゃんと用意をしていたのだ。
 
「レイチェルちゃん、レイチェルちゃん」
「ん~? なーに? お母さん」
「初めて見たけど、グレンさんってほんとにすごくかっこいいわね」
「え? ……えへへ、でしょ?」
「そうよぉ、なんだか王子様みたい。背筋もピシッとして……素敵ねえぇ……」
「ふふふ」
 
 ほっぺを右手で覆いながらうっとりとため息をつくお母さんを見て、思わず笑みがこぼれる。
 
「なんというか、ずっと冒険者やってたって感じじゃないわね。荒々しさがないし……以前は何やってたのかしら?」
「ディオールで騎士やってたって聞いたよ」
「ディオール騎士!? まあ……それであんなに礼儀正しいのね。レイチェルちゃんを好きになるのはちょっと信じられないわ」
「ちょっとぉ、ひどーい」
 
 運ぼうとしていたお皿を一旦テーブルに置いてプンスカと抗議すると、お母さんは「だって~」と言いながら取り皿とグラスを持って逃げていった。
 
 ――確かに、今日の感じだけ見ると天然でちょっとポンコツな一面があるようには思えない。
 かっこいいと思ったらかっこ悪くて、でもやっぱりかっこよくて……どっちの面もウソじゃないんだなぁ。
 
 そういえば、彼のご両親は貴族だったっけ。
 ということは彼も実は貴族の子息で……そういう人と出会って恋をして結婚までするなんて、人生何がどうなるか分からない。
 
 
 ◇
 
 
「……君は、酒は?」
「すみません。体質的に一滴も飲めなくて」
「そうかぁ、強そうに見えるんだがなあ」
「……よく言われます」
 
 そう言いながら苦笑いする彼のグラスに、ぶどうジュースを注ぐ。
 お父さん、酒豪だから残念だろうな……。
 各自飲み物を注いだあと乾杯をした。
 
「グレンさん。好きな物取って食べてくださいね」
「え? ああ……」
「……どうかしましたか? まだこってりしたのは無理ですか? お魚もありますよ?」
 
 彼の反応が何か微妙で不安になり、つい矢継ぎ早に質問してしまう。
 すると彼は少し困ったように眉を下げて笑う。
 
「いや、大丈夫だ。……すまない、"好きな物を取る"というのが今ひとつよく分からなくて」
「……?」
「レイチェルちゃん、取ってあげたら?」
「あ、そうだね」
「そうかレイチェル!! パパの分取ってくれるか!!」
 
 立ち上がって料理を取ろうとすると、お父さんがワハハと笑いながらお皿を差し出してくる。
 乾杯してからまだ1分も経ってないのにすでにグラスが空っぽだ。
 
「取りませんけどー。お母さんに取ってもらえばいいじゃない」
「いやぁよ。自分で取ってちょうだい」
「なんでだよぉ……シュン」
「"シュン"って口で言わないでよぉ。……あっ! ぶどうジュース飲まないでよ、それグレンさんのなんだから~!」
「いいじゃないかちょっとくらい……なあ、グレン君」
「構いませ――」
「だ~め~で~す~! これはジャミルに頼んで仕入れてもらった、すっごくいいジュースなの! お父さんにはお酒があるでしょっ」
「なんでだよぉ……」
「シュンって言わないでね」
 
 ションボリしながら両手の人差し指をツンツンとつつくお父さんを華麗にスルーして、わたしは彼の分の食べ物を盛り付けて渡した。
 ぶどうジュースを横取りしようとしたお父さんのグラスには、お母さんが「はいはい」とか言いながら白ワインを注いであげている。
 
「はいどうぞ、グレンさん」
「ありがとう」
「酢豚のレシピ、食の神に聞いたんですよ」
「そうか。……うん、うまい」
「えへへ……」
 
「……ねえ、グレンさん。さっきあなたの話を聞いていた途中だったじゃない? よければもう少し聞かせてもらえるかしら」
「え……?」
「その……泥棒をやっていて、それはやめたのよね。きっかけとかあったの?」
「……盗みに入った武器屋の店主に見つかって、一通り制裁を受けて……しばらくそこで下働きをしていました」
 
 ――「マードック武器工房」という所だ。
 少しだけ彼の心の中で見たけど、彼の口から聞いたのは今が初めてだ。
 そこの店主夫婦――"親方"と"おかみさん"と一緒に数年暮らして、剣術の稽古を見た黒天騎士にスカウトされて……そこからは店にお客として顔を出しているようだった。
 彼にとって、あの2人はどういう存在なんだろう……?
 
 
 ◇
 
 
「……そうなの。ディオールの騎士にスカウトされるなんてすごいわ。ね、ディオールのどのあたりなの?」
「北の方です」
「北……?」
 
 北と聞いてお父さんお母さんがギョッとした顔をする。
 何か北だとまずいのかな……?
 
「えと、ヒルデガルト薬学院みたいな名前で……へん、きょう、はく? でしたっけ」
「あ……ああ」
「へ、へ、辺境伯ってもしや、イルムガルト辺境伯……そこの騎士団って言ったら――」
「?」
 
 お父さんが両手でグラスを握りしめてガクブルしている。
 いつの間にやら白ワイン1本飲みきったようで、グラスの中には赤ワインが入っている。
 お酒飲みすぎじゃないのかなぁ。
 
「こくてん、騎士? の……ほくぐんしょー? でしたっけ。合ってます?」
「な なんだって――!!」
「あ、あなた!!」
 
 驚きのあまり、お父さんがイスから転げ落ちる。
 
「うわあ……」
「レ、レイチェル……」
「はい?」
 
 グレンさんが片手で額を覆いながらため息をついている。
 初期のルカと話してた時みたいだ……どうしたんだろう??
 
「……ご、ごめんなさい。今の話、間違ってました? わたしそれ悪い占い師の人から聞いたから――」
「いや……合ってる」
「??」
 
 お母さんが「あなたしっかり」と言いながらお父さんを揺すっている。
 そんな2人にグレンさんが歩み寄って「大丈夫ですか」とお父さんを助け起こした。
 お父さんは再びイスに座ってから組み合わせた両手を机に置き、わたしに抗議の眼差しを向けてくる。
 
「レイチェル~……」
「な、何何? 怒ってるの??」
「そんな重要な情報なんで言ってくれないんだぁ!」
「え~、だって本人から聞いた話じゃないから不確定な情報だし、今はもう辞めてるし、結婚に関係ないし……そもそもお父さん全然話聞いてくれなかったじゃない。……ね、グレンさん。その、"ほくぐんしょー"って割とすごいんですか?」
「わ、割と……。まあ……うん」
「ふぇ~」
「……レイチェルちゃんあのね、イルムガルト辺境伯擁する黒天騎士団といえばディオールでも最強の呼び声が高くて、中でも北軍将はトップに近い実力なのよ」
「ほえーっ、すごい。すごいんですねえグレンさん!」
「…………」
 
 お父さんを助け起こしたあと再びわたしの隣に座ったグレンさんを見上げながらそう言うと、グレンさんはため息交じりに笑った。お父さんお母さんも何か呆れ顔だ。
 ええー どうしよう、これ知らないのってけっこう恥ずかしい??
 
「えっと……ごめんなさい、騎士とかあんまり知らないからなんだかピンと来なくて」
「いや……いいんだ。レイチェルはそれで」
「そうですか。えへへ、よかった~」
 
「レイチェル~……。しかし辞めてしまうのはもったいないな、何か理由が?」
「……疲れたので」
「…………そうかぁ」
 
 目を伏せて一言つぶやいたグレンさんを見て何か察したのか、お父さんはそのことについての追求をやめた。
 
 
 ◇
 
 
 食事を進めながら、彼が自分の身の上をポツポツと話す。
 
 騎士を辞めたあと各地を転々として、ここへ流れ着いてしばらくしてからテオおじいさんの図書館で働き始めたこと。
 その日々の中でジャミルやルカと出会って、わたしがバイトに行っているあの砦を借りたこと……。
 
「なるほど……ディオールには一度も帰っていないのかい? 武器屋の店主夫妻に世話になっていたということだが、その人達とやりとりは」
「辞め方が褒められたものではなく……合わせる顔がないのです」
「…………」
 
 その場がしんと静まり返る。
 彼の口ぶりからして、親方とおかみさんは彼にとって特別な人物のようだ。
 親代わりみたいなものなのかな。
 だけど「合わせる顔がない」なんて悲しいな。
 
 本当は会いたいのかも、しれな――。
 
「ううう……」
「!!」
 
 お父さんがなぜか顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
 いつの間にか赤ワインのビンも数本空っぽで、手にはビールの入ったジョッキ……一体何杯目だろう?
 
(完全に酔っ払ってる……!)
 
「なんで、そんなこと言うんだよぉ……、帰ればいいじゃないかよぉ……ううう」
「ちょっと、お父さん……」
「辞め方がどうだってすごい騎士だったことに変わりないし、縁だって消えないだろー! うひぃん……」
「ダ、ダグラスさん……」
 
 顔パーツが溶け出しそうな勢いで涙と鼻水を垂れ流すお父さんを見て、グレンさんが顔を引きつらせる。
 初期のルカを相手にしていた時よりも引いてる。
 完全に珍獣を見る目だ。
 
「いえあの……縁と言っても実の親子ではありませんし、それどころか恩を返すつもりが逆に顔に泥を塗ってしま……」
「まただよぉ! 『卑下するな』『自分の価値を下げるな』って、おっちゃんさっきそう言っただろうがあぁ……」
「……は、はぁ……」
 
 彼が助けを求めるような目でわたしを見てくるけれど、わたしだってこんなの初めてでどうすればいいか分からない。
 ここはやっぱりお母さんになんとか……と目配せすると、お母さんがため息を大きく吐きながらお父さんの背を撫でた。
 
「ねえあなた、グレンさん困ってらっしゃるから……ね?」
「だってさぁ、ステラちゃん! 俺ぁ悲しいんだよぉ……」
(ステラちゃん、て)
 
 そんな呼び方してるの見たことない。
 結婚前の呼び方とかだろうか……酔いすぎてわけ分かんなくなってるなお父さん。
 
「『泥を塗った』なんて、2人が君にそう言ったのか!?」
「それは……」
「恩を返したいと思うくらいその人達に情があるのに、彼らはちょっとの失敗くらいで君を見限るような情のない連中なのか!? 確かに、見返りがなければ愛さないような親もいるが、君の親はそういう人間なのか? 君が勝手にそう思い込んでるだけじゃないのか!?」
「お父さ……ヒェッ!」
 
 ちょっとじわっときてるところにお父さんが真っ赤な泣き顔をグリンと向けてきて、思わず変な声を上げてしまう。
 
「もし、もしレイチェルが家出して、どっかで一人暮らしして……だけど何かで大失敗して落ち込んで、でもお父さんお母さんに合わせる顔がないから帰れないなんて思って……それで俺達の知らないとこで1人寂しく泣いてるなんて考えたら、親として悲しすぎるんだよ、泣いちゃうんだよおぉ……!」
「お、お父さん……落ち着いて、わたしはいなくならないよ」
「グレン君! グレン君!!」
「は、はい」
「君はあれだぞ、相当すごいんだぞ! もっともっと胸を張りなさいよぉ……!」
「あ……ありがとうございます」
「1回くらい、その武器屋に顔を出してやりなさい。……もし、もし2年ぶりに帰ってきた君を罵倒してきたら、私に言うのだ。『なんてこと言うんだそれでも親か』ってさぁ、おっちゃんがあぁ、殴り込んでやるよぉおお……!」
(うひゃあ……)
 
 ――すごく良いこと言ってるのに、涙と鼻水とヨダレでぐちゃぐちゃで色々台無しだ。
 
 あまりに収拾がつかないので、食事会はお開きに。
 グレンさんはお父さんに何度も何度も「分かったな、グレン君、必ず帰るんだぞ」と念押しされ、最終的にそれに了承した。
 そしてお母さんの提案でわたしもそれに同行することになった。
「結婚相手の紹介という名目なら帰りやすいし、話しやすいだろう」ということだけど……。
 
 そんなわけで来週、彼と一緒にディオールに行く。なんともめまぐるしい……。
 大丈夫かな。
 わたしはきっと、成り行きを見守るだけになるだろうけど、失礼のないようにしなきゃ。
 
 グレンさん、親方さんたちとうまく話せるといいな。
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