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10章 "悲嘆"

15話 赤い輝き(2)※暴力描写あり

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 赤眼の男性――アルゴスが剣を掲げてニタリと笑うと、剣から「オオオ……」という声が聞こえた。
 獣の咆哮ほうこうではない、何か。人間が苦しみもがくような声だ。あの人が斬ってきた人達の怨嗟えんさの声だろうか?
 
「うっ……!」
「くぅ……っ」
 
 音が頭の中に反響する。
 ――頭が痛い。気持ち悪い。
 やがて立っていられなくなったわたしとベルは頭を抱えながら地面に膝をついた。
 
 わたし達のすぐに近くに、ウィルが転がっている。
 アルゴスの放ったナイフは刺さったまま。時折足と翼をピクピクと震わせて……。
 
「ベル、ベル、どうしよう。あの子死んじゃうよ、どうしよう」
「大丈夫よ。使い魔は主人が生きている限り死なないわ」
「ほんとに? ほんとに? でもあんな、あんな……」
「レイチェル……!」
 
 涙が止まらない。
 ベルがパニックになっているわたしを強く抱きしめて頭を撫でてくれる。
 ウィルはジャミルの使い魔。さっきみたいに戦いの援護をしたりするのがあの子の役目だ。
 ベルの言う通りに死んだりしない。わたしが以前読んだ本にも、そう書いてあった。
 
 だけど理解が追いつかない。
 だってあの子はいつもスズメやひよこみたいな可愛い姿で、いるだけで心が和むマスコットみたいな存在だったんだもの。
 それが急に、あんな――。
 
 わたしがぐるぐると考え事をしている間にも、剣戟けんげきの音が響いている。
 ジャミルはアルゴスの動きに対応してうまくかわしたり剣を受け止めたりしていた。
 でもメガネが邪魔で戦いにくそうだ。それに……わたしは戦いのことが分からないけれど、気のせいだろうか?
 何か、剣を振るのをためらっているように見える。
 
「フフフ……、兄さん……なかなか、やるじゃないか。でも……駄目だなぁ!」
「ぐっ!」
 
 アルゴスが大きく剣を振り、ジャミルはそれを両手で持った剣で受け止める。
「ギィン」と、金属がぶつかり合う音が響く。
 
「兄さん、あんた……人を、斬った、ことが、ないんだろう……そんな、半分魔性の眼をして、使い魔まで、従えておいて……フ、フ、フ……」
「…………!」
 
 アルゴスは一度後ろに飛んで身を離し、剣を下ろす。
 
「駄目だねえ……駄目だ、ねえ……っ!!」
 
 そして再び素早くジャミルに近づいて下から思い切り剣を振り上げ、ジャミルの手元の剣を弾き飛ばした。
 その衝撃でジャミルはバランスを崩して倒れる。
 
「ジャミル!!」
「ジャミル君!!」
 
 剣は回転して弧を描きながら空に舞い、彼から相当離れた所に突き刺さった。
 
「ハハッ、そんな、じゃあ、俺は止められねえよお!!」
 
 倒れたジャミルに、勢いよく黒い斬撃が落ち――。
 
「くっ……!」
 
 すんでのところでジャミルはそれを転がってかわした。
 今彼は丸腰だ。普段ならウィルを使って、転がった剣を取りに行かせるところだろう――でも相変わらずウィルは全く動かない。もしかしたらジャミル自身に心の余裕がないのかもしれない。
 わたし達が取りに行けたらとは思うけど、下手に動くと結局彼の足を引っ張ることになってしまう。
 
 アルゴスは剣を左手の平にペチペチ叩きつけ、舌なめずりをしながらジャミルににじり寄る。
 ジャミルはきっと起き上がってから剣を拾いに行きたいんだろう、でもそれができないことを分かっているのか、アルゴスを睨みあげながら後ずさりをするのみ。
 
 彼は戦うのが好きじゃない上に、グレンさんやカイル曰く実戦経験が少ない。
 それなら生身の人間――それも殺人鬼なんて、もちろん相手どったことはないだろう。
 でも、それを差し引いてもあのアルゴスという人は強い。一分の隙もないように思える。
 このままだと、負けてしまう――!
 
「闇に、打ち克つ、なんて、どれほどかと、思ったら……。回避、防戦一方の、腰抜けか……全く、ガッカリだ、なあっ!!」
「がっ……!」
 
 顔を蹴り上げられ、ジャミルは地面に倒れ込んだ。
 アルゴスがそのまま笑いながら倒れたジャミルの脇腹やみぞおちに蹴りを入れる。
 蹴られた際に外れたジャミルのメガネはひび割れている。だんだん、血と砂埃で汚れていく――。
 
「ジャミル君! ジャミル君ッ!!」
「ベル!!」
 
 ベルが立ち上がろうとするのをわたしは必死で抑える。
 だってこのままジャミルの元に行ったらベルも傷つけられてしまう。
 しばらくするとアルゴスは蹴るのをやめ、ジャミルとウィルを交互に見て大きくため息を吐いた。
 
「主人がピンチになって使い魔がパワーアップする、なんていうのも、ねえのか……つまら、ねえ……。ああ、もう、いいぜ、兄さん……」
 
 アルゴスが剣を高く掲げると、束に埋まった宝玉が赤く輝く。
 
「さよなら、だぁ……!」
 
「やめてえーっ!!」
 
 ベルの悲鳴と同時にアルゴスが剣を振り下ろす――と思いきや、急にアルゴスが後ろに飛び退いた。
 そして彼が元いた位置に槍が突き刺さる。
 
(槍……!)
 
 槍は、空から降ってきた。そして上空からはウィルのそれよりももっと大きな獣のいななきが聞こえる。
 聞いたことがある――これは、飛竜の鳴き声だ。同時に、羽ばたきの音も聞こえる。
 上空に目をやると、飛竜に乗ったカイルが地上を睨み付けていた。
 
「カイル……!」
 
 カイルが帰ってきてくれた――安堵で涙がこぼれる。
 彼がシーザーを拳でコツンと叩くと、シーザーは高度を下げ猛スピードでアルゴスの元に突進して蹴りを入れた。
 アルゴスは悲鳴を上げながら吹き飛び、砦の壁に叩きつけられる。
 続いてカイルはシーザーから飛び降り、アルゴスに目線をやりながらジャミルの元へ駆け寄った。
 
「ジャミル君……っ」
 
 それを見てベルも涙を拭きながら立ち上がりジャミルの所へ。わたしもそれに続く。
 
「兄貴……大丈夫か」
「あんま、大丈夫じゃねえぜ。へへ、助かった……死ぬかと、思った。ゲホッ、ゲホッ」
「ジャミル……!」
「ジャミル君! 今、今、ケガを治すから……」
 
 ひどいケガだ。
 何発もお腹を蹴り飛ばされたために咳をすると口から血が吹き出る。
 ベルが杖を掲げて目を閉じると、彼の全身が光に包まれ傷が治っていく。
 
「ああ、助かった……サンキュ、ベル」
「ジャミル君……!」
「泣くなよ……」
 
 起き上がったジャミルにベルが抱きつき、彼もそれに応える。
 その様子を見てカイルは少し笑った。けれどすぐに厳しい顔でアルゴスを睨み、腰から下げている鞘から剣を抜き取って構える。
 
「……3人とも、砦の中にいてくれ」
「カイル」
「あの男、危険だ。俺が今までに会ったことのある赤眼とは違う。飛竜シーザーも怯えている……」
「分かるぜ……アイツ、なんかおかしい。あの腕の黒鎧が特にヤベえ。命がいくつもあるみてえな……近くにいると寒気がすんだよ」
「…………」
 
 術を使えない、戦いの心得のないわたしにも分かるくらいにおぞましい気を放つ黒の腕鎧。
 そこにはまっているあの赤い宝玉は、一体何人の命でできているんだろう。
 
「……話は後にして、あたし達は避難しましょう。足手まといになるだけだわ」
「そう、は、させ、ねえ……」
「!!」
 
 アルゴスがよろよろとこちらに向かって歩いてくる。
 シーザーに蹴られたうえに壁に叩き付けられて彼も傷を負っていたはずなのに、服が破れて血で汚れているだけ。
 左手に装着した腕鎧に埋まっている"血の宝玉"が不気味に光っている。あれを使って傷を治したんだろうか?
 
「兄さん……あんた、光の気で、満ち満ちて、いるねえ……」
「……お前が手配書の男か」
「……フフ、それなら、どうする」
「武器を捨てて投降しろ。無用な戦いはしたくない」
「おい……なんだなんだ? 兄さんも、人、斬ったことない、クチか。……竜騎士の、くせ――」
「新兵じゃあるまいし、竜騎士やっててこの手が汚れていないわけがないだろう。竜騎士団領あっちにはお前みたいな賊がうようよいるんだから」
「…………」
 
 カイルがアルゴスの言葉を遮ると、アルゴスは黙り込む。
 沈黙の間が続く――あんなに晴れていた空に暗雲が立ちこめ、雨が降り始めた。
 
「……こちらも色々事情がある。赤眼だからといって即斬り捨てることはしたくない。武器を捨てて投降しろ。お前じゃ俺には勝てない」
「っ……スカし、やがって……気に……、入らねえ……、気にぃ、入らねえよおおおっ」
「!!」
 
 アルゴスが叫びながら左腕を天に掲げると、そこにはまっている血の宝玉が「ビィン」という音を立てて光った。
 それに呼応してか雨は急に叩き付けるような豪雨に変わり、地面とわたし達を濡らす。
 それを見て、アルゴスが肩を震わせて笑う――声は豪雨の音で聞き取れない。
 びちゃびちゃと音を立てながら二、三歩進み、腕鎧の血の宝玉をいくつか取り外し地面に落とした。
 
「"こいつ"を、試してこいって、言われて、たんだよ……ちょうど、いい。フ、フ……、おい、出てこい……!」
 
「出てこい」という言葉のあと、宝玉が地面に埋まり泥がうごめいた。
 ゴポッ、ベシャッという気持ちの悪い音とともに泥が隆起して、やがて人の形を成す。
 一体、二体、三体……人の形をしているけれど、顔には目も鼻も口もなく、何かの紋様が記されているだけ。
 先ほど地面に埋まった血の宝玉は彼らの左胸に埋まり、そこを中心にして周りに筋のようなものが浮き上がっている。まるで、心臓みたいだ。
 
 少し遅れて四体目が砦の入り口付近で誕生した。
 そしてすぐに扉に突進するとベッチョリと音を立ててはじけた。
 
「ヒッ……!」
 
 はじけた泥はそのまま落ちることなく扉に張り付き、残りの三体と同じく血の宝玉の周りに筋が浮き出て規則的にピクピクと脈打つ。
 扉が塞がれた――外部への門から出ようとしても、たぶんあの泥人間かアルゴスに追いつかれてしまうだろう。
 逃げ道は、ない。
 
「いやああっ! なんで、なんで」
「レイチェルッ……!」
 
 泣きわめくわたしをベルが抱きしめてくれるけど、彼女の手もまた震えている。
 だってこんなの理解できない。
 夢ならどれだけいいかと思うのに、この雨の冷たさがどこまでも残酷に現実を思い知らせてくれる。
 
「……グレンさ……っ、たす、けて……」
 
 しゃくり上げながら、彼の名前を呼び助けを求めてしまう。病に倒れ、心身ともに疲れ果てた彼に何を望んでいるんだろう。
 
 でも、どうしても呼ばずにいられなかった。
 
 どうして、どうして。
 冷たい、寒い、怖い。
 
 ――怖い、怖いよ。グレンさん、グレンさん、お願い、助けて。
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