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9章 壊れていく日常

◆回想―回りだす歯車

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「こんちはー……あれ? 何やってんの」
「よう、クライブ君。お前さんも一つどうだい。手合わせだ」
「手合わせ? へえ……」
「……」
 
 マードック武器工房で働き始めて2年ほど。
 恐らく壊した備品の弁償はとっくに済んでいるが、俺はまだここで住み込みで働いていた。
 
 最近、朝掃除をしたあとは走り込みをして筋トレをして、それで空き時間には親方と剣で手合わせをしている。
 なぜ、こんなことをしているのかというと――。
 
 
 ◇
 
 
「グレン。お前朝でも夕方でもいいから走れ。運動して筋肉をつけろ」
 
 背が伸びたり声が変わったりし始めた頃、親方がそう持ちかけてきた。
 
「……なんで?」
「カラスだなんだと言われて弱いものいじめされるのもいいかげん飽きるだろう。お前がそういう目に遭うのは、お前が弱そうに見えるからだ。弱い奴はより弱い奴を見つけて苛めるのが好きだ」
「…………」
「弱いことが悪いわけじゃねえし、強くなれっていうんじゃねえ。"強そう"になれ。見た目が強そうなら、寄ってくる馬鹿の雑魚どももちっとは減るだろうぜ。ハッタリの利いた外見になるんだ」
「…………」
 
 
 運動は嫌いじゃない。でも俺は雲とか空とか眺めてボーッとしたり、本を読んで静かに過ごすのが好きだ。
 しかし、そのままではいけないらしい。いらない諍いに巻き込まれ、不当な扱いを受け続ける。見た目が弱そうで、実際に弱いから。
 ……それは、ごめんだ。
 少しでもそういうことが減るのならと思って言う通りにすることにした。
 
「……わかった」
「この俺くらいの筋肉を身につけりゃあ無敵だが――」
「それは嫌だ」
「……話を聞け。お前はドロボウやってたからか、足は速い。その邪魔にならない程度の筋肉を身につけて……その後は護身術だ」
「ごしんじゅつ」
「格闘とちょっとの剣技を身につける。強そうになっても襲ってくる馬鹿はいる。そういう時のためだ」
「…………誰に、習う」
「俺が教えてやる。無理なしごきはしねえから安心しろ……フフ」
 
 親方が全部の歯を剥き出しにするような勢いでニタァと笑う。
 怖い。完全に魔物だ……拒否権はなかった。
 そういうわけで、空き時間に親方とともに剣の打ち合いをすることになった。
 
 ――以前カイルと「親方が汗臭い」とか「ハンサムじゃない」とかくだらないことを言い合っていたら、いつの間にか背後に立っていたということがあった。
 親方は身長が2メートル近くあって、重騎士や熊のような佇まい。威圧感が半端ないはずなのにほとんど気配を感じなかった。
 盗みに入った時もだったが、この人は意図して気配を消せるんだろうか。
 
 そういう人だったので当然というかなんというか、剣の腕もかなりのものだった。
 おかみさん曰く、そこそこ名の知れた傭兵だったとかなんとか……大怪我をしたために引退して、店を始めてからはほとんど剣を振らなかったらしいが、何一つ太刀打ちできない。
 手加減は当然しているが、木の幹のように太い腕から繰り出される一撃は脅威そのもの。真剣だったら、当たっていたら、俺は左右に分断されているだろう。
 攻撃がどこからくるか親方の持つ火のゆらめきと色で分かるのに、かわすことができず防戦一方。
 
「なかなかやるじゃねえか」なんて言うが、どこが「やる」のかさっぱりだ。
 全然、駄目じゃないか。腹が立つ。
 戦うのはあまり好きじゃないかもしれないなんて思っていたが、太刀打ちできないのはできないで何か悔しい。
 
 
 ◇
 
 
「へえー、護身術かあ……それにしては何か本格的な訓練のような」
「ほら、クライブ君」
「えっ? ……わっ、わっ!」
 
 親方はカイルに木剣を投げてよこした。
 
「こいつとちょっと手合わせしてやってくれ」
「えっ、ええ~~っ? 俺は休みの日は剣振りたくないんだけどなあ」
「グレン。忘れてるかもしれんが、クライブ君は騎士だ」
「ちょ、聞いてよ親方……ていうか忘れてるかもってなんだよ……」
「野良の傭兵の俺と、正規の騎士では剣術も全く違う。やり合って技を盗め」
「ま、待って待って、勝手に話を……ていうか、剣持って数ヶ月の奴に盗まれるようなチンケな剣術じゃないけど!」
「まあいいからやってみろ。それとも負けるのが怖いか」
「なっ……ば、馬鹿にしないでよ負けるわけないでしょ!? あーもう、分かった、分かったよ! やればいいんでしょ!」
 
 ブツブツ言いながらカイルは木剣を構える。
 
「…………」
 
 ――今ひとつ、乗り気がしない。
 恐らくこいつは親方ほどは強くないだろう。それなら、攻撃がどこにくるか読めてしまう自分が勝つんじゃないだろうか?
 そうなると……機嫌を損ねて、もう来なくなるんじゃないだろうか?
 
 ……そんなことを考えていたが、全くの杞憂だった。
 
「ああ、ビックリした。お前強いな~! ハハッ」
「つ…………」
「さすがと言いたいところだが、ちょっと危なかったんじゃないか?」
 
 カイルは騎士というだけあって、さすがに強かった。
 親方ほど強くはないが、全く駄目だ。
 やはり攻撃はかわせず防戦一方――親方の大ぶりで豪胆な剣術とはまた違い、速くて正確だ。
 視えたからといって、スピードと技術の前にはなす術もない……少し本気を出したらしいカイルの繰り出した雨のような斬撃に吹き飛ばされてしまった。
 親方に「なかなかやる」と言われ「どこがだ」なんて思っていたが、心のどこかで自分は強いなんて思って調子に乗っていた。
 大体こいつに殴られた時も全くどうにもできなかったのにどうして勝てるなんて思ったんだか。
 別に誰も俺の心の内なんか知らないが、恥ずかしくてたまらない。
 
「大丈夫かー?」
「……一人で、立てる」
 
 差し伸べてくる手を払い除けて、立ち上がる。
 こっちは息が上がってるのに、カイルは涼しい顔だ。
 ……ムカつく。悔しい。
 
「おいおい、怒るなよぉ。俺は遊びじゃなくちゃんとやったんだぜ。ナメた打ち合いなんかしてないんだから」
「……別に怒ってない」
「でもお前もけっこうすごかったぞ? なんかどこに振り下ろしても絶対受け止めてくるじゃんか。本当に剣始めて間もないのか? ……天才じゃないのかな~」
「……うるさい」
「褒めてるのになあ」
 
 ――これ以降何度もこいつと手合わせをすることになるが、ほとんど惨敗だった。
 俺と違って何も視えていないのに、攻撃はほとんど当たらないしかわすこともできない。
 どれだけ強くなってもいつもあいつは先を行っている。
 こいつにも親方にも勝ちたい。火とか視ることなく、普通に勝ちたい。
 そう思うようになって、護身術のはずだった剣技の稽古に没頭するようになっていった。
 
 
 ◇
 
 
 そんな日常が当たり前になっていたある日のこと、手合わせを見た騎士団の人間が声をかけてきた。
「黒天騎士団」というのに入らないか、とのことだった。
 正直あまり乗り気じゃないから、曖昧な返事しかできなかった。
 騎士は俺の反応を見て、「無理にとは言わないが、是非頭に入れておいてほしい」と言い残し去って行った。
 
 
「黒天騎士団直々にスカウト!? おいおい、すごいじゃないかグレン君!」
「俺は……あんまり。興味ないから」
 
 行きつけのパン屋で、店主がパンを袋に詰めながらテンション高く声をかけてきた。
 この人は最初こそ俺に対し厳しい対応だったが、何度も通って同じパンを買っているうちにこうやって話ができるまでになった。
 
「黒天騎士といえばディオールでも最強の呼び声が高い。そこ入りたくて鍛錬積んでる奴も大勢いるんだよ」
「ふーん」
「……本当に興味ないんだなぁ、もったいない。栄誉ある黒天騎士になれば将来安泰だし、ガストンさん達だって喜んでくれるだろうに」
「……喜ぶ?」
 
 ――よく分からない。
 武器屋の客は少ないが、その客はみんな一流の剣士や騎士ばかりで、儲けも十分ある。店をやっていけないほどではない。
 俺が騎士になって金を儲けたからといって別に二人の人生が変わるわけじゃないのに、何を喜ぶというんだろう?
 
「そうさ。世話んなってるし、恩返しもできるってもんだよ」
「…………」
「まあめったとない機会だから、よく考えて決めるといいさ」
「……うん」
「外、雨降ってきたけど大丈夫か」
「大丈夫。近いし、走るから」
「そうか。気をつけなよ」
「ありがとう」
 
 店を出ると店主の言うとおり雨が降り始めていた。
 そんなに強い雨じゃないから、走れば大丈夫だ。
 
 雨足が強まってきた。
 買ったパンが濡れないように両腕で抱えて、武器屋への道を急ぐ。

 ――雨は嫌いだ。あの地震のあと、生ぬるい大雨が降って凍り付いていた全てを溶かし異臭を放った。
 リューベ村を追い出された日も雨が降っていた。雨の中を走った。行く当てもなく、不安と悲しみと憎しみを抱えて。
 
(リューベ、村……)
 
『あの制服、ここらの領地を仕切る辺境伯が擁する騎士団のものだ。その人に無礼な言いがかりをつけて、目を付けられたらどうするんだ!』
 
 そうだ。俺を誘ってきた騎士と同じ制服。あれは黒天騎士団だったのか。
 俺は昔、そこの騎士を侮辱したといって副院長に酷く怒鳴り散らされた。
 真実を言っただけなのに、どうして。
 頭の中にうさぎを殺した騎士にヘコヘコと頭を下げる副院長の姿が浮かぶ。
 
 栄誉ある黒天騎士団。
 その騎士になればあいつは、カラスだと蔑み続けてきた連中は、俺に頭を下げるんだろうか。
 一瞬、ほんの一瞬浮かんだ馬鹿な考え。
 それを振り払うように剣の稽古にますます打ち込んだが、むしろ腕が上がれば上がるほど妄執に囚われていった。
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