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【第2部】7章 風と鳥の図書館

11話 迷える青年

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「これ、借りていきますー」
「はい……返却は来週月曜です」
「はーい! ありがと お兄さん!」
「……うん」
 大事そうに本を抱えた子供がパタパタと走って、図書館をあとにする。
 この図書館で働きだして、1年弱。
 
 ここへは本来は他の仕事のためにやってきた。
 閉館までの後片付け業務。本を整理して箱に詰めるだけの仕事だったが、偶然にも本をパクろうとする輩を発見して捕まえたので、それからというもの司書の名目で見張りとして司書席に座っている。黙っていると怖いとか言われるので慰め程度にメガネをかけている。
 最初ビビっていた子供の来館者もだんだん慣れて、あいさつもしてくれるようになった。
 
 一応、司書の仕事もする。
 本の貸し出し、返却された本の整理、貸し出し状況の管理、利用客に本がどこにあるかの案内。
 王立図書館や魔術学院併設の図書館ならもっと専門的な知識が必要だろうが、ここは規模も小さくあまり客が来ないから司書の業務もそこまでではない。
 だいたいは本を読んで過ごしている。返却された絵本――『かどっこちゃん』とか、キャンディ・ローズ先生の小説とか……最近は花とか昆虫図鑑だ。
 
(……ん……?)
 館長から手渡されたリストを手に、本棚の本を仕分けて箱に詰めていると何か気配を感じた。
 これは紋章使いのものだ……初めての気配じゃない。
 館長は図書館の執務室にずっといるはず。もちろん、ルカでもない。
 館長とルカ以外に初めて会ったわけではない紋章使いというと――。
 
「あ、あの……こんにちは」
「アルノー君? どうしたんだ」
 ジャミルの友達の紋章使い、アルノーだった。
 今日紋章の話をして……なぜわざわざまた来たのだろうか。
「これ……生徒手帳です」
「え、ああ……持ってきてくれたのか。次で良かったのに」
「家が近いので……」
「そうか」
 
 アルノーから魔術学院の生徒手帳を受け取る――皮の立派なカバーがついた小さな手帳。
「ありがとう。次来た時に返すから」
「いえ、用が済んだら捨ててくださってかまいません。……いらない、ものですから」
「……分かった。責任を持って処分しよう」
「はい……」
 受け取った生徒手帳をズボンのポケットにしまい込む。
 
 アルノーはその後何も言わず、かといって立ち去ることもせずただ立っていた。
「……俺に、何か用だろうか」
「あ……」
 次でいいというのに、わざわざ今日の今日でこの生徒手帳を持ってきた……何か話す口実が欲しかったのだろう。
「す、すみません……ジャミルの前では、聞きづらいことでして……」
「一応仕事中だから、作業しながらでいいか?」
「は、はい。すみません。ありがとうございます」
「最初に言っておくが、大して得ることはないと思うぞ。なんならここの館長に聞いた方が――」
「いえ。あ……あなたに、お聞きしたいです」
「…………」
 
 得るものがないっていうのにな……ジャミルの前では聞きづらい? 絶対重たいことだろう。
 なぜ今日会ったばかりの奴とそんな話をしなければならないのか。静かに仕事させてほしい。
 ――とはいえ、ジャミルの友達だというし、紋章が宿って3年というし、邪険にするのも忍びない。
 
「何が聞きたい」
「あの……あ、あなたはその、黒いものが人にまつわりついて視えたりは、しませんか?」
「黒いもの?」
「はい。僕は風が視えるんですが……黒い風が吹いている人が時折いて、それは蛇や虫の姿をしていることが多く……」
「…………」
「す、すみません、視えませんか……」
「……いや、視えるぞ」
「え、本当、ですか!? あの、あ、あっ……あなた、は、あれはどういうものかお分かりですか?」
「……」
「あ……すみません」
「アルノー君」
「は、はい! すみません」
「……君は何故さっきからやたらと謝るんだ? 俺は無愛想だが別に怒っていない」
「あ……」
 俺の言葉のあと、アルノーは目を大きく見開き目線を左右に泳がせる。
「す……すみま、せん……」
「…………」
「僕はあの……基本的な術しか使えないなんて言いましたが、実はそれすらも使えず、謝ってばかりいて、それが抜けなくて、どうしても……すみません」
 とぎれとぎれに息を吐き出し、まるで罪を告白するかのようにアルノーは言葉を紡ぐ。
「……そうか」
 ……としか、返しようがなかった。
「すみま……せん」
 
 ジャミルによると彼は魔術学院で大した魔法も身につかずに無下に扱われ、やがて精神を病んで闇堕ちしかけずっと療養していたという。
 元の彼は全く知らない。だがこの様子だと魔術学院の人間はよほど彼を虐げ、打ちのめしたのだろう。
 闇堕ちこそしなかったが、精神が安定しているとはとても思えない。
 ――他人事ながら、胸くそが悪い。
 
 
「いや、いい。じゃあさっきの話の続きをするけど……黒魔術って知っているか?」
「黒魔術? ……いえ。禁呪とは違うものですか?」
「禁呪は知っているんだな?」
「はい、授業で。生けるものの命を魔器ルーンとし……高等な術は無垢または虚無の魂を持つ人間、術者や紋章保持者であればなお威力を増すと……」
「そうだ。よく知ってるな。……天才じゃないか?」
「こ、このくらいは別に、誰でも知っているかと……」
 ――『誰でも』は知らないことなんだが。やたらと謝ることを指摘した時よりも、アルノーは萎縮してしまう。
「黒魔術というのは下等生物を生命を使って強力な魔法を使う禁呪まがいのものだ」
「下等生物……」
「ああ。虫とか、蛇とかな」
「え、え……!? それじゃあ、僕、いえ僕達に視えているあれは……」
「俺は黒魔術それに使われて死んだ生き物の……おそらく魂で、そいつが術者に貼り付いている――と、思ってる」
「そんな……そんなまさか」
「……真偽はともかく。そいつをくっつけた奴が近くにいると、雑音がするしひどく不快だ。君もそうじゃないか?」
「は、はい……その気配と音が気になって、ずっとそわそわして落ち着きませんでした……」
「なら、君が魔法をあまり使えないのはそいつのせいだろう」
「え……?」
「魔法の初心者なら、意識の集中にも時間を要する。でもそんなのが近くにいるんだから意識もなかなか集中できないだろうな」
「…………」
「だから……君が魔法を使えないのは、君のせいじゃない。使えないからといって萎縮したり、卑屈になる必要はない」
「え、……あ……、……ありがとう、ございます……」
 
 両手の拳を握りしめ、アルノーは涙をポロポロと流す。
 感情のやりとりは面倒だ。しかしさすがに「ふーん、大変だな」と切って捨てることはできなかった。
 でも男に泣かれるのは正直困る……昔カイルにも2回くらい泣かれたことがあった。
 これ、不良が気弱な青年をいじめているみたいに見えてないだろうか。
 ……参った。
 
「ええと……聞きたいことはそれで終わりか? 仕事に戻りたいんだが」
「あ、すみません……ありがとう、ございます。……あなた、と、お話できてよかったです」
「…………。アルノー君」
「は、はい」
「俺は冒険者パーティの隊長をやっているんだ……二人だけだけどな。だから『隊長』とか適当に呼んでくれればいいから」
「……たい、ちょう……?」
「――俺の名前を呼べない。そうだろ?」
「……!!」
 ――ずっと気になっていた。彼はずっと俺を「あなた」と呼ぶ。きっと喉につっかえて出てこないんだろう。
 アルノーは俺の言葉を聞いて、まるで死刑宣告を受けたかのように悲愴感に満ちた顔をして両腕を抱えて震える。
 
「怒っていないから、そんな命取られそうな怯え方しないでくれ」
「す、すみません、すみません! 僕、僕は、紋章が現れてから、人の名前をどうしても呼べない時があって、あの……あなたの名前は頭にちゃんとあるんです、でも……なぜか口から出ないんです」
「ああ。魂にからむ名前――真名まなというんだが、それしか呼べないんだ。偽名はなぜか呼べない……不便だよな、これは」
「真名……」
「俺のこの名前は借り物だから。魂に絡んでないってことだろうな」
「…………あの、あの」
「俺はノルデン人だ。ノルデンは内乱だの災害だので孤児になった奴がたくさんいて……名前がないやつもいる。だからみんな適当に自分で名前をつけて名乗るんだ。物語の登場人物とか、有名人とかな」
 
 アルノーは所在なく目線を動かし、背を丸めてうつむいてしまう。
 彼はとても気の毒だ。
 3年前までできていたことが急にできなくなり、今までできなくても構わなかったこと――魔法が使えないことを、おそらく徹底的に糾弾され虐げられた。
 不便だろう、煩わしいだろう。……呪わしいだろう。
 とはいえ、これ以上はごめんだ。
 本をしまいこんだ箱を持ち上げる――倉庫に持って行くという名目で話を切り上げて、今日は解放してもらいたい。
「……相手を怒らせることがあって面倒だが、慣れるしかない。ただ俺のことに関しては、君は何も気に病む必要……は……」
 話しながら箱を持ち歩いていた俺は、その先の言葉を続けられず立ち止まる。
 
 アルノーは紋章の事で深刻に悩んでいる。暗闇の中、なんでもいいから指標がほしいのだろう。
 そう思ったから俺も適当でなく真面目に話をした……話したくないことまで、熱量多めに。
 この図書館は客が少ない。
 午後は特にまばらで、話をしていても誰に聞かれることもない。
 ――そう思って、完全に油断をしていた。
 
「あ……あの、あの、ごめんなさい、わたし、わたしその……」
 そろそろ夕方だ。この時間いつも彼女が……レイチェルが来ることを忘れていた。
 俺とアルノーが話をしていた本棚の、その向こう側にいたらしい。
「……ああ、いや……」
 
 彼女は何も悪くはない。どこかで別の機会を設けて話せばよかっただけだ。
 どこからか分からないが、話を聞いてしまった彼女はカバンで口元を覆い隠して目を潤ませて怯えるように立ち尽くしていた。怒られると思っているんだろう。
 別に怒ったりはしない。しないが……どう言葉をかければいい。
 
 ――頭痛がしてくる。
 心を伴うやりとりは苦痛だ。もう、したくない。
 それなのに最近、そんなことばかりだ。
 俺をそちらへ、引き込まないでほしい――。
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