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【第2部】7章 風と鳥の図書館

◆エピソード―アルノー:暗くて、苦い(後)

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 学校側に強制的に入れられた保養所。……こんな状態の僕が入るんだから監獄のような所なのかと思っていたが、予想に反してとてもいい所だった。
 ズンと暗い気分でベッドに横たわっているだけだったが、窓から見える景色は綺麗で、それを見るだけでも心が満たされ涙があふれた。
 魔術学院で景色をじっくり見たことなんかあっただろうか。
 
 ようやく精神が落ち着いて退所が近付いていたある日、職員の人が手紙の束を渡してくれた。

「ジャミル……?」

 魔術学院の寮に届いていたらしい、友達からの手紙。
 卒業の年まで魔術学院の方で保管してあったようで、形だけとはいえ卒業したあとはこの保養所に転送してくれていたのだった。
 特等学科の人間もその教師も僕にとってろくでもない人達ばかりだったけど、普通に心のある人もいたのかもしれない。

 手紙は「元気か」「また会おうぜ」とかそんな短いもの。
 一番日付が新しい手紙には、「酒場の厨房で働くことになった」とあった。「ヒマがあったら食べにきてくれ」とも。
 その手紙から既に一年近くが経過していた。
 その間、彼とやりとりをしていない……今更行って何か話ができるだろうか。頭のおかしいこんな自分、もう友達と思っていないんじゃないだろうか。それに……彼が楽しそうにしていたらすごく妬んで八つ当たりしてしまうかもしれない。
 でも魔術学院から逃げるきっかけになったあの手紙について、せめて一言お礼を言いたい。
 
 
 ◇
 
 
 手紙に記載のあった店を訪ねた。
 注文を取りに来たマスターらしき人に彼のことを尋ねると「呼んできますよ」とニカッと笑って厨房の方へ。しばらくすると白いコック服を身にまとった友達が帽子を脱ぎながらこちらへ歩いてきた。
 
「あ……」
「アルノー……? アルノーじゃねーか! オマエ、生きてたんだなぁ!」
 
 二、三年ぶりくらいに会った友達――ジャミルは僕の顔を見て屈託なく笑った。
 僕はまだ情緒が不安定みたいだ……彼が普通に話して笑ってくれた、ただそれだけで泣きそうになってしまうんだから。
 
 大声になってしまったからかジャミルは周りの客をチラチラ見ながら、僕の向かいの席に座った。

「久しぶり……ごめん、連絡もできなくて」
「いや、別に。やー、マスターが『お客さんが呼んでる』っつーからビビったぜ。クレームかと思って……ハハッ」
「……ごめん。仕事中、だよね?」
「いや、ちっとくらいなら話しててもいいって」
「そっか……あの、手紙ずっとくれててありがとう。それから返事出せなくてごめん。何もできる状態じゃなくて」
「……手紙、読んでくれてたんだな」

 そう言うとジャミルは、コック帽をテーブルに置いて伏し目がちに笑った。

「ジャミル……なんだか雰囲気変わったね?」

 学生時代の彼は、全然笑わないなんてことはなかったけどこんなに明るく笑う人ではなかった。今はなんだかはつらつとしている。

「そっか? まあ確かに、眼がヤベー感じだもんなー」
「ま、まあそれも確かにあるけど」

 彼の言う通り外見も少しちがう。何か度のきつそうな眼鏡をかけているし、確か彼の眼は青じゃなかっただろうか。紫色をしていて瞳孔が猫のように縦長だ。
 それに……。
 
「その小鳥は? 普通の鳥じゃなさそうだけど……」

 ジャミルがテーブルに置いたコック帽の上に紫色の小鳥が止まり、キョロキョロと辺りを見回している。かわいいけど何か普通の鳥にはないオーラのようなものを感じる。

「あー、コイツは……まあ色々あってさぁ……」
 
 
 話によると、この鳥は闇の紋章の眷属。元は剣に取り憑いていたものらしい。
 数少ない魔術学院での授業の記憶。
 火水土風の紋章は生き物に宿り、光と闇の紋章は物に宿る。闇の紋章はたいてい武器防具に宿って人の血や悪意を吸い取る。
 穢れに満ちた闇の剣はやがて独自の意志を持つようになり、持ち主の魂を侵食し体を乗っ取る。
 乗っ取りが完了したら、持ち主の体を使い殺戮に走るようになる――と。
 そうして命を奪い、穢れを吸い上げ剣に溜め込み持ち主が死ぬまで操り続ける。
 持ち主が死ねば剣に戻り、路傍の石のように転がりまた持ち主を求める。悪党よりも、悔恨や悲しみを抱えた真人間を好む。
 ジャミルは弟さんとのこと、ご両親とのことで悩みを抱えていた。その感情に目をつけた『闇の紋章の剣』に取り憑かれて闇堕ち寸前までいったという。……彼のそんな事情、知らなかった。
 
「そうだったんだ……ごめん、何も知らなくて」
「そりゃまあ、わざわざ話さねえよ……知られたくねえしな」
「…………」
 
 僕も知られたくないことがある。今まで彼に抱いていた汚い感情。
 ――僕は自分だけが死ぬほど辛いなんて思っていた。
 彼は充実した学園生活を送って、気楽に過ごしているんだと。だから僕のヘドロのような感情を少し投げるくらいいいだろう……そんなことまで思っていた。
 
「……でも、よく戻ってこれたね。闇の紋章の剣って本当に恐ろしいって話だし……その鳥が元はそんな剣だったなんて信じられないな」

 ごくまれに、闇の紋章の精神の侵食に耐え抜き浄化させられる者もいるという。浄化した闇の紋章は転生して別の生命体に。
 浄化した者を主人とし、一生仕えることになるとか……眼を乗っ取られかかったとはいえ、友達がそんなすごい精神力を持っていたというのもまた驚きだ。
 
「――名前が呪文だっていうよね。名前は?」
「ああ、ウィルってんだ」
「――う、う?」

 ――ウィル。

 なぜだか、喉の奥につっかえてその名前を言うことができない。
 ああ、まただ。またこの感じ――魔術学院でも、どうしても名前を言うことができない人がいた。これも嫌われて疎まれる理由の一つだった。
 
「名前言えねえ感じ?」
「えっ? ……うん。ごめん……」
「やー、別に。だいたいみんな呼べねえんだ。……オマエはアレか、呼べねえタイプの紋章使いかー」
「『呼べないタイプ』? 呼べるタイプがいるの? っていうか紋章使いの知り合いがいるの?」
「ああ。水のヤツと火のヤツと会ったことあって、つい最近までつるんでた」
「ふ、二人も? っていうか、つるんでたって……」
 
 千人に一人と言われる紋章使い。その人と二人も巡り合って……僕も入れたら三人じゃないか?
 闇の剣を拾って闇の使い魔を従えて、その上紋章使い二人とつるんで……?
 
「そうそう、二人共不思議なヤツだったなー。なんか『綺麗な水』だの『闘志に色』がどうだのって言ってて……なんか視えるみてえなんだよ」
「え……」
「オマエ、手紙に『黒い風が渦巻いてる』って書いてたじゃん? それと似たようなもんなのかなー」
「…………」
「ア、アルノー? どうしたよ」
「ご、ごめん。そういうの視えるの、僕だけじゃなかったんだって、思って」

 ――涙が出てきてしまった。
 風が視えるとか虫が飛んでいるとか、そう言っても誰も信じてくれなかった。
『出来損ないがでたらめを言って気を引こうとしている』『頭がおかしい』なんて、そんな風に言われていた。孤独だった。
 僕は人目もはばからず、しばらくすすり泣いた。

 ジャミルがお客さんを泣かしたのでは、と思ったらしいマスターが怖い顔でテーブルまでやってきて、本当に申し訳なかった。
 
 
 ◇
 
 
「……ごめん、泣いたりして……」
「気にすんな。まあこれでも食えよ」
 
 僕の前に小さいガーリックトーストを盛った皿が置かれる。
 僕達は仕事終わりの時間に待ち合わせをして、一人暮らしのジャミルの家までやってきていた。
 お酒を飲んで、ジャミルが作ったおつまみを食べながら色々な話をした。彼の料理はどれも美味しい。
 
「でもジャミル怒られちゃうし……」
「あー、オレは前科があるしな、しょうがねえんだよ……ハハッ」

 バツが悪そうにジャミルが頬を掻く。

「ていうかアレだな、話聞いてると魔術学院ってめっちゃクソだな。なんも分かんねえヤツをいきなり上のクラスに押し込んで何も教えてくれねえとかさー」
「学校の人は……紋章がありさえすれば魔法が無条件で撃てる、だから教える必要もないって、そう思ってるみたいだった」
「魔術学院のクセに魔法のこと知らねえのかな? クソだなクソ」
「はは、クソって言いすぎだよ。あの……ジャミルの知り合いの紋章使いの人に、何か話を聞けないかな」
「……どうだろ? 水のヤツはあんま会話成り立たねえし、火のヤツはあんま詮索されたくなさげだしな……まあでも、分かんねーことをそのままにしとくのも面白くねえよな。ちっと話できねえか聞いてみるわ」
「ごめんね、頼むよ」
 
 3年ほどだけど、紋章があることで嫌な思いをたくさんした。きっとみんなほじくられたくないだろう。
 どうにか話をできればいいけど……そんなことを僕が考えていると、ジャミルが何かブツブツとつぶやき始めた。
 
「ピザ……酢豚……いや肉まんか……?」
「ど、どうしたの」
「いや、何の料理で釣ろうかなって」
「料理? 釣る?」
「カツ丼かなーやっぱ。あれならエピソードトークとか『紋章あるある』とか引き出せるかなー」
「も、紋章あるある……」
 
 人が悩んでいることを随分軽い言い回しに……。
 僕は彼の全てを知ってるわけじゃないけど、こんなに軽い感じだったかな?
 
 ダメだ……紋章あるある、早く聞きたい。どうか交渉がうまくいきますように……。
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