桜と椿

星野恵

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百花繚乱

「鬼灯」四

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デジタル時計が、朝の六時を示している。
僕は、布団から起き上がり、扇風機のスイッチを入れる。
部屋を何気なく見回して、そこに見慣れない顔の男がいるのを発見する。
いや、違う。
昨日出会い、昨日僕が鎖を解き放ち、昨日何度となく目にした顔だ。
「お早う、山本。よく眠れたか?」
「うん、まあまあ。君は?」
「…俺は眠ることができない、死後ずっとな」
「………そっか、ごめん」
「謝らなくていい。…今日はどうするんだ?」
「今日は学校がないから本当はゆっくりしたいんだけど、鬼退治に必要なものとか調達したいから少し忙しくなるかな」
「…そうか」
四畳半の部屋のすみで、彼は刀をたてかけて、体操座りで座っていた。
一晩中、そうやって、いてくれたのだろうか。
申し訳ないな。
「…ねぇ君」
僕は、扇風機が気になっている様子の彼に、尋ねた。
「…どうした?」
「ねえ、この後外に散歩にでも行かないかい?」
「…構わないが、どうしてだ?」
「君はこの辺りあんまり詳しくない様子だからさ、好奇心旺盛な君のことだから、いろいろこの辺りのことも知りたいんじゃないかなと思って」
「…いいぜ、行こう」
「…ありがとう」

案の定、質問の嵐。
この辺りはなんて名前の土地なのか、ここの畑では何を栽培しているのかとか。
特に山の上の送電線が気になっていたようだ。どうも彼にとっては「電気を使う」という行為がいまいちピンときていないらしい。
「…俺がくくりつけられていた岩があるのは、あの山か?」
「そうだね」
「…俺が縛られていた間、外では随分と長い時間が経っていたようだな」
「…いつから、縛られていたの?」
「…はっきりとは覚えていないが、かなり前だ」

僕は、自動販売機で水を買い、喉に流し込んだ。
「…ねえ、今度は僕が君に質問してもいいかな?」

「何故だ」
彼が、東大寺の吽形像のように、強く口を結んで、いつになく険しい顔をした。
これまでの人生で、僕の見たことがない、見る者に、恐怖を抱かせる表情。
………何か、癪に障る事でも言ってしまったのだろうか…。

「……さっきまでいっぱい質問に答えたから、僕からも、君について質問してもいいかと思って、」
「そうだな、勝手なことを言った、すまない。…だが、俺は必要以上に、俺のことを言いたくない」

彼は、刀の鞘を握り、僕と目を逸らすように、包帯の巻かれた腕を見つめた。

「…そっか、ごめん」
「…君は悪くない、ただ…」
「…ただ?」
「…こんな素性の分からないやつに、できないかもしれないけど、…俺のことを信頼しておいてくれないか」
「…分かった」
彼が、僕に、自分のことを言いたくないと、いった理由は、分からなかった。
ただ、確かだったのは、彼は僕に信頼を求めているけど、
僕は彼に信頼されていないこと、
僕が彼に拒絶されたということ、
それだけだ。

しかし、今更拒絶されたところで、僕は大して何とも思わない。
人から壁を作られることなんて、慣れっこだ。

明日が、鬼退治の日。
つまらない事を考えている暇なんて、ない。

僕は、空になったペットボトルを、ゴミ箱に放り込んだ。
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