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第74話 幸せなおはよう
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「良いアパートが見つかってよかったね」
卒業したあとで再び上京し、哲郎と水町玲子は揃って同じアパートへ入居するのが決定した。事前に先方の両親から許可は貰ってあるので、改めて感激したりはしない。
とはいえ、安堵したというのが正直な感想だった。恋人の少女を信じてはいるが、離れ離れでは余計な不安や心配も増える。
哲郎が「そうだね」と応じ、その場で同行していた水町玲子と哲郎の両親が部屋の契約を済ませる。
あとはどのような家具を購入するかだけだが、哲郎も水町玲子も大学卒業後には地元へ戻ると決めていたので、必要最低限なものだけにする予定だった。
当人たちが決めたのなら、そうすればいいと水町家も梶谷家も了承してくれた。仕送りの額も決まっており、これで大学生活の目途はついた。
哲郎たちも一度戻るつもりでいたが、当日から入居できることになったため、そのまま宿泊すればと勧められた。
すでに水町家の工場における仕事も引継ぎを済ませていたので、哲郎と水町玲子はそれぞれの両親の言葉に甘えることにした。
移動のたびにお金と体力と時間を使うし、布団さえ購入すればなんとか眠れる。手持ちのお金もそこそこあるので、いきなり生活に困ったりもしない。
生活に必要な買物を終え、お互いの両親を一緒に駅まで見送ったあとで、哲郎は咲を誘って小さな定食屋に入った。
丁度夕食時だったので、ひと仕事終えた大人たちで大層な賑わいを見せていた。店の先まで美味しそうな匂いが漂っていたくらいなので、味もかなり期待できそうだ。
「凄いね、哲郎君。こういうお店にも、すんなり入られるんだね」
入店時から恐る恐るで、哲郎の背中にピッタリくっついてきた水町玲子がそんな感想を口にした。
慣れてるからねとは口にせず、ただただ哲郎は微笑んでいた。頭の中では、どのくらい前の人生か忘れたが、一緒に定食屋で食事をしていた光景を思い出す。
駆け落ち同然で逃げ、住み込みで仕事をしながら一緒に暮らした。リセットして今の人生を送っているくらいなのだから、決して幸せな結末ではなかった。
けれど、その過程はそれなりに楽しかった。どのような人生であっても、そうした小さな喜びはあるのかもしれない。だからといって、戻る気はない。それくらい今は幸せだった。
「すぐに玲子も慣れるさ」
「そうかな。私は哲郎君と一緒でないと、こういうお店に入るのは無理そうだよ」
ムキになって「そんなことはないよ」と言っても仕方ないので、ここは哲郎が引いて「そっか」と話題を終了させる。
そのうちに店員が注文を取りに来たので、哲郎は昔から好きな野菜炒め定食を頼む。まだ店の雰囲気に慣れていない水町玲子は、少し怯えた様子でじっと目を見つめてくる。
注文を決めきれないのだと察した哲郎は、すぐに店員へ野菜炒め定食を2つと注文を訂正した。
承った店員がテーブルの側を離れると、小さくため息をついた恋人の少女が哲郎に「ありがとう」と告げてきた。
「美味しそうだと思って入ってしまったけど、玲子は苦手だったかな」
入店する前に一応、このお店でいいかなと了承はとっていた。だからといって、相手が心から賛同してくれているとは限らない。哲郎に気を遣っただけの可能性もあるのだ。
尋ねた哲郎に水町玲子は首を左右に振って「ううん」と答えてくれた。
「私も匂いを嗅いで、美味しそうだと思ったから大丈夫だよ。実はもう野菜炒め定食が楽しみになっているしね」
大好きな笑顔でそう言ってもらえると、すぐに安心できた。哲郎にとっては、なによりの特効薬なのだ。
未成年なのでまだお酒で乾杯はできないし、仮にできたとしてもアルコールが苦手な哲郎は好んで行わない。それでもこれから始まる二人の生活を祝ってみたかった。
小さなコップに入った水ではあったけれど、野菜炒め定食が届いたあとで、哲郎は「これからの二人に乾杯」と柄にもなく格好つけた台詞を口にしてみた。
似合わないとからかわれるかと思ったが、意外と水町玲子も乗ってくれた。ロマンチックの欠片もない定食屋に響くコップの音が、哲郎たちの新たな生活を始める合図になる。
*
東京へいる間の城となるアパートへ戻ると、買ったばかりの布団を引く。勉強机はダンボールで代用できるので、しばらくは必要ない。
参考書はノートは持ってきてあるし、勉強をしようとなれば好きなだけできる。ひとり暮らしなので、同居人を考慮しなくてもいいのは利点だった。
とはいえ哲郎は繰り返してきた人生で、何度も猛勉強を行って相当の知識を身につけている。今さら通常の勉強で得たいものはなかった。
それよりも哲郎が必要としたのは、水町家の工場でも役に立てるスキルの獲得だった。ひいてはそれが自分たちの将来に繋がり、恋人の少女を喜ばせる。
決して高級ではないアパートを選んだので、トイレはついているもののお風呂はない。なので近くの銭湯を利用するしかなかった。
数十年先の未来と違って、きちんとした風呂付きのマンションはまだまだ数が少ない。あったとしても、大学生の身分では手が届かない家賃が設定されている。
銭湯暮らしに哲郎が慣れているのもあり、水町玲子もこのアパートに決定したのだが、少なからず不安を抱いているはずだった。
時計を確認すればまだ夜の九時。恋人の部屋へ行って、元気付けてあげるべきだろうか。そのように考えていると、先に哲郎の部屋のドアがノックされた。
鍵はかけてなかったので「どうぞ」と声をかけると、ドアを開けて水町玲子が部屋へ入ってきた。
「まだ眠ってなかったよね」
そう言って靴を脱ぎ、室内へ上がってくる。部屋は畳が敷かれており、独特の匂いが鼻をくすぐる。
未来ではあまり見かけなくなっているが、哲郎は畳の感触や匂いが大好きだった。
「まあね。玲子はお風呂なしで大丈夫?」
今日から住むと決めてなかったので、お風呂の用意はしていなかった。そのため、話し合って今日は入浴を我慢しようと決めた。
未来では入浴代も相当に高くなっているが、この時代ではそこまで高騰していない。銭湯の数自体も多く、市民の社交場的な役割も果たしている。
哲郎たちが住みだしたアパートのように風呂なしのところも多いし、銭湯というシステムが必要不可欠なのだ。
「一日くらいなら平気よ。汗臭いのもそれなりに慣れているわ。だって、工場の娘ですもの」
親元から離れて変なテンションになっているのか、普段よりも明るい口調で水町玲子が話す。珍しく思ってる哲郎の顔を見て、今度はクスクス笑いだした。
何が面白いのかと訝る哲郎に、恋人の少女はストレートに「変な顔になってるよ」と指摘してきた。
「きっと玲子が訪ねてきてくれたから、驚いてるんだよ」
「実家にいる時は、たまにひとりになりたいと思ったりもしたけれど、実際に誰もいなくなると寂しくなってしまって……迷惑だったかな」
「迷惑だなんてとんでもない。大歓迎だよ。できれば一緒に暮らしたいくらいだ」
ついうっかりと本音が出てしまい、引かれたかと思いきや、照れたように水町玲子は頬を朱に染めていた。
反応から相手女性がまんざらでもないと考えてるのがわかり、哲郎も嬉しくなる。幼い頃から、変わらず両想いのまま順調にここまできている。
「哲郎君て、たまにドキっとする台詞を言うよね。なんか……ずるいな」
「そ、そうかな。でも、それだけ玲子を好きだっていう証拠だよ」
「うん……わかってる。哲郎君は、ずっと私だけを想ってくれているもの……」
何かを思い出すかのように瞼を閉じた水町玲子は、そのまましばらく口を閉じていた。
*
未来ではあまり聞きなれなくなった雀の囀りが、目覚まし時計の代わりとなって哲郎に朝を知らせてくれる。
まだ大学へ入学する前なので、決まった時間に起きる必要はない。それでも朝早く起床して、窓から差し込む朝日を浴びると清々しい気分になる。
過去から未来にかけて、どんなに時間が流れていようとも、朝の爽やかさだけは不変に思える。難点を挙げるとすれば、田舎に比べて都会の朝が騒々しい点だった。
より先鋭的な都市にするべく、街のあちこちで色々な工事が行われている。階数が増えて大きくなるビル群も増えて、いよいよ哲郎の知る首都の姿へ本格的に発展しようとしていた。
「おはよう」
窓から朝の風景を眺めながら感傷に浸っていると、大好きな声が哲郎に朝の挨拶をしてくれた。
すぐに哲郎も「おはよう」と朝の挨拶を返し、誰よりも愛している女性――水町玲子の顔を見る。
アパートに住むと決めたその日のうちから、恋人の女性に契約した部屋を留守にさせてしまった。
こちらの一存ではなく、両者共に合意の上で同じ部屋――つまりはここに宿泊したのだ。意識せずに自然とそうした流れになったので、哲郎も身を任せた。
それぞれもう子供ではないし、以前の人生においてもそうした経験はあった。ゆえに哲郎に戸惑いはなかったが、相手は違う。出来る限り優しくして、素敵な想い出になるように努めた。
だが当人に「素敵だった」と聞けるような性格ではないので、今もなお水町玲子の感想は聞けないでいる。若干の不安はあるが、むしろこの方がよいのではないかとも思っていた。
哲郎が上半身を起こすと、テーブル代わりにしているダンボールに肘を突きながら、こちらを見ている水町玲子の姿が視界に入った。
「本当はご飯とお味噌汁を用意してから、起こしてあげたかったのだけれど……」
そう言って、相手女性が口ごもる。引っ越してきたばかりで、調理器具どころか食器類も不足している。申し訳なさそうな顔をする必要はなかった。
その旨に加えて「気持ちだけでも嬉しいよ」と言って、哲郎も布団から起きる。殊更に、昨夜のことを話題にするつもりはなかった。
水町玲子が人よりも恥ずかしがる性格なのを知っているので、余計な発言をして拗ねさせるのを避けた。
「じゃあ、身支度を終えたら、朝ごはんを食べに行こうか」
部屋の真ん中で座っている少女はすでに洗顔も済ませたみたいだったので、今度は哲郎が台所で軽く顔を洗う。洗面所と別々になっていないので、かなりのスペースがある。
未来の生活しか知らない人間には不便かもしれないが、過去へ戻ってきただけで哲郎は従来この時代を生きてきた。懐かしさを覚えても、嫌だと思ったりはしなかった。
哲郎が洗顔や着替えを終えるのを待って、二人で部屋を出る。目指すのは適当な食堂だと思っていたが、今朝は水町玲子にお店を選んでもらうことにした。
哲郎みたいに定食屋ではなく、女性の水町玲子は朝から営業している喫茶店を選択した。本格的なメニューはなくとも、軽食はやっているので朝食をとるだけなら十分だった。
「今日は食器とか、色々と買わないといけないな」
「そうね。少しなら持ってきたけれど、哲郎君の部屋もまだまだ少なかったものね。おいおい増えてはいくのだろうけど、このままでは不便ですもの」
哲郎の提案に水町玲子も了承してくれたので、今日の予定が決定する。喫茶店での朝食を終え、食後のコーヒーを飲み終えたら、デートがてらに街の散策に出発する。
どこにどのような店があるのかを調べる目的もあり、必要なものを購入して自室へ戻る頃には、時刻はすでに夜になっていた。
とにもかくにもある程度の準備は終わり、いよいよ本格的に哲郎と水町玲子の大学生活が始まる。
卒業したあとで再び上京し、哲郎と水町玲子は揃って同じアパートへ入居するのが決定した。事前に先方の両親から許可は貰ってあるので、改めて感激したりはしない。
とはいえ、安堵したというのが正直な感想だった。恋人の少女を信じてはいるが、離れ離れでは余計な不安や心配も増える。
哲郎が「そうだね」と応じ、その場で同行していた水町玲子と哲郎の両親が部屋の契約を済ませる。
あとはどのような家具を購入するかだけだが、哲郎も水町玲子も大学卒業後には地元へ戻ると決めていたので、必要最低限なものだけにする予定だった。
当人たちが決めたのなら、そうすればいいと水町家も梶谷家も了承してくれた。仕送りの額も決まっており、これで大学生活の目途はついた。
哲郎たちも一度戻るつもりでいたが、当日から入居できることになったため、そのまま宿泊すればと勧められた。
すでに水町家の工場における仕事も引継ぎを済ませていたので、哲郎と水町玲子はそれぞれの両親の言葉に甘えることにした。
移動のたびにお金と体力と時間を使うし、布団さえ購入すればなんとか眠れる。手持ちのお金もそこそこあるので、いきなり生活に困ったりもしない。
生活に必要な買物を終え、お互いの両親を一緒に駅まで見送ったあとで、哲郎は咲を誘って小さな定食屋に入った。
丁度夕食時だったので、ひと仕事終えた大人たちで大層な賑わいを見せていた。店の先まで美味しそうな匂いが漂っていたくらいなので、味もかなり期待できそうだ。
「凄いね、哲郎君。こういうお店にも、すんなり入られるんだね」
入店時から恐る恐るで、哲郎の背中にピッタリくっついてきた水町玲子がそんな感想を口にした。
慣れてるからねとは口にせず、ただただ哲郎は微笑んでいた。頭の中では、どのくらい前の人生か忘れたが、一緒に定食屋で食事をしていた光景を思い出す。
駆け落ち同然で逃げ、住み込みで仕事をしながら一緒に暮らした。リセットして今の人生を送っているくらいなのだから、決して幸せな結末ではなかった。
けれど、その過程はそれなりに楽しかった。どのような人生であっても、そうした小さな喜びはあるのかもしれない。だからといって、戻る気はない。それくらい今は幸せだった。
「すぐに玲子も慣れるさ」
「そうかな。私は哲郎君と一緒でないと、こういうお店に入るのは無理そうだよ」
ムキになって「そんなことはないよ」と言っても仕方ないので、ここは哲郎が引いて「そっか」と話題を終了させる。
そのうちに店員が注文を取りに来たので、哲郎は昔から好きな野菜炒め定食を頼む。まだ店の雰囲気に慣れていない水町玲子は、少し怯えた様子でじっと目を見つめてくる。
注文を決めきれないのだと察した哲郎は、すぐに店員へ野菜炒め定食を2つと注文を訂正した。
承った店員がテーブルの側を離れると、小さくため息をついた恋人の少女が哲郎に「ありがとう」と告げてきた。
「美味しそうだと思って入ってしまったけど、玲子は苦手だったかな」
入店する前に一応、このお店でいいかなと了承はとっていた。だからといって、相手が心から賛同してくれているとは限らない。哲郎に気を遣っただけの可能性もあるのだ。
尋ねた哲郎に水町玲子は首を左右に振って「ううん」と答えてくれた。
「私も匂いを嗅いで、美味しそうだと思ったから大丈夫だよ。実はもう野菜炒め定食が楽しみになっているしね」
大好きな笑顔でそう言ってもらえると、すぐに安心できた。哲郎にとっては、なによりの特効薬なのだ。
未成年なのでまだお酒で乾杯はできないし、仮にできたとしてもアルコールが苦手な哲郎は好んで行わない。それでもこれから始まる二人の生活を祝ってみたかった。
小さなコップに入った水ではあったけれど、野菜炒め定食が届いたあとで、哲郎は「これからの二人に乾杯」と柄にもなく格好つけた台詞を口にしてみた。
似合わないとからかわれるかと思ったが、意外と水町玲子も乗ってくれた。ロマンチックの欠片もない定食屋に響くコップの音が、哲郎たちの新たな生活を始める合図になる。
*
東京へいる間の城となるアパートへ戻ると、買ったばかりの布団を引く。勉強机はダンボールで代用できるので、しばらくは必要ない。
参考書はノートは持ってきてあるし、勉強をしようとなれば好きなだけできる。ひとり暮らしなので、同居人を考慮しなくてもいいのは利点だった。
とはいえ哲郎は繰り返してきた人生で、何度も猛勉強を行って相当の知識を身につけている。今さら通常の勉強で得たいものはなかった。
それよりも哲郎が必要としたのは、水町家の工場でも役に立てるスキルの獲得だった。ひいてはそれが自分たちの将来に繋がり、恋人の少女を喜ばせる。
決して高級ではないアパートを選んだので、トイレはついているもののお風呂はない。なので近くの銭湯を利用するしかなかった。
数十年先の未来と違って、きちんとした風呂付きのマンションはまだまだ数が少ない。あったとしても、大学生の身分では手が届かない家賃が設定されている。
銭湯暮らしに哲郎が慣れているのもあり、水町玲子もこのアパートに決定したのだが、少なからず不安を抱いているはずだった。
時計を確認すればまだ夜の九時。恋人の部屋へ行って、元気付けてあげるべきだろうか。そのように考えていると、先に哲郎の部屋のドアがノックされた。
鍵はかけてなかったので「どうぞ」と声をかけると、ドアを開けて水町玲子が部屋へ入ってきた。
「まだ眠ってなかったよね」
そう言って靴を脱ぎ、室内へ上がってくる。部屋は畳が敷かれており、独特の匂いが鼻をくすぐる。
未来ではあまり見かけなくなっているが、哲郎は畳の感触や匂いが大好きだった。
「まあね。玲子はお風呂なしで大丈夫?」
今日から住むと決めてなかったので、お風呂の用意はしていなかった。そのため、話し合って今日は入浴を我慢しようと決めた。
未来では入浴代も相当に高くなっているが、この時代ではそこまで高騰していない。銭湯の数自体も多く、市民の社交場的な役割も果たしている。
哲郎たちが住みだしたアパートのように風呂なしのところも多いし、銭湯というシステムが必要不可欠なのだ。
「一日くらいなら平気よ。汗臭いのもそれなりに慣れているわ。だって、工場の娘ですもの」
親元から離れて変なテンションになっているのか、普段よりも明るい口調で水町玲子が話す。珍しく思ってる哲郎の顔を見て、今度はクスクス笑いだした。
何が面白いのかと訝る哲郎に、恋人の少女はストレートに「変な顔になってるよ」と指摘してきた。
「きっと玲子が訪ねてきてくれたから、驚いてるんだよ」
「実家にいる時は、たまにひとりになりたいと思ったりもしたけれど、実際に誰もいなくなると寂しくなってしまって……迷惑だったかな」
「迷惑だなんてとんでもない。大歓迎だよ。できれば一緒に暮らしたいくらいだ」
ついうっかりと本音が出てしまい、引かれたかと思いきや、照れたように水町玲子は頬を朱に染めていた。
反応から相手女性がまんざらでもないと考えてるのがわかり、哲郎も嬉しくなる。幼い頃から、変わらず両想いのまま順調にここまできている。
「哲郎君て、たまにドキっとする台詞を言うよね。なんか……ずるいな」
「そ、そうかな。でも、それだけ玲子を好きだっていう証拠だよ」
「うん……わかってる。哲郎君は、ずっと私だけを想ってくれているもの……」
何かを思い出すかのように瞼を閉じた水町玲子は、そのまましばらく口を閉じていた。
*
未来ではあまり聞きなれなくなった雀の囀りが、目覚まし時計の代わりとなって哲郎に朝を知らせてくれる。
まだ大学へ入学する前なので、決まった時間に起きる必要はない。それでも朝早く起床して、窓から差し込む朝日を浴びると清々しい気分になる。
過去から未来にかけて、どんなに時間が流れていようとも、朝の爽やかさだけは不変に思える。難点を挙げるとすれば、田舎に比べて都会の朝が騒々しい点だった。
より先鋭的な都市にするべく、街のあちこちで色々な工事が行われている。階数が増えて大きくなるビル群も増えて、いよいよ哲郎の知る首都の姿へ本格的に発展しようとしていた。
「おはよう」
窓から朝の風景を眺めながら感傷に浸っていると、大好きな声が哲郎に朝の挨拶をしてくれた。
すぐに哲郎も「おはよう」と朝の挨拶を返し、誰よりも愛している女性――水町玲子の顔を見る。
アパートに住むと決めたその日のうちから、恋人の女性に契約した部屋を留守にさせてしまった。
こちらの一存ではなく、両者共に合意の上で同じ部屋――つまりはここに宿泊したのだ。意識せずに自然とそうした流れになったので、哲郎も身を任せた。
それぞれもう子供ではないし、以前の人生においてもそうした経験はあった。ゆえに哲郎に戸惑いはなかったが、相手は違う。出来る限り優しくして、素敵な想い出になるように努めた。
だが当人に「素敵だった」と聞けるような性格ではないので、今もなお水町玲子の感想は聞けないでいる。若干の不安はあるが、むしろこの方がよいのではないかとも思っていた。
哲郎が上半身を起こすと、テーブル代わりにしているダンボールに肘を突きながら、こちらを見ている水町玲子の姿が視界に入った。
「本当はご飯とお味噌汁を用意してから、起こしてあげたかったのだけれど……」
そう言って、相手女性が口ごもる。引っ越してきたばかりで、調理器具どころか食器類も不足している。申し訳なさそうな顔をする必要はなかった。
その旨に加えて「気持ちだけでも嬉しいよ」と言って、哲郎も布団から起きる。殊更に、昨夜のことを話題にするつもりはなかった。
水町玲子が人よりも恥ずかしがる性格なのを知っているので、余計な発言をして拗ねさせるのを避けた。
「じゃあ、身支度を終えたら、朝ごはんを食べに行こうか」
部屋の真ん中で座っている少女はすでに洗顔も済ませたみたいだったので、今度は哲郎が台所で軽く顔を洗う。洗面所と別々になっていないので、かなりのスペースがある。
未来の生活しか知らない人間には不便かもしれないが、過去へ戻ってきただけで哲郎は従来この時代を生きてきた。懐かしさを覚えても、嫌だと思ったりはしなかった。
哲郎が洗顔や着替えを終えるのを待って、二人で部屋を出る。目指すのは適当な食堂だと思っていたが、今朝は水町玲子にお店を選んでもらうことにした。
哲郎みたいに定食屋ではなく、女性の水町玲子は朝から営業している喫茶店を選択した。本格的なメニューはなくとも、軽食はやっているので朝食をとるだけなら十分だった。
「今日は食器とか、色々と買わないといけないな」
「そうね。少しなら持ってきたけれど、哲郎君の部屋もまだまだ少なかったものね。おいおい増えてはいくのだろうけど、このままでは不便ですもの」
哲郎の提案に水町玲子も了承してくれたので、今日の予定が決定する。喫茶店での朝食を終え、食後のコーヒーを飲み終えたら、デートがてらに街の散策に出発する。
どこにどのような店があるのかを調べる目的もあり、必要なものを購入して自室へ戻る頃には、時刻はすでに夜になっていた。
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