リセット

桐条京介

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第75話 一緒に暮らしたらどうだ

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 高校の卒業式と同様に、水町家と梶谷家の両親も大学の入学式に保護者として参加してくれた。

 両親にとって我が子の晴れ舞台というのは、やはり格別なものらしい。その後は哲郎と水町玲子の部屋に一泊して地元へ帰って行った。

 仕送りもあるので、特にアルバイトをする必要はないが、哲郎はすでに近くの工場で働かせてもらうことになっていた。

 中小企業ではあるものの、やはり設備関連は水町家の工場とはレベルが違っていた。経理や投資についての経験はあるものの、実際に使う側にまわったのは今回の人生が初めてだった。

 どうしてアルバイトをするのか訝っていた水町玲子も、哲郎の説明を聞くと賛同してくれた。それどころか、自分も経理を学びたいからと同じ工場で働くのを希望したのである。

 上り調子の会社らしく、猫の手も借りたいほど忙しいと汗だくの社長が対面時に言っていた。結局きちんとした面接もなしに、哲郎はおろか水町玲子までアルバイトとして採用された。

 大学できちんと勉強をしながら、午後になればアルバイト先の工場で勤務をする。たまに地元の水町家の工場で問題が起きれば、哲郎が土日を利用して処理にあたる。

 同じ講義を選択してはいたものの、忙しさからすれ違いになるケースもしばしば発生した。そのたびに寂しそうにする恋人を見かけては、申し訳なく思っていた。

 そんなとある日曜日。前日から哲郎は帰省していた。もちろん、水町家の工場の仕事を手伝うためだ。

 理由はともかくとして、哲郎が家に戻ってくれば母親の梶谷小百合は大層喜んでくれた。笑顔を見られるのは嬉しいが、代償として恋人の女性を置いてこなければならなかった。

 常に一緒にいたがったけれど、Uターンをするたびに結構な旅費が発生する。仮に金銭的な問題は解決しても、今度は体力的にキツくなってくる。

 娘が体調を崩すのを歓迎するはずもない水町家の両親は、電話を使って哲郎と一緒に水町玲子を説得してくれた。おかげで単独行動ができるようになったものの、目に見えて恋人の女性の機嫌は悪くなっていた。

「最近は週末のたびに、こちらへ来てもらってるな。哲郎君には、本当に申し訳ない」

 仕事がひと段落したところで、社長――水町玲子の父親から深々と頭を下げられた。会社のトップがお礼程度で、従業員にここまでするのはこの時代異例の出来事だった。

 下手に誰かに見られたら、威厳にかかわってくる。その点は水町玲子の父親も理解しているのだろう。事務所で他の誰もいない場所で、今回の謝罪は行われた。

 哲郎は頭を下げる社長に「気にしないでください」と告げ、体勢を元に戻してもらった。

「この程度くらいしか、俺はお役に立てませんから」

「そんなことはない。哲郎君のおかげで、どれだけ工場が助かっていることか。君がいなければ、こうして営業も続けられていなかっただろう」

 例の運転資金持ち逃げから始まり、信用金庫での知識と経験があった哲郎は、得られた信頼をうまく活用して水町工場の繁栄にひと役買っていた。

 そして今回、上京して見つけたアルバイト先と水町工場の提携にも成功している。新たな取引先は、お互いにメリットを生み出すものだったため、哲郎は両方の会社から多大な感謝をされる結果になった。

 これらのことも踏まえて、社長は哲郎にお礼を言ってくれたのだ。気持ちだけでも十分ありがたかったし、苦労がすべて報われたように感じた。

 同時に水町家のためではなく、自分のためでもあった。なにせ哲郎の最終目標は、最愛の女性と幸せな一生を添い遂げることだからだ。

 水町玲子を幸せにするためには、故郷の実家工場が栄えて、家族全員が平和に笑っていられるのが必要条件だとわかっていた。伊達に何回も人生をリセットしていないので、この点だけは自信をもって断言できた。

 仕事面は順調そのものだが、不安な点がないと言えば嘘になる。水町玲子との一件だった。決して喧嘩をしているわけではないが、どことなくギクシャクしているのは間違いなかった。

 会話をしているついでに、思い切って「玲子との時間があまりとれないのが残念ですけどね」と言ってみた。すると恋人の父親である社長は、事の他深刻そうな顔で腕組みをした。

「そうか……哲郎君だけでなく、玲子にも迷惑をかけていることになるな……」

 独り言みたいに呟いたあとで水町玲子の父親は、哲郎が目を丸くするほど驚くべき発言をしてきた。

   *

「それならお前たち、いっそのこと一緒に住んだらどうだ」

 まったく予期していなかった台詞に、さすがの哲郎も吃驚して目を丸くする。

 なんでも冷静に対処する哲郎の戸惑いは珍しく、社長が愉快そうに笑っている。

「そんなに驚く必要はないだろう。ずっと交際を続けているし、哲郎君の人となりは十分に知っているつもりだ。娘の結婚相手としても、申し分ないと思っている」

 意外な場面で恋人の父親からお墨付きを貰い、訳もわからないまま哲郎は「ありがとうございます」と頭を下げる。

 その姿を見て、水町玲子の父親が再び声を大きくして笑う。楽しそうな様子で「先ほどと、真逆の立ち居地になったな」と話す。

 これには哲郎も恐縮して「はあ……」と応じるしかなかった。大学生活の四年間は同じアパートでも別々の部屋で暮らすと思っていただけに、現段階での心の準備はなにひとつできていない。

 思いがけなさすぎる幸せに、思わず冗談ですかと確かめそうになる。近い将来のテレビ番組にどっきりなるものがあったはずだが、その企画ではないのかとさえ疑ってしまう。

 確かに哲郎と水町玲子は順調に愛を育んでおり、お互いの両親も温かい目で交際を見守ってくれていた。だからといって、ここまでとんとん拍子に話が進むと思っていなかった。

 ここで一旦、哲郎は己の心を落ち着かせる。まだ結婚していいと言われたわけではなく、一緒に住んだらどうかと提案されただけだ。

 結婚と同棲は近いようでいて、まったくの別物と言っても過言ではない。実際に同棲なら、過去の人生で哲郎も水町玲子とともに経験している。

 とはいえ、その際はお互いの両親の了解があったわけではなく、駆け落ちも同然の状況だった。今回のケースとは単純に比較できない。

「おいおい。言葉に詰まっているのは、もしかして玲子と一緒に住むのが嫌だからなのか」

「い、いえ。そんなことはありません。むしろ個人的には喜ばしいのですが、なにせお話が突然すぎたものですから……」

 哲郎がそう言うと、またもや社長が笑った。長期間の交際を続けておきながら、プラトニックな態度に終始してる姿がおかしいみたいだった。

 もっとも、そんな哲郎だからこそ信頼してるのだと社長は付け加えてくれる。非常に優秀で性格も良く、なにより誠実。そんなふうに人間性を評価されると、さすがに照れくさくなる。

「なら、あとは哲郎君と玲子の話し合いで好きにすればいい。この件は妻も了承している。ずっと前から、君を息子にしたがっていたからな」

 ニヤリとする社長に、何も言葉を返せない。奇妙な恥ずかしさが原因なのか、口にするべき台詞がぽっかり抜け落ちていた。

 どちらにしろ、両親として許可はするので、あとは自分たちの気持ちに素直に従いなさいという話だった。

 正式に決定したら改めて連絡しますと告げ、哲郎は社長の話を持ち帰ることにした。とにかく、じっくりと考えてみたかった。

 住み慣れた実家に戻ると、母親の梶谷小百合が哲郎の分の夕食を用意して待っていてくれた。父親の梶谷哲郎もまだ眠っていなかったらしく、新しく我が家に設置されたテレビを見ていた。

 丁度、両親が揃っていたのもあり、哲郎は水町玲子の父親からの提案を相談してみる。回り道をしても仕方ないので、いきなり直球を投げ込む。

「俺さ……水町玲子さんと同棲しようと思うんだけど……」

   *

 おもいきって事情を告げると、父親の梶谷哲也は静かな声で「良いのではないか」と言ってくれた。

 母親の梶谷小百合はまだ早いと言いたげだったが、家主たる父親が認めれば迂闊に反論もできなくなる。

「お前も、先方のお嬢さんを大事に思っているのだろう」

「守ってあげたい存在だし、心から大切に思っているよ」

 子供の頃は父親に敬語を使ったりもしていたが、今ではほとんど普通に会話している。

 高校の頃からアルバイトとはいえ、自分でお金を稼ぐようになって、一段と父親は哲郎を一人前の男と認めてくれるようになった。

 ゆえに大半のことは任せてくれているし、哲郎から相談されない限りは余計な口を挟んだりしない。ただ黙って見守ってくれている。

 放任主義と勘違いした頃もあるけれど、これが梶谷哲也ならではの愛情なのだと理解している。

「なら、好きにすればいい。先方が理解して許可をくれているのであれば、あとは本人の意思に任せるしかないだろう」

「でも、お父さん……差し出がましいようですけれど、哲郎はまだ大学生になったばかりです。あまり事を急く必要はないような気もします……」

 母親の心配も理解できた。大学へ入学した矢先に愛する女性と同棲するとなれば、勉学が疎かになりかねない。哲郎が逆の立場でも、同様の発言をしていた可能性がある。

 家族だから贔屓目に見ているわけではなく、梶谷哲也という男性は頭が良かった。だからこそ、きちんとした会社に長年勤めていられる。

 ゆえに梶谷小百合の言いたいことも、十分にわかっていたはずだ。にもかかわらず、水町玲子との同棲を許可してくれた。それが何より嬉しかった。

「確かに哲郎はまだ若い。色々と過ちを犯す可能性もある。だからといって、やろうとしていることをすべて否定していたら、人間として何ひとつ成長できないぞ」

 顔色ひとつ変えていないので饒舌とはならないが、それでもこんなに会話をしている父親を哲郎は久しぶりに見た。

 真剣に哲郎のことを考えてくれ、なおかつ梶谷小百合の憂いも十分に理解している証拠だった。大事な局面であるだけに、説明を途中で省いたりはしない。

「学業が疎かになったりすれば、先方も同棲を解消するように言ってくるはずだ。哲郎もその点は十分に理解している。そうだな」

「はい。成績もきちんと平均点より上を維持しますし、アルバイトにかんしても、雇ってくれている会社に迷惑をかけません」

 口で言うのは簡単だ。普通なら、そう言われて決意は却下される。しかし哲郎の場合は、高校時代にやり遂げた結果がある。

 水町玲子と交際をしながらも、アルバイトと学業を見事に両立してみせた。卒業式の際には、何度も教員からその点を賞賛された。

 父親の梶谷哲也も、そうした事実があるからこそ、哲郎の言葉を信じてくれる。何事においても、積み重ねは非常に重要だった。

 周囲からの信頼を得られなければ、何事もなしえられない。学校であれ、社会であれ、未来も過去もそこだけは変わらないと言える。

 ゆえに哲郎はここまでの過程と結果を重要視してきた。どんなに頑張っていても、成果が出ていなければ決して認めてもらえないからだ。

 最初の人生で社会というものを経験しているからこそ、他の学生たちとは違ったものの考え方ができた。繰り返しのリセットは、決して無駄ではなかった。

「覚悟も決意もあるのなら、哲郎に任せればいい。失敗する兆候があれば、その時に改めて話をするべきだ」

 一家の大黒柱がここまで言えば、梶谷小百合も従うしかなかった。最終的には「わかりました」と哲郎と水町玲子の同棲を認めてくれる。

 両親それぞれの配慮に心から感謝し、哲郎は「ありがとうございます」と頭を下げた。
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