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本編
75 稀人
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あまり長居をしてメノルカの仕事を邪魔するわけにもいかず、そろそろお暇しようかと立ちあがったところ、わざわざメノルカ本人が入り口まで送ると言い出したので、メノルカ、シュクラ、スイとエミリオ、そして案内役の聖人たちがぞろぞろとロビーまで移動することになってしまった。
馬車から降りた時からそうだったが、スイの髪色はやたらと目立つので、とりあえず人の視線が気になったスイはフードを目深に被りなおした。
なんだか参拝客の主に小さな女の子からやたらと指をさされて「ジェイディちゃん」とか言われているのが気になる。
――ジェイディって誰の事だろ? 王都の有名人かな? その人も黒髪黒目なのかな。
そういえば黒髪黒目ってこの世界では珍しいとエミリオも言ってた気がする。それにジェイディという名前、ジェイド、ネフライトジェイドという石の和名が翡翠だったか。なんだか自分の本名と被ってて親近感がわくとスイはのんびりそんなことを思った。
「それはそうと、稀人っつうのはみんな魔力量の多い者たちになるのかねえ?」
ふとメノルカがそんなことをぽつりと呟いたので、一瞬何を言っているのかわからなくなって、スイとエミリオは顔を見合わせ、シュクラが代わりにメノルカに聞き返した。
「そうじゃったか?」
「ま、シャガは遠いしこっちの話は届いていないかもしれないが、実はウチにも稀人がいるんだよな」
「何じゃと? 最近はそのような話、スイ以外で聞いたこともないぞ」
「最近じゃねえよ。もう二十五年も前の話だぜ。行くあてもねえらしいから俺が拾ったんだ。流暢なパブロ語を喋れたからなんとかなったんだが」
パブロ語はこのパブロ王国の共通語だが、スイの世界でいうところの日本語だ。つまりその稀人は日本人だろうか。いや、日本在住が長い外国人かもしれないが。
「まーそいつもなかなか魔力バカ高くてよ、思いつめることが多くてちょくちょく暴走しかけたから、俺の権限でマナ……まあいわゆる魔力の根源ってやつを一部封印したんだ。だから今は一般人並みしか無いから一安心してるけども」
なかなかネガティブ系の稀人のようだとスイは思った。スイも魔力が高いから色々気を付けてとシュクラ神殿の聖人聖女のおっちゃんおばちゃんらに口酸っぱく言われていたし、もともとそれほど思い悩む性格でもなかったので、ここ一年暴走なんてことは経験したことがない。
「エミさん、魔力の暴走なんてどういうことが起こるの?」
「ああ……まあコントロールしきれなくて勝手に魔法が発動したりして、色々破壊してしまったりとかだな。俺も子供のころよくやらかして、早いうちから魔法訓練の塾の講義受けさせられたよ」
家族には迷惑かけたなあ、なんて苦笑するエミリオだが、しかしそのおかげで二十八歳にして今の大魔術師という地位にいるのかと思ったら、それこそ小さな頃からの血の滲むような努力の賜物なのだなあと、スイは改めてエミリオに感心する。今更ながら、すごい人と恋人になったもんだとしみじみ思ったりもした。
大人になってからいきなり稀人としてこちらにやってきて、スイたちの元居た世界では発動しようもない膨大な魔力とやらを持たされて、コントロールの仕方も知らないその稀人が魔力を持て余して暴走させてしまうのは最早仕方がなかったことなのかもしれない。
「その稀人のひともここでそんな暴走起こしちゃったんだ……」
「おおよ。まあ神殿内にゃ結界が張ってあるから、外や参拝客に害はなかったし、俺じきじきにおさめたから大丈夫だったぜ」
「まじですか。じゃああたしもそんなことやっちゃう可能性もあるんだ……。気を付けてとか言われてたけど、実際にそんなこと経験したことないから知らなかった」
「お前さんにゃシュクラも魔術師のカレシもいるから大丈夫だろ。心配すんな!」
「は、はあ……」
不安げな顔になるスイの手を、エミリオはわかっているよと言わんばかりにきゅっと握りしめてくれた。シュクラもシュクラで「スイは吾輩の傍におれば問題ないぞー!」と抱き着いてくるのをスイはよろけながら受け止めた。ありがたい話だ。
「しかしメノルカ、そなたにも愛し子がおったのか。二十五年も隠しておったとは」
「違う違う、愛し子なんかじゃねえよ、弟子だ弟子。それに隠してねえよ。誰も気づかなかっただけだ」
「ということは聖人様でしたか。こちらに稀人がいらしたことは、長年王都に住んでいてもわかりませんでしたね……」
エミリオが聞くと、メノルカがまあな、と頷いた。メノルカの弟子というのは、この神殿の聖人たちのことだ。
稀人というものは過去にそのような異世界渡りをしてやってきた人間がいたという、本当かどうかもわからない歴史上のミステリーな話を聞いたことがある程度で、エミリオが本物の稀人に会ったのはスイが初めてだったのだ。それがこのような身近にいたなんて信じられなかった。
エミリオは子供時代からここ王都で育ち、こちらのメノルカ神殿にも何度も足を運んだはずなのに、スイのような稀人をこちらの神殿で見た記憶がさっぱり無かった。
その稀人がこのメノルカ神殿にやって来た二十五年前といえば、エミリオはまだ三歳だ。誰が稀人かなどわかるどころか、聖人たちの区別すらついていなかっただろう。
流暢なパブロ語(日本語)を喋ったというその稀人は、スイの同郷の者かもしれないが、スイと同じような外見の黒髪黒目の人物など見たら目立つしすぐにわかるはずなのに。
「見た目はこっちの人間とほぼ変わらないから、ぱっと見だけじゃ区別なんてつかないと思うぜ。今じゃ結構な中堅の聖人になってるし、後輩指導にしても人当たりが良い奴だから割と人気者なんだぜ。やっぱ稀人だけあって発想がこっちの人間と違って豊かでな、ほれ、あのポスター」
メノルカが指さしたところ、壁に大きく貼り付けてあった宣伝ポスターには、可愛らしい人形の絵が描かれていた。『着せ替え人形バビちゃん』『バビちゃんのお友達も多数』『ジェイディご予約受付中』などと神殿にしては商魂たくましいことが書かれている。
その周りでは、幼い女の子を連れた一般の参拝客がそれを見ているのが見えた。時折両親に「買って」と我儘を言って床をじたばたしているのも見かける。
「子供向けのあの着せ替え人形っつうジャンル確立させたのも、その稀人なんだ。もう大人気でな」
「着せ替え人形……本当にあたしの元居た世界にもあったやつかも」
「やっぱそうなんだな。あいつやたらあれの開発に力入れてて、俺も面白そうだと思ったから許可したんだ。そしたら商店街の玩具メーカーやら人形師やらに自分から交渉しに行って二十年前くらいに立派にジャンル確立させちまったんだ。かなりのやり手だぜ」
エミリオは、以前姪のシャンテルが誕生日に買ってもらった黒髪黒目の人形ジェイディを見て衝撃だったことを思い出した。スイと会えない時間にジェイディを見てしまい、理性でしまい込んでいた恋しさと劣情をたたき起こされてしまった黒歴史も思い出す。絶対言わないけども。
「ああ、うちの姪っ子もあれすごく好きで……最近あの黒髪の人形をすごく気に入ってたなあ」
「お、買ってくれたんだな。ありがとうよ!」
「ふむ、あの『ジェイディ』とかいうやつか。なんかスイに似ておるな」
――ジェイディってあの人形のことか。
こちらに来てからなんだかやたらと小さな女の子にジェイディジェイディ言われるなあと思ったら、あの黒髪人形に似てると言われていたのかと、スイは何となく納得した。
けれど、目がクリっと大きくて可愛らしい丸顔のあのジェイディが自分に似ているかどうかというのは、スイは甚だ疑問である。だってお人形は実際の人間よりも可愛らしく作られるものだから。
「そうかな、黒髪だからでしょ」
「いや、でも俺も初めて見せてもらったとき、スイにそっくりでホント驚いたんだ。あの黒髪の質感も顔立ちもスイそのものだし」
「も~、何言ってんのエミさん。あたしあんなに可愛くないってば」
「いや、スイは可愛い。俺が保証する」
「吾輩も保証するぞスイー!」
「いや、二人ともそれ単なる身内のひいき目……シュクラ様チューしなくていいから!」
「シュクラ様、俺が我慢しているというのに、ずるいですよ!」
「もー、離れて二人とも!」
ジェイディの話でやいのやいのやっている三人を見てううむ、と顎髭を揉みながらしばし考えていたメノルカはふと「そういえば……」とつぶやいた。
「あいつあの黒髪のジェイディの開発に随分時間かけて取り組んでいたなあ。よっぽど思い入れがあるのか、それとも故郷の思い出だったのかわからねえが」
「スイと同郷かもしれんのう。スイの故郷には黒髪黒目が一般的だったそうじゃしの」
「会ってみるか? まー、かなりのおっさんだから、年代的にスイと話合うかどうかはわからんけどな。同郷の親戚だと思えばいいだろ。……おーい、ちょっとセドルを呼んできてくれー!」
「え?」
まだ会いたいとも言っていないのに、メノルカは勝手にその聖人を呼びつけてしまった。
聖人たちは驚きながらも主人であるメノルカに逆らうことができず、言われたとおりにその聖人を呼びに行き、ほどなくして一人のすらりとした聖人を伴って戻って来た。
「おう、セドル。呼びつけて悪いな」
「……何かお急ぎの御用でしょうかメノルカ様。実はこれから玩具業者との打ち合わせが……」
「そうなのか、時間が押してんのか」
「いえ、そういうわけでは。早く準備するに越したことはございませんので……」
「相変わらず真面目な奴だな! まあそこがお前のいいところなんだがなあ」
セドルと呼ばれた聖人は年のころ四十代半ばから五十代前半といった初老の男性で、薄茶色の猫っ毛でやや生え際が後退しているものの、若い頃はかなりの美男だったと思わせるような姿をしていた。
メノルカがセドルの背中を押しながらこちらにやってくる。
「みんな、こいつが稀人のセドル・アーチャーだ。セドル、彼らは西部シャガ地域土地神シュクラとその娘っ子、そんでその婚約者の魔術師ドラゴネッティ卿だ」
「うむ、吾輩がシュクラじゃ!」
「王都騎士団所属魔法師団第三師団長、エミリオ・ドラゴネッティと申します」
「あの、スイ、と申します……」
三人を紹介されたセドルは、物憂げな表情で一同を見回し、静かな声で「……お初にお目にかかります、セドルと……」と一礼してから、顔を上げた瞬間にビシリと硬直した。
驚愕に見開かれたその視線は、メノルカと同等の土地神であるシュクラでも、王都騎士団の魔法師団第三師団長という高位の肩書を持つエミリオでもなく、彼らの間にいたスイに注がれていた。
――何、なになになに。化け物でも見たみたいな顔して……。
硬直してしまったセドルにスイだけでなくシュクラもエミリオも何だどうしたと思ったのだが、メノルカだけは全く空気が読めておらず、「スイはお前と同じ稀人なんだとさ」と無邪気に紹介している。
セドルは、はっ、はっ、と小さくて短い息を数回吐き出してから口元に握ったこぶしを当てて数秒息を整え始めた。それからようやく息が整ってから不意に顔を上げて、深々と三人に一礼をする。
「……見苦しい姿をお見せいたしました。土地神の一柱、シュクラ様にご挨拶申し上げます」
「う、うむ」
「大魔術師ドラゴネッティ様にも先日はお世話になりました」
「えっ、と……あ、もしかしてあの売店の……」
「はい……」
スイはなんだか訝しい感じがして挨拶するセドルとシュクラ、エミリオを見回していた。シュクラとエミリオに挨拶をしてからおもむろにスイに向き直ったセドルは改めてスイに深々と一礼をしてから自己紹介をしてきた。
「西部シャガ地域土地神シュクラ様の愛し子様にご挨拶申し上げます。……セドル・アーチャー……いえ、サトルと」
「……え?」
静かな声でよく聞き取れず、聞き返したスイに向かって顔を上げたセドルは、思い切ったような表情をして言葉をつづけた。
「サトル・ハチヤ……蜂谷悟と申します」
ぼとっ、と何かがスイの足元で落下した。彼女が持っていた女性らしいクラッチバッグだ。取り落としたそれを回収しようともせず、スイはただただ口元に両手を当てて、目の前の初老の聖人を驚愕の表情で見つめていた。
馬車から降りた時からそうだったが、スイの髪色はやたらと目立つので、とりあえず人の視線が気になったスイはフードを目深に被りなおした。
なんだか参拝客の主に小さな女の子からやたらと指をさされて「ジェイディちゃん」とか言われているのが気になる。
――ジェイディって誰の事だろ? 王都の有名人かな? その人も黒髪黒目なのかな。
そういえば黒髪黒目ってこの世界では珍しいとエミリオも言ってた気がする。それにジェイディという名前、ジェイド、ネフライトジェイドという石の和名が翡翠だったか。なんだか自分の本名と被ってて親近感がわくとスイはのんびりそんなことを思った。
「それはそうと、稀人っつうのはみんな魔力量の多い者たちになるのかねえ?」
ふとメノルカがそんなことをぽつりと呟いたので、一瞬何を言っているのかわからなくなって、スイとエミリオは顔を見合わせ、シュクラが代わりにメノルカに聞き返した。
「そうじゃったか?」
「ま、シャガは遠いしこっちの話は届いていないかもしれないが、実はウチにも稀人がいるんだよな」
「何じゃと? 最近はそのような話、スイ以外で聞いたこともないぞ」
「最近じゃねえよ。もう二十五年も前の話だぜ。行くあてもねえらしいから俺が拾ったんだ。流暢なパブロ語を喋れたからなんとかなったんだが」
パブロ語はこのパブロ王国の共通語だが、スイの世界でいうところの日本語だ。つまりその稀人は日本人だろうか。いや、日本在住が長い外国人かもしれないが。
「まーそいつもなかなか魔力バカ高くてよ、思いつめることが多くてちょくちょく暴走しかけたから、俺の権限でマナ……まあいわゆる魔力の根源ってやつを一部封印したんだ。だから今は一般人並みしか無いから一安心してるけども」
なかなかネガティブ系の稀人のようだとスイは思った。スイも魔力が高いから色々気を付けてとシュクラ神殿の聖人聖女のおっちゃんおばちゃんらに口酸っぱく言われていたし、もともとそれほど思い悩む性格でもなかったので、ここ一年暴走なんてことは経験したことがない。
「エミさん、魔力の暴走なんてどういうことが起こるの?」
「ああ……まあコントロールしきれなくて勝手に魔法が発動したりして、色々破壊してしまったりとかだな。俺も子供のころよくやらかして、早いうちから魔法訓練の塾の講義受けさせられたよ」
家族には迷惑かけたなあ、なんて苦笑するエミリオだが、しかしそのおかげで二十八歳にして今の大魔術師という地位にいるのかと思ったら、それこそ小さな頃からの血の滲むような努力の賜物なのだなあと、スイは改めてエミリオに感心する。今更ながら、すごい人と恋人になったもんだとしみじみ思ったりもした。
大人になってからいきなり稀人としてこちらにやってきて、スイたちの元居た世界では発動しようもない膨大な魔力とやらを持たされて、コントロールの仕方も知らないその稀人が魔力を持て余して暴走させてしまうのは最早仕方がなかったことなのかもしれない。
「その稀人のひともここでそんな暴走起こしちゃったんだ……」
「おおよ。まあ神殿内にゃ結界が張ってあるから、外や参拝客に害はなかったし、俺じきじきにおさめたから大丈夫だったぜ」
「まじですか。じゃああたしもそんなことやっちゃう可能性もあるんだ……。気を付けてとか言われてたけど、実際にそんなこと経験したことないから知らなかった」
「お前さんにゃシュクラも魔術師のカレシもいるから大丈夫だろ。心配すんな!」
「は、はあ……」
不安げな顔になるスイの手を、エミリオはわかっているよと言わんばかりにきゅっと握りしめてくれた。シュクラもシュクラで「スイは吾輩の傍におれば問題ないぞー!」と抱き着いてくるのをスイはよろけながら受け止めた。ありがたい話だ。
「しかしメノルカ、そなたにも愛し子がおったのか。二十五年も隠しておったとは」
「違う違う、愛し子なんかじゃねえよ、弟子だ弟子。それに隠してねえよ。誰も気づかなかっただけだ」
「ということは聖人様でしたか。こちらに稀人がいらしたことは、長年王都に住んでいてもわかりませんでしたね……」
エミリオが聞くと、メノルカがまあな、と頷いた。メノルカの弟子というのは、この神殿の聖人たちのことだ。
稀人というものは過去にそのような異世界渡りをしてやってきた人間がいたという、本当かどうかもわからない歴史上のミステリーな話を聞いたことがある程度で、エミリオが本物の稀人に会ったのはスイが初めてだったのだ。それがこのような身近にいたなんて信じられなかった。
エミリオは子供時代からここ王都で育ち、こちらのメノルカ神殿にも何度も足を運んだはずなのに、スイのような稀人をこちらの神殿で見た記憶がさっぱり無かった。
その稀人がこのメノルカ神殿にやって来た二十五年前といえば、エミリオはまだ三歳だ。誰が稀人かなどわかるどころか、聖人たちの区別すらついていなかっただろう。
流暢なパブロ語(日本語)を喋ったというその稀人は、スイの同郷の者かもしれないが、スイと同じような外見の黒髪黒目の人物など見たら目立つしすぐにわかるはずなのに。
「見た目はこっちの人間とほぼ変わらないから、ぱっと見だけじゃ区別なんてつかないと思うぜ。今じゃ結構な中堅の聖人になってるし、後輩指導にしても人当たりが良い奴だから割と人気者なんだぜ。やっぱ稀人だけあって発想がこっちの人間と違って豊かでな、ほれ、あのポスター」
メノルカが指さしたところ、壁に大きく貼り付けてあった宣伝ポスターには、可愛らしい人形の絵が描かれていた。『着せ替え人形バビちゃん』『バビちゃんのお友達も多数』『ジェイディご予約受付中』などと神殿にしては商魂たくましいことが書かれている。
その周りでは、幼い女の子を連れた一般の参拝客がそれを見ているのが見えた。時折両親に「買って」と我儘を言って床をじたばたしているのも見かける。
「子供向けのあの着せ替え人形っつうジャンル確立させたのも、その稀人なんだ。もう大人気でな」
「着せ替え人形……本当にあたしの元居た世界にもあったやつかも」
「やっぱそうなんだな。あいつやたらあれの開発に力入れてて、俺も面白そうだと思ったから許可したんだ。そしたら商店街の玩具メーカーやら人形師やらに自分から交渉しに行って二十年前くらいに立派にジャンル確立させちまったんだ。かなりのやり手だぜ」
エミリオは、以前姪のシャンテルが誕生日に買ってもらった黒髪黒目の人形ジェイディを見て衝撃だったことを思い出した。スイと会えない時間にジェイディを見てしまい、理性でしまい込んでいた恋しさと劣情をたたき起こされてしまった黒歴史も思い出す。絶対言わないけども。
「ああ、うちの姪っ子もあれすごく好きで……最近あの黒髪の人形をすごく気に入ってたなあ」
「お、買ってくれたんだな。ありがとうよ!」
「ふむ、あの『ジェイディ』とかいうやつか。なんかスイに似ておるな」
――ジェイディってあの人形のことか。
こちらに来てからなんだかやたらと小さな女の子にジェイディジェイディ言われるなあと思ったら、あの黒髪人形に似てると言われていたのかと、スイは何となく納得した。
けれど、目がクリっと大きくて可愛らしい丸顔のあのジェイディが自分に似ているかどうかというのは、スイは甚だ疑問である。だってお人形は実際の人間よりも可愛らしく作られるものだから。
「そうかな、黒髪だからでしょ」
「いや、でも俺も初めて見せてもらったとき、スイにそっくりでホント驚いたんだ。あの黒髪の質感も顔立ちもスイそのものだし」
「も~、何言ってんのエミさん。あたしあんなに可愛くないってば」
「いや、スイは可愛い。俺が保証する」
「吾輩も保証するぞスイー!」
「いや、二人ともそれ単なる身内のひいき目……シュクラ様チューしなくていいから!」
「シュクラ様、俺が我慢しているというのに、ずるいですよ!」
「もー、離れて二人とも!」
ジェイディの話でやいのやいのやっている三人を見てううむ、と顎髭を揉みながらしばし考えていたメノルカはふと「そういえば……」とつぶやいた。
「あいつあの黒髪のジェイディの開発に随分時間かけて取り組んでいたなあ。よっぽど思い入れがあるのか、それとも故郷の思い出だったのかわからねえが」
「スイと同郷かもしれんのう。スイの故郷には黒髪黒目が一般的だったそうじゃしの」
「会ってみるか? まー、かなりのおっさんだから、年代的にスイと話合うかどうかはわからんけどな。同郷の親戚だと思えばいいだろ。……おーい、ちょっとセドルを呼んできてくれー!」
「え?」
まだ会いたいとも言っていないのに、メノルカは勝手にその聖人を呼びつけてしまった。
聖人たちは驚きながらも主人であるメノルカに逆らうことができず、言われたとおりにその聖人を呼びに行き、ほどなくして一人のすらりとした聖人を伴って戻って来た。
「おう、セドル。呼びつけて悪いな」
「……何かお急ぎの御用でしょうかメノルカ様。実はこれから玩具業者との打ち合わせが……」
「そうなのか、時間が押してんのか」
「いえ、そういうわけでは。早く準備するに越したことはございませんので……」
「相変わらず真面目な奴だな! まあそこがお前のいいところなんだがなあ」
セドルと呼ばれた聖人は年のころ四十代半ばから五十代前半といった初老の男性で、薄茶色の猫っ毛でやや生え際が後退しているものの、若い頃はかなりの美男だったと思わせるような姿をしていた。
メノルカがセドルの背中を押しながらこちらにやってくる。
「みんな、こいつが稀人のセドル・アーチャーだ。セドル、彼らは西部シャガ地域土地神シュクラとその娘っ子、そんでその婚約者の魔術師ドラゴネッティ卿だ」
「うむ、吾輩がシュクラじゃ!」
「王都騎士団所属魔法師団第三師団長、エミリオ・ドラゴネッティと申します」
「あの、スイ、と申します……」
三人を紹介されたセドルは、物憂げな表情で一同を見回し、静かな声で「……お初にお目にかかります、セドルと……」と一礼してから、顔を上げた瞬間にビシリと硬直した。
驚愕に見開かれたその視線は、メノルカと同等の土地神であるシュクラでも、王都騎士団の魔法師団第三師団長という高位の肩書を持つエミリオでもなく、彼らの間にいたスイに注がれていた。
――何、なになになに。化け物でも見たみたいな顔して……。
硬直してしまったセドルにスイだけでなくシュクラもエミリオも何だどうしたと思ったのだが、メノルカだけは全く空気が読めておらず、「スイはお前と同じ稀人なんだとさ」と無邪気に紹介している。
セドルは、はっ、はっ、と小さくて短い息を数回吐き出してから口元に握ったこぶしを当てて数秒息を整え始めた。それからようやく息が整ってから不意に顔を上げて、深々と三人に一礼をする。
「……見苦しい姿をお見せいたしました。土地神の一柱、シュクラ様にご挨拶申し上げます」
「う、うむ」
「大魔術師ドラゴネッティ様にも先日はお世話になりました」
「えっ、と……あ、もしかしてあの売店の……」
「はい……」
スイはなんだか訝しい感じがして挨拶するセドルとシュクラ、エミリオを見回していた。シュクラとエミリオに挨拶をしてからおもむろにスイに向き直ったセドルは改めてスイに深々と一礼をしてから自己紹介をしてきた。
「西部シャガ地域土地神シュクラ様の愛し子様にご挨拶申し上げます。……セドル・アーチャー……いえ、サトルと」
「……え?」
静かな声でよく聞き取れず、聞き返したスイに向かって顔を上げたセドルは、思い切ったような表情をして言葉をつづけた。
「サトル・ハチヤ……蜂谷悟と申します」
ぼとっ、と何かがスイの足元で落下した。彼女が持っていた女性らしいクラッチバッグだ。取り落としたそれを回収しようともせず、スイはただただ口元に両手を当てて、目の前の初老の聖人を驚愕の表情で見つめていた。
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