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本編

68 納得いかない人々

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 流石に夜にラフ過ぎる姿でスイの家に転移したため、その姿でそのまま職場に直行するわけにもいかず、王都正門から騎士団寮の自分の部屋に急いで戻り、シャツを着替えて魔術師のローブをしっかり羽織ってから職場に出かけたエミリオ。
 
 ローブからはしっかりスイが洗濯してくれたときのあの柔軟剤とやらの香りがふわっと香っていて、今日はスイ手作りの弁当まであるので、彼女と離れているのは寂しいけれども、どこか心躍るような気持ちで職場のドアをくぐった。

 始業時間ギリギリであったため、ドアをくぐった瞬間に第三師団の部下たちの注目を一斉に浴びてしまった。

「おはようございます師団長」
「おはよう」

 口々に挨拶してくれた部下たちの中に、数日前に馬車でシャガに来ていた副師団長であるロドリゴ・エッカルトが王都へ戻ってきていた。

「おはようございます」
「……ロドリゴ、戻ってたのか」
「ええ……それより師団長、お話があります」

 ロドリゴがやや怖い表情をしている。その表情から彼が何を言いたいのかがわかってしまったエミリオは苦笑した。

 エミリオが執務机に着くと、ロドリゴが付いてきて机の前に立ち、名の書かれた部分を伏せられたネームプレートをこれ見よがしに立ち上げて置いた。

「……ロドリゴ」
「とりあえず、魔力の完全回復、おめでとうございます。クアス・カイラード卿のことも助命嘆願が通って彼も助かりました。全て師団長が無事で戻られたおかげでしょう」
「あ、ああ。全て丸く収まったようだよな」
「……どこがです。そのあとが大問題ではありませんか。騎士団を退団するなどと総団長に申し出たそうですね」

 ロドリゴの言葉に、執務をしながらこちらに聞き耳を立てていたらしい第三師団の魔術師たちが、一瞬シーンと静まり返った。ロドリゴがそちらを睨むと、そそくさと目を反らしてそれぞれの仕事に戻ったようだが。

「そのことか。どちらにしても、今回の遠征失敗の責任は取らないといけないからな」
「だからといって、何故貴方が! 責任を取るのはカイラード卿でしょう、何故貴方が責任を取る必要があるんです」
「はは、シートン総団長にも同じ様に言われたよ」
「でしたらっ……!」
「次の第三師団長には、ロドリゴ、お前を推薦しておいた」

 エミリオはロドリゴに立て直されたネームプレートを再び名前の面をパタンと伏せて淡々と答える。
 納得がいかないけれど、それでも既に決定事項だと暗にエミリオに言い切られて、ロドリゴは唇を噛みしめて押し黙った。
 そんな彼を見てエミリオは苦笑しながら、彼の肩にぽんと手を置いた。

「ロドリゴ、お前は俺がいない間しっかりと第三師団長代理を務めてくれたし、責任感もあって部下からの信頼も厚い。魔法の知識もセンスも俺以上かもしれないくらい高いから、きっと俺が去っても大丈夫だ」
「師団長……」
「そんな顔するなよ。何も今生の別れってわけじゃないんだ」

 一応、騎士団を去ってシャガに移り住んでからも、フリーの魔術師として王都騎士団からの仕事も回してもらえることを話し、その仕事の関係で騎士団にも顔を出すことがあると告げると、ロドリゴは渋々ではあったけれども、なんとか納得してくれた。

 ロドリゴと話している間、いつの間にか聞き耳を立てていた部下たちがエミリオの机の周りに集まってきていて、エミリオの退団の件に残念がった。しかし最終的にはエミリオの今後を祝福し、これからロドリゴを師団長として盛り立てていくことを宣言してくれた。非常に頼もしい。
 エミリオの真面目で人当たりの良い性格もあって、縦社会でぎすぎすしがちな厳しい騎士団とはいえ、魔法師団の第三師団は他の師団よりも仲間意識が強くて色々と言い合える様な絆がある師団だった。他の師団の連中からは、ままごとではないのだぞと苦言されたりもしたけれど、それでもエミリオはこの部下たちを大切に思って接してきた。だから寂しいのはエミリオも一緒なのだ。

 こうして、なんとか部下たちも納得してくれ、シートン師団長を通して正式に退団することが決定し、円満に騎士団を去ることができそうだとエミリオは思った。

 そのときまでは。

「エミリオ!」

 午前の執務を終えて皆それぞれ食事を摂るために執務室を出て行ったのち、エミリオはスイ特製の手作り弁当を広げていた。
 冷めても滋味が染み入る味わいにシャガに対して、否、スイに対して望郷に浸っていたところで、執務室のドアを蹴り破らんがごとくに怒鳴って入ってきた人物がいた。

 金髪に碧眼、やや浅黒い肌をして、遠征前よりは少しやつれてしまったけれど、それでも二日前に留置場で会ったときよりは健康的な感じを取り戻してきた様子の美丈夫、クアス・カイラードその人であった。

「クアス。しばらく療養中じゃなかったか? 一体どうしたんだ」
「どうしたんだ、はこっちのセリフだエミリオ! お前……騎士団を退団するって、何を血迷ったことを……!」

 息せき切って現れたクアスは、今朝のロドリゴのように到底納得できないとばかりにいきり立ってこちらに捲し立ててきた。

「血迷ってなんかいないさ。責任とかけじめというか、そういうのが俺にはある」
「それは私がすべきことであって、お前が背負うものじゃないだろう! しかも私にはこれ以上の責任はないとして騎士団に残れるように手配したと騎士団長に指示された。おかしいじゃないか、功労者のお前が退団して、私が残るなんて」
「落ち着けクアス」
「これが落ち着いていられるか! どうして……どうしてお前が全てを背負う必要が……」

 クアスは今回の魔物討伐では失敗をしてしまったけれど、騎士としての実力はもちろん、人望厚く、王都の騎士団にはなくてはならない存在だ。今回の件で毒杯を本当に賜っていたら、きっとエミリオの魔力枯渇よりも王国として損害となったはずだ。魔力枯渇はいつか回復する。けれど失われてしまった命はもとには戻らないのだ。

「……クアス、真剣なところ悪いが、俺はそれほど気にしていないんだ。俺のあとを任せられる部下もちゃんといるし、お前も無事だったし、心おきなく騎士団を去れる」
「騎士団の魔法師団に所属することはお前の誉れではなかったのか?」
「名誉ある職についたと今でも思っているさ。俺の持て余していた魔力をきちんと正しい方向へ導いてくれたからな。でも、俺は今、騎士団の地位より名誉よりも大切な物ができてしまったんだ」

 長年勤めた騎士団を中途で退団することになっているのに、エミリオの表情は晴れやかだ。それはあのシャガの魔物討伐に行く前の彼とは全く違った表情。
 男が守るべき物が、国から人へ変わったときに見せる、愛情のある優し気な表情。

「……魔力交換をしたという女性のことか」
「ああ……。俺は彼女のためにシャガで生きることにした。彼女と結婚する」
「王都に嫁に来てもらうことはできないのか? 妻が遠くから嫁いで来て王都で結婚生活を送っている騎士の家はたくさんある」
「無理だ。彼女は土地神の愛し子、土地神シュクラ様のお力から離れればその加護が届かなくなる」
「土地神の恩恵にあずかっていない人間など大勢いるだろう。そういう一般の人と同じになるだけだ。王都へ嫁に来てもらって、守ってやればいい。何なら王都へ来たらメノルカ神殿で洗礼を受けて使徒になれば、メノルカ様の恩恵も受けられるかもしれないだろう。そもそも女は男についていくものだ。女のために男が名誉ある騎士団の職を捨てるなんて……!」

 クアスは良くも悪くも騎士らしい昔かたぎな男である。女は守るべき存在であると同時に、女は夫になる男に従ってついていくのが常識だと普通に思っている。そういう考え方は昔からあるし、基本的に男女の中というのは貴族であろうと平民であろうとそんなものだ。
 一般の女性に対してだったら、エミリオもそれが普通と思っている。だが……。

「クアス、もう決めたんだ」
「エミリオ……!」
「俺は俺のために彼女を縛るつもりはないんだ。自由に生きている彼女の傍に俺が居たいんだよ」

 スイは土地神シュクラの愛し子、エミリオは神が大切にしている娘の傍にいても良いという許しは得ていても、彼女を連れ去って良いという許しは得ていない。その禁を犯せばどのような天罰が下るか。そもそもあのシュクラのスイに対する娘を可愛がる以上の溺愛ぶりから言って、そんな許可はきっと下りないだろう。

 それにスイにはあの異世界から一緒に持ってきたらしい不思議な魔道具のそろった家があるし、あそこから離れることはできないと思われた。
 エミリオはスイのこともあるけれど、あの不思議な魔道具のことも研究してみたいし、シャガに移住する意義は十分あると考える。
 エミリオにしてみれば、騎士団を退団してシャガに移住することは夢の実現みたいなものであって、責任を取るということはもはやただの名目上のことでしかなかった。

 クアスはエミリオのすがすがしいような微笑みを見て、しばし言葉をなくして俯いていたが、彼が騎士団に少しも未練がないことを見て取ると、しばし考えたのちにがばっと顔を上げた。

「……会わせろ」
「え?」
「お前が心をきめたという、その女性。お前にそれほどまでの決意をさせたその女性に、私を会わせろ。エミリオが全てを預けるに値する女性なのか、見てみたいんだ」

 必死の形相で言うものだから、エミリオは圧倒されたまま頷くしかなかったのである。
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