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第1話
3・まさかの彼から…
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菜穂は、わずかに後ずさった。
まさか向こうから声をかけてくるとは思ってもみなかった。いや、それ以前に、菜穂に気づいたこと自体、驚いた、というべきか。
「あれ、俺のこと覚えていない? 緒形だけど。高校時代の」
「覚えて、います」
やっと出てきた言葉は、情けなくもかすれていた。
緒形は「なんで敬語?」と軽く笑ったあと、つりあげていた唇を少しゆるめた。
「よかった、忘れられていなくて。いつからうちの制作に? 正社員──ではないよな?」
「派遣で。1年前から」
「へぇ、ディレクターとして? それともライター?」
「ううん、進行管理」
「あーわかる気がする」
どういう意味だろう、と首を傾げると、緒形はいたずらっぽく目を細めた。
「だって三辺、昔からしっかり者だっただろ?」
「そんなことないと思うけど……」
「あるって! 宿題とか提出物とか、絶対忘れなかったし。俺、何度か宿題を見せてもらったよなぁ」
懐かしそうに口にする緒形に、菜穂はなんとも言えない気持ちになる。
彼が、そんなささやかな出来事を覚えていたことに対する驚き。その一方で、そんな彼ならば「あの日のこと」も覚えているのではないか、という不安。
(それは、嫌だ)
できれば、忘れていてほしい。なんなら、自分の存在ごと忘れてもらってもいいくらいだ。
黙り込んだ菜穂を特に気にする様子もなく、緒形は「あっ」と声をあげた。
「もしかして三辺、うちの部署の担当だったりする?」
「まさか。営業1部は大手のクライアントばかりでしょ。私は営業3部担当」
「なんだ、残念。三辺が担当ならよかったのに」
なめらかな営業トークに、菜穂は時の流れを感じてしまう。高校時代の彼は、もう少しひねくれた物言いをする人だったはずなのに。
あるいは、あの頃よりも距離を置かれているのかもしれない。こんなふうに、当たり前のようにお世辞を言われるくらいには──
「あれ、菜穂……と、緒形さん?」
ふいに声をかけられて、菜穂はハッと我に返った。
振り返ると、派遣仲間の千鶴が、怪訝そうにこちらを見ている。
「どうも。制作の人?」
にこやかに返した緒形に、千鶴は「あ、はい!」と背筋をのばした。
「進行管理の野里です」
「野里さんね。担当は?」
「営業3部です」
「そっか、三辺と同じか」
「……『三辺』?」
苗字とはいえ、菜穂を呼び捨てにしたことが気になったのだろう。
「ああ、ええと……」
どう説明しようかと迷う菜穂の傍らで、緒形はソツのない笑顔のままはっきりと言い切った。
「俺たち、高校時代のクラスメイトなんだ」
「ええっ、そうなの!?」
「う、うん……まあ」
「なにそれ、すごい偶然! ていうか運命じゃん!」
「違うよ、そういうのじゃないから!」
菜穂が慌てて否定したところで、営業フロアから緒形を呼ぶ声が聞こえてきた。
「じゃあ、俺はこれで」
今後ともよろしく、と軽く手をあげて、緒形はあっさり戻っていった。その後ろ姿は、高校時代よりもしっかりしていて、嫌でもこの十年の歳月を感じさせる。
「すごいじゃん、めちゃくちゃすごいじゃん!」
興奮した様子で、千鶴が左腕に抱きついてきた。
「なんで同級生だって教えてくれなかったの?」
「向こうは、私のことなんて忘れてると思ってたから……」
「でも、覚えてたじゃん! やっぱ運命だよ!」
「そんなことないってば」
少なくとも、緒形はそんな目で自分を見ていない。そのことを、菜穂自身が誰よりもよく知っている。
(実際、はっきりそう言われてるもの……10年前に)
加えて、先ほどの自己紹介だ。緒形は、実にあっさりと「元クラスメイト」と言い切った。おそらく、彼のなかで菜穂との交際はカウントされていないのだろう。3ヶ月という短い期間だったから、そう位置づけられるのも理解できなくはないが。
(でも、それでいいのかも……私も気が楽だし)
そっと息をついたところで、スマートフォンにメッセージが表示された。
送信者は──浜島直也だ。
まさか向こうから声をかけてくるとは思ってもみなかった。いや、それ以前に、菜穂に気づいたこと自体、驚いた、というべきか。
「あれ、俺のこと覚えていない? 緒形だけど。高校時代の」
「覚えて、います」
やっと出てきた言葉は、情けなくもかすれていた。
緒形は「なんで敬語?」と軽く笑ったあと、つりあげていた唇を少しゆるめた。
「よかった、忘れられていなくて。いつからうちの制作に? 正社員──ではないよな?」
「派遣で。1年前から」
「へぇ、ディレクターとして? それともライター?」
「ううん、進行管理」
「あーわかる気がする」
どういう意味だろう、と首を傾げると、緒形はいたずらっぽく目を細めた。
「だって三辺、昔からしっかり者だっただろ?」
「そんなことないと思うけど……」
「あるって! 宿題とか提出物とか、絶対忘れなかったし。俺、何度か宿題を見せてもらったよなぁ」
懐かしそうに口にする緒形に、菜穂はなんとも言えない気持ちになる。
彼が、そんなささやかな出来事を覚えていたことに対する驚き。その一方で、そんな彼ならば「あの日のこと」も覚えているのではないか、という不安。
(それは、嫌だ)
できれば、忘れていてほしい。なんなら、自分の存在ごと忘れてもらってもいいくらいだ。
黙り込んだ菜穂を特に気にする様子もなく、緒形は「あっ」と声をあげた。
「もしかして三辺、うちの部署の担当だったりする?」
「まさか。営業1部は大手のクライアントばかりでしょ。私は営業3部担当」
「なんだ、残念。三辺が担当ならよかったのに」
なめらかな営業トークに、菜穂は時の流れを感じてしまう。高校時代の彼は、もう少しひねくれた物言いをする人だったはずなのに。
あるいは、あの頃よりも距離を置かれているのかもしれない。こんなふうに、当たり前のようにお世辞を言われるくらいには──
「あれ、菜穂……と、緒形さん?」
ふいに声をかけられて、菜穂はハッと我に返った。
振り返ると、派遣仲間の千鶴が、怪訝そうにこちらを見ている。
「どうも。制作の人?」
にこやかに返した緒形に、千鶴は「あ、はい!」と背筋をのばした。
「進行管理の野里です」
「野里さんね。担当は?」
「営業3部です」
「そっか、三辺と同じか」
「……『三辺』?」
苗字とはいえ、菜穂を呼び捨てにしたことが気になったのだろう。
「ああ、ええと……」
どう説明しようかと迷う菜穂の傍らで、緒形はソツのない笑顔のままはっきりと言い切った。
「俺たち、高校時代のクラスメイトなんだ」
「ええっ、そうなの!?」
「う、うん……まあ」
「なにそれ、すごい偶然! ていうか運命じゃん!」
「違うよ、そういうのじゃないから!」
菜穂が慌てて否定したところで、営業フロアから緒形を呼ぶ声が聞こえてきた。
「じゃあ、俺はこれで」
今後ともよろしく、と軽く手をあげて、緒形はあっさり戻っていった。その後ろ姿は、高校時代よりもしっかりしていて、嫌でもこの十年の歳月を感じさせる。
「すごいじゃん、めちゃくちゃすごいじゃん!」
興奮した様子で、千鶴が左腕に抱きついてきた。
「なんで同級生だって教えてくれなかったの?」
「向こうは、私のことなんて忘れてると思ってたから……」
「でも、覚えてたじゃん! やっぱ運命だよ!」
「そんなことないってば」
少なくとも、緒形はそんな目で自分を見ていない。そのことを、菜穂自身が誰よりもよく知っている。
(実際、はっきりそう言われてるもの……10年前に)
加えて、先ほどの自己紹介だ。緒形は、実にあっさりと「元クラスメイト」と言い切った。おそらく、彼のなかで菜穂との交際はカウントされていないのだろう。3ヶ月という短い期間だったから、そう位置づけられるのも理解できなくはないが。
(でも、それでいいのかも……私も気が楽だし)
そっと息をついたところで、スマートフォンにメッセージが表示された。
送信者は──浜島直也だ。
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