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第19話 男を忘れられる場所

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 明け方になる前に二人はそれぞれの部屋に帰ることにした。食堂のテーブルに広げていたお茶会用具を片付ける。美希は借りていたマグカップを由梨さんに差し出した。

「とっても可愛い花柄で素敵ですね。由梨さんって持ち物の趣味がいいです」

「私の気晴らしになるよう親がよく小遣いをくれるから、雑貨に凝ることもあるの。ただ、そのカップは私の趣味のど真ん中じゃないし、良かったら美希ちゃんにあげるわ」

「いえ、自分で同じのを買います。私も今年の夏休みはバイトでお金を稼ぎましたし!」

「いいのよ。それを美希ちゃんに引き取ってもらって、空いたスペースにまた別のを飾ってみたいし。お気に入りの雑貨があると心が浮き立つのだから、お互いに自分の趣味に合ったものを持っていたいでしょう?」

「そうですか……。では、ありがたくいただきます。これ、どちらで買われたんですか?」

「フランフランよ。京都駅のイオンモールの店舗で買ったわ。首都圏にも店舗はいっぱいあるから美希ちゃんも行ったことあるでしょう?」

 美希は「いいえ」と首を振る。

「女の子らしい雑貨屋さんだとは聞いています。どこかで遠目に眺めたこともあるかもしれません。でも、私、こんな見た目とキャラでそんなキラキラしたお店に入る勇気はなくて……」

「勇気?」

「他の人に笑われてしまいそうで。ブスの私があんな可愛い雑貨を好むなんて、身の程知らずって思われそうで。聖星女学院は中高一貫校だから、妹の方がとても美人だって知っている生徒も多かったんです。そんな人達に見られたらと思うと、とてもそんなお店に……」

 由梨さんは苦笑して「んもう」とこぼした。

「美希ちゃんが可愛い雑貨を手に取ったって全然おかしくないわ。それに、ここ京都は貴女のこれまでの生活圏から五百キロも離れているのよ? 誰も妹さんと容姿を比べないわ。自由になって」

 そうか。ここは京都で東京ではないのだ。

「そうですね! 人目を気にせず行ってきます!」

 京都駅南の巨大なイオンモール。その二階のフランフランに足を踏み入れるや、美希の口から思わず「うわあ」と声が漏れてしまった。濃いピンク淡いピンク。レースにレースにレース。そして色調の柔らかいとりどりの花柄のロマンティックなアイテムたち。美希は身も心もふわふわと、店舗内を何度も行き来する。

 その日の夕食で同じテーブルになった寮生にも、美希は興奮を隠すことはない。

「夢の国みたいでした!」

 相手は皆「はあ……」としか言えない。

「可愛いです、可愛いです、可愛いです! 優雅で繊細な花柄でいっぱいです。食器や文房具。ベッドカバーとかテーブルクロスとか。あ、そうだ壁紙もありました!」

 筧さんが「楽しかったんだね」と苦笑交じりで応える。

「はい! それはもう!」

 藤原さんは気づかわしそうだ。

「嫌だったことも忘れていられた? つまり、そのう、清水さんの一件とか……」

「ああ! 全く思い出しませんでした。そうですね。頭からすっぽり抜け落ちた感じで、全然」

 新市さんが大きく笑い、由梨さんも微笑む。

「そりゃあそうだよ。ああいう可愛いお店って女の子のための空間じゃん。この世に男という生き物がいること自体をすっかり忘れていられる場所だよ」

「そうね。私もお気に入りの雑貨で心が明るくなるけど、美希ちゃんは特に効果があるみたいね」

「今まで人目を気にして足を踏み入れたことなかったんですが、私、本当はこういう可愛いものを手元に置いておきたかったんだなあってしみじみ思いました。それに、店の中に入ってみると、どのお客さんも自分の買い物に夢中で別に私を気にすることもないようです」

 今日は河合さんも同席していた。

「そうだよ。今まで気にし過ぎてたんだって。これからは自分の好みのアイテムを心置きなく揃えていきなよ」

 そこに被さる声がした。筧さんだ。

「心理学専攻の河合さんはOKでも、FPとしては衝動買いをしてしまう怖れがないかどうかだけ確認しておきたい。美希ちゃん、まだクレジットカードとかは持ってないよね?」

 由梨さんも言い添える。

「その勢いじゃ、財布の有り金はたいて両手に山ほど抱えて帰って来そうだものね」

「あー、ご心配は分かります。品物を見ていると片っ端から買いたくなります。だけど買いかけた商品の合計金額をスマホの電卓機能で計算してみて正気に返りました」

「偉い! そんだけ興奮してても衝動買いをしなかったんだ。FPとしてはそこを褒め称えたい」

「ああ、でも欲しいです……」と身を捩る美希の隣で、藤原さんも「その気持ち分かる」と言いながら頭を抱えた。

「私も素敵な和雑貨揃えたいよう~。もっと言えば骨董品とかも買えるようになりたい……」

 新市さんが食後のお茶をすする。

「まあ、社会人になったら自分のお給料で思う存分大人買いしなよ」

 そんな先のことより目先の解決策もある。

 筧さんが骨董品のことは分からないけれど、と前置きしてから、フランフランならセールで割安になることもあるから、欲しいアイテムを絞り込んでそれを狙ったらどうかと提案してくれた。

 炭川さんがいつも持ち歩いているPCでフランフランのサイトを見せてくれる。

「アイテムを絞り込むなら、この中でもどういうのが好み?」

「そうですね、この画面のアイテムは少しお姉さま向けで私の好みとやや違います」

 これまで黙っていた金田さんも近寄ってきた。金髪でヒョウ柄の服を好む彼女の趣味は、花柄などガーリーな美希の好みと相容れないだろう。だが、いつまでも黙っているのも角が立つ。「確かにこの辺の品物は可愛いというより大人っぽくて由梨さんが好きそう」と言ったのに合わせて、由梨さんも画面をのぞき込む。

「そうね。私はこういうのの方が好みね。美希ちゃん、こっちは?」

「あ、こんな風なの大好きです。わわ! この画面で一緒におススメされているこの商品も!」

 河合さんが画面を見て「そうだ!」と声を上げた。

「こういうのが好きなんだったらさ、四条通のイノブンにも行ってみたら?」

「イノブン?」

「京都の女の子御用達の雑貨屋さん。可愛いものを買いたければココっていう定番の店だよ」

 筧さんが「あー、あそこかあ!」と手を叩く。

「フランフランと価格帯は似た感じかな。イノブンにもセール品はあるからどちらもチェックしておきなよ」

 そう言えば……と由梨さんも何かを思い出した風だ。

「四条通にはフランフランの別の店舗もあったはず。四条通に出れば一回の外出でどちらも見て回れるわ」

「行きたいです! その四条通というところに!」

「あれ? そう言えば美希ちゃん、今まで四条通自体に行ったことないの?」

「いつも自転車でイオンモール北大路に行くくらいですね。そこで大抵のものは揃いますし、後は地下鉄に乗って京都駅近辺……」

「今どきはそうかもね。一世代前だと京都でちょっと気取った買い物なら四条通一択だったみたいだけど」

 皆がそれぞれに四条通で思いついた店を挙げていく。

「ルイヴィトンとか高級品の路面店があったりもするし、風呂敷の永楽屋さんもある」

「ノムラテイラーっていう服地屋さんもあるよ。花柄の布だってあるかもしれない」

「高級呉服の『ゑり善』も」

 新市さんが茶碗を置いた。

「今まで、自分のことをブスだから女の子らしい物を手に取る価値がないなんて思い込んできたんでしょ。そんなこと絶対ないから四条通で入りたいと思ったお店に入ってみなよ。ま、ルイヴィトンは入りにくいだろうけど」

 藤原さんが頬杖をついてしょげている。

「私も『ゑり善』、手前まで行って引き返してしまいました……」

 由梨さんが食べ終えた食器を重ねていく。

「それ考えたら、若い女の子の美希ちゃんとフランフランやイノブンの取り合わせは全くおかしくないわ。大手を振って入れる」

 炭川さんが「あ、イノブンのサイトも見つかったよ」と美希に教えてくれた。

 美希の口から思わずため息が漏れる。

「ここもイイですね……」

「フランフランはテナントだけど、このイノブンは自社ビルだからね。玄関からイノブンらしくお洒落に出来てる」

「大理石の壁に黒い鉄枠の扉……ヨーロッパのようです」

「地階から四階まで全部こんな感じで素敵だよ」

 行ったことのあるメンバーが口々に言う。「へえ、私は二階くらいまでしか見たことないけど」「確か最上階に文具があったんじゃなかったかな。友達への誕生日カードを買いに行ったことがある」「隅から隅まで見るなら、かなり見ごたえあるよね」

 美希はスマホのスケジュール帳を確認した。

「今週末はバイトも何もないですし、四条通に行ってきます!」
 
 その週末。

 美希は地下鉄で四条烏丸に向かった。そして地上に出て四条通を東へ歩く。先に目指すは藤井大丸という百貨店だ。その五階にフランフランがある。

 同じフランフランでも、京都駅のイオンモールの店舗とお店のデコレーションが異なっていた。

 アンティークなテーブルに落ち着いた花柄のクロスが掛けられ、金色に輝くプレートスタンドがアフタヌーンティーの一場面だと示している。

 美希はアフタヌーンティーに行ったことがないが、憧れはある。いつか誰かと行ってみたい。女子寮の仲間は美希の少女趣味にやや辟易ぎみではあるものの、どの人も誘えば付き合ってくれそうだ。

 一通りフランフランを見終えた美希は、次にイノブンに向かう。

 藤井大丸の目の前の交差点を北に向かって渡って東に行くと交番が見えた。新市さんがからかい半分で「万一道に迷ったら頼ってごらん」と言っていたが、そんなこともなく、すぐにイノブンは見つかった。黒いアイアンの枠の扉があけ放たれているのが目に入る。その周辺には、落ち着いたピンクを基調とした、甘く柔らかい印象の、女性好みのブーケやリボンの飾りつけ。

 ――ああ! あそこがもう一つの夢の国、イノブンの入り口だ!

 足早に駆け寄りたいが、しかし。

 ――あれ?

 美希は、歩道上で怪しい動きを繰り返す不審者に眼を止めた。

 ――武田氏がいる……。
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