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第5話

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 喫茶店でコーヒーを頼み、置かれている新聞を開いて何とはなしに読んでいた。政治家の不祥事と海外の戦争について仰々しい題目で言葉が連なっていた。僕はすぐに興味を無くしたフリをして、コーヒーを傾ける。

「まだ引きずってるの?」

 胸の内側から声が聞こえてくる。相棒の声。

 僕は答えずにコーヒーを啜り続ける。味は苦くもなく、甘くもなかった。薄くもなく、濃すぎずもしない。何も印象に残らないような味だった。

 相棒が続けて言いながら、コートの間から顔を覗かせる。

「引きずるのもいいけど、自分の役割もちゃんと果たしてよ。そうしないと、今度こそあなた、降ろされちゃうわよ」

「わかってるよ」

 相棒は溜息を吐き、机の上に降りた。僕の方を見てきている。

「分かってない。あなた全然、分かってない。あの娘に忠告したはいいけど、あれで十分だと本当に思ってるの? あれで上手くいくと本当に思ってるの? あなたにとってじゃないわ。組織にとってよ。それは分かってる筈でしょう?」

 僕は相棒を睨みつけながら言い返した。

「だったらあの時そう言えば良かったじゃないか、あの娘の前で。何も言わなかったんだから、お前も同罪だよ。これで組織からあれこれ言われたとしても、連帯責任だよ。僕はそれでもいいと思ってるがね」

「性格悪いんだから。一体、いつあたしとの約束を守ってくれるのかしら? 数えきれない程の失敗を重ねた上でまだ、自分のエゴを優先しようとする。私、付く人間を間違えたと本気で思ってるわ」

「そろそろ時間だ」

 腕時計を見、喫茶店内の壁掛け時計を見る。時刻は一致している。15:10分前。内ポケットから懐中時計を取り出し、時刻を照らし合わせる。もうすぐ起こる。例のウェイトレスを見て、足元の水で濡れている辺りを見る。そして腕時計の針が懐中時計の針の位置と重なる。

 店内にはそれ程人がいるわけではなかったが、それでも揺れが来た時には動揺と悲鳴の声が方々から上がり、ウェイトレスの一人は通路の前で巨大なパフェを乗せたプレートを片手に、大きな揺れに耐えようとしていた。フラフラと揺れながら、ウェイトレスは水で濡れたエリアへと近づいてくる。僕は揺れの中を立ち上がり、危うい格好のウェイトレスの近くまで何とか歩いていく。そして、揺れが更に勢いを増した時、ウェイトレスが盆を落とした。

 僕はその盆を途中で受け止め、近くのテーブルの上に置き、それから何食わぬ顔で自分の席へと戻った。皆、揺れに気を取られて自分の動きに気付いた者はいなかったようだった。

 15:12分、揺れは止まった。俯いていたウェイトレスは漸く恐る恐る頭を上げて、周囲を見回し、何故か無事だったパフェを確認して、それから客達の方へと歩いて行った。互いの無事を知らせあう声や動揺のざわめきが暫くの間店内を包み込み、コーヒーを飲み終えるまでざわめきが収まることはなかった。

 僕は勘定を払い、外に出た。

 相棒が肩に乗り、言わなくてもいい事を言う。

「ああいう、小さくてしょうもない事でも、あなたの目指す未来にとっては重要な事なのね」

「うるさいな」

 だが、僕の呟きは階段を降りた先の公道の車の行き交う音に掻き消されて、自分にすら聞こえなかった。僕は内ポケットから懐中時計を取り出し、次なる時刻を確認してから、歩き始めた。

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