秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の三十七 虚言流布

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 和良簾村と書いて、わらすむらと読む。
 わらすとは子どもの意にて、もとはちがう字を用いていた。
 かつては童に村で、わらすむら……。

 女からそのことを教えられて、駐在の顔がこわばる。
 なぜなら女はたしか、こうも言っていたではないか。「あれは和良簾村が犯してきた罪の証」なのだと。それすなわち羅漢塚を埋め尽くす膨大な数の石像や石仏らは、すべて間引かれた者らを弔うためのものということになる。

 この地に赴任してきた当初。
 駐在は暇にあかせて戯れに、あそこにある石くれらを数えようとしてみたことがあった。
 けれども上から三つ目ぐらいの段のあたりで、早くも千を越えたもので、面倒臭くなって途中でやめてしまった。いくら下の段へと進むほどに狭まっているとはいえ、すべてを合わせたら優に二千、いや、三千に届くやも。

  ◇

 疫病や不作などで飢餓に瀕しやむにやまれず、そういったことが行われていた時代があったことは知っている。
 べつにここ和良簾村だけじゃない。
 それこそ日本中どころか世界中で似たような話がある。駐在も大陸に派兵されているときに、あちらでそれを元にした故事奇譚なんぞを耳にしたことがある。
 捨てる、殺すぐらいならばまだマシで、真の極限状態になればヒトはヒトを喰う。
 べつにこれは人間が浅ましいというわけじゃない。他の動物たちもたいがいそうだ。つまり生きるということ、生き残るということは、大なり小なり他者の犠牲の上に成り立っているという証左。
 倫理や文明、社会がいまほど発達していない頃。
 現代よりも生きるのがずっともっと難しかったがゆえに、死は特別ではなく、そこいら中に溢れていた。戦時中にも大勢亡くなった。それこそ数千単位で民間人が一方的に虐殺された。
 人類の歩んできた歴史を紐解けば、間引きなんぞよりも、もっと酷い話はごまんとある。
 自分だって散々に見てきたはずだ。ヒトの皮を被ったヒトデナシどもが闊歩する血みどろの戦場を……。

 だというのに、である。
 背中につーっと伝うは冷たい汗。
 駐在は息苦しさを感じて、自然と呼吸が荒くなる。
 この内より湧き起こる怖気はなんだ?
 足下から這い上がってくる寒気はなんだ?
 周囲の空気がずんと重くなったような気がする。

 外ではあいかわらず暴風雨が猛威をふるっており、駐在所の家屋全体がかすかに揺れている。そのたびに天井から吊るしたランプも揺れる。
 部屋の隅、棚と壁の隙間、床近くの陰溜まり、ランプの灯りが届かないわずかな暗がりが、無性に恐ろしい場所のように感じて、どうしてもそれらを視界に入れたくない駐在は無意識に視線を彷徨わせる。
 だが八畳ばかりの駐在所の狭い執務室。逃げ場なんぞはどこにもない。
 自然と正面を向くしかなく、とたんに向かい側に座っている女と目が合った。
 たちまち深い井戸をのぞき込んだときのような錯覚に囚われる。絡み合う視線。いやさ、絡みついてくるのは女の視線か。そのまま何もかもが絡めとられてしまう。
 蜘蛛の巣に捕まった羽虫。どれだけもがこうとも逃げられない。あとは喰われるのを待つばかり。
 駐在の頭の中が妄想に支配される。
 けれども、そんな時間は唐突に終わった。
 女が言った。

「では、そろそろ続きをお話しましょうか」

 駐在はその言葉にうなづくと、黙って筆記帳を開き鉛筆を手にとった。

  ◇

 女は語る。

 平林環が二十もの角樽を持ちこんで以来、女は旦那さまと相談の上で、きっぱり視るのをやめた。こっくりさんを求めてくる相手には「体調がすぐれないので」と仮病を使って断わる。
 実際に女は離れの奥に引き篭り、一歩も表へは出なかった。
 定期的に詣でていた子宝岩への参拝も止めた。
 そればかりか中庭の散策すらもせずに、人前に姿もみせず、完全に引き篭る生活。
 信徒気取りの平林環や影山秀子すらも近づけない。どうしても話をする必要があるときには、平安貴族のごとく御簾越しにてコホンコホンと軽く咳の芝居をし、「うつしたらいけないから」と嘘をつき距離を置く。店の者や給仕の者も離れには近づけず、対面するのは旦那さまのみという徹底ぶり。

 さすがにこうまでされては、ごり押しは出来ない。
 ゆえにいちおうは先方も、おとなしく引き下がる。
 だがいらぬ置き土産を残していくのが、新たな悩みの種となる。
 ひとつ、ふたつと角樽が増えていく。
 中身については言わずもがな。

「では、いずれまた。とりあえずこちらをお納めください」と客たちが置いていく。

 どうしてそんなことになっているのかというと、原因は平林環だ。
 勝手に女を祖として担いで、こっくりさんを信奉する集団。
 その中核を成していたのは、信徒にて側近を自称する緒方野枝、平林環、影山秀子ら三名。
 平林環は赤子の死体を求めるにあたって、自分の下にいる者らに命じて方々を探させた。
 もちろん表沙汰にできるような探し物ではないので、秘密裏にこっそりと。けれども人の口に戸は立てられぬ。漏れ出た情報が人伝手に歪曲し、いつしか「視てもらうには赤子の酒漬けがいる」という虚言が流布されてしまったのだ。虚ろが現実を浸蝕してゆく……。

 拒否し、突き返せば騒ぎになる。
 真実はともかく、うっかり中身が露見すればどうなることか。
 かくして蔵の地下に角樽が増殖していく。


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